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♪(28)おうちデート

 シャンプーしたての髪に、念入りにブラシをかけ、学校では禁止されているツヤ出しのスプレーをかけた。

 今年買ったノースリーブのワンピース。

 夏休み中もほとんどの外出が制服着用なので、まだ1回しか着ていないそれに、いそいそと袖を通す。

 腕の日焼けあとが、半袖の箇所でツートンになっているのが気に入らない。

 ドレッサーの鏡をにらんで、伸びたり縮んだりしながら悩んだ。

 

 今日は「おかしくない程度」の恰好じゃ、絶対ダメなのだ。

 待望の「おうちデート」の日なのだ。 鏡くんの家に行って、ゆっくり話をするのだ。

 これまで会えるのはいつも病室だったから、茜の服装と言ったら、殺菌のための給食ルックだったり、学校帰りの制服姿だったりして、さっぱりおしゃれができなかった。

 それを思えば、少しは見せる工夫をしたい。 感激屋の彼が「可愛いなあ」なんて思ってくれる「かもしれない」格好をしなくちゃ、勿体ないのだ。


 ポケットに「ガンバ!」と書かれた匂い袋を入れた。

 昨日、青井と山吹がファンシーショップで買って持たせてくれたものだった。

 その思いやりも嬉しかったが、もっと心強かったのは、2人が彼女らなりのアドバイスをくれたことだった。

 「一応、自宅を訪ねるんやろ、親の目もあるよって、ケーキのひとつも買って行き」

 「家族分買っていくべきね、あ、ケーキじゃ高くつくから、クッキーとかゼリーとかのほうがいいかもよ。 高校生ってバレてんだから、無理した感じがしないほうがいいわ」

 「そうそう、安いもんをちょこっとや。 見栄張ったらこいつ親がかりだって思われて、いややろ。

  でもな、気の利く子や、って思われたら、絶対損はせんもんなんや、って、これはうちのオカンの受け売りやけどな」


 茜自身は、そういった儀礼的なことをする事に抵抗があったので、このアドバイスは役に立った。

 結局、近所のケーキ屋で、小さいマドレーヌを5つ、かわいい紙袋に入れてもらった。


 もうひとつ、ポシェットの中に入れたものがある。 原稿用紙だ。

 9月に入ると、すぐに選挙活動が始まる。 その時の選挙演説の原稿を、鏡と彼の親友である「テツ」に、推敲してもらう約束をしていた。

 とりあえず叩き台として、四苦八苦して演説文をこしらえた。 この学校に入学してから驚いたこと、不当に感じたこと、男女交際や服装に関する不便を書き連ね、それを一つ一つ改善して行きたいという論旨になっているが、出来としてはあまりいいものと言えない気がした。

 もっと夢のある話にしたい、そう訴えて改善してもらうつもりだった。




 約束の午後1時。 チャイムを鳴らすと、鏡本人がドアを開けてくれた。

 「あ! すげー、茜めっちゃくちゃかわいい」

 隣接した家に聞こえるんじゃないかと心配になるほどの声量で、鏡は感激を顕にした。

 鏡はジーンズにTシャツというスタイルだったが、それなりに清潔で自分に似合うものを選んでいるように思えた。 布製の帽子も今日は真新しいものだ。


 「あの、これおうちの人と一緒に食べて」

 紙袋入りのマドレーヌを渡す。

 「わ。 ごめん、気を使ってもらったんだね。 ありがとう、上がって!」

 「お母さんは?」

 「パートに出てるよ。 今日5時までは、俺一人」

 「え?」

 「今日に限らず、いっつも昼間は誰もいないんだよ。 小学生んときから鍵っ子さあ」

 「……え?」


 上がりがまちに掛けた足が、いきなり動かなくなった。 この前のことがあるので、茜は、鏡の母親がいる家に招待された、と思い込んでいたのだ。

 いきなり二人きりになるとは、少しも思っていなかった。


 「あ。 なんかビビってる?

  やだな、俺、親がいないからってイヤラシイ気持ちで茜を呼んだわけじゃないよ」

 靴を脱ごうとしない茜を見て、鏡が慌てたように頭を掻いた。

 「親がいてもいなくても、茜には会いたかったから呼んだよ。 今回家にいられるのって4日だけだし、親は、仕事だからどうしようもないもん。 俺が自由に遊び回れる体調だったら、近所のファミレスとかに呼び出すんだけどさ。 自宅で療養しろって言われて外泊してんだもん、勝手に動き回れないしさ」

 「うん、それはわかってる」

 頷いたあとも、茜の足は動かなかった。


 「もしかして、俺、信用されてないのかな」

 鏡の言葉に、少しだが苛立ちが混じった。 慌てて首を振って否定したが、後の祭りだ。

 鏡が今回のデートをどれほど楽しみにしていたか、わかっている。 それを台無しにするつもりなんてなかった。

 茜は必死に自分の思いを説明した。


 今回、茜が生徒会に推薦されたのは、鏡との恋愛がテストケースとして最適だったからだ。

 病室だけで、大人の目の届くところで育まれた、プラトニックな愛が、お互いの生活にいい影響を与えて、充実した生活をもたらしているという、モデルケースとしてだ。

 その1番重要なポイントは、「病室という大人の監視下で」という点にある。 間違っても学校側が不純異性交遊を突っ込めない、という強みの上に成り立っている。


 もしも、大人のいないところでデートしてしまったら、それが崩れてしまうのではないか、と茜は恐れたのだ。

 考えただけで、沢山の不安が押し寄せてしまうのだ。 

 これは「先輩への裏切り」ではないのか。 もしも誰かに見られていたら、学校側にどう言われるか、とか、そもそも自分の中で、堂々としていられる自信の基盤が揺らぐのではないか、とか。

 そんな思いを、ちゃんと言葉にして説明しきれたかどうかはわからない。



 「つまり、選挙の前だから、気持ちも立場もクリーンにしときたいって、茜は思うんだな?」

 言われた瞬間、鏡はさすがだという気がした。 ゴチャゴチャした自分の言い分を要約すれば、結局そういうことになるのだろう。 一言で言い表してくれたので、わかってもらえたような気になって、一瞬茜は喜んだ。 微笑んで頷くと同時にほっとしたのだが。

 鏡の表情は不機嫌だった。 落ちてきたのは重い沈黙だ。


 「あの……鏡くん……」

 「茜、政治家みてえ。 つまんねえ」

 鏡は頭に被った帽子を、目深に引き下ろして俯いた。

 「センキョの前だから身辺をきれーにします。 つまんねー。

  俺ってバイキンみてーじゃん」

 「そんな……」

 心がいきなり真っ黒に塗りつぶされたようで、こんな時に茜の口は極端に不器用になる。

 違う、違う。 そんなこと言ってない。 鏡くんに会えるの楽しみにしてたんだよ。 今だってたくさん話をしたいんだよ。 ただ、それとこれとは別のこと。

 議長をやったときは簡単に出てくる論破の言葉が、さっぱり頭に浮かばない。 さっきまでの浮き立った気持ちが一転して、そのショックに涙が出そうになる。


 玄関の狭いスペースで、二人は向き合ったまま下を向いた。

 噛み締めた唇から、微かな震えが気まずい空気を揺するように刻んだ。 

 


 「いいよ、今日はもうやめとこう」

 諦めたような口調で、鏡が言い放った。

 「また電話するよ」

 茜は大急ぎで顔を上げ、なにか言い返そうとしたが、鏡はもうこちらを見なかった。 くるりと後ろを向いて、部屋の中に入ってしまう。

 「鏡くん……」

 ドアが閉まる音は大きくなかった。 ことさらにセーブしたような足音が、廊下の先へと遠ざかって行った。

 


 どうしよう。 傷つけた。

 体がこわばって動けないまま、茜の目は足元の玄関タイルを見ていた。

 このまま帰るに帰れない。 でも、どうしたらいいんだろう。

 玄関の小さいスペースに閉じ込められたように感じた。

 困り果てて視線を巡らせると、下駄箱の上に花器があって、百日草が生けられているのが目に入った。

 咲いたばかりの瑞々しい花で、きちんと盛花にしてある。

 そう言えば玄関全体の様子も、前回来たときはもっと散らかった感じだったのに、今日はすっきり片付いて、掃除も行き届いている気がした。

 鏡の母が、きのう掃除をしたのだと思った。

 つまり、茜が来ることを息子から聞いて、じゃあちょっときれいにしようかしら、と言って片付けたのじゃないか。 茜の母も、美登里が明日友達を連れてくると言うと、決まって家の中をバタバタ動き始める。

 おそらく部屋の中も、こないだのように散らかってはいないのだろう。

 

 鏡の母は、息子や茜を信用してくれている。

 この交際を歓迎してくれている。

 茜の母も、鏡を気に入って、応援すると言ってくれたのだ。

 監視がないのは、つまりそういうことなのだ。


 「わたしたち、婚約者がいます」

 そう高らかに宣言した青井愛子の、誇らしげに高揚した頬の輝きを思い出した。

 学校側の思惑と違う何かに、自分たちは包まれている。

 それを先生方にわかって欲しくて、今回の立候補を決めたのではないんだろうか。


 

 「ごめん! 鏡くん、私、ものすごく縮こまってた!

  本気で見つめ直すから、ああ待って、この原稿も作り直すから。 ちゃんと書くから。 

  聞いて。 お願い、もう一回私を見て!」

 大きな声で、去ってしまった鏡に語りかけた。

 それから、持って来た原稿用紙を裏返して、新しい文章をそこに書き始めた。

 

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