第1節:データの欠測(空席の音)
その朝、僕の計算は「1秒」の狂いもなく完了していた。
定刻に登校し、定刻に机を拭き、定刻に昨夜の予習の最終確認を終える。
すべてはいつも通り、完璧な秩序の中にあった。
だが、その秩序は、チャイムが鳴った瞬間に音を立てて崩れた。
「……遅刻か。瀬戸口にしては、確率的に低い事象だな」
僕の隣、いつもなら「律くん、おはよー!」という、デシベル値のいささか高い挨拶とともに振動が伝わってくるはずの席が、冷たく沈黙している。
5分、10分……。授業が始まっても、その席は「空白」のままであった。
「上条、瀬戸口の欠席届は出てるか? お前、いつも一緒にいるだろ」
教師の問いに、僕はペンを止めた。
「……いえ。彼女からの連絡、および欠席の予兆を示すデータは、僕の手元には存在しません」
その言葉を口にした瞬間、心臓の鼓動がわずかに速まるのを感じた。
これまで、彼女はどんなに「ノイズ」を撒き散らしても、僕の視界から消えることだけはなかった。
僕の几帳面な日常において、彼女の存在は「計算外ではあるが、そこに在るべき定数」となっていたのだ。
放課後、僕は彼女の家へと向かった。
手帳に記された住所は、駅から徒歩12分。
高級住宅街の一角にあるはずのその家は、地図の上では完璧な座標を示していたが、目の前に現れた実体は、僕の予想を遥かに超える「混沌」を纏っていた。
「……これが、彼女の日常だというのか」
門扉は歪み、庭の植木は手入れを放棄されて枝を伸ばし放題にしている。
窓越しに見えるカーテンは左右で色が違い、何より、家全体から漂う「拒絶」の空気が、僕の論理的な思考を停止させた。
呼び出しチャイムを押そうとしたその時、家の中から、鋭く、感情の制御を失った叫び声と、何かが粉砕される音が響いてきた。
「……ふざけないでよ! 私は、私はただ、普通に……!」
それは、僕が一度も聞いたことのない、絶望に濡れた紬の声だった。
いつも天真爛漫に笑い、僕の定規をずらして遊んでいた彼女。
僕の「秩序」を愛おしそうに眺めていた彼女。
その彼女が、今、正解のない地獄のような混沌の中で、独りでもがいている。
僕は指先が震えるのを自覚した。
この状況を整理するための数式を、僕は持っていない。




