魔女と人間
※権利所持者:ncjyr※
その時、アルマは一人で立っていた。
目の前には真っ赤な街と、お父さんと、お母さんと、沢山の人がいた。
恐ろしかった。
何が恐ろしいのかは分からない。とにかく怖かった。恐ろしかった。
お父さんとお母さんは泣いていた。私の方を見て。
そして一人が、大きな斧を振り上げ___
「アルマ!!」
その声で、私は目覚めた。
「はぁ……はぁ……」
横から、フェリスが話しかけてくる。
「アルマ、大丈夫?すごい魘されてたけど……」
「はぁ……うん、大丈……いや、大丈夫じゃないかも。」
「どうしたの?」
「怖い夢を、見てた気がする。」
アルマはもう、夢の内容を覚えてはいなかった。
ただ、恐ろしいという印象だけが頭に残っている。その証拠に服は汗でぐっしょり濡れ、息は乱れていた。
手先が少しだけ震えてる。夢から醒めても、まだ恐怖は体に残っていた。
その時。
「……うわっ!?」
横から、フェリスが抱きついてきた。
「大丈夫。アルマは、一人じゃないよ」
「フェリス?」
突然の行動に、思わず困惑してしまうアルマ。
しばらくすると、そのままの姿勢でフェリスが話す。
「私が小さいとき、お母さんがこうして慰めてくれたの。大丈夫だよ、一人じゃないよって。……どうかな」
「……うん、落ち着く」
『一人じゃない』。その言葉に、アルマは不思議とホッとする。
長い間アルマは一人だった。
そんな孤独者にとって、フェリス……友達という存在は、掛け替えのない大切な存在だった。
しかし。
「……アルマはさ」
アルマに顔を埋めたまま、訊く。
「魔女なの?」
「え……」
マズい。
アルマは直感でそう感じる。
せっかく友達になれたのに、フェリスとはここでお別れかもしれない。魔女だという事実を知られたから。
でも嫌だ。フェリスとは、別れたくない。
アルマは言い訳を考える。
だが咄嗟にそんな言い訳が思いつく訳ない。
そして、短くない沈黙の後___
「ううん。まだいいよ」
口を開いたのは、フェリスだった。
困惑を隠しきれず、アルマが訊く。
「……いい、って?」
「私、アルマが魔女でも、気にしない。大事な友達だから。だから……その……」
少し言葉に詰まったのか、一旦口を閉じてしまう。少ししてから、意を決したように口を開く。少し頬を赤らめて。
「アルマは一人じゃない。一人にさせない。私がいるから大丈夫だよ」
そして、アルマの体をぎゅっと抱き寄せる。
ずっと顔を埋めていたので、アルマの表情は分からなかった。
アルマは今まで、ずっと独りで過ごしてきた。
いや、独りではなかったかもしれない。山の動物達が側にいてくれた。
だがそれは、アルマの求めるものでは無かったのかもしれない。
だからこそ、無性に悲しくなる夜があったのかもしれない。
人恋しくなる夜があったのかもしれない。
内心、諦めていた自分がいた。
自分は街に近付かない、だから人と顔を合わせることはない、人間の友達はできない__
だから。
アルマは一人じゃないと、フェリスが言った時。
アルマは、泣いていた。
アルマ自身、なぜ泣いているのか分からなかった。
今までこんな事なかった。涙を流したことなんて無かった。
転んで膝を擦りむいても、木から落ちて尻もちをついても、一人の夜も。
だが今、痛くも悲しくもないのに涙が出た。
涙が出たのに__心の内が、満たされた気分だった。
それが不思議で仕方なかった。
「……さ、この話はお終い!」
笑って、フェリスが顔を上げる。
彼女も泣いていた。
「私ね、今日はいろいろ持ってきたの! それに沢山話したいことがあるし……えっと、その、とにかくアルマと過ごしたいの!」
「……うん」
二人で目を合わせ、笑う。
アルマの書斎で、二人は紅茶を飲んでいた。ハーブの香りが、辺りに広がっている。
「……ねえ、フェリス。」
落ち着いた口調で、アルマが話す。
フェリスも、それに応える。
「……こんな私でも、フェリスはいいの?」
「……こんな、って?」
アルマの意図を理解できず、フェリスが首を傾げる。
「山には、災厄の魔女がいる」
ピクリと、その言葉にフェリスが反応した。
「最近、街で噂になってるらしいね。でももし、もしもだよ? 私が災厄の魔女だったら、フェリスはどうするの?」
「私が、どうするか……?」
アルマのその言葉に、フェリスは暫し悩む。
当然だ。少し前、街でその噂を聞いたばかりなのだから。
そして、アルマが『災厄の魔女』かもしれないという話をしたばかりなのだから。
だが。
「……なんにも、変わらないと思う。」
フェリスが出した答は。
「だって、アルマはアルマでしょ?」
とてもシンプルなものだった。
「……私は、さ。アルマが好きなの」
その言葉。
聞き取れなかったわけではない、だがアルマは聞き返す。
「……私が?」
「うん。それにアルマは、災厄の魔女じゃないって信じてる」
魔女じゃないと、信じている。
その言葉に今度は表情を曇らせそうになったが、それより早くフェリスが言葉を紡ぐ。
「それに、もしアルマが災厄の魔女だったら……災厄って凄く優しいんだな……って思う。」
「優しい?」
見当外れのような……同時に期待を込めたような声色で、アルマが訊く。
「だってアルマ、私を泊めてくれたじゃん」
少し俯いて、フェリスが言う。
「一緒に過ごしてくれて、こうして話してくれて……アルマが災厄の魔女なわけ無い。それにもし、アルマが災厄の魔女なら……なんでアルマを災厄だと思ったのか、私知りたい」
紅茶を口に含みながら、フェリスは続ける。
「だってアルマ、災厄って言えないほど優しいんだもん! だから私、アルマが魔女でも安心しちゃうよ。災厄の魔女の噂は嘘だったんだ……って!」
「えっと、それは……」
否定できないし、肯定もできない。
アルマは魔女であるが、話題の『災厄の魔女』ではないからだ。
「……だからね? アルマが災厄の魔女でも私、気にしないと思う。アルマのことが、私は好きだから。ずっと友達で居たい……って、思ってる」
しっかりとした口調で、フェリスが言い切る。
その言葉に絆され、アルマは……少しだけ、笑顔になった。
「ありがと、フェリス」
突然の感謝に驚きを隠さないフェリス。
そんなフェリスに、アルマは続ける。
「私、これまで友達なんてほとんど居なかったから。フェリスと同じで。だからフェリスから言ってくれて、嬉しくて。」
それはアルマの本心だった。
今まで、フェリスのような人間の友達は居なかった。
人里にも近づかず、ずっと山に籠もっていた。
(本当に酷かったのは、私なのかも)
人間は恐ろしいと聞いて、関わらないようにしてきた。魔女を恐れず手を差しのべる人間が側にいたのに、その手すら恐れていた。
まるで何かに操られるように。
ならば、今こそ操りの糸を断ち切るときだ。
「だから、その、私も。フェリスのことが好き。フェリスと、ずっと友達で居たい」
目を見つめて、キッパリ言い切る。
フェリスがそうしてくれたように。
「……え、えへへ。ほら、紅茶が冷めちゃうよ?」
照れ隠しのように、フェリスがアルマのカップを指す。
紅茶は少し熱くて、ほんのりと甘かった。
一方、フェリス。
(い、言っちゃった___!)
『アルマが好き』。
自分で言っておいて何だが、後でとても恥ずかしくなる。
(変に思われなかったかな? まだ私達、会って数日だし? でも、アルマは大事だと思ってるし、友達でいたいし、うーんどうしたら……)
頭の中で、思考がグルグルと回る。尤も、アルマ相手ならそんな心配はいらないのだが……
「……ありがと、フェリス。」
そんな沈黙を、アルマが破る。
「私、これまで友達なんてほとんど居なかったから。フェリスと同じで。だから、その、フェリスからそう言ってくれて、嬉しくて……」
フェリスの目を見据えながら、アルマが言う。
「だから、その、私も。フェリスのことが好き。フェリスとずっと友達で居たい。」
その言葉。
『フェリスとずっと友達で居たい』。
それを聞いて、フェリスは少しだけ俯く。
嬉しかった。
また涙が出そうになった。
フェリスもこれまで、こんなこと言える相手が居なかった。これまで、こんなこと言わなかった。
これまで、友達なんて居なかったかもしれない。
これから、言えるのかもしれない。
『好きだよ』って言えるのかもしれない。『一緒にいよう』って言えるのかもしれない。
友達が、アルマがいたら言えるのかもしれない。
「……えへへ。ほら、紅茶が冷めちゃうよ?」
顔を上げて、アルマのカップを指差す。
泣き顔を見られるのは、もう恥ずかしくなかった。
アルマに続いて、自分もカップに口をつける。
紅茶は少ししょっぱくて、だがほんのり甘い。
楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。
木の実を取るときも、読書するときも、こんな早いことはなかった。改めてアルマは驚く。
「フェリス、時間は大丈夫なの? もうすぐ日が沈むよ?」
「えっ、嘘!?」
フェリスは慌てて、家の外へ出る。
既に空は夕日で真っ赤に染まり、夜の訪れを迎えようとしていた。
「うわっ、太陽が真っ赤!!」
「街の近くまで送ってこうか?」
アルマが心配するが、フェリスは首を振る。
「ううん、大丈夫! 私もう行くね!」
そう言って、フェリスは駆け出してしまう。
それから、彼女は振り返ることが無かった。
フェリスの背中を見送ってからアルマは家に入る。
「あ……紅茶、忘れてる」
机の上には、先程まで飲んでいた紅茶が置いたままだった。
それは、先程までフェリスがいた証明であり。フェリスが、既にここに居ない証明でもあり__
「……また来てくれるよね?」
その光景を見て、アルマは少しだけ寂しくなる。心にしんみりくる寂しさは、昔にも何回か経験したことがあったが……
しかし今のアルマには、昔の何倍も寂しく思えた。
その時。
『ガタン』
「わっ!?」
近くの棚から音がして、短い悲鳴を上げる。
「……い、今。動いた?」
忍び足で、棚へ近づいていく。
震える手で、そっと扉を開けると……
中にいたのは、二人の女の子だった。
「「あ…………」」
「……誰?」
フェリスより小さいくらいの少女が、二人。
棚の中に、怯えた様子で入っていた。
既に暗くなってしまった山の中。
アルマが独りぼっちになるのは、もう少し先の話だった。