7話
時は、天正10年6月10日、巳の刻。本能寺の変より8日後。
山城国と河内国との国境、洞ヶ峠にて明智軍が陣を
敷いていた。桔梗の紋の陣幕の中では、床机椅子に座ることなく
総大将である明智光秀が、いらいらした様子で歩き回っている。
その姿を心配そうに見ている家臣たち。
天空には、今にも雨が降り出しそうな暗く厚い雲。
家臣の齋藤利三は、殿の気持ちを少しでも落ち着かせようと
思い空気が漂う陣の中で、一人口火を切る。
「殿、まずはお座りくだされ」
「このような状態で座っておられるか!なぜ書状を送った細川藤孝殿も
筒井順慶殿もここにおらんのだ!藤孝殿には、わしに味方すれば、播州を
与え、但馬や若狭も譲るとまで申し上げた」
「藤孝殿は、いち早く信長様を弔うため髪を下ろされたとのこと。
義に生きることを選ばれたのでしょう」
「では順慶はどうじゃ。わしに恩義があるはずじゃ。かつで大和の国の
守護の座も順慶に譲ってやったのに。どいつもこいつも、なぜじゃ!」
もう手に負えぬという表情でだまってしまう利三。
そこに陣幕の外から伝令が飛び込んでくる。
「申し上げます。秀吉の軍、明石に到着。こちらに向かっているとの。その数、2万!」
秀吉軍の兵の数と、移動の早さに愕然とする光秀。顔から血の気が引き
床机椅子に座り込む。
その様子を見て家臣の一人、明智左馬之助が、光秀のそばにかけよる。
「殿! 秀吉の軍は、秀吉の口車に乗せられて集まった有象無象の兵でござる。
そのような心なき兵など恐れるに足りませんぞ!」
齋藤利三が、ゆっくりと立ち上がり、机に広げた地図を見つめる。
「殿、安心めされい。我が軍には、多くの鉄砲もござる。秀吉軍を身動きの
取れない狭き地に誘い込み、一斉に鉄砲の玉を浴びせましょう。そうすれば
秀吉の寄せ集めで疲れ果てている兵は乱れ、逃げ出すのは必定。
勝機は、一瞬にして我が方に傾きますぞ」
光秀は元気を取り戻し、椅子から立ち上がり机の地図を見る。
「そうじゃな。わしは鉄砲使いとして天下に名を馳せた武将じゃったの。
もう、細川や筒井のことで泣き言は言わぬ!ところで利三、その鉄砲で
狙いやすい狭き地とはどこじゃ」
利三は、自分の軍扇で地図の中の山崎を指す。
「山崎が良いかと。側には勝龍寺城があり、我が方が陣取るには最適かと」
左馬介も利三の意見に賛成する。
「それがしも、それが良いと心得まする」
光秀は空を見上げると、曇っていた空はいつしか青空になっており、
軍神の化身とも言える鷹が優雅に飛んでいることに気づく。
「天は、わしらをまだ見放してはおらぬ! よし!この峠を降り、全軍、山崎へ!!」
「おぅー!」
光秀の周りの武将たちや兵が一斉に動き出す。その中で光秀は独り言をつぶやく。
「後は雨さえ降らなければ…」
令和の夜の道路。自動車のタイヤが水飛沫を上げている。
戦国バー・うつけの溜まり場の看板も、雨で濡れ、雫が看板をつたって
落ちていく。店内ではお客の佐藤佳澄が、光秀への想いを力説している。
「当時の鉄砲といえば火縄銃ですよね。だから雨の戦場では、雨水で火縄が
使えないからせっかくの鉄砲も効果なしってことですよね」
「そう、鉄砲を使うにはいつも天気のことを考えていたなぁ〜」
「マスターって、なんだか戦国時代で鉄砲使ってたみたいにいいますね(笑)」
「想像やんか。戦国武将になりきるぐらい戦国時代が大好きなんや」
「そうなんですね。話を戻すと、光秀の最後の大失敗は、山崎の戦いの6月13日が
大雨だったということなんです。鉄砲もまともに使えなければ秀吉の大軍には勝てません
もんね」
「そういうことやな。やはり最後は人望がものを言うってことか…。ところで
めぐみんは、戦国武将やったら誰が一番好き?」
由美は、初めてのお客さんに気安すぎるノブさんを注意する。
「マスター。恵さんでしょ。はじめてのお客さんですよ」
「ええやんなぁ〜。その方が話もはずみやすいし。めぐみんにかすみんでどう?」
恵は佳澄とお互い顔を見合わせて笑顔でうなずく。
「いいですよ、めぐみんとかすみんで。で、さっきの話ですけど私の場合、好きな武将は
織田信長で決まりですね。武力を持って天下を統一する、天下布武ってしびれますわ。
男の中の男、戦国時代の革命児って感じで。今、もし私の前にあらわれたら、間違いなく
結婚してください!って逆プロポーズしまくりますね」
満面の笑みを浮かべるノブさん。
「嬉しいなぁ〜。わしも信長大好きやで。思いのままに、本能のままに戦国
時代を駆け抜けたというか。本能だけに、最後は本能寺でアウトやったけどな」
「マスター、うまいこといいますね」
「そやろ、めぐみん」
少し呆れ返った目でマスターを見ている、由美。
佳澄も、恵とノブさんの話に入ってくる。
「ですけどマスター、いや、ノブさん。光秀をことあるごとにいじめていたのも
本能ですか?それが本能だとしたら、ちょっとパワハラ上司すぎません?」
「わしは、そんなつもりでは!!!」
急にノブさんが大声を出したので、静まり返る店内。佳澄は恐る恐る、ノブさんに
聞き返す。
「わしって」
ノブさんは気を取り直し、佳澄や恵に、やさしく語りはじめる。
「ごめん、ちょっと信長の気持ちになりきりすぎて。
たぶん信長は、光秀の能力を高く買いすぎていたんちゃうかな。本当は秀吉よりも
光秀のことが好きで。今でもよう言うやんか、好きな女の子に好きと言えずに
冷たくしたり、わざとその子が困るようなことしたりとか」
「そりゃ小学生やがな〜!」
「おっ、めぐみん、漫才師みたいなキレのええつっこみするやん」
「私たち、さっきも言ってましたように、看護師やってるんですけど、
お互いオフの時は、アマチュアの漫才コンビやってて老人ホームとか回ってたり
するんですよ。コンビ名は、「めぐみかすみ」って言います。そのままですけどね」
「そうやったんか。それは、なかなかええことしてるね」
由美が、何か思いついた様子でマスターに提案する。
「それやったら、この店でも、たまに漫才やってもらったらどうです。なんか戦国を
テーマに漫才ライブする店とかで話題になるかも」
「それは、ええ考えやな。どう?めぐみん、かすみん」
「なんか面白そうですね。ぜひやりたいと思います」
「よっしゃ、決まりやな。ほんならまた乾杯しよか。かんぱ〜い」
「かんぱ〜い」