第4節:放課後の検証
「深町、梓……」
僕は掲示板に記された名前を脳内のログに刻み込み、再び紬を促して歩き出した。
向かったのは、彼女が「変な噂がある」と漏らしていた、旧校舎の化学室だ。
放課前の化学室は、理科教師の許可を得た者以外は立ち入り禁止だが、鍵は開いていた。
無人の教室内。
僕は迷わず、壁際に並ぶ備品棚へと歩み寄った。
そこには、授業で使用される精密天秤がいくつか並んでいる。
「これだよ、律くん。昼休みに化学部の友達が言ってたの」
紬が指差した天秤。その、分銅を乗せるためのステンレス皿を手に取る。
「……やはりだ」
皿の縁、本来なら滑らかな円を描いているはずのステンレスの端が、わずか数ミリだけ、何らかの工具によって切り取られていた。
僕は白衣のポケットからメモ帳を取り出し、これまでの被害品を垂直・水平を維持しながら書き出していく。
僕の消しゴム:純白のエラストマー。
図書室の『幾何学の基礎』:硬質な布地の表紙。
精密天秤の皿:冷徹なステンレス。
「材質はバラバラだ。だが、削られたのはすべて『右上』の角に集中している」
「右上? ……あ、本当だ。全部そうなってる!」
紬が驚いたように声を上げた。
消しゴムも、本も、天秤も。犯人はただ「角」を壊したいのではない。
ある特定の方向、特定の角度に対して、執拗なまでのこだわりを持っている。
「そしてもう一つ。瀬戸口、窓の外を見てくれ」
中庭に立つ百葉箱。
その白い木製の扉の右上の角に、小さな紙片が挟まっているのが見えた。
僕は中庭へ降り、その紙を回収した。
ノートの端を千切ったような、しかし断面はカッターで整えられたその紙には、青いインクで一言だけ記されていた。
『 +1 』
「プラス、ワン……。ねえ律くん、これってどういう意味?」
「足し算ではない。奪った角を、どこか一箇所に集めているという宣言だ。犯人は、この学校のあちこちに散らばる『正しい直角』を素材として回収し、自分だけの別の『形』を作ろうとしている」
僕は確信を持って、化学室の備品棚の陰を指差した。
「素材を回収しているのなら、その『作業場』もこの近くにあるはずだ」
棚の裏側に、小さな木製の箱が隠されていた。僕は手袋をはめ、その箱を慎重に引き出す。
箱の中には、接着剤で繋ぎ合わされた、拳ほどの大きさの塊があった。
白い消しゴムの角。
青い本の表紙の破片。
金色の真鍮のネジ。
それらが不揃いに、しかし異常なまでの密度で固められ、一つの「歪な球体」を成そうとしていた。
「これが『+1』の正体だ。奪われた秩序たちの墓場だよ」
その時、化学室の引き戸が、乾いた音を立てて開いた。
逆光の中に、小柄な人影が立っていた。
その手に、銀色のカッターナイフを握り締めたまま。




