■第33話 闇雲に踏み込むペダル
『逃げよう・・・
・・・ふたりで、遠くに逃げよう・・・。』
シオリの耳に響いたその一言は、本来なら一笑に付して終わりなはずだった。
こんな深夜に、しかも懸命に勉強中のシオリがくだらない冗談に付き合って
いる暇など無いのだ。
”なに言ってるの ”、と。
”冗談はやめてよ ”、と。
しかし、まるでその言葉を待っていたかのように、シオリはシャープペンシルを
机に投げ出し放ると、慌ててコートを着込んでケータイだけを引っ掴み自室の
ドアを飛び出した。
こんな時間に階段を乱暴に駆け下りる足音が壁に床に反響し、両親に聞こえて
しまうのも気に掛けず、無我夢中なシオリは玄関ドアの向こうに佇むショウタの
元へと一心不乱に駆ける。
厳重に鍵が掛かった重厚な玄関ドアを荒々しく開け飛び出すと、ぽつりライトを
灯し自転車のハンドルを掴んだままその横に佇むショウタの胸に飛び込み抱き付いた。
もの凄い勢いで飛び込んで来たシオリの体を強く抱き留め、ショウタが呟く。
『とにかく・・・ チャリ乗って。』
ショウタが慌てて自転車のサドルに跨ると、シオリも後ろの荷台に横座りして
ダウンジャケットの大きな背中に抱き付くように腕をまわし掴まった。
物音ひとつしない漆黒の住宅街に、自転車のサイクルライトと等間隔に並ぶ
街灯だけがぼんやり灯る。
どちらのそれも心許ない小さなあかりで、余計にふたりの不安を煽る。
しかし ”シオリ ”が原動力となる自転車は、ショウタの筋肉がつき引き締まった
脚に ”どこか ”を求めて闇雲にペダルを踏み込ませた。
ふたり分の重さをその脚に感じ、圧倒的な不安とわずかながらの希望の、
ちぐはぐな思いが胸に迫り上げる。
(ふたりなら・・・ ふたりでいられるなら・・・。)
タイヤは軋む音を立ててアスファルトの上を高速回転し、ふたりをどんどん
無情な ”現実 ”から遠ざけてくれているように思えていた。
このまま本当にふたりで、誰も知らない ”どこか ”へ行けるんじゃないかと。
その時のふたりはまるで夢物語のように、出来っこないそれを信じようと
必死だった。




