■第32話 深夜の電話
倒れた翌日、普段通りに学校に現れたショウタ。
病院での点滴とたっぷりとった睡眠のお陰か、その顔は本当に元気になって
いる様に見える。
シオリが朝登校すると、いつもと同じ萌葱色の青りんごが机に乗っているのが
目に入り、それを引っ掴むと慌ててショウタのクラスまで駆けて行く。
教室へと向かうせわしない生徒の波を廊下を逆行してかき分け進むと、2-A
教室の戸口に抱き付くようにして掴まり、爪先立ちをしてホームルームがはじ
まる前の騒々しい室内を見澄ます。
『ヤスムラ君!!』 しかめ面で口をぎゅっと結び教室戸口に佇み睨むシオリに
ショウタは振り返り脳天気にえへへと笑う。 しかしその笑顔はいつものそれ
よりどこか翳っているように見えた。
『ごめんごめん! 寝たら治ったから、マジでもうぜんっぜん平気っ!!』
そう悪びれもせず呑気に口許を緩めるショウタを、シオリはただまっすぐ
見つめた。 哀しそうな今にも泣き出しそうな顔をして、ただまっすぐ。
『なんて顔してんだよ~!』 ケラケラ笑うショウタは、バツが悪そうに
わずかに目線を逸らす。 本来なら1秒だってシオリから逸らしたくなど無い
その垂れ目はシオリのそんな顔を見ていられなくて、自分の不甲斐なさが情け
なくて、どうも思うように上手にその頬に笑みを作れない。
その瞬間教室に鳴り響いたホームルームが始まるチャイムに、ショウタは瞬時に
反応するとシオリの背中をやさしく押して、 『ほらっ! 戻って戻って!』
教室戸口まで付き添い進み、廊下へと促す。
廊下の真ん中でいまだ不安気に振り返り、ショウタをじっと見つめるシオリに、
大きな手を振り微笑んで見送った。
ショウタはさすがに焦り始めていた。
全く追い付く気配のない勉強。 今この高2の3学期で、中学勉強をしている
なんて普通のそこら辺の大学を受験するのですら難しい。
バイトならいくらでも出来る気がしていた。
体を動かして働くのなら、いくらでも。
しかし、今まで全くやってこなかった勉強の分野はぐうの音も出ない程に
ショウタを追い詰める。 焦る気持ちと裏腹に進まない勉強。 新聞配達を
しながら睡眠時間を削っての勉強は呆気なくショウタの体に支障をきたす。
自分の体がこんなにもヤワだった事にはじめて気付いた。 体力も気力も無限
だと信じて疑いもしなかったのに。
やってもやっても追い付かず、頭に入らない、覚えられない、時間なんか全然
足りない。
(どうしよう・・・
マズい、さすがにこのままじゃマズい・・・
俺が医者にならなきゃホヅミさんと一緒にいられないのに・・・
どうしよう・・・ どうしたらいい・・・。)
そして、とある夜。
勉強机に向かい、頭を抱え背中を丸めるショウタ。
焦る気持ちから、いつもの癖の貧乏揺すりもあまりにイライラしたそれ。
力が入り過ぎた強く握るシャープペンシルの芯がポキっと折れ、勢い余って
ノートにかなりの筆圧の黒点が付いたその瞬間、ショウタの中でなにかが
プツリと切れる音がした。
”ねぇ・・・
私と一緒に、逃げる気・・・ ある?”
いつかの夜に、シオリが呟いた言葉がショウタの脳裏に浮かんでいた。
深夜、いまだ勉強机に向かい参考書の問題を解いていたシオリ。
背筋を伸ばし美しい横顔で真剣にシャープペンシルを握っている。
すると、サイドボードの上の充電中のケータイが、突如けたたましく鳴った。
『ん?』 こんな時間に部屋中に響くそのメロディに、シオリは慌ててケータイ
を掴んで画面の表示を見ると、そこにはショウタからの電話着信の合図。
『もしもし・・・?』
この静まり返った深夜にメールではなく電話が来たことにどこか胸がざわつく。
シオリの呼びかけにもショウタは暫し無言で、ケータイを当てる耳には気持ち
悪い程に落ち着き払った静かな呼吸音のみが響いている。
『ヤスムラ君・・・? どうしたの?』 尚も呼び掛けると、ショウタはやっと
静かに口を開いた。
それは、いつものショウタの声色とは全く違う別人のようなそれで。
『逃げよう・・・
・・・ふたりで、遠くに逃げよう・・・。』




