038:得手不得手
また新しいお客さんが入って来る。窓際のお客さんは注文したがっているし、あちらはお会計待ちだ。
『ティースプーン』は一日でも忙しい時間帯の一つに突入したのである。
店主の片平光と目まぐるしく働きながら、名取はつい野乃花の座っているテーブルに目がいってしまう。
食事は終わって紅茶を飲んでいる。その視線を辿ると……。
はいはい。あそこのお客さんが薬を飲むから、お水のお代わりをしたいのね。
名取は野乃花の観察眼に正直、驚きながらも、そんなによく気が付くのなら手伝ってくれてもいいじゃないか、と腹が立ってきた。
開店前はこちらの仕事を奪う勢いで働いたのに、混んできたら座って、こちらの接客を悠然と観察しているだけなのが面白くない。
もしかして、接客はやりたくないのだろうか?
そうならば、ますます納得出来ない。やりたいこと、得意なことは率先して手を出してくるのに、したくないこと、苦手なことからは逃げるなんて。
ついに名取は予備のエプロンを手にして光に声を掛けた。
「光さん! 野乃花さんに手伝って貰いましょう!」
「え? ……ええ、いいわよ」
エプロンを突き付けられ、「忙しいので手伝ってくれませんか?」と言われた野乃花は、一瞬、躊躇したものの、小さく「はい」と受け取った。
それからの展開は、名取にはこれまた甚だ面白くなかった。
なんだ……出来るじゃないの。しかも、相当の部類。老舗料亭『中鉢』の元若女将を甘く見てはいけなかった。
野乃花の接客は、下拵えや活け花と同じくらい見事だ。テーブルの間をぬって動く姿は、花と巣を往復する働きバチのように華麗だ。
客が何か呼び止める前に、察してこちらから伺いに行く。
「名取さん。会計をお願いできますか?」
あろうことか、こちらに指示まで飛んできて、名取は鼻白みそうになったが、次の言葉で我に返る。
「私、レジは打てませんので」
それは経験的な意味でもあり、お手伝いとしての立場としての意味もあった。
『中鉢』では会計は大女将か女将、仲居頭がするものであった。今は”若女将”の由利も出来ることになっている。だが、同じ”若女将”でも野乃花には許されない。”若女将”と称していても、野乃花は『中鉢』では”他人”であったからだ。”他人”に、大事な売上金を任せる人間はいない。
そして『ティースプーン』でもまた、野乃花はやっぱり”他者”なのだ。そういう点では、野乃花は”弁えている”のである。
「あ……そうか。じゃあ、代わりに注文を取ってくれる?」
一人の客が手を上げていた。
「分かりました」
いそいそと立ち去る野乃花の後姿に、苛立ちが増す。
悪い人じゃない……悪い人じゃないけど……。
名取は笑顔の下で、なんとも言えない気持ちになっていた。
そんな時、それまで向かう所敵無し、といった感じの野乃花の動きが止まった――。




