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027:一階『ティースプーン』

 野乃花は光の誘導によって、店の一角に座った。そこは広瀬耕之進の定席で、店の全体が見渡せる場所だった。

 店員の女の子がやって来る。胸元の名札には『名取』とあった。


「あの? あなたが中鉢野乃花さんですか?」 

「はい。私、今度、こちらの管理人に――」

「あちゃー、さっき……と言っても、もう結構、前かな? 広瀬さんが来たんです。

それで多分、あなたのことを聞かれたんですが、よく分からなくって」

「そうでしたか」


 広瀬太郎が来たのだ。


「ご案内出来なくてすみません」

「いいえ。仕事中でしたから」

「そう……ですか?」


 素っ気なく答えた野乃花に、名取は戸惑ったが、気を取り直してメニューを差し出した。

 すでにモーニングの時間は終わり、通常のカフェメニューに代わっていた。


「パンケーキかフレンチトーストだったら朝食代わりにちょうどいいと思います。スコーンかクランペットもお勧めですよ。

お飲み物はどうしますか?

それから、うちでは日替わりで上に掛ける蜂蜜を、この中から選べるようになっています。

今日の蜂蜜は、スペイン産の森の蜜……百花蜜ですね。それからハンガリー産のアカシアに国産の栃の木マロニエ。イタリア産のオレンジに、ブラジル産のコーヒーです」


 癖の少ないものから、強いものまでがバランスよく用意されていた。

 野乃花は先程、耕之進のパントリーで、もっとずっと沢山の蜂蜜を前にしたというのに、その時と同じくらい夢中になった。

 名取が必殺の接客スマイルを浮かべる。「今日は摘み立て、作り立てのイチゴジャムもサービスですよ。年に一度のイチゴフェアなんです……って、野乃花さんが手伝って下さったんですよね。ありがとうございます」


「…………いいえ」


 名取の輝く接客スマイルは敢え無く消えた。


「あの……野乃花さんでしたら、追加料金が必要なマヌカハニーでもいいって」


 これまた名取、必殺の蜂蜜の名を繰り出してみるが、野乃花から返事はなかった。

 自分が失礼なことをしたかと不安になった瞬間、野乃花が顔を上げた。

 名取ははっと息を呑んだ。


「クランペットを下さい。蜂蜜はアカシアにします。飲み物はミルクティーにします」


 その澱みなくきっぱりとした口調は、まるで常連のようだったが、目の輝きは初めてカフェに連れてこられた子どものように見えた。

 戻った名取が注文を伝えると、ため息を吐いたので、心配した光が寄ってきた。


「どうかした?」

「いえ……」


 “お客さん”の事なので名取は濁しかけたが、正直に相談することにした。


「ビルの新しい管理人さん? なんですよね? どう接したらいいのか分からなくて」

「そうねぇ」


 光は客席の方を見た。

 悠然と座っているようで、視線は抜け目なく店内を観察している。厳しい抜き打ち検査官のようだ。

 こちらを見る野乃花と視線が合う。

 光は彼女に微笑みかけた後、名取に言った。


「お互い初対面ですもの。野乃花さんも緊張しているのよ。

悪い子じゃないわ。仕事ぶりも確かだし」

「そうですよね! 美人だけど、人見知りっぽいし、早く打ち解けてもらえるといいです」


 前向きな性質の名取はそう思うことにした――が、野乃花がテーブルに飾っていた花の位置を直しているのを見て、顔が強ばった。

 その花は名取が飾ったものだったからだ。

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