命がけの救出劇
そこは薄暗く肌寒い場所。
灯された明かりは最低限に留められ、外の光は僅かたりとも見ることが叶わない。ジメジメした内部は清潔とは言い難く、床には食べ物のカスやネズミの屍骸が転がっている。
いや、それだけではない。すえた悪臭の中に混じり漂って来るのは……血の匂い。それは奥へ行くほど強くなり、より一層吐き気を催す。
――ジャラン!
音の方向に目を向ければ、鎖に繋がれた男が2人。
その周辺には拷問器具が並べられており、そこがどういう場所であるかを如実に物語っている。
「イテテテ。じいさん。生きてっか?」
そう話しかけたのは大柄な男。
無数に付けられた傷は生々しく、幾つかの傷からは今もなお出血が続いている。手足共に爪は1つたりとも残ってはおらず、あらぬ方向に曲がった指は最早スプーンさえ持つことは叶わぬだろう。
ぼさぼさの頭と髭を見るからに彼が牢屋に入れられたのは1日2日ではあり得ない。
そんな状況にも関わらず相手を気遣える男は常人とは言い難く、明らかに特殊な訓練を受けた何者かだろう。
「しゃっしゃっしゃ!これしきでへばるとは……年は取りたくないのう」
男の問いに答えたのは干からびたミイラのような老人。
流石に拷問はされていないようだが……それは間違いなく高齢のためだろう。
深く刻まれた皺は彼の生きた年月の証であり、その命が残り少ない証拠。骨が透けて見える程やせ細った身体は健康とは言い難く、いつお迎えが来てもおかしくはないほどだ。
「それだけ軽口を叩けるからには大丈夫そうだな」
「わしゃのことはええ。どうせ棺桶に片足を突っ込んじょる身じゃ。じゃが、オメェしゃんは違う。最期まで諦めるでなか」
老人の励ましに男は自嘲気味に嗤う。
「この状況で諦めるな、か。酷いぜじいさん」
「しょれが将軍になるという事じゃよ」
大柄な男の正体はシリカ将軍アーク・サルヴァトーレ。ジェーンの後任の将軍である。そしてアークと話している老人こそ、シリカの歴史の教科書にも登場する生きる伝説といっても過言ではない人物。御年100歳越えの先先々代将軍ジン・ドレイクだ。
「就任早々ベリアノスに掴まるたぁ情けねぇ」
「こればかりは仕方がなか。国の中枢が丸ごと落ちちょるなんじゃぁ誰が思うかよ」
2人が捕まった名目は反逆罪。
当然それは王の名のもとに下された命令であり、逆らうなど露ほども思わなかった彼らは、調べればすぐに容疑が晴れると思っていた。
そんな彼らがシリカに巣食うベリアノスに気付いたのは、封魔具の鎖に繋がれた後であった。
「クソッ!オレ達以外の固有魔法士はどうなってんだ?」
「ここにいない所を見るに……おしょらく支配されたんじゃろう。家族でも人質に取られてなぁ」
ジンの言葉にアークは押し黙る。
彼も牢屋に入れられる前、フードを被った男に選択を迫られた――忠誠を従うか、それとも妻と娘を失うか、と。それでもアークが脅しに屈することはなかった。
その結果、アークに待っていたのは苛烈な拷問であり、彼は強靭な精神でそれに耐え抜いていた。
ちなみにジンの妻と子供たちは疾うに天へと召され、孫はリーンハルトで暮らしているためそのまま牢へ直行となった。拷問されることもなく、何故生かされているのか疑問が残るところだ。
「じいさん、精神支配系の固有魔法士はこれ程の力を持つもんなのか?」
「……精神支配系の力は大きく2つに分かれるんじゃ。1つは操る間常時魔力を使うタイプ、もう1つが支配する時にだけ魔力を使用するタイプじゃ」
「つまりあのフード男は後者ってことか。弱点とか何かねぇのか?」
「細かくはあやちゅれん、とういうことかのう。例えるなら術者は王と同じじゃ。王の命令には絶対に服従じゃが、功を焦って失敗しゅる者や足の引っ張り合いをしゅる者もおる。術者も全ての配下を把握しゅることはできん。じゃが……」
言い淀んだジンにアークが先を促す。
「支配範囲が広しゅぎると思うてな。誰もたしゅけに来んところを見るに支配しゃれちょるのはここだけじゃなか。この短期間にこれ程の範囲を支配したとなると……おしょろしいほどの魔力量と実力の持主じゃろう」
――ガシャン
鳴り響いた音に口を噤んだ2人が目を向ければ、先程まで話題に出ていたフードの男が衛兵と共に入って来くるところであった。
牢の外で足を止めた男は側に置いてあった椅子を引き寄せるとそれに座る。
「元気そうだね」
その言葉は嫌味以外の何物でもない。無言で男に殺気を送る2人を柳の如く受け流し、男は足を組むと僅かに顎を上げた。
「これが最後の問いだよ。オレに従わない?」
「オレの答えは変わらねぇ!クソくらえだ!」
「しゃっしゃっしゃ!わしゃも同じじゃよ」
「それは残念。従えば命だけは助かったのに」
言葉とは裏腹に、さして残念そうもなく笑った男は立ち上がるとあっさりと2人に背を向ける。数歩踏み出した男はピタリと止まり、最後に1度彼らを振り返った。
「そうそう、オレは明日ベリアノスに帰ることになったから。まあ、あなた達も一緒だけどね」
それは紛れもない死刑宣告。
じゃあ、と手を振って男が去った後、重い沈黙だけがその場に満ちた。
深夜、泣く子も黙る丑三つ時……ではなく晩飯時。
ルーファは騎士団の兵舎である建物の前まで来ていた。ルーファが集めた情報によれば、どうやらこの地下に牢屋があるらしい。
そう、ルーファは地下牢に収容されているという裏切者(多分味方)を助けに来たのである。
ルーファは兵たちが出入りしている正面扉を睨みつける……ことなく、建物の側面へと回り込むとガサゴソと生い茂った草の間を通り抜ける。
辿り着いた先にあるのは鉄格子の嵌った通気口。子供ですら通り抜けれぬほど小さいが……手の平サイズのルーファには何の問題もない。〈亜空間〉へと鉄格子を仕舞ったルーファは足取り軽く通気口へと侵入を果たした。
『ハークション!ハークション!』
ズビズビと鼻を啜りながら、ルーファは「帰ろう」としきりに囁く脳内意見を強引に振り切る。
『う、うう。こんなに汚いなんて聞いてないんだぞ』
充満したカビと埃に、ガサガサと音を立てて目の前を横切るのはゴキ……ではなく黒い悪魔だ。言い伝えによれば、黒い悪魔はその名を呼ぶと数を増やすらしい(※ミーナ談)。何とも恐ろしい生物である。
『うわっぷ!』
そしてルーファを最も苦しめるのは、張り巡らされた罠……ではなく蜘蛛の巣。前足でゴシゴシと蜘蛛の巣を取ろうとするが、今度は前足に付着して一向に離れようとしない。
白銀色の自慢の毛は既に煤けた灰色へ。心なしか自分自身さえ臭い気がする。最初はこまめに綺麗にしていたのだが、それが時間の無駄だと気付いたのは侵入して5分後のことである。
(おかしいんだぞ。こんな筈では……)
ルーファの読んだ本によれば、拐われたお姫様を助けに来た怪盗は通気口を利用して華麗に助け出していた。その時の挿絵では、お姫様を横抱きにした怪盗が窓から脱出するところであった。
まさか、こんな埃塗れの姿で助け出したのであろうか。いや、そもそも窓から出れたのなら最初から窓から入ったので良かったのでは?湧き上がる疑問に、ルーファはそっと蓋をした。夢は夢のままが一番美しいのだ。
気を取り直して歩き出したルーファの狐耳に「チュチュッ!」と声が聞こえたのはそんな時。
ルーファが背後へ目を向ければそこには生意気そうな顔をしたネズミがいた。
「フシャー!」
「チュー!」
威嚇し合う2匹。
飛び掛かってきたネズミをシュルリと伸ばした尻尾で捕らえ、ルーファはそのお尻にガブリ!と一発。悲鳴を上げながら逃げて行ったネズミをドヤ顔で見送った。
『ふっ!つまらぬものを噛んでしまった』
キメ台詞を吐いたルーファはそのまま踵を返……
「「「「「チュー!!」」」」」
『…………』
嫌な予感に恐る恐る背後を振り返ったルーファが見たのは、通気口を埋め尽くさんばかりの大量のネズミ。
『お助けー!』
恥も外聞もなく逃げ出したルーファは通気口をひた走る。最早、蜘蛛の巣もホコリも気にならない……ただ逃げ切るのみ!
ルーファが角を曲がったその時、僅かな明かりが目に入る。
『出口なんだぞ!』
階下の様子を探る間もなく嵌っている鉄格子を素早く回収したルーファは、押し寄せて来たネズミに押し出されるように下へと落下した。
もつれ合いながら石畳へと叩き付けられたルーファだったが、幸いにもネズミがクッションとなり大した衝撃もなく起き上がる。
そしてそれはタフなネズミもまた同じ。ただし、落ちたのは3匹だけのようで勝機があるとすればそこだろう。
「フシャー!」
全身全霊で毛を膨らましたルーファが伸ばした尻尾でバシバシと床を叩けば……
「「「ヂュー!!!」」」
長い前歯を見せつけながら前へと踏み出すネズミたち。
その時ルーファの本能が叫んだ!――「逃げましょう」と。
『うわ~ん!誰か助けて~』
ベソをかきながら走り出したルーファのお尻目がけて、次々と歯が突き刺さる。
毟られた毛がふわふわと空中を漂い、薄汚れ具合も相まって誰もその毛を神獣の毛だとは思うまい。
『あっ!結界!』
ようやく結界の存在を思い出した……が、時すでに遅し。ルーファの尻尾には1匹のネズミが齧り付いていており、結界を張るどころではない。
(ここ、までか……)
諦めと共にルーファは思う。きっとこのことは大々的に世界に報じれるのだろう、と。
――速報!神獣様、ネズミに殺される!
実に間抜けな見出しである。
魔物ならまだしもネズミ……ただのネズミだ。
『うおおおお!嫌だー!』
何かが……自分の中の何かが終わってしまう!
よく分からない衝動に突き動かされたルーファはクワっと目を見開くと、ネズミを引っ提げたまま走り出す。これが俗に言う火事場の馬鹿力か。
「誰かいるのか……?」
その声は天の導きか、はたまた運命か。
ルーファは躊躇うことなく声の方向へと舵を切った。
「魔物か!?」
警戒した声を発したのは鎖に繋がれた傷だらけの男。
だが、それを気にする余裕すらないルーファは、その男の足を駆け上がると頭の上へと陣取った。
「フシャー!!シャー!」
「うおおおお!何だ!何だ!」
頭をブンブン振る男に、パニックになりしがみ付くルーファ。
ちなみに、ネズミはとうの昔に逃げ出している。
「たしゅけを求めておったのはオメェさんかのう」
その声ピタリと動きを止めたルーファが斜め下を見れば、そこには優しそうなおじいちゃん。
ルーファは迷うことなくゴワゴワするくっさい頭から飛び降りると、おじいちゃんの禿げた頭の上へと乗っかった。
『ふえ~ん、怖かったんだぞ』
「よしゃよしゃ。ここにおれば大丈夫じゃけぇのう」
繋がれているため撫でられることこそなかったものの、ルーファはそこに温かな優しさを感じた。
「おい、じいさん大丈夫なのかよ」
「喋るところを見るに誰かの使役獣じゃろう。ここに侵入してきたという事は……」
「まだ捕まっていない固有魔法士がいるってことか!」
きゅんきゅん鳴いていたルーファは、その言葉にようやく正気に返る。
何だろうか……誤解と言うか、神獣だと全く気付かれていないような気がしてならない。
冷静に現状を分析してみよう。
薄汚れた毛皮に、プ~ンと鼻を突きさす刺激臭。
顔には蜘蛛の巣が張り付き、視界の端にチラチラ見えるのはお尻の赤い蜘蛛。
先程齧られたお尻をを見てみれば、くっきりと刻まれた500円玉禿げ。
『ち、違うんだぞ!オレは使役獣じゃないんだぞ』
慌てて魔力を通せば、汚れもさることながら禿げた毛も元通り。ただし、蜘蛛つき蜘蛛の巣は汚れとは認められられなかったのか健在である。
眼を見開き驚きを示す2人に気をよくしたルーファは、さらに力を使い彼らの傷を癒して枷から解き放つ。これでルーファが誰か分かった筈だ。
「神獣様がオレ達を助けに……」
「おお……ましゃかこの目で神獣しゃまを拝めようとは。ありがたや、ありがたや」
予想通りの反応にルーファは満足気に頷くが……滂沱の涙を流す2人は泣き止む気配すらない。
死を覚悟していた彼らの前に神と崇める神獣が助けに来たのだ。しかも彼らの目にはルーファが産まれたばかりの赤ちゃん神獣に見えた。
想像してみて欲しい。
命がけで自分達を助けに来た幼い(←ここ重要)神獣の姿を。ボロボロの姿がまた良い塩梅にスパイスとなっていじらしさを演出していた。
「我々のために命をかけて下さるなど……何と勿体ない。オレ……いえ、私はシリカ将軍アーク・サルヴァトーレと申します。」
「わしゃはジン・ドレイク。ただのじじいですじゃ。して、味方は何処まで潜入しておるのでしゅかな?」
その言葉にルーファは気まず気に目を逸らせた。
川に流されてきたルーファに味方はいない。まあ、チャーター君を待たせてあるのでそれが味方といえば味方か。
『じ、実は誘拐されて……』
ルーファは今までの経緯をかいつまんで話していく。
ちなみに、ハチミツを盗み食いしたことは秘密である。そう、ルーファが語ったのは数多の蜂と渡り合い、アリから逃げるために地下水脈へと飛び込んだ勇敢な物語のみ。それを聞いた2人はというと……
「ご自分の安全さえ確保できない中、我々を助けに来て下さるとは……何という慈悲深き方!!」
「なりましぇぬ、なりましぇぬぞぉ。わしゃらのなぞのためにそのような……ぐしゅ」
更に信仰度が跳ね上がっていた。
涙を拭ったジンが優しい手つきでルーファの顔にかかった蜘蛛の巣を取り払い、その顔を覗き込む。
「たしゅけに来て頂いたこと感謝いたしますが……見ての通り、わしゃはもう死を待つだけの身。足手まといにしかなりましぇぬ故、どうかしゅて置いて下しゃい」
「じいさん!」
「黙りんしゃい。わしゃがいればそれだけ迷宮神獣様の御身が危険にしゃらしゃれる。ここでわしゃが暴れれば多少の時間は稼げるじゃろう」
覚悟を決めたその顔は命を燃やす漢の顔。
説得の無駄を悟ったのか、アークはただその顔に泣き笑いのような笑みを浮かべた。
「輪廻の果てでまってな。酒でも持って行ってやるよ」
「しゃっしゃっしゃ!オメェさんはまだ若い。当分は顔も見たくなかよ」
何となくいい雰囲気の2人に、珍しく空気を読んだルーファは言い淀む。ハッキリ言って言いずらいことこの上ない。最後の抱擁をかわす2人に、ルーファは決意を込めて口を挟んだ。
『えっと、オレは生き物を収納できる力を持ってるんだけど……』
「「…………」」
この後、ルーファは無事脱出を果たした。
~帰り道~
『わーはっはっはっは!かかって来るがいいネズミ共!』
ルーファ結界無双☆




