前日譚 北の国の先々代王弟
直接描写はありませんが、性犯罪への言及があるので、苦手な方はお気をつけ下さい。
追記 子どもが出来ないことに対しても不躾な表現があります。申し訳ありません。
もうすぐ16歳になる母親違いの妹が、忙しいだろうに私のいる神殿まで会いに来てくれた。
18歳を待って西の国の王子と婚姻する妹は、再来月には早めの嫁入り支度でかの国へ向かう。膠着する領土争いに穏健な決着をつけるための純然たる政略結婚だ。父王と異母兄の愚行に振り回されてきた妹が、出国を歓迎していることが救いだ。
今回の婚姻も本来なら、妹より10歳上の第三王子に釣り合う年齢の傍系王族が、父王の養女となってもっと早くに嫁ぐ予定だった。しかし、恥ずべきことに、我が国の適齢期の傍系王族女性はすべて兄のお手付きとなっていた。他国の王族、それも直系の王子に乙女でない娘を嫁がせるなどあり得ない。再婚案件ではないのだから。
直系王族の婚姻計画を狂わされた西の国の怒りが強かったこともあり、我が国の直系王族である妹があちらの傍系王族に嫁ぐことで決着はついた。数少ない直系王族を他国に嫁入りさせることは国内の貴族からも反発があったが、妹が国内で子をもうけることを恐れた兄によって封殺された。
数少ない直系王族というより、我が国の直系はほとんど絶滅の危機に瀕している。直系と言えるのは父王と異母兄と私と異母妹の4人だけだ。父の尊属は死に絶えているし、私たちきょうだいには子がいない。15歳の妹はともかく、30歳の兄と25歳の私にもだ。
傍系王族はいることはいるが、3代前に王族と婚姻した、4代前に王族と婚姻した、傍系王族同士で婚姻したと、最早家系図で辿らないと正確な関係を言い表せないほどには遠い。
それもこれも行き過ぎた血統主義のせいだ。神の名のもとに誓われる神殿籍を利用した厳格かつ正確な血統管理。そのすべてを否定はしない。不貞による王朝簒奪を防ぐには有用な手段だったのだろう。
だが、神に誓われた正確な証明書由来の家系図は四角四面の継承をうみだした。系統と長幼がはっきりとわかるからこその融通の利かない王位継承、男系長子相続。たとえ男系長子に精神的肉体的問題があろうとも継承させる。
直系男子が閉ざされれば、家系図に従ってより血の近い次代が選定される。国王に弟がいれば話は簡単だ。上の弟に継がせればいい。しかし兄弟がいなければ、先王の弟、先々王の弟と家系図を遡る。国王の死後の話なのに先王以前の弟が現役であるはずもなく、その子、孫が対象だ。では先代に姉妹しかいなければ先王姉妹の息子と先々代王弟の孫とどちらの血統が継承すべきなのか。息子から息子へとつながったなら先々代王弟の孫か。しかし王位を継ぐならさらにその下の世代でなければ年齢的に厳しく、先王姉妹の息子の息子と先々王弟の孫娘の息子となれば、どちらを選ぶのが正しいのか。
結局、選定には婚姻相手の血統も加味されることになり、近親婚と血族婚が加速した。
何代にもわたる血族婚の繰り返しで王家の血は細り、子は生まれにくくなった。
父たる現国王も、三十路を前にようやく兄を授かり、5歳下で母親違いの私を、15歳下でまた母親の違う妹を授かった。複数の側室を侍らせ、新しい子が出来るたびに前の王妃を離縁して再婚しその子を嫡出子として家系図に書き入れるという汚い手で嫡出子を増やしたのだ。わが父ながら唾棄すべき獣だ。残念ながら父だけが使った手ではなく、先祖代々そうなのだから救いがない。兄の母は父の従姉だし、その後の婚姻相手もすべて傍系王族なのだから、血が閉塞もするというものだ。このまま滅びてしまえ。
これが王家に限った話ではないあたり、我が国は本当につんでいる。それもこれも神に誓う神殿籍で父母が確実にわかる弊害なのだろう。同じ条件の近隣諸国も血統にこだわるとは言え、我が国ほど執拗な国はないので、神殿籍だけのせいにはできない。国の病とでもいうべきか。結局、この国は、いや、この王朝は滅びるべくして滅びるのだろう。兄は往生際悪く抵抗しているが私は末代で構わない。西の国で妹の子が産まれるだろうから、政治的に面倒極まりないのだが。
父にとって三十路を前にしてようやく授かった念願の王子である兄も、今は当人が三十路である。父を超えご乱交を繰り返したくせに子はいない。おそらく兄は不具である。近親婚を繰り返し過ぎた弊害だろう。傍系王族との間に生まれた私や妹とは違い、兄は父王と従妹の間に生まれた血統至上主義のサラブレッドだ。だからこそなのか、父に似て酷い片頭痛持ちで癇癪持ちだった。
そして子が出来ないことに激しい劣等感を持っている。父が自身を得た三十路に達しても、いまだ子がないことに焦燥感を募らせて毎日のご乱交だ。3代前の傍系を筆頭に遠くは5代前に遡る傍系王族まで、出産可能な年齢の王族女性はすべて異母兄のお手付きだと言っても過言ではない。それで子が出来ないのだから誰もが察してはいたものの、異母兄が乱行を止めることはなかった。唯一、安全地帯から異母兄を止められるはずの父王は傍観するだけである。異母兄が適齢の王族女性をことごとく毒牙にかけたために西の国との婚姻政策が頓挫していたというのに放置である。まさか異母兄の不具の苦しみがわかるとでも言うつもりだろうか。家族ごっこは王権を返還してからやるか、潔く死んでくれ。
本来ならもっと早くに政略結婚が成立し、玉虫色であれ領土問題に決着がついているはずだったのだ。しかし乙女ではない女性を他国王家に嫁がせるわけにはいかない。さらに我が国王家の実状を知る西の国は王女を嫁がせる気はないときている。当然だろう。子種のない兄は論外としても、第二王子たる私に嫁がせたところで異母兄のお手付きにされるのは目に見えている。あの兄では他国の姫にすら手を出し、さらに懐妊しないからと手を上げかねない。誰がこんな男のいる国に王女を嫁がせようか。
妻や子を得れば兄に手を出されるとわかっているから私も25歳にもなって独身を貫いている。結婚相手は傍系王族なら異母兄のお手付きしかいないし、王族以外を娶ったところで異母兄が見逃すとも思えない。相手を不幸にするとわかっていて、どうして結婚を申し込めようか。相手にとっては死刑宣告だ。
血統至上主義者どもは私に子を作れとうるさいが、私の子が出来れば異母兄に殺されるとわかっていて、よくも言えたものだ。異母兄に穢された自分の娘を娶って責任を取れと言うならまだわかるが、そういう男に限って自分の娘は早々に婚姻させて守っているのだ。まあ、責任をとろうにも被害者が多すぎて取りようがないのだが。どうして竿が腐って死んでくれないんだ父も兄も。
「異母兄上に結婚してほしい方がいるのです」
茶会の話題は予想外だった。妹は私が結婚しない理由をよく理解している。兄のいる王城は息が詰まるからと、私の住む神殿にたびたび遊びに来たからだ。
「彼女は私の母方の従姉で親友です。傍系王族ですが体が弱く、一年の半分くらいは床に就いているのです」
「二人きりだから持って回った言い回しはやめよう。子を産めないから私の妻にちょうどいいというわけかな」
兄妹であるから、男女であっても侍女や護衛は遠ざけていて神官も近くにいない。姿を盗み見る者がいても声は聞こえないし口元は見えない状態だ。とはいえ時間は有限なのだ。妹は嫁入りの支度もあって忙しい。
「いいえ、異母兄から従姉を救ってほしいのです。彼女は生まれつき体が弱く舞踏会に出たこともありません。そのおかげで今はあの男と接触せずにすんでいますが、王家の血も入っている公爵令嬢なので元々目をつけられているのです。あの男は初めてでも乱暴に抱いて、子ができないのは本人のせいなのに妊娠しなかったと女性に責任転嫁して暴力をふるいます。体の弱い彼女がそんな目にあったら、最初の一夜で死んでしまいます。あの男は元からおかしいけれど、今はもう狂人です。私のこともねっとりした獣のような目で見ているのです。西の国や父の目があるので私には手を出しませんけれど、鬱憤をぶつけているのか、侍女や貴族夫人に手あたり次第に手を出しています。前は馬鹿みたいに王族専科だったのに。今までは公爵夫妻が彼女を守ってきたけれど、私が嫁げば、私に手を出せなかった八つ当たりで彼女に手を出して殺してしまうでしょう」
病人を狙うなど信じたくないが、あの血統至上主義の兄なら有り得る話だ。母親違いとはいえ妹にまで性的な目を向けるとは、我が兄ながら唾棄すべき獣だ。血が繋がっていることが恥ずかしい。今すぐ城の大階段を最上段から勝手に転げ落ちて誰にも咎がいかない形で死んでほしい。
それにしても、血統至上主義で王族以外には見向きもしなかったあの兄が、手あたり次第とは相当に追い詰められているようだ。子ができなかったのは女性の問題で、経産婦の貴族夫人なら妊娠すると思いたいのか? まさか自分の妻や側室の母親にも手を出しているのではないだろうな? 蝋燭の火が引火して火達磨になって死んでくれ。
父は何故、兄を放置するのか。貴族夫人が合意の上の関係ならまだいいが、そうでなければ当主の恨みを買うし、王宮侍女もまた後ろ盾となる親兄弟のいる貴族令嬢だと言うのに。貴族家に連合して離反されれば王家に抗う術はない。父は王朝を滅ぼしたいのか? ならば黙って兄と心中してくれればいいものを。なぜ見苦しく生きているんだ。二人まとめて竜巻にさらわれて死んでくれ。
せめて父が私の王位継承権放棄に同意してくれれば兄の態度も違ったかもしれないが、兄に子が出来るまではと第二位に留め置かれている。兄に子ができないうちは私の継承権を放棄できず、私が継承権を持つ限り兄の乱交に拍車がかかる。堂々巡りだ。
王位継承に色気などないと有形無形で示してもなお、兄は私を見張り、この神殿でまで女がいないか子ができないか常に身辺を探らせている。おかげで私は閨教育以外は童貞だ。あの異母兄は私が寝たというだけで相手を寝取って殺しかねないのだ。精神的に虚勢されているようなものだ。
十年前、父の命に従って神殿入りしたのが悔やまれる。片頭痛もなく、おそらく子を生せるだろう私の存在が、兄の癇癪を劇化させていたのは否定しようがない。私がいないほうが兄も落ち着くはずだと、外祖父や大臣らに説得されるままに、あの地獄のような城から逃げてしまった。確かに今まではそうだったかもしれないが、三十路を機に急激に悪化しているではないか。
私が兄に殺され直系の血が絶えることを危惧した大臣らを責めることはできないが、私は地獄にとどまるべきだったのだ。城に残って、王宮を離れられない妹や抵抗できない女性らを守るべきだった。
おそらく被害者の彼女らには傍系王族と違い側室の地位すら与えられていないのだろう。傍系王族だけでも十人近い側室がいるのだから子もいない側室を増やせるはずもない。父も兄も男根が腐れ落ちて死んでくれ。
妹が西の国へ発つ前にと急いで公爵令嬢と婚約し異例の短期間で婚姻準備を整えた。出席者は近親のみ、花嫁の体が弱いことを理由に椅子から立ち上がることもない異例で簡素な結婚式である。大神官様の助けで、格式がどうのとうるさい王族貴族も黙らせることができた。
妹は私たちの結婚式に出席した翌日、意気揚々と西の国へ旅立った。
王位継承権の放棄は認められなかったが、婚約者が公爵令嬢だったために婿入りが認められたのは僥倖だった。彼女は一人娘で公爵位を争う相手もいなかった。もともと爵位は一世代飛ばして親族の子を養育して継がせる予定だったのだ。彼女の体が弱いから子は望めないこと、跡取りは公爵家の親族から選ぶことを条件に父も兄も納得した。結婚式での妻が病人そのものの姿だったことと、私たちが妻の療養を兼ねて領地に引きこもることをお気に召したのだろう。
これで兄も落ち着いてくれればいいのだが。これでも落ち着かないなら、かっこつけて飛び乗った馬から落ちて死ね。いかん、何の罪もない馬と厩舎番が処されてしまう。雷が直撃して死ね。
結婚後は、王都での社交は義父母となった公爵夫妻に任せ、小公爵夫妻として二人で公爵領に引きこもった。幸いなことに国内では比較的温暖な領地での生活が妻の病を軽くした。未婚の女性王族は王都を出てはならないと言う、未婚女性を王の側室にするためだけの馬鹿げた法律がなければ、妻はもっと早くに床払いできていただろう。王家が諸悪の根源すぎる。父も兄も寝台から足を踏み外して玉を強打して死ね。
妹の親友だけあって妻は善人だった。まったくの初対面からお互いに手探りで歩み寄り、少しずつ心を通わせていった。妻の病弱さゆえに一般的な夫婦とは違えども、確かに私たちは夫婦になった。癇癪持ちの父と兄に振り回されてきた人生の中で、これほどの安らかな時間は初めてだ。
西の国へ嫁いだ妹にも平穏が訪れていることを、妻と二人で願う。
西の国で18歳を迎えて結婚した妹は早々に妊娠した。若く健康なのだから当然のことだろう。第一子は娘だったが、次は息子だった。
我が国の直系王族の次代男子が他国にだけ存在する現状に危機感を覚えたのか、父は兄の子を諦めて戴冠させた。それにしても父も兄も次代をどうするつもりなのか。西の国の妹の子を今すぐよこせと言ってもあちらが頷くはずもない。妹の子が我が国に来るときは、西の国の教育を受けた西の国の代理人となってからだ。わかりきったことではないか。
「子を作れ」
公爵領に引きこもっていた私をわざわざ王城に呼び出した父が言った。
子を作らないという婚姻の条件を飲んでおいて、今さら何を言っているのか。西の国で生まれた孫がいずれこの国を取りに来ると怯えているのだろうか。直系王族を嫁にやった時点で、いや、もっと前の兄のご乱交を静止しなかった時点でわかりきっていた未来だろうに。
そんなに兄が不具であると認めたくなかったのか? それとも息子の不具を認めれば自分まで生殖能力を否定された気がするからか? それなら私を早くに結婚させればよかっただけのことだ。おそらく私には子が出来ただろう。
父も血統至上主義者だけに、従妹姫との間に生まれた兄に子が出来ず、傍系王族との間に生まれた私と妹の血だけが続くことを認められなかったのかもしれない。本当にこれが理由なら実にくだらない。
私の健常さなど、血統主義に汚染されていない市民のそれと比べれば吹けば飛ぶようなものだ。父も兄も、あの広いようで狭い王城で世界が完結していて世間を知らないのだ。十代半ばで神殿に出されたことを感謝せざるを得ない。妹がまともなのは、実母と母方の祖父母である前公爵夫妻が真っ当だったおかげだろうか。
「私が子を作れば兄に殺されます。父上はそれをお望みですか?」
私にはもう守るべき妻と公爵領がある。父の言うことだとて、丸のみする気はなかった。
結婚して王都を離れる前に性欲が減退する薬を兄とついでに父の酒に混ぜておいた。その後も継続的に摂取させるよう取り計らったが、妹の母も含めて、貴族から侍女に至るまで進んで協力されるあたり、この二人の嫌われようが伺える。薬は順調に効いているようで、夜はかなり大人しくなったそうだ。父は、私が首都を離れたことで兄が落ち着いたのだと思っているだろう。それを狙ったのだから察してくれないと困る。ついでに二人の生命力も減退してくれたらいいのだが。
「これは国王の命だ」
耳を疑う私に、父が国王の玉璽の入った書類を差し出した。
妻との間に子を作るか、妻と離縁して再婚し子を作れ。
呆れることに、公式文書に本当にそう書いてあった。体が動かなくなる薬にすべきだったか。
とりあえず王命を拝受し、公爵家の王都屋敷に戻って義父母と打開策を考える。
妻を領地から連れてきていなくてよかった。体の弱い妻をこんな強行軍に付き合わせるつもりは端からなかったが、命令の馬鹿さ加減は予想をはるかに上回った。領地での穏やかな生活で、どうにか寝込むことがなくなった妻の体調が悪化したらどうしてくれる。
婚姻からはや5年、領地を見張らせていた兄は私と妻が愛情で結ばれていると確信したのだろう。子と引き替えに妻が死ぬなら子は生かしてやるし、最愛の妻を捨て再婚して子を作るなら許してやろうと言ったところか。あの兄のことだ、子を生させたうえで殺すつもりでも驚かない。
敵は兄だけでなく父もだ。そもそも兄の血統至上主義の大元は父なのだから。敵味方で言えば、義父母以外の貴族家も敵と大差はないだろう。未来の国王の外祖父になれると、喜んで自分の娘を差し出してくるはずだ。孫が国王に殺される可能性を知っていても。公式行事でがけ崩れにあってまとめて死んでくれ。
血統や王族貴族など歯牙にもかけない味方が必要だ。そしてこの国には王権すら及ばない勢力が存在している。
翌日、私は王都神殿に向かった。
お忙しい大神官様だが、10年もここで過ごした私を弟子同然に思ってくださり、すぐに面会してくださった。事務能力では役だったと自負しているが、神殿の看板である治癒術も神聖契約も全く使えなかった私にも優しいお方だ。血筋で選ばなければ聖君を選べるという生きた証でもある。どちらかというと大神官様は聖君より女傑であるが。
「なんだ、そんなこと。任せなさい。実の両親と書類上の親の同意があれば、養子を実子に見える形で神殿籍に登録できますよ。書類を見る人間の目を誤魔化せばいいのよ。神様には書面が人の目に見えない炙り出しだろうと関係ないから本人たちが心から同意していれば大丈夫。子どもの神殿籍の書類の模様の部分に豆粒みたいな字で『誰々との子を我が子とすると誓う』と書くとか、紙の裏に薄墨で書くとか、炙り出しで書くとか色々手はあるけどどれがいい?
ただ、貴方の場合は全く関係のない子を連れてくれば、長じて似ていないと判明したときに子どもが危険だと思うけど、対策は考えてあるの?」
「実は、義両親や妻から、公爵家の親族との間に子を作らないかと言われてはいるのです。生まれた子は私生児として養育するから家系図に載せられなくてもいいと。……実はその女性は、不肖の兄の被害者なのです。兄のせいで男性恐怖症になってしまい、王宮を辞した後も独身のままだそうです。もう子を産むにはぎりぎりの年齢になってしまって、夫はいらないが子はほしいと。加害者の弟だから私が責任を取るべきとご本人が言っているそうです」
「あらまあ。貴方はあの国王とは全く違うとはいえ、加害者の弟に種馬を要請するとは肝が据わった女性ね。好きになりそう。でもこの場合はその女性は我が子としては育てられないわね。我が子がほしい女性が納得するかしら?」
「義両親とも相談していまして、身勝手は承知のうえですが、乳母として雇うことで交渉するつもりです」
「彼女は今、領地にいるのかしら? そう、王都屋敷にいるの。まだ何も話していないなら、まず私が話してみるわ」
「……私があの男に、……け、穢されたのは、小公爵夫人のかわりに欠席の返事を届けたからです! 悪いのはあの男でも、私を身代わりにした公爵夫妻や小公爵夫人も許せない! 気持ち悪くて吐いても吐いても悪寒が止まらないし、肌をかきむしってもかわらない! 内臓を全部かきだしてしまいたい! 今だって! 私がこんな思いをしているのに、あの男の弟と、本来強姦されていたはずの女が幸せになっているなんて許せるはずがないじゃない! 引き裂かれて当然でしょう! ……今は仲が良くても実の子ができたら心変わりするに決まってる。種無しが子どもを作るために私はあんな目にあわされたんだから、あの種無しの弟なら自分の子どもが出来れ病人なんて簡単に捨てるでしょうよ! 私のなにが悪いんですか! あの男と、私を身代わりにした公爵家とあの男の弟が悪いんじゃないですか!」
「そうね。あの種無しがこの世で一番悪いわ。地獄に堕ちるべき獣よ。死刑でも生温いわ。それに公爵夫妻も悪い。未婚の令嬢を使者に立てれば、身代わりにされかねないとわかっていたはずだもの。娘のために他人を身代わりにするなんて、許されざる罪よ。公爵夫妻は生きている限り、いいえ、死んでも貴女に伏して謝り続けるべきよ。貴女の前で突っ立っていられるなんて頭が高くて呆れるわね。種無しの弟である小公爵も、貴女を身代わりに生き延びた小公爵夫人も、貴女に償うべきよ。当時は兄と両親に貴女がされたことを知らなくても、今は知っているのだもの。王族貴族に生まれ育っておきながら、貴女を身代わりにしたと気が付かなかったなんて子供じみた言い訳だわ」
「……そうよ、私は悪くないわ! ……私は、私は……っ!」
床に崩れ落ちた令嬢の号泣が響いた。大神官は黙って令嬢の前の床に膝をつき、彼女の慟哭が小さくなるのを待った。
ただ泣くことに長い時間を費やした彼女が、しゃくりあげながら必死に言葉をつむぎ始める。
「……あの男の、せいで、母親にもなれずに、朽ちていくのが、許せなかった。私の人生を、壊した、あの種無しを、見返してやりたかった! あの男が、逆立ちしても得られない、我が子を抱いて……。でも、こんな私に、子どもを育てられるのか不安でした。……だって今でも男性が、怖いのです」
「ええ、そうでしょうとも。あの男には神罰がくだるべきね。貴女は我が子を抱いて幸せになるのよ」
「……乳母の話、引き受けます。子を産めるし、乳母なら、まともな、親になれなくとも、きっと許される。……私のために、あるような話じゃ、ないですか……っ」
どうにか泣き止んだ、しかしすぐにでも泣き出しそうな彼女を、大神官様が女性神官に託して私室から送り出した。
自分の馬鹿さ加減に吐き気がした。私こそ内臓をかきだして土下座すべきだった。なぜ父と兄を殺しておかなかったのか。私が神殿で呑気に過ごしている間に、どれだけの女性が人生を狂わされたことか。私が知ろうとしなかっただけで、耐えきれずに命を絶った者もいるのだろう。
遅すぎる去勢薬なんぞで満足していた自分が情けない。
「言いつけ通りに隠れていたことは評価しますが、その顔は失格です。ここにきて拙速な手段に出るのは被害を拡大させるだけですよ」
大神官様が、厳しい眼差しで私を見据えた。
「今さら、貴方があの二人をどうこうしたところで、彼女たちの傷が消えることはありません。国が乱れれば、彼女たちが死にそうになりながらも、なんとか繋いでいる命さえ失いかねない。動乱の刃は常に弱者へと向かうのですから。貴方の薄っぺらな罪悪感のために、彼女たちを巻き込むつもりなら鞭で教育し直しますよ」
「……申し訳ありません」
「今日のことは公爵夫妻と貴方の妻にも共有しなさい。ただし聞いていたことは彼女には黙っているように。夫妻の罪は、自己憐憫の罪悪感に苦しむ程度で許されるものではないのです。彼女の一生分より苦しまなくてはならない。もっとも貴方の兄と父は論外ですが。現王妃には期待できないけれど、せめて先王の妻があの愚王の母に戻っていなければ、姦淫の罪で神罰をくだせたものを。悪運だけは強いわ」
確かに、妹の母が先王妃のままなら、合意による婚姻解消を拒んで神に裁定をあおぎ、あの愚父に姦淫の神罰をくだしてくれたかもしれない。
神聖契約による婚姻には姦淫規定がある。神に婚姻を誓っておきながら姦淫の罪を犯した者には神罰がくだると。定型文だけに王の婚姻契約にすら入っているのだ。
当事者が神に裁定を望んだ時、姦淫した者に神罰がくだる。青天の霹靂だ。浮気した者と浮気相手にだけ降りそそぎ、隣にいようが握手中だろうが他人には流れない不思議な雷だ。神罰とすぐにわかる。
神聖証言の偽証の神罰はこの雷の小さいものだそうだ。当たったことがないのでわからないが、雷は1回ごとに強くなり10回目には失神するらしい。10回偽証で破門もついてくる。サービス満点だ。
姦淫した者が神罰を避けるには、両者合意で婚姻を解消するしかない。浮気者の生殺与奪の権利は不貞の被害者にあるというわけだ。神殿はもっと姦淫規定について広めるべきだと思う。不貞の被害者に届くように。だが、どれほど気をつけても唾棄すべき浮気者のほうが先に知って婚姻を解消するのが常だ。世の中は儘ならない。
協議の結果、私の子は彼女に産んでもらうことになった。礼を言うのは違う気がした。彼女の覚悟に、悔恨に、恐怖に、報いるだけの言葉は私にはないのだ。
「お願いします」
公爵夫妻と私と妻が机にめり込むほど頭を下げた。それしか出来なかった。
生まれたのは姉妹だった。
男の子が生まれたら死産で誤魔化すつもりだったが、王命でわざわざ公爵領にやってきた王家の医師団が出産に立ち会った。幸いなことに妻は社交界に出ていなかったために顔を知られておらず、妊娠した彼女を妻として扱うことで誤魔化せた。
その医師団は生まれた子が女児と確認すると、足早に去っていった。男児なら奪われるか殺されるかしていたのだろう。
予想外だったのは、二人の瞳が、この北の国では見たこともないよう鮮やかな青色だったことだ。彼女は茶色の目だし彼女の両親も青い目ではなかったそうで、隔世遺伝としか言いようがない。公爵家で何代も前に青い瞳の公爵夫人がいたそうで、公爵家の隔世遺伝だと言い張ることにした。彼女にも公爵家の血が流れているのだから嘘ではない。私と公爵家の間に生まれた子であることは間違いないのだ。文句は言わせん。
私はこの秘密を墓まで持っていくつもりだが、妹の子との継承順位はややこしい。実母である彼女は公爵家に王族が嫁す前の代の遠縁であって、王家の遠縁ではないのだ。配偶者の血としては、他国の王族である妹の夫と大差ない。表向き通り妻の子であったなら、3代前の傍系王族の血筋として私の子が優先となるのだろうが、妹の子には息子もいるのが面倒だ。他国で生まれ育ち教育を受けた王子を我が国の王として認めるかは難しいところだが。
できるなら、子どもたちにはこんな柵を背負わず生きてほしいが、王家の血をひく者として甘すぎる願いだろう。
幸いだったのは私の子たちも妹の子たちも、少なくとも今の時点では、王家の持病である片頭痛もなく健康なことだ。もちろん、妹の場合は子に持病があったところで我が国に知らせることはできないだろうが、聞こえてくる範囲では健康であると聞く。
皮肉なことだが、子どもたちが健康体なのは、私も妹も、近親婚から逃れられたおかげだろう。
その推測は、後に下の娘が元気な兄弟を産んだことで確信に変わる。
上の娘は傍系から王となったあの愚物と白い結婚なので懐妊はあり得ない。嫁入り道具に持たせた男性用避妊薬を使う必要はないが、万が一のために隙を見て与えているそうだ。夫婦が没交渉なので機会はあまりないそうだが、愚か者の種をばらまかれるのは迷惑だから、多少なりとも弱らせられるなら意味はある。王制を貴族共和制に持っていくには、王家の血は薄まるほどいい。
愚兄はよくもまあ、あれほど自分とうりふたつの傍系王族を見つけ出したものだ。似た者はひきあうと言うが、まさしくあの二人のことだろう。4代前の傍系でありながら血筋を誇る見苦しさ、自身が錦の御旗にしている血筋が自身よりも濃いわが娘に向ける劣等感の醜悪さ。近親婚をなぜか誇り血が薄いがゆえの健康さを妬む愚兄と実の親子のようではないか。
あの愚物は王家の血の濃い娘に敵愾心を抱きながら、それを隠して惚れた腫れたと追い回し、死の病にあえぐ愚兄と組んで婚姻を既定路線かのように捏造した。5歳しか違わない私が兄のあとを継いでも治世が長くないのは事実だが、私に継承させないための愚兄の執念には正直ひいた。傍系王族の王に私の長女を王妃とすることで、次代の血は妹の孫より濃くなると貴族たちを納得させたのも小賢しい。
上の娘が妹を絶対に王家には渡さないために自分が嫁ぐと言い張らなければ、あの愚物に心臓が止まる薬でも盛ったものを。だが、あの男を始末したところで、愚兄は傍系王族の男が死に絶えるまで子どもたちに婚姻をせまっただろう。劣等感ゆえに娘に触れもしない屑を選んでくれて助かったと言うべきか。
愚物の妻という恥辱に耐え王宮に留まる上の娘のためにも、喜びあふれるはずの妊娠でひたすら子が女であることを願った下の娘のためにも、娘たちの将来に心を傷めつつ亡くなった妻のためにも、母と名乗れずに乳母を勤め上げ今も王宮にまで付き添ってくれている彼女のためにも、数多くの国民のためにも、この国の未来に希望を残さねばならない。
神殿とも協力し、王制無きあとの国家維持のために出来る限りの策は練っている。あとは……。
「ぐっ……」
心臓に激痛が走った。息を吸うことすらできないまま、視界が傾いていく。
愚物が……!
彼の悲願が果たされるのは、ひ孫の代となる。
内容が内容ですので、コメディからその他へジャンルを変更しました。
読み返すと1話の時点でコメディ要素がないですね。ごめんなさい。




