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「ナオトよ、火が……」


「ああ……」


衛兵を振り切り、様子を見るため後ろを振り返ると、公園のあった辺りから火の手が上がっているのが見えた。黒一色で塗りつぶされた街で、揺れる光を振りまきながら悪意の象徴のように燃えている。


「妾が用意した蝋燭かの?」


「ナタリア、危ない。前に出るな」


屋根から落ちるところだった。ナタリアは放心した様子でさらに前進しようとする。オレは彼女の肩を押しとどめた。しかし、ナタリアは公園に向かって手を伸ばす。


「お前は何も悪くない、ナタリア。全部悪い夢だ。何もかも忘れて、今日はもう寝よう。明日になれば、きっと悪夢から目が覚める」


「違う。ナオトよ、それは違う。悪いのは全て妾じゃ。せめて妾はソレを背負わねばならぬのじゃ。それが、お父様の娘として、魔王として出来るせめてものことなのじゃ」


「それは間違いだ。お前は間違ったモノを背負おうとしている」


《拒絶の壁》で建物の屋根に逃げたのは失敗だった。高いところに逃げてしまったばかりに火事が良く見えてしまう。……ナタリアのせいじゃない! あの浮浪者達が蝋燭をひっくり返したからだ。あいつらが悪いハズなのに、どうしてナタリアが傷つかなくてはならないのか!?


「妾はきっと呪われているのじゃ」


「……ナタリア? 急にどうした?」


「きっと妾は何かをするたびに誰かを不幸にするのじゃ」


「そんな馬鹿な……」


あまりにも馬鹿馬鹿しい。だからこそ、恐ろしくて笑えなかった。ナタリアの純粋無垢で清かった赤い瞳が、今では粒ほどの光すら失われて濁り切っている。そ んなナタリアの姿を見たくなかった。一番見たくないものだった。何もかもがむかつく。腹が立つ。ふざけるな。ナタリアの頭に手をまわして、ナタリアのこと を抱きしめた。余計なモノを見て、変になってしまわないように、ナタリアの顔をオレの胸に(うず)める形で、世界の全てから、隔離させて、もう何も見えないように……。


「息が苦しいのじゃ」


「ごめん、でも、我慢して欲しい。じゃないと、お前、変になってしまいそうだから」


「ナオトよ。泣いておるのか? なぜ、お主が泣くのじゃ?」


「ごめん、オレが、使えないやつで、ごめん。魔王の臣下として召喚してくれたのに、何もできないから悔しくて、むかつくんだ」


「ナオトは最高の臣下じゃ。なのに、泣かないでたも」


泣かないヤツでいたかった。だって、ナタリアは、泣いているオレを見て、自分のせいだと泣いてしまうヤツだって、わかっていたから。


「ごめん」

「ナオトよ、泣かないでたも……」


遠くで火事だと叫ぶ誰かの声が聞こえる。何人もの住民と足音が必死になって火消し活動する音が聞こえる。衛兵らしき集団が浮浪者を追いかけまわす物騒な音が聞こえる。全部の音が、どこか遠い夜の出来事のように聞こえた。















◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□



「ナタリア、まだ寝てるのか?」


朝になってもナタリアは起きていなかった。いつも、オレより早起きなハズなのに。


「寝ているだけ、だよな?」


ナタリアの部屋の扉をノックしてから開ける。膨らんだベットから、長い金の髪が垂れていた。どうやら寝ているだけらしい。もし、姿が無くなっていたら、途方に暮れるところだった。


「オレ、行ってくるから」


返事は無かった。



◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□



公園で軽食を売っていた小屋が無くなっていた。おそらくそれが出火元だろう。火災があったという一角だけが、すすだらけになっており、炎にあぶられたと想 像できる部分が変色していた。夜には店じまいをして、誰も居なくなっていたのは間違いないハズだから、きっと死者は出なかったと思う。それだけでもだいぶ 救われた。


「いつもの朝……か」


火事があった場所以外は、いつもの街と変わりが無いように見えた。街の住民はそれぞれの生活のための場所に向かい、子供達の笑い声がときどき聞こえ、誰も公園の火災跡なんて見向きもしなかった。オレも、早く国境警備隊の本部に行かなければ遅刻してしまう。


「夢だったわけじゃないんだよな」


昨夜のことは鮮明に覚えているクセに、そんな言葉が口をついて出た。朝と夜の世界が違って見えるからだろうか。それともそれは夢であって欲しいという願望だったのか。


「ぼーっとしてどうしたんだ、兄ちゃん? そういえば、ナタリアちゃんの姿が見えないな。今日は来てないのか?」


肩を叩かれて正気に戻った。周囲を見ると、オレ以外のみんなが訓練している最中だった。


「あ、いえ……」

「疲れているなら、今日は休んでいいぞ? ナタリアちゃんは、さすがに日頃の無茶が祟ったのか?」


隣に、ニキが立っていた。どうやらオレの心がここにあらずだったらしい。


「大丈夫です」

「大丈夫じゃねえだろ。無理しないことも大切だぞ?」

「そうですね……」

「本当に大丈夫なのか? 何か困っていることがあるなら力になるぞ?」

「ありがとうございます。でも、何でもありませんから……」

「そう思っているのは兄ちゃんだけだな。おーい! すまねえが、こいつ体調が悪いみてえだ! 俺様の判断で医療室に連れていく。早退にしておいてくれ!」


教官に向かってそう叫ぶと、ニキはオレをお姫様のように抱きかかえた。そのまま歩いて行くつもりらしい。抵抗する気力も湧かなかった。されるがままに任せることにした。思ったよりも揺れて抱かれ心地は不快だったが、なんだか、もうどうでもよかった。


医務室のベットに寝かされる。六人分の清潔なベットの並ぶ部屋だったが、オレとニキ以外は誰も居なかった。ニキはパイプ椅子を持ってくるとオレの横に座る。何か尋ねられることは予測できた。


「ナタリアに何があった?」


いつもより真剣味のある声だ。


「無事ですよ。少なくとも命に別状があるとか、病気にかかったわけではありません」

「それでも何かあったんだろ? 兄ちゃんの不調に説明がつかないからな」

「ええ、でも、それを喋る前に少し深呼吸をしても良いですか? 自分も頭を整理したいので」

「ああ、急かしてすまねえな。兄ちゃんのペースで構わねえから、ゆっくり落ち着いてから話してくれ」


オレが話すまでいつまでも待つ気なのだろう。急かすつもりはないが話を聞くまで帰さないという気配を感じた。こういう態度を見ると、ニキがナタリアに対し て本気で大切にしようとしているのがわかる。そうか、ニキはナタリアが生まれた時から、こうやって彼女を見守り続けてきたのだ。今になってニキが本当の意 味でナタリアの味方だと気が付いた。


「火事が起きたんです。昨夜、公園で……」

「おい、泣くんじゃねえよ。ゆっくりでいいんだ。落ち着け」


口の中から音が聞こえた。知らずに自分の歯を噛んだ音だった。情けない。オレは今日ほど自分のことを情けないと思ったことは無い。嫌だ。絶対負けない。オレは袖で目を拭った。もう泣かねえ。


そう思ったらこんな言葉が口を突いて出た。


「オレと違って本格的な訓練をしていた部隊があったじゃないですか。オレをあそこに入れてもらえませんか?」


「……理由は?」


「もっと強いヤツになりたいからです。それに、給料も良いでしょう? オレ、今までは自分のためにお金を稼いでいたんです。でも、今は、ナタリアのために お金を稼ぎたい。少しでも、多くです。そして、そのお金でナタリアの抱えた罪を少しでも軽くしたい。昨夜、公園で火事騒ぎがあったんですよ。その原因にオ レ達が関与しているんです。ナタリアは自分のせいだと思っているので、オレが代わりに火災の補償をしたいんです」


「ちょっと待てよ。昨日の火事に兄ちゃん達が関わっているって?」


オレは昨日の茶会で起こった出来事をニキに説明した。自分で驚くほど理路整然と。


「そりゃあ、ナタリアちゃんは何も悪くねえよ。騒いだ野郎が全部悪い」

「オレもそう思います。でも、ナタリアは自分が悪いと思っている」

「……なんだったら、俺様がナタリアちゃんを説得してやろうか? 思い悩むことはねえんだってさ」

「いいえ、オレが彼女の罪を肩代わりします」

「おいおい、払わなくても構わない金なんだ。兄ちゃんが払う必要はねえよ」

「いいえ、オレが買い戻します。それで彼女が元に戻るなら、オレはいくらでも払ってみませますよ」

「なんだよ、その言い方は。まるで人の心が金で買えるみてえな言い方じゃねえか」

「買えますよ。オレの親父はお金が無かったために人が変わりました。お金が無ければ、平気で嘘を吐く、暴力を振るう、酒に逃げる。お金で買える心というものは、あるんです。オレはそれを知っている」


ニキはオレの言葉を聞いて渋い顔をした。青いスライムのジェルで作られた疑似声帯から、ため息らしき声が漏れた。オレを見て、このスライムは一体何を思っているのだろうか。


「……兄ちゃんが苦労してきたことはわかったよ。だがな、心にある誇りは金じゃ買えねえよ」

「違いますよ。むしろ、誇りが何だと言うんですか? 誇りがあっても生活はできません。一番先に売り払うものが誇りです。あれはお金のある人間だけが持てる嗜好品だ。持つためには、お金がいるし、本来は必要ないものだ」

「違うぞ、兄ちゃん。誇りがあるからこそ、心も持てるんだ。一文無しであれ、盗人であれ、己の行動に矜持を持っている奴は生き様そのものに訴える力が生ま れる。ナタリアちゃんの元から使用人が誰も居なくなったのも、兄ちゃんの土下座が俺様の心を動かさなかったのも、誇りを持っていなかったからさ。俺様は な、二人を見ていてそこが心配なんだよ」

「…………」

「つい話が脱線してしまったな。おっちゃんのぼやきだと思って聞き流してくれ。主力部隊に入りたいのはわかった。こっちで処理しておこう」

「ありがとうございます」

「今日はこのまま帰るといい。兄ちゃんはナタリアちゃんのこと心配してるかもしれねえけど、兄ちゃんの姿も中々のもんだ。一目で何かあったことがわかる」

「そうですか。わかりました。今日は休みます」

「おう! それじゃ、俺様は仕事に戻るからな。兄ちゃんはしばらくここに居ても良いぞ。何か困ったことがあれば適当に人を呼べ。俺様の名前を出してこき使って構わねえからな」


そう言ってニキは立ち上がり、退室して行った。



◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□



家に帰ったのは午後三時くらいだった。ナタリアはどうやらまだ起きていないらしい。台所に買い溜めておいた食糧品が一つも減っていなかった。朝から何も食 べていないのか。彼女の部屋がある三階まで上っていく。ナタリアの部屋の扉をノックしようとして、中から嗚咽が聞こえてくることに気付いた。


「……ひっく……うぐ……」

「…………」


ノックをするかどうか迷う。結局、どう声をかけたら良いのかわからなくて、むしろ声をかけても良いのかわからなくて、オレはそのまま一階のリビングまで下 りてソファーに座って天井を眺めた。ナタリアに言いたいことがあった。でも言えない。だから天井を相手に言いたいことを言う。


「泣かないでくれ。オレはお前のことが好きなんだ」


言葉にした瞬間、それは宿命になった気がした。たとえ心が金で買い戻せないとしても、金があれば、それでナタリアに甘い茶菓子や美味い紅茶は買ってやれる。温かいベットと食事も買ってやれる。綺麗な服と心地の良い住居を用意してやれる。


それでもダメなら、誰も知らない場所で悠々自適に暮らせるだけの金が欲しい。失敗して落ち込むナタリアを笑うやつが逆に恥ずかしくなるくらいの金が欲しい。誰に何を言われても我がままが通せるだけの金と権力が欲しい。ナタリアが誰の目も気にする必要が無いほどの金が欲しい……。


ナタリアの悲しみを全て塗りつぶして余りある幸せが欲しい。そのためにオレは金を稼ぐ必要があった。 取り戻そう。いや、掴み取ってみせる。運命すら変えるほどオレは金を稼いでみせる。この日、生まれて初めて神にそう誓った。


まずは100億円の借金から無くしていくのだ。




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