10.馬鹿は自分だって知ってるよ
「〜〜〜〜〜っ!?」
声にならない悲鳴を上げた。
「わっ、ちょっ、まっ! 変質者ではないから! 断じて違うから!」
(知ってます! 知っているから、焦ってます!)
心の中で、叫ぶ。本物の口はといえば、ぱくぱく動くだけで、声が出ていない。
両者、落ち着くのに、しばしの時間を要した。
「―――ふぅ」
以前よりもぎこちなくベンチに腰掛けたところで、彼が大きく息を吐いた。
何か気に障ったのかな、と不安になる。思い当たることが多過ぎた。チラチラと視線を向けると、不思議そうな顔で見つめ返される。…先程のため息は、私に対してではないらしい。
「あの、それで…」
「あ、あぁ…あーっと、えーっと」
彼は、ぽりぽりと頬を掻きながら、うーん、と唸る。それからすぐに、破顔した。
「ごめん。僕、やっぱりこういうのちょっと苦手で。先輩みたいになれないな」
「先輩…ですか?」
きょとん、としながら訊ね返すと、「職場の先輩で、人の気持ちを読むのも上手いし、話も上手い人なんだ」とにこにこ笑いながら言う。
「僕は、人の気持ちに疎いみたいで、でもそれを意識しちゃうと、今や…それに前みたいに、話せなくなっちゃって」
照れたように笑う彼は、だから、と続けた。
「いつも通り、話すことにする。多分、イラっとすることも言っちゃうと思うけど。もし気に障ることとかあったら、言ってくれると、本当に嬉しい」
優しい声音に、本当に人の気持ちに疎いのだろうかと疑ってしまう。そんなこと言ったら、私だって、気にし過ぎて、何も言えない。今だってこくこくと首を縦に振ることで精一杯なのに。
「いくつかあるんだけど…」
彼は前置きをしてから、話し始める。
「今日…は、違うみたいだけど、なんであんな時間に、あんな格好を? ほら、前も危ない時があったじゃない」
あの変質者騒動のことだろう。あれは確かに、怖かった。怖くて必要以上に脅し過ぎて、逆に怖い子になってしまった。私のつい最近の黒歴史だ。
それにしても、答えにくい質問だ。
私は眉根を寄せた。
もう嘘を吐くのは止そう、と思っているにも関わらず、私の口からは言葉が出ない。
『貴方に見て欲しかったからです。貴方に見つけて欲しかったからです』
―――なんて。
言葉にしたら、それはもう、直球の告白で。実際、気持ちとの齟齬は無いのだけれど、口にする勇気はあるかというと、微妙なラインだ。
だって。
こんな風に気にしてもらえるのは、もしかしたら、私が想いを寄せていることを、知らないからなのかもしれない。知れば、気味が悪いと思われるかも。夜な夜なストーカーのように、行く先々に現れるなんて。…最近は、偶然が多いとはいえ。
黙り込む私に痺れを切らしたのか、あの、と彼が言う。しかし、その声色がまだ優しいままだったので、私はそっと視線を上げた。
「―――前に会った時、ずっと前に電車で会ったことがあるって、言ってたよね」
びくり、と肩が震える。
触れて欲しくて、触れて欲しくない過去。
憶えていて欲しくて、忘れていて欲しい出逢い。
期待と不安を込めて、視線を絡ませる。
「はい、言いました」
しっかり答えたつもりだけれど、人によっては、震えていることを気取られるかもしれない。幸か不幸か、彼は気づかなかったようだ。「あの後、考えてみたんだけどね」と真剣な瞳で続ける。
「君って、その、三年前、………ああ、ちょっと待って、ごめん」
唐突に話を区切り、彼は、すーはー、と深呼吸した。何故このタイミングで。
ぽかんとする私に気付いた彼は、苦笑した。
「ごめんね。緊張しちゃって、だから落ち着こうって思って。カッコ悪いなー」
「そっ」
そんなことないです、と叫ぶ心を、押さえつけた。口にするのは、恥ずかしい。
「わ、私も…」
すーはー、と深呼吸。「実は、すごく緊張してます」と言って、へにゃりと笑った。じゃあお互い様だね、と二人で笑い合うと、お互い、少し余裕が出てきた。先程よりも和らいだ表情を浮かべた彼が、過去と現在を繋ぐための言葉を紡いでいく。
「三年間、“僕が、親戚だと間違えた”女の子でいいんだよね」
その言い方に、私は安堵し、そして嬉しくなった。彼も、憶えていてくれた。一方通行じゃなかった。
「はい。だから、あの後親戚中を探しましたけど、見つからなくて、困っちゃいました」
「? 探してくれてたの?」
「あ! や、その…っ、お、お礼を! 言いたく、て!」
きょとん、と。彼は不思議そうに小首を傾げている。そこに他意は無さそうだった。焦っているのは、私だけで。
少し、冷めた。
「―――ありがとうございました。あの時、お礼が言いたかったのに、言えなくて。随分と、経ってしまいましたけど、でも気持ちは腐っていないので」
だから、ありがとうございます。
そう言って笑えば、そんなに改まらないでよ、と彼は宥めるように言った。
「僕、大したことはしていないから」
「でも、私にとっては…」
『でも………些細なことですから』
以前に伝えた言葉が、頭の中を駆け巡る。それでも、本当のことを伝えようと決めたのだから。伝えたい、と思ったのだから。
「とても、とても大きな、助けだったんです」
彼は虚を突かれた顔をしてから、静かに微笑んだ。それからすぐに赤面し、キリッとした真剣な表情になる。
思っていたよりも、表情が忙しない人だ。初めて見る一面に、トクリ、と心が動く。
「そう言ってもらえたら、嬉しいです。余計なことをしたんじゃないか、って、思ってたから。でも―――」
少し視線を泳がせてから、再開。私は、その真っ直ぐな目に吸い込まれるように、離れることができずにいる。
「それも大事な過去の話なんですが、実は今は、今の君が気になっていたり、します」
真剣な顔で告げた後、自分の言葉に照れた表情に、焼かれた。
気付けば、声を上げていた。
「わ、私も! 私も、気になってます、から!」
必死で言葉を重ねる。ひとつでも多く、伝わるように。
「今じゃなくて、ずっと前から。あの電車で会った日から。夜に走る貴方を見掛けた時から。ずっと、―――ずっと、私は貴方が、気になっていたんです」
ああ、告白みたいだ。…間違っては、いない。
私も彼も、ゆでダコみたいな顔をしている。えっと、とか、あの、とか。そんな意味も無い言葉だけが躍っている。
やがて彼が、ようやく相手に伝わる言葉を紡ぐ。
「えええっと、僕はその、他人の気持ちに鈍くて、あとデリカシーの無いこともあるそうなので、あの、嫌だったらキッパリ言ってください。そうでないと、僕の場合、相手に不快感を与えちゃうこともあるというので。なので遠慮せず、言ってください」
長い前置きと、
「好きです。いつからかも分からないし、まだ知らないこともたくさんあるけど、好きです。だから、付き合ってほしい、です」
短い告白。
だけど。
「は、はい…。私で良ければ、喜んで」
私の返しはもっと短かった。
そういうのも、きっとアリだ、と私は微笑む。
「じゃあえっと…、そうだ、自己紹介から改めて」
交際をスタートしたのに、お互い、名前すら知らないのだ。その事実が可笑しくて、二人で顔を見合わせ、笑ってしまった。
こほん、と空咳をひとつ。少し間を置いてから、彼は話し始める。
「僕は春日池朝也。会社員で、二十四歳です。趣味はランニングです」
「ご趣味は、存じております」
わざと丁寧な口調で応え、くすくす笑う。君は、と促されるので、ピシリと背筋を伸ばして、言う。
「志野原ことねです。二十歳です。大学生で、趣味は………」
ふ、と固まり、続ける。
「趣味は、読書と護身術です」
春日池さんは、不思議そうな顔をしている。護身術、と復唱してから、やはり首を傾げる。
「護身術は趣味じゃなくて、痴漢撃退のためじゃないの?」
その言葉に、私は声を立てて笑った。
Fin...
読んで頂いて、ありがとうございました!
これにて、閉幕。
『すれ違いの恋』をテーマにしよう!
と書き始めましたが、なかなかどうして、ズレてズレて、今の形におさまりました。
(今じゃ跡形もない…。あえて言うなら、勘違い…?行き違い…?)
ともあれ、初投稿で無事に完結まででき、ホッとしております。
また別の物語でお会いできたら、
とてもとても、嬉しく思います♪
ありがとうございました!