第5話「マルダの台所」
≪前回のあらすじ≫
ゲンラートの店を訪れたヴォルクと対峙したハルは、自らを「孫」と偽り、異世界での立場を引き受ける決断をする。偽りの上に立ちながらも、初めてこの世界に居場所を許された瞬間だった。
「ここがウチだ。…入れ」
ゲンラートさんの店から5分ほど歩いた先にあった、骨組みは木造で、茶色やオレンジ、クリーム色のレンガで作られた二階建ての家。
ここに来るまでの僅かな距離で見た、統一感のない街並みの中のどの建物よりもシンプルだけど、おしゃれだった。
その建物へと、ヴォルクさんが玄関ドアを開けて入っていく。
「…お邪魔、します」
正方形のレンガが敷き詰められた、西洋のレンガ造りの家そのもののイメージだった。
入ってすぐの所にアーチ状の垂れ壁があって、仕切った玄関側の隅には物置スペースなのか、壁に備え付けられたフックにヴォルクさんが締めていた腰エプロンを掛けて、アーチ垂れ壁を潜って向こう側へと行く。
「ハルヤ、こっちだ」
呼ばれ、慌てて奥へと進む。
そこには、ヴォルクさんと、背の高いがっしりとした体躯の女性が一緒にいた。
俺と大して背丈が変わらないんじゃないだろうか……。
「家内のマルダだ。俺が居ない時に何かあれば、マルダに言うといい。」
「いらっしゃい、ハルヤ。ここを我が家だと思って、気楽にね」
「初めまして、お世話になります…」
俺が挨拶をすると、マルダさんは俺を一度だけじっと見てから、ふっと表情を緩めた。
「……旅装じゃないのに、疲れた顔してるね」
「……はい」
ドキッとしたが、それだけで、何も聞かれなかった。
事情も、出自も、理由も。
聞かないという選択をされたことに、少しだけ胸が楽になる。
「手、洗いな。今から飯作るから」
「……え?」
「ヴォルク、釜の火見てきて」
「おう」
ヴォルクさんが奥へ消えると、マルダさんは自然に台所の方を指した。
「ぼーっと立ってるより、手ぇ動かした方が楽になるよ」
その言葉に、少しだけ救われた気がした。
「……手伝います」
「じゃあ、野菜切って」
台所に入ると、石造りの竈と、黒く煤けた鉄鍋が目に入った。
壁際には木製の棚があり、乾燥させた香草の束、小瓶に入った種子、根菜類が並んでいる。
異世界の台所。
知らない家の、知らない人の生活圏。
なのに、不思議と拒絶はなかった。
それが、何よりも不思議だった。
「はいこれ、包丁とまな板ね。で、このティア球を切ってくれるかい?」
ティア球と言って、マルダさんがキャベツの4分の1カットサイズの雫型の野菜を2つ持って、台の上に置く。
その一つを縦に4分割して、その内の一つを手早く、大きめの一口サイズに切っていく。
手本を見せてくれると、「こんな感じでね」と言って、マルダさんはそこから離れ、今度は3本の人参をティア球の隣に置いた。
「ミルザも同じように…大きさはティア球より少し小さめくらいで切っておくれ」
人参そっくりの野菜はミルザって言うのか……。
ヤバイ、これは店に戻ったらエルかタイタムにこの世界の食材とか名前を教えてもらわないと、うっかり日本の野菜の名前で言いかねない……。
ティア球は、切ってみると玉ねぎみたいに、厚めの白い果肉が何層にも重なってて、雫状の大きい玉ねぎの印象だ。
ただ、目が痛くならないからすごく楽だ。
大学に入学してからアパートで独り暮らしを始め、自炊していたおかげで、野菜を切るのも難なく進む。
隣りでマルダさんは、棚の一番下の籠から取り出した、大ぶりな肉塊をブツブツと大きめのサイズに切り分けていく。
ずしりと重そうな赤身の肉は、脂は少なく、繊維が太い。
「今日はイノシシだよ。息子のガルノスが3日前に仕留めたやつさ」
そう教えてくれながら、切り分けた肉を網目の粗い布袋に入れて、ヴォルクさんが火加減を見ていた釜の湯の中にさっと潜らせた。
「急だから、煮込みだよ」
そう言いながら、鉄鍋を竈に掛け、底に油を引く。
「本当はもっと煮込めば、肉も柔らかくなって美味くなるんだけどね」
火にかけられた鍋から、じわりと油の匂いが立ち上る。
「今日のは肉の鮮度がいいけど、普段通りの香草だよ」
そう言ってマルダさんは、棚から次々に材料を出していく。
乾燥させた細長い葉。
針葉樹みたいな枝葉。
月桂樹の葉。
小さな種子。
黒い蕾状の香辛料。
乾燥させた根の薄切り。
……あれ?
ローズマリー……タイム……ローリエ……茴香……丁子……それに……
乾燥根を見た瞬間、はっきりと認識した。
生姜……乾姜だ……
ただ乾燥させただけの生姜と違う、白っぽさがあるから、間違いない。
喉が、無意識に鳴った。
「……それって……」
「ん?」
「……それ、ハーブと生薬ですよね」
マルダさんが少しだけ目を細めた。
「香草だよ」
やっぱり…!生薬も混ざってるけど…こっちでも、香草としてハーブとかがあるんだ。
マルダさんの手元にあるハーブや生薬に釘付けになり、自然に言葉が出ていた。
「殺菌、消臭、血行促進、消化促進……肉の臭み消しと、胃腸保護と、体を温める組み合わせ……」
一瞬、台所の空気が止まった。
はっとしてマルダさんを見ると、マルダさんは俺の顔を見て、少しだけ笑った。
「……面白いこと言うね」
そう言って、包丁でニンニクと乾姜を刻み始めた。
「でもね、難しい理屈は知らないよ」
「臭みが消えて、腹に重くならなくて、体が冷えない」
「それだけ」
鉄鍋に油が温まり、刻んだニンニクと乾姜が入れられる。
じゅわっと音が立ち、香りが一気に広がる。
そこに、イノシシ肉。
焼き色が付き、表面が締まる。
赤ワイン色の酒を回し入れると、アルコールの匂いが立ち上がり、肉の獣臭が一気に飛ぶ。
野菜と香草が放り込まれる。
ティア球に人参…ミルザ。
ローズマリー。
タイム。
ローリエ。
茴香。
丁字。
ぐつぐつと煮立ち始める鍋。
立ち上る湯気は、野生臭さじゃなく、深い薬草の香りに変わっていた。
「パンとこれがあれば、今日は十分だ」
マルダさんがそう言って、水を足し、蓋をする。
「本当は、もっと煮込めば……」
「……もっと柔らかくなって、美味しくなるんですよね」
言葉を引き継ぐと、マルダさんは少し驚いた顔をしてから、ふっと笑った。
「そう」
鍋の中から立ち上る湯気が、台所に広がる。
知らない家。
知らない世界。
知らない人の生活。
でも、その匂いだけは、なぜか“安心できる匂い”だった。
「マルダさん、あの香草をたくさん使う料理って、この国だと普通なんですか?」
ふと気になったことを聞いてみた。
「そうだね…わりと皆よく使うよ。ただ、一つの料理に使うのは2~3種類、多くて5種類ってとこだね。」
あたしのは、母親が香草をふんだんに使った料理をよく作ってたからね。その影響さ。と穏やかな笑みを浮かべるマルダさんは、昔を懐かしんでいるようにも見える。
「…母の味、ってやつですね」
「!……はははっ、そうだね!」
それからは、煮込みが出来るまで、話をしながら食卓を整え、煮込みが出来た頃、3人で食卓を囲んだ。
…3人で食べるにはすごく多い量を作ってたけど…。
「…あの、たくさん作ってましたけど、あれは…?」
「ああ、あれは明日のお昼にも食べる分だよ。工房で働く皆の分もあるからね」
それに、多い量を一度に長時間煮込んだ方がより美味しくなると、教えてくれた。
「ハルヤも、今日のと明日の昼に食べるやつの違いに驚くよ」
今食べている煮込みも十分美味しいけど…。
明日のお昼ご飯が楽しみだな。
「明日のお昼、楽しみにしてます」
そう伝えると、マルダさんは嬉しそうに笑った。
薬膳という概念がなくても、薬膳と同じことを自然としてるこの世界なら、薬膳喫茶も、もしかしたら受け入れてもらいやすいかもしれない。
なりすましという罪悪感が軽くなるわけじゃないけど、
熱中できるものがあれば、少しは楽になれる気がするんだ。
「……ハルヤ、明日の予定だが、俺と出かけるぞ」
「…………はい、?」
食事も済み、マルダさんが入れてくれた野草茶を飲みながらまったりしていると、ヴォルクさんがそう切り出した。
次回:第6話「この世界に立つ」…1話より短いですが、少し長めになっちゃってます。|ω•`๑)
3月19日(木)20時30分に公開するよ!




