■第26話 新たな杞憂
ショウタの ”思い込んだらまっしぐら ”な気質は、そう易々と変わりはしない。
それは例えシオリをどれだけ怒らせたとしても、同じだった。
ショウタの頭の中にはもう、医者になることしか無かった。
医大に入れさえすれば、シオリと一緒にいられる。
医者になれさえすれば、シオリと結婚できる。
あまりに短絡的なその思考回路は、ショウタを暴走させるには充分の威力を
備えていた。 他の案なんて見つかる気配はなかったし、なにをどう考えても
やはり ”完璧 ”なのだ。
『まずは、勉強だな・・・。』
午後の授業中、今まで殆どちゃんと読んだこともなかった教科書を開く。
今どこまで教科書が進んでいるのかも知らないショウタは、隣席の机に広がる
教科書を思い切り体を傾げて覗き込み、ページ数を読み取る。
そして、ペラペラとめくったそれに真剣に目を落としてみた。
(・・・・・・・・・・。)
これが日本語なのかどうかも怪しく思える程に、全く意味が分からないし理解
など出来ない。
『ダメだこりゃ・・・ 中学からはじめた方がいいな。』 ぽつりひとりごちる
とその授業にはアッサリ匙を投げ教科書をパタリ閉じると、次に考えなければ
ならない事項に思いを巡らす。
右手に握るシャープペンシルの頭で、固い髪の毛がツンツンと跳ねた己の頭を
ボリボリ掻いて、ショウタは小さくひとりごちる。
『次は・・・ 金の問題、か・・・。』
今までも散々見てきた、母親の電卓をたたいて溜息をつく疲れた背中。
祖父の代から営んでいる八百屋は、郊外に出来た大型スーパーの影響で増々
経営は厳しい状態だった。 家族4人、なんとかギリギリのところで生活
出来ているのだ。
医大に通うのにどれだけのお金が掛かるのかすら知らなかったが、今の状態では
無理だという事だけはお気楽なショウタにも分かっていた。
『バイトっきゃないな・・・。』 そう小さく呟くと、目の前に広げた板書を
書き写す事もしない真っ新なノートに ”バイト ”と汚い字で3文字書き、
丸で囲った。
ショウタは背中を丸めて覆いかぶさるようにノートに顔を近付けると、
そのページにタイムテーブルの升目を書き、学校にいる時間とシオリを送迎する
時間帯をシャープペンシルで雑に黒く塗りつぶす。
すると白く残った時間帯は、朝の8時以前と、シオリを塾に迎えに行くまでの
夕方の数時間。
そして、シオリを自宅まで送り届けた後の夜9時以降が浮かび上がる。
『早朝に新聞配達して、夜に勉強したら、イケんじゃね・・・??』
馬鹿が付くほど短絡的なその頭は睡眠時間のことなどスッカリ忘れそれが
どれだけ無謀な計画かも気付かずにひとり納得してニヤニヤと顔を綻ばせる。
今すぐにでも実行に移したいせっかちな脚が、狭い机の下のスペースでカタカタ
と貧乏揺すりを繰り返していた。
その頃シオリは2-Cの教室で、イライラする気持ちを抑え切れずに午後の
授業を受けていた。
全く集中など出来ないその授業。 黒板から目を逸らし机に片肘を付いて
落ち着きなくかぶりを振ったり、ぐったりうな垂れたりを繰り返し溜息ばかりが
零れる。
シオリもまたノートに板書を写す事もせず、シャープペンシルを握るイラつく
右手はコツコツと無数の黒点を白ページに付けていた。
ショウタの性格は、去年の春先の ”突拍子もない告白 ”で嫌というほど経験
済みなシオリ。 言い出したら絶対にやめない事は分かっていた。
誰になにを言われようが、自分が信じた道をただひたすらに突っ走る猪突猛進を
絵に描いたような人間だという事を。
ただただ、不安しかなかった。 怖くて仕方がなかった。
きっとショウタのことだから限界など全く考えず、遮二無二ばく進するはずだ。
それが誰でもないシオリが関わっているとなれば尚更、その熱意も使命感も
天井なしに急上昇してゆくのは目に見えている。
自分のせいでショウタに無理をさせてしまう。
ショウタの両親にまで負担をかけてしまう。
(どうしよう・・・。)
イライラが憂鬱に変わる頃、終業を報せるチャイムが鳴り響き、シオリの胸に
新たな杞憂がひとつ生まれ心をざわつかせていた。




