閑話:白き贈り物の日とつがいの竜
「今年はなんだろうな」
ワクワクしながら毎年恒例のあのパティスリーの前で、ウルスはじっと待っていた。行列待ちの密やかな集団に紛れて、時鐘をひたすら待っていた。
数年前の角解禁のおかげで角は出したままだ。今、尻尾も出していたら、きっとぶんぶん振り回してそこら中を叩きまくっていただろう。
人型の良くないところは、この楽しい気持ちを表したいときにいまひとつ物足りないことだ。いつになったら尻尾や竜も解禁されるのだろうか。
「今年も来てます」
外を伺った店員の報告に、店内がざわっと騒めいた。
数年前の金竜と黒蝶の飴細工以来、黄金の竜が毎年このパティスリーへ“白き贈り物の日”の限定菓子を買いに来るようになっていた。
人型になって、律儀にルールも守って、ひとびとの行列に混じって細工菓子を購入すると、喜び勇んで店を飛び出していく。
時には、興奮のあまりか店のすぐ外で竜に変わって飛んで行ってしまうのだが、もう何年も毎年の恒例となっているため、皆の反応も慣れたものだ。
今では、店を出る速さと竜に変わるまでの時間から、今年の限定菓子のできを測るものまでいる始末だった。
さらに言えば、この竜の出没以来、少しずつこの日に店を訪れる客層も変化していた。
まず最初は、いかにも内勤という鍛えてなさそうな使用人が減り、代わりに屈強な男が増えていった。
何しろ、竜は本気の気迫を込めて並びに来るのだ。竜の気迫に怯え竦んでしまっては、目当ての菓子を買うことができない。
次に、魔法使いも増えた。
王都内での魔法はご法度だ。そのため、身分のない魔法使いがこの戦いを勝ち抜くことは難しかった。
店からの扱いは平等でも、客同士の意識は平等じゃない。貴族は平然と使用人を使い、店に近い場所に陣取って時を待つ。平民がそこに近づくことなど、絶対にできない。
だが、あらかじめ心を防御する魔法をかけておく分には全く問題ない。
心を魔法で鎧っておけば、竜の本気の気迫に竦むことなく行列目指して走ることができる。並んでしまえば、身分を傘に退かされることもないし、買ったものを取り上げられることもない。店、つまりオーナーである公爵家の不興を買い、さらには店から出禁を申し渡される危険を冒す貴族などいない。
つまり、「竜のおかげで勝率が上がった」という噂が、年々、魔法使いの間に浸透した結果、魔法使いの客も増えたのだ。
店と警備隊の双方も、この日ばかりは身分度外視で目を光らせている。竜の本気さえどうにかして並ぶことができれば、必ず買える。
あの黄金の竜がどこから来るのかは知らない。だが、魔法使いの間で「幸運の黄金の竜」と言えば、当然、年に一度姿を表すあの竜のこととなっていた。
“幸運の黄金の竜”の評判は、他にもあった。
この日、店を飛び出して竜型に戻り、まっしぐらに飛び去る彼を目にすることができれば恋が叶う……というものだ。
今、黄金の竜を紋章に頂く騎士となったある貴族の令息が、かの竜のおかげで意中の令嬢を射止めることができた、という話もある。
「あの商品を用意して。彼のお眼鏡に叶うようであれば、すぐに売り出せるように。担当になった方は必ず丁重に説明申し上げてください」
店内にはいつもと違う緊張があった。今日は毎年恒例の菓子の他に、もうひとつ、新製品を売り出そうとしていたのだ。
……菓子を求めた竜が、商品の出来栄に感動した時だけ見せるあの姿。雄大で美しい黄金の竜を象った細工菓子だ。
これが竜の感動を呼んだら、この店の定番商品として売るのだと決めていた。あなたの元にも幸運を……そんなキャッチフレーズを付けて。
何しろ幸運の黄金の竜なのだ。その竜自身が認めたとなれば、大ヒット間違いなしだろう。
カーン、という時を告げる鐘がなった。
今年は魔法使いの姿が多く見られるのは、貴族たちも魔法使いを雇うようになったからだろう。
しかし、竜の本気に対抗できるものは増えても、竜の行列を遮ろうとするものはいなかった。“幸運”の邪魔をするなんてとんでもない、というのが、この場に集う全員の共通認識となっていた。
そして、いつからか、幸運の黄金の竜のすぐ後に並べた者こそが、今年の幸運を戴ける……などとすら言われるようになった結果。
どちらかと言えば、黄金竜ウルスの後ろに並ぶことをこそ、皆が争うようになっていた。
当の本人はまったく気づいてなかったのだが。
今年も順調に行列に並び、そわそわしつつ順番を待ちながら、ウルスはご機嫌だった。ここのお菓子は細工も味も絶品で、毎年ソーニャが心待ちにするくらいなのだ。今年は、限定菓子以外にも、何か買って帰ろうか……などとも考えていた。
「今年は何だろうね。楽しみだね」
「は、はい! 楽しみです!」
ウルスは屈託なく笑いながら前後に並ぶ者に話しかけ、時折首を伸ばして店の中を覗き込んだ。話しかけられたものは、ガッツポーズを取って、「恋の幸運がやってきた!」と密かに喜んでいる。
とうとう開店の時間を迎え、列が動き出した。ウルスは今年も目をキラキラと輝かせながら自分の番を待つ。
「お、お待たせいたしました」
ウルスの担当となったのは、まだ歳若い店員だった。さっそく限定菓子の箱を取り、中の確認を促す。
「今年の限定菓子は、木の実を引いて粉にしたものとクリームを混ぜたもので整形したウサギに、飴の若木です。春の訪れを表したものとなっております」
「うわあ、かわいい! 今年もいいね!」
ウルスは箱を覗き込んで、にこにこと頷いた。
「それでですね。お客様に、少々ご相談があるのですが、お時間をいただけないでしょうか?」
「相談? そんなに時間がかからないならいいよ」
おそるおそる話を切り出した店員は、ほっとしたような笑顔になる。
「では、お手数ですがこちらへお願いします」
ウルスは店の片隅にある仕切られた席へと案内され、椅子を勧められた。
「実は、ご相談というのは……こちらをご覧いただけますか?」
若い店員に呼ばれて少し年嵩の身なりの良い者がやってくると、この店の責任者であると挨拶をした。
小さな皿を差し出され、覆いを外したそこにあったのは……。
「わあ、黄金の竜だ」
ウルスが初めてこの店で買った限定菓子より、幾分か小さくデフォルメされた竜の飴細工がそこにあった。
「当店の新商品として、こちらの黄金の竜の飴細工を定番として販売したいと考えております。お客様さえよろしければ、お客様……幸運の黄金の竜のお墨付きであるとの文言も付けたいのです」
「幸運って僕のことで、これは僕を模して作ったってことでいいのかな」
「はい、そのとおりでございます」
ウルスは皿の上に並んだ小さな飴の竜を見つめ、首を傾げる。
「ふうん。ええと、僕がモデルとかはぜんぜん構わないんだけど……これだけじゃちょっとやだな。うん、これじゃソーニャが足りないから、やだ」
「ソーニャ様ですか?」
「そう。だって、これだと、僕ひとりっきりでしょ? ソーニャと一緒じゃなきゃ、僕じゃないみたいだ」
むう、と眉を顰めてじっと飴細工を見つめて……ウルスは急に顔を上げた。
「そうだ、黒い竜とセットにしてよ。角が小ぶりでかわいい、黒くて赤い目の竜と一緒に。それならソーニャと一緒ってことになるから……うん、そうしてくれるならいいよ!」
「黒い竜ですか。角が小ぶりでかわいらしい……なるほど」
ふむふむと店の責任者は頷いた。
「確かに、一対の竜というのは、モチーフとしても安定しますし……わかりました。そのようにいたしましょう。
お手数なのですが……そうですね、5日ほど日をいただいて、またこちらへいらしていただくことは可能でしょうか。
一対になった竜をご確認いただきたいのです」
「──ほんと!? 僕とソーニャのお菓子にしてくれる!? 来るよ、もちろん。ソーニャも一緒でいいかな」
「もちろんでございます。ぜひご一緒にいらしてください」
ウルスは「やったあ!」と飛び上がる。「じゃ、5日後にソーニャと一緒に来るね!」と手を振ると、限定菓子を手に瞬く間に外へ出て飛び去ってしまった。
5日後、約束通りウルスがソーニャを連れて店に現れた。“幸運の黄金の竜”が、魔族の女を伴って現れたとあって、店内の客が一瞬騒然となった。
だが、ウルスのソーニャに対する、下にも置かないほどに丁重なエスコートぶりは感動を呼び、「さすが“幸運の黄金の竜”」「あそこまでやってこそ、黄金の竜の幸運にあやかれるのだ」と言われるほどだったという。
店が用意していた黄金と黒の番竜の飴細工は美しくて可愛らしくて、ふたりともひと目見ていたく気に入ったらしい。
進呈された最初のひとつを「本当にいいんですか?」と何度も確認して、溢れんばかりの笑顔とともに大事に抱えて持ち帰ったのだという。
その後、仲睦まじい黄金と黒の竜の飴細工は、“幸福の番竜”として毎日数量を限定して販売されることが決まった。恋人とふたりで食べると末長い幸せが約束されると評判の菓子として、プロポーズにも使われるようになったという。
「ウルス、どうしましょうか。かわいくてもったいなくて、食べられません」
「ソーニャが黒くてキラキラのつやつやで、すごくかわいいよ。職人さんてすごいね。こんなにかわいい角の竜を作っちゃうんだから」
小さなお皿に乗せて、貰った番竜の飴細工をふたりでじっと眺める。
少し大きめの、立派な角の黄金の竜に、寄り添うように甘える小さな角の黒い竜。金粉を混ぜてきらきら輝く黄金の竜に、艶やかで透明感のある黒い竜。
もしソーニャが竜型になれたとしたら、きっとこういうかわいらしい竜に違いないと、ウルスはうっとりと眺める。
「ウルス、食べるのはしばらく後にして、このまま少し飾っておきませんか」
「いいね、そうしよう」
埃をかぶったりしないよう、透明な広口の瓶にいれて蓋をして、保存の魔法をかけていつでも眺められるようにちょうどいい高さの棚に置いて、「なんだかいい年になりそうだね」とウルスはソーニャにキスをした。
※ウルスの言う「角解禁」は、角が解禁になったわけではなく、「魔族が討伐対象でなくなり、通常の種族として扱われる」こととなった、魔族解放を指しています。





