↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1mmのズレと、君の住所  作者: ネギ玉(仮)
第7章:1mmのズレと、春の足音

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/48

第1節:観測データの更新(新しい季節のプロトコル)

桜の花びらが、物理法則に従って予測可能な放物線を描き、アスファルトの上を埋めていく。


 進級。

 それは学校というシステムにおける大規模なデータベースの更新(アップデート)であり、僕たちの周辺環境が劇的に入れ替わる特異点でもある。


僕は新しいクラスの教室で、いつものように始業前のルーティンをこなしていた。

 デスクマットを水平に敷き、ペンケースを机の右端から3センチの位置に配置する。

 定規で測るまでもなく、僕の指先はその「正解」を記憶していた。


だが、今の僕のペンケースは、かつてのような「完璧な道具箱」ではない。

 そこには、あの日、彼女の涙に濡れた、あの波打ったままのシステム手帳が収まっている。

 さらに、端の欠けた消しゴムや、もはや機能を持たないはずのテグスの切れ端が、当然のような顔をして鎮座している。

 

「……非効率だな」


僕は独りごちて、少しだけ口角を上げた。

 かつての僕なら、これらの「ガラクタ」を真っ先に廃棄していただろう。

 だが今の僕にとって、これらは僕の世界が「生きている」ことを証明するための、極めて重要な校正用データ《キャリブレーション・マーカー》となっていた。


不意に、スマートフォンの通知が微かに震えた。

 僕はそれを手に取り、画面を確認する。


『律くん、おはよー! こっちは今日、桜が満開だよ。そっちはどう? 写真送るから、あとで画質の論理的評価をお願いね(笑)』


画面には、二時間離れた隣県で、新しい制服を着て、それでも相変わらずの「100デシベルの笑顔」を浮かべる紬の写真が映し出されていた。


 彼女は今、親戚の家から新しい学校へ通っている。

 家庭の事情がすべて片付いたわけではない。

 両親の離婚手続きは続いており、彼女の心にはまだ整理のつかない痛みの澱が残っているはずだ。


だが、彼女は「消えなかった」。


 僕が毎週末、特急に揺られて彼女の元へ通い、平日は分刻みのスケジュールの合間を縫ってメッセージを送る。

 その不合理で膨大なコストの積み重ねが、彼女をこの世界に繋ぎ止めるための「強靭なテグス」として機能していた。


「……構図が15度傾いている。それに、露出補正も不適切だ」


僕は心の中で毒づきながら、同時に「だが、被写体の幸福指数は予測値を5%上回っている」と付け加えた。

 

 教室の扉が開き、新しい担任が入ってくる。

 僕の日常は、これからも1ミリのズレに悩み、効率化の罠に嵌まり、そして彼女というノイズに翻弄され続けるだろう。


 だが、その「ズレ」こそが、僕の人生という白紙の頁を、鮮やかな色彩で埋めていくための唯一のペン先なのだと、今の僕は知っている。


「……さて、新しい学期のシミュレーションを始めようか」


僕は手帳を開いた。

 そこには、インクが滲み、枠線を大きくはみ出した『瀬戸口 紬』という名前が、誇らしげに輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。