ロキの怒り
「役立たず共が!!」
ロキは怒りのままに床に転がる肉片を踏みにじる。
魔爪から流れ落ちる血がポタリポタリと床を打ち、荒い息を吐いたロキの前ではペルンとゲンが血の海へと沈んでいた。
「お、お止め下さい!それ以上は死んでしまいます!」
俯き震える幹部たちの中から進み出たガーオがロキへと訴えるが……それは逆効果だ。
「もとはと言えば、貴様らが知恵ある汚染獣如きに後れを取ったせいだろうが!!」
ガーオの胸ぐらを掴んだロキは逆の手で彼の腕を引き千切ると、漆黒に染まった眼球を他の幹部へと向ける。殺意と……絶望に彩られた眼差しを。
狂気に染まった風が吹く。
ソレは血を求め、肉を切り刻み、絶望を撒き散らす嵐。
ソレは愛を求め、己を責め立て、嘆きの涙を流す星。
彼の母が、世界が、唯一無二の至宝が奪われたのだから。
『それぐらいにしたらどうじゃ。皆を殺したところで何も変わりはせんぞ』
成り行きを見守っていたラビが口を挟むと、ようやくロキは動きを止めた。ロキも分かっているのだ。どんなに暴れようと、どんなに後悔しようと、ルーファが戻ることはないのだと。
「……直しておけ」
それだけを告げたロキは自室へ戻ると、その場にズルズルと座り込んだ。
「頼むルーファ。返事をしてくれ」
〈眷属通信〉で何度呼び掛けようとも応えはない。
震える手で顔を覆ったロキは、そのままキツく眼を閉じた。
(冷静になれ)
不安に暴れそうになる心を強引に押さえ付け、ロキは自身の感情を封じる。怒りも、憎悪も、悲しみも、今は邪魔でしかならない。
今最も必要なのは情報と……時間。
時が経てば経つほどルーファの身が危険に晒され、癒えることなき傷を負うことになるだろう――かつて誘拐されたときのように。
「……待っていろルーファ。直ぐに助けに行くからな」
ロキは意識を深淵へと沈める。
そこはロキの領域であり、無限に広がる宇宙そのもの。ただし、闇を照らし出すのは無数の星の輝きではなく、集められた情報の渦だ。
そこでロキは知恵ある汚染獣との戦いに集中するために遮断していた、ありとあらゆる情報を解放した。
その中で最も重要な情報は……ルーファがわざと捕まったということ。
毎回変わる迷宮の出入口から直接街中を行き来しているルーファを捕らえようとするならば、冒険者ギルドを張るのが一番だ。しかし今回は光星城の出入口を利用し、尚且つペルンとゲンが止めるのも聞かず、ルーファは城門から街へと出たという……これが最大のヒントだろう。
「つまり城内に裏切者がいる……と言うことか」
ルーファ自身が囮となり誘拐犯を釣った……そう考えれば全てが繋がる。
「ルーファの伝言を考えるに、拐われるのは予定調和。タイミングはここしかない」
始まりは予言から。
ヴィルヘルムがルーファの側を離れ、そして自分もまた離れざるを得なかった。恐ろしいまでに完璧なタイミングだ。まるで未来は既に決まっており、ただそこに向けて全てが流されているような……そんな錯覚にさえ襲われる。
「ハッ!馬鹿馬鹿しい。これこそ無駄な思考だ」
ロキは思考を切り替える。
重要なのは未来のルーファの側に自分がいること、ただそれだけだ。
幸いなことに王城はロキのテリトリー内。直ぐに情報は集まるだろう。
――何故か?
迷宮とは人種を内へと誘き寄せて殺す生き物。故に迷宮とは出入口から内側を迷宮と称する……が、どこにでも例外はある。
原魔の森がマザーの迷宮の表層部分であるように、力ある迷宮は支配圏を外側にまで広げられるのだ。もちろんそれには相応の力と年月が必要となる。
それはルーファの迷宮もまた同じ。マザーの迷宮のように広くもなければ、魔物を生み出すことも構造を変えることもできない何とも中途半端な迷宮だ。
ただ……ロキは力の流れを制御することで、2つの能力に特化させた。
1つは情報収集。
これにより、王城内の出来事や交わされた会話までロキの知るところとなった。
そしてもう1つが転移。
ルーファに何かあれば直ぐに駆けつけられるように、とロキが強引に捩じ込んだ力だ。
そう、ルーファが王城へちょくちょく遊びに行っていたのは、決して護衛がいたからではなく、何があろうとロキが対応出来るため。結局のところ、ロキは誰も信じていないのだ……ルーファ以外の誰も。
「見つけた」
そう呟いたロキは深紅の眼をニィィと細めた。
その部屋には4名の将軍がいた。
西方軍将軍トゥーイ・ホースピア、北方軍将軍ダイアノス・シーリー、中央軍将軍フィン・スワロウ。そして、王軍将軍にして現リーンハルト軍総指揮官でもあるザナンザ・アインクラインだ。
各副官が1名ずつ将軍の背後に控え、宰相であるマイモンとその補佐官バハルスを含めれば、リーンハルトの中枢を担うものが勢揃いしていると言っても過言ではない。
ただ……残念ながら残りの2名の将軍は欠席だ。いや、欠席せざるを得なかったというべきか。
アンジェラ率いる南方軍は未だボルヘルミア軍との争いに収拾がつかず、ユーリー率いる東方軍はベリアノスとの国境沿いから動かすことが出来ないからだ。
「アスタロスの状況は?」
重苦しい雰囲気の中で口を開いたザナンザは、その目をマイモンへと向ける。
「明日には全ての市民の避難が完了する予定です。兵の移動も順調ですが……兵糧の確保が滞っております」
西部一の食糧庫であるクレイジール男爵領の備蓄は敵方へと流れ、近隣の食糧庫は何者かに襲撃を受け灰塵と化したという。恐らくは暗殺貴族エンヌ・ビビットの仕業だろう。
「まさか、こんなに深く敵の侵入を許していたとは!」
「今さら後悔しても遅い。私たちに出来ることは、被害をどうやって最小限に留めるかだ」
いきり立つダイアノスにフィンが冷静に告げる。
後悔は全てが終わったその後で。今は目の前に立ちはだかる問題を片付けるのが先決だ。
「……本当にサンタクルス領を見捨てるのか?」
蒸し返すように問うたトゥーイにザナンザは内心でため息をついた。戦禍から遠い西方軍は実戦経験が薄い……それ即ち甘いということ。
いや、何度もベリアノスと矛を交えたことのあるザナンザですら、ルーファに諭されるまで踏ん切りがつかなかったのだ。それも致し方ないことなのだろう。
「それはもう話し合っただろう。アスタロスへ軍を集結させる。これは決定事項だ」
「でも……」
「トゥーイ!いい加減にしないか。敵は既に我が国に入り込んでいるんだぞ。ここで国境を取り戻すことに拘れば、王都を失いかねない」
フィンの鋭い叱責に、トゥーイは謝りの言葉を口にすると迷いを振りきるように顔をあげた。
良くも悪くもトゥーイは真っ直ぐなのだ。ただし、将軍職に着いているだけあって、一度切り替えれば揺るがぬのもまた彼の特徴だと言えるだろう。
「だが兵糧はどうする?なければ兵の士気が下がるのは目に見えているぞ。下手を打てば戦うことすらままならん。ただでさえ汚染獣の影響で農作物の収穫率が下がっているのだ。北部は未だに食糧不足が深刻で、今の状態ではとてもではないが兵糧を出すことは出来ん」
「ダイアノスの言う通りだ。それに南部にも救援物資が必要だろう。目処は立つのか?」
中部は中部で大都市が多く、生産量は微々たるもの。フィンの懸念は当然のことだと言えるだろう。
「でしたら、迷宮神獣さまにお願いしてはいかがでしょうか?」
「ウナス!それは不敬だと何度も言っただろう!我らの力不足故に、北部の守護を約束して下さったのだ。これ以上を望んではならん!」
いきなり口を挟んだウナスにザナンザの叱責が飛ぶ。
神獣とは争いを嫌うと同時に、王を律し民を導く存在だ。戦争を止めることはあれど、国同士の諍いに与することはない。
いや、本音を言えばただ怖いだけか。ようやく訪れた神獣を、自分達の戦争に利用すれば愛想を尽かされるのではないか……それがザナンザの根幹にある恐怖。
「ですが、迷宮は資源の宝庫です。迷宮神獣さまの協力さえ得られれば食糧のみならず武器や治癒石の心配すらなくなります!多くの民の命が救われるのですよ!」
“民の命”――それは彼らにとっての魔法の言葉。それを守ることこそが彼らの存在意義なのだから。
故に彼らは気付かなかい……揺れ動く彼らを冷たい目で見つめるウナスの姿に。
「なるほど……ルーファが拐われたことを公にして、動揺でも誘うつもりか?ウナス・マギア」
目の前に広がった真黒き闇の中に紅き眼が浮かぶ。
その目を見た瞬間、ウナスの思考はモヤがかかったかのように曖昧となり、代わりに歓喜がその心を支配する。
「答えろ。ルーファはどこにいる?」
それは、ウナスが崇める神の問い。
跪いたウナスは恍惚とした笑みをロキヘと向けた。
「はっ!現在、エンヌ殿の手の者によりベリアノスに向けて移送中です。フォルテカから原魔の森を抜ける予定ですので、順調にいけば……」
そこまで喋ったウナスはハッとして手で口を覆う。
正気に戻った……否、正気に戻されたが時すでに遅し。全員の殺気に満ちた眼差しがウナスに突き刺さった。
「チッ!〈大嵐〉!」
発動した筈の魔法は、けれども何の効果ももたらさず深淵へと飲み込まれる。それでもウナスは果敢に次なる魔法を放とうとするが……それをロキの魔法が遮った。
「〈魔法封印〉」
それは以前見えた異世界人のモノ……いや、その改良版か。
ウナスの魔力はまるで網の目を潜り抜けるようにスルリと零れ落ちて行く……固有魔法士であるにもかかわらず。
――固有魔法の完全封印
それは絵本の中の出来事だ。
確かに固有魔法にも“格”が存在するが、それでも完全に固有魔法を封じるのは不可能なのだ。そう……上位格魔法を超える魔法でなければ。
ガッシュに仕えるものならば、必ず1度は思い描いたことあるだろう。更なる魔法の頂を。
「〈大嵐〉!〈大嵐〉!」
愚直に同じ魔法を繰り返すウナスの姿は実に滑稽。彼の命運は既に尽きているというのに。
ジリジリと後ずさるウナスの姿にロキはただ嗤う。これはウナスに苦痛と絶望を与えるための通過点、ここからが本当の絶望の始まりだ。
「ぎゃああああああああああ!!!足がぁぁぁ!!」
ずぶずぶと深淵へと沈むウナスの身体は分解と結合を繰り返し、終わり無き激痛を与え続ける。滅茶苦茶に暴れるその腕が救いを求めてザナンザへと伸ばされるが……蒼褪めながらも彼は毅然として言い放った。
「裁きを受けろ!裏切者め!」
最期に浮かんだのは後悔か絶望か。
どぷん、とウナスを呑み尽くした深淵は幻のように消え失せ、しん……と静まり返った室内にロキの声が響く。
「ザナンザ・アインクライン」
「ハッ!!」
「全てはルーファの言葉のままに」
「ですが迷宮神獣様は……」
吹き上がった紫暗色の魔力に口を噤んだザナンザは、無音で近付いてきた靴の先をただ見つめる。
顔を上げることがこの上なく恐ろしい。もし、眼が合ったのなら……この上ない絶望が待っているだろうから。
「オレがルーファが拐われて黙っているとでも?今回の件に関わった奴らは全員この手で殺す。それがベリアノスであろうとな」
今日この日、この場に居合わせた者は全員心に刻んだ――この世には決して手を出してはならぬモノが存在するのだと。




