第四十四話 (サブリナ視点)
笛の音は鳴らなかった。
けれど、壊れた笛の残骸を見て私は確信する。
……笛の効果が出たことに。
そして、その私の確信は正解だった。
「ギャ、ゴギャギャ!」
次の瞬間、森の方から小柄な人影が姿を現す。
醜悪な顔に、ここからでも臭う体臭。
……魔獣ゴブリンが、そこにはいた。
私が呼び出したにも関わらず、一瞬硬直する。
聞いたこともあるし、絵で見たこともある。
けれど、目の前にした魔獣は想像よりも遙かに恐ろしかった。
「ゴギャ!」
そんな私を正気に戻したのは、ゴブリンの私に向けた目だった。
その瞬間、ゴブリンが私の方へと走り出して来る。
その目にあるのは、嗜虐的な光。
恐怖に動けない中、私は今更気づく。
……どうして私は、ゴブリンが私を襲わないなど考えていたのか、と。
しかし、今更そんなことを考えても遅かった。
ゴブリンはすぐに私の目前まで迫ってくる。
「ご無事ですか、シーリャ様!」
私の目前、ゴブリンの頭がつぶれた。
呆然と顔を後ろに向け、私を助けた雪狼騎士団の存在を確認した私は、理解する。
……私は何もかも、シーリャに勝てなかったことを。
「ええ、大丈夫よ」
「さあ、私の後ろに」
シーリャを後ろに、ゴブリン達を殲滅していく雪狼騎士団達。
どこからともなくその姿を現したその姿に、私はもう理解していた。
──シーリャは私の狙いを完全に理解して、この場に赴いたのだと。
最初からシーリャは十分すぎる程の護衛をつけて、この場所に来ていたのだ。
その上で、シーリャは私を油断させる為に、セドリックだけをこの場から下げた。
……私はずっと、手のひらの上にいたにすぎないのだ。
それどころか、この笛の存在さえ気づいていたのだろう。
この魔道具を使ってもなお、一切の動揺もなくこの場を収めたシーリャの姿に、私はそのことも気づいていた。
思う。
どうして私は、この天才に一度でも勝てると思ってしまったというのか。
「サブリナ」
シーリャの凛とした声が響く。
その声には、勝ち誇った響きも何の感情も入っていなくて、故に私は理解できた。
……私は、シーリャにとって想定外さえ起こせる人間でなかったことを。
「もう、貴女には何の手段もないわね」
しかし、それを理解して私の心には一切の失望も、驚愕もなかった。
それどころか、シーリャを殺せなかったことにさえ私は何も感じていなくて。
──唯一、私の心にある無念は自分が死ねなかったことだけだった。
なぜ、私はそんなことを感じるのか。
シーリャの言葉さえ耳に聞こえない状態で私は思う。
「私が貴女のたくらみを知ってこの場所に来たのは、貴女に」
……これでは、まるで。
どしん、地面が揺れる音が響いたのはそのときだった。
私だけではない、シーリャ、そして雪狼騎士団の騎士達もバランスを保てず、その場に膝をつく。
まるで地面が揺れたような振動の中、私は森の方へと目を向ける。
「え」
大きな黄色い二つの目玉。
木々の間からのぞく、人の頭ほどもあるそれと、目があった。




