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刑務所といってもまるでペンションのような快適さであった。なぜだろう。さっきまで普通の人間に殺されかけたのに。龍子は疑問に思うが、届いた手紙で真実を知る。手紙はなんとあの懐かしい若草先生からだ。
“瑠田龍子さん。
僕は貴方に謝らなければならない事がある。貴方は以前回路人間になってしまった事を僕に打ち明けたね。誰にもばらさないと約束したよね。だけど貴方が捕らえられたのをテレビで見た時、どうしても助けなきゃと思い、多くの人に打ち明けてしまった。申し訳ない。
だけど多くの信用を得た。彼女が邪悪であるはずがない、第一、鎧を着ていなかった、彼女が自ら捕まったのは争いを納めるためだ、と信じてもらえた。署名運動も起きた。おかげで君は死刑を免れた。残念ながら君を怖がる人が多いから、こんな遠くの場所で暮らすことになったけど、これが僕のできる限りやった事だ。許してほしい。”
龍子は手紙を見ながら感謝と切なさで胸が一杯になった。これが、おそらく、最後の先生の優しさなのだろう…
龍子の住んでいる場所は、遠く離れた孤島であった。海の近くに小屋が建っており、周りは青々とした草で生い茂っていた。
そこに訪問者が来た。ヘリコプターで現れた彼を見て、龍子は驚いた。“回路抹殺の会”のトラックに乗っていた男ではないか。彼は自己紹介した。
「奈谷落夫です。」
龍子の心臓は高鳴り、一瞬後退りした。かつて自分を撃ち殺した男…。それに気づいた奈谷は、はははははと笑い言った。
「心配いらない。君を殺す事は法律で禁じられている。もっとも以前じいさんを殺してしまったがね。もちろん弁解はしない。」
「では何の用ですか?」
「君に興味があってな。」
「化け物としてですか?」
「いや、君は他の化け物とは違う。どこか違う。」
「他の化け物と呼んでる人たちだって、皆私と同じです。あなたが思い違いをしているだけです。」
「そうだな…だがこういつまでも潮風の中、立って話してはられない。中に入ってもよろしいかな?」
龍子はしぶしぶ承知した。
部屋の机の端と端に二人は座っていた。机の真中に太陽が照らされている。
奈谷は言った。
「私は謝らなければ。君たちの事をろくに知らずに、君たちに対し酷い仕打ちをした。許していただきたい。」
龍子にはさまざまな思いが駆け巡った。復讐、拒絶、許されない、しかし報復した所で何もならない…おそらくそれは龍子の体内に流れる無数の殺された魂の叫びだ。それらを聞き、やがて龍子は言った。
「過ぎた話だもの。何も思わない。」
「そうか…で、私達はもっと君のような人種を知るべきだと思った。」
「もう一人しかいませんが。」
「まあ…そうだな…まず聞きたい。その糸束はいったいどんな働きをするんだ?」
そんな基本的な事を知らないで誹謗中傷し殺したのか!?と龍子は一瞬憤りを感じた。身体もそれに反応して一瞬回路になった。それに気づいて奈谷は言った。
「申し訳ない…あの時の事は水に流してくれ…あの時の我々は愚かだった…」
物分かりの良さそうな言い方、これが彼をカリスマにした要因だろう、と冷ややかに思いながら龍子は言った。
「神経よ。」
「神経?」
「感覚器官。私達はお互いにこれを接続してコミュニケーションを取るの。」
「本当か…?」
「人間にもできるわ。やる?」
龍子の手が回路に分裂した。
「これに触れる…?」
「そう。うつったりとかしないから大丈夫。」
奈谷は恐る恐る、グロテスクな龍子の腕を触った。触手はたちまち奈谷の腕をとらえた。
「あ…」
「あなたの心がみえる。あなたも私達の心がみえる。」
私達…?奈谷は心象風景の中の龍子を見た。それは、一見龍子の姿だったが何かににていた。そう、多くの回路人間、自分が殺した老人などだ。あいつが、生きている…なぜだ…
「ぎあああ!」
奈谷は叫んで、龍子から手を離した。恐ろしかった。この娘は、死んだ魂と共にいるのだ。どうりで変に心が強いわけだ。しかしなぜだ。
だが龍子はさっきのような冷たい怒りを見せず、慈愛の瞳で奈谷を見ていた。龍子は言う。
「あなたの心も見た。」
波音が小屋の外で静かに打たれ、カモメがきゃあきゃあ鳴いた。龍子は静かに言った。
「可哀想に・・・・・だから弱いものを殺してしまうのね。あなたのその性状は、自分を滅ぼす事となるわ。」
奈谷は去り、龍子が一人残った。この先、大して変化もない。ひとりぼっちだ。だから龍子は自分を省みる。小屋を出て、海岸の座りながら一人考えた。自分は、いったい誰なのだろう。何者だろう。自分はかつて、配管工で、ゴルフ選手で、コンサルタントで、「ポインセチア」のリーダーで、親にいじめられた学生で、親に愛された学生で・・・等々。さまざまな自我が入り混じり、はたしてどれが本当なのか判断できなくなる。
やがて彼女は判断しなくて良いのだと思った。人格とは特徴であり、人格の集合体によってできたものは“普遍”という形質だ。自分はあまりにも沢山の人格を体験して普遍的な存在となったのだ。しかし、だからといって、今生きるうえで何になろう。回路人間であるが故にこの先何もない。絶望。
その絶望がなぜか不思議な幸福感を生んだ。この先なにもないということは、現実の束縛もない。自由だ。そうだ。自由だ。これから永遠への開放へと飛び立つのだ。
龍子は開放感と共に自分が壊れていくのを感じた。同時に、体の端から糸状の回路に分裂するのを感じた。その糸は回りに広がり、翼のように龍子の背後に広がった。やがて糸は骨から剥がれ、大きな翼として体から離れていった。
風が吹いた。糸束は風に乗って飛んだ。島には龍子の骨が残った。
糸束はしばらく空を浮かんでいた。地上を見下ろせば人間の地。ふと、彼女は自分の両親と若草先生を思い出した。これからもう会うこともない。お別れを言うべきだったかなあと彼女は思ったが、風はお構いなく吹き続け、糸束は飛び続ける。思考もなんとなく風に吹かれて消えていく。
やがて糸束はそのまま落ちて、海のほうへに、ぽちゃん、と沈んだ。糸束は一気に細かく分裂し、蠢きながら四散した。




