95話 ゲートと儀式
醜悪、その一言に尽きる表情だ。
俺のたった1人の愛する妹の顔が、そんな表情が出来るとは思わなかった。
赤の他人からしたら普通の笑顔に見えてしまうかもしれない。
でも俺にはわかる。あの歪さが。
笑顔の裏に隠れている狂気が。
──あれは、ルルじゃない。絶対違う! こんなのがルルであってたまるかよ。
未だ頭部を撫でて笑顔から表情を変えないソイツは、じっと俺を見つめている。
「てめぇ……ルルはどこだ。どこへやったッ」
どこが、と言えば言葉にする事は難しい。
見た目は何一つ変わっていない。昔から知っているルルそのものだ。
でも何か違う。本能がそう叫んでる。
ソイツは首を傾げ悲しそうな声色で、
「お兄ちゃん、なんでそんな事言うの……? 私の事嫌いになっちゃったの?」
妹の透き通るような綺麗な声で、絶対にルルじゃないソイツは言った。
頭がおかしくなりそうだ。
脳みそがバグを起こしている。
「黙れッ! てめぇがルルな訳がねぇだろうが! こんな、こんな酷い事を……」
「うふ、さっすがお兄ちゃんだね! もう少し騙せるかなーなんて思ってたんだけどな!」
ソイツは自分の額をぺしっと叩き、残念そうにしている。
わざとらしい仕草も、声色も全てが俺の神経を逆撫でにする。
見た目がルルじゃなかったら、ぶん殴ってるところだ。
「お前は誰なんだ……! ルルに何を──」
「あー、なんていうかね! この子の身体貰っちゃった的な? わかる? わかるかな? わかるよね! つまり、君の妹ちゃんはもういないんだよ」
「──ッ!」
ソイツは撫でていた頭部をほっぽり投げて、狂ったように笑いだした。
妹の見た目で訳の分からない言動を繰り返すソイツに、芽生えた殺意を抑えるのが難しくなってきている。
それに身体を乗っ取るなんて、呪術師か怨霊の類だ。下手に手を出せばルルを殺すのも同然。
元に戻す最後の希望も絶たれてしまう。出来るわけがなかった。
村の皆の事もある。正直、現実味がなさすぎて受け入れられてないのが自分でもよくわかる。
もし受け入れられたとしたら、今みたいに冷静にはいられない。
「……目的はなんだ」
「んー、君結構鈍いね? もしかして自覚ない感じ?」
「──分ッかるわけねぇだろうがッ! みんなを殺して、死者を弄んで! その上、ルルまでもッ!」
「あーはいはい、落ち着いてね。僕はこの国を……この世界、ニフェルタリアを変えたいんだ。そしてそれは簡単なことじゃない。まずは小さい悪から滅していくのは当たり前だろ? 」
ソイツは立ち上がり、両手を広げて高らかに言い放った。
「なにを──」
「今のニフェルタリアは腐りきってる! それはこのメルシア王国だって例外じゃない。それは君もわかってるだろ? 勿論、いつかこんな日が来ることだって、さ」
コイツが異常なのはこの短時間で嫌という程に思い知らされてきた。が、この国が腐っているというのは共感できる。
俺は外の世界を知らないから、他の国の事は分からないけど、このメルシア王国は正直滅亡した方がいい。
学がない俺でもそれはわかる。
貴族は当たり前のように重税を課し、逆らおうものなら即斬首。
俺の村は王国の外れにあるからそこまで被害はないけど、王都なんて貴族以外にとっては地獄そのものだ。
男は奴隷のように働かされ、女は貴族の慰みもの。
幸せなんてものは王都には存在しない。
そしてそんな貴族の魔の手から逃れてきたこの村だって、本音を言えばまともじゃない。
そんなの俺だってわかってる。
「俺達は奴隷だ。生きるためには汚い仕事だってやらなきゃならねぇんだ。てめぇに何がわかるッ! 俺達だって好き好んで貴族の奴隷なんてやってねぇんだよッ!」
そう、俺達の村は奴隷だけで成り立っている。
元々は俺みたいな武闘家や剣士だった奴らで、くそったれな貴族共に反乱を起こしたんだ。
でも結果は惨敗。家族を人質を取られた俺達は、そのまま斬首されそうになった。
だが、ある1人の貴族が俺たちの戦闘能力をかって、従順な戦闘奴隷になる事を提案し、死ぬくらいならとそれを承認する事で生き残った。
戦闘奴隷になる事である程度の自由は保証され、用がない時は好きにしてて問題なかった。
ただ奴らの言う事は絶対だ。
殺せと言われたら誰だろうと殺した。
罪もない人達を俺達はどれだけ殺したのか、もう分からないほどに。
思えば、あの時死んでいれば良かったのかもしれない。
ある程度覚悟していたとはいえ、こんなに苦しむこともなかった。
「──だけど殺したろ? だから、僕に粛清されたって文句は言えないのさ。それに、世界を変える為にはどの道この村は犠牲になる必要があったんだ」
「どういう意味だ」
いずれ俺達に恨みを持った連中が裁きに来る事は分かっていた。その時は潔く受け入れようと、村の皆で話し合っていた。
だけど、これは違う。これは粛清でも復讐でもない。
なにか別の目的のための虐殺だ。
「この場所はゲートなんだよ。ダンジョンに向かう為の」
「──ダンジョン?」
「まあ知らなくても無理はないね。と言うか知ってたら驚くよ。君なんかに説明しなくてもいいんだけど──特別だよ? と、言ってもダンジョンをクリアすれば、どんな願いでも叶うって事くらいしかわからないんだけどね」
──どんな願いでも叶うだって? そんな馬鹿な……いや、でもここまで大掛かりな事をするくらいだ。それなりの信憑性はあるのかもしれない。
だがしかし、だからと言ってこいつのした事を許せるかと言ったらそうじゃない。
報いを受けるのは仕方がないが、弄ばれる筋合いはない。
だけど、手を出せないのもまた事実。
「そのダンジョンってのに行くのがお前の目的か?」
「それは適当に想像しといていいよ。ゲートを繋ぐのにも儀式がいるんだ。その為にわざわざこんな村で準備したんだから、お預けされてる気持ちも察しておくれよ」
ソイツは呆れたように両手を広げ、わざとらしくため息をついた。
「──ぁ? なん……だ……?」
そして、その瞬間。俺は強烈な睡魔に襲われた。
抗う事もできずに村人の頭部が並ぶ床に倒れ込む。
血の臭いで鼻がひん曲がりそうだが、それさえ睡魔には勝てなさそうだ。
「運が良ければまた会えるかもね──お兄ちゃん」
「てめ……ぇ……」
ソイツの意味深な言葉を最後に、俺の意識はそこで途絶えた。




