■第23話 心に灯った小さな火
ふたりの間に、少しずつ少しずつ、しかし確実にひずみが生じはじめていた。
3学期がはじまり、シオリは書道部を退部して日曜以外は塾に通う毎日を
スタートさせていた。 少しでも一緒にいられる時間をつくりたいショウタは
すがるようにシオリに言う。
『頼むから、毎日送らせて・・・
行きも、帰りも・・・ ちょっとの時間も惜しいよ・・・。』
塾の行き帰りの短い時間でさえもシオリといられるのなら、労力は惜しまない
気概のショウタ。 二の腕を掴まれ必死の形相でまっすぐ見つめられて、
シオリはそのがむしゃらな想いに頷くしかない。
シオリの口からほんの少し溜息が落ちていた事など、無我夢中のショウタに
気付けるはずもなかった。
夜8時。 塾が終わりシオリが建物から外へ出ると、ショウタが肩をすくめ
大切そうに片時も離さないマフラーで口許を覆いながら、足踏みするように
体を揺らして冬夜の寒さを凌いでいる。
次々と塾終わりの姿が出て来るのを目に、キョロキョロとシオリを探すその
大きな体。
そしてシオリをその目に捉えると、母親の帰りを待ちわびるこどものように
慌てて駆け寄り嬉しそうに頬を緩めて笑った。
『お疲れっ! ダイジョウブ? 疲れてない??』
毎夜、言われるその言葉。
シオリはその疲れが滲み出かかった頬に精一杯笑みを作り『ダイジョウブだよ』
と返す。
上手に笑顔を作れているのか不安になり、もう一度無理やり頬筋を上げた。
すると、ショウタが向ける朗らかなあたたかいそのまっすぐな眼差しに、
シオリはどこか居心地の悪さを感じ目を細め微笑むフリをしてそっと逸らした。
『ヤスムラ君は・・・?
ダイジョウブ? ちゃんとご飯食べて来たの?
寒かったでしょ? ダイジョウブ・・・?』
互い、口癖のように ”ダイジョウブ? ”と相手を気遣う言葉が出る。
その言葉が互いをツタのようにがんじがらめに縛ってゆく事にも気付かず、
ただまっすぐ相手を想う気持ちから毎夜毎夜、それを繰り返していた。
シオリはショウタに自転車で自宅まで送ってもらい、自室に戻ると疲れ果てた
ようにベッドにドサっと腰を下ろし脱力する。
ふと視界に入った枕元に大切に置いてあるくまのぬいぐるみを胸元にぎゅっと
抱えた。 大切な大切なそれを、強くつぶれるほど抱きしめる。
そしてくまのわきの下に手を入れ腕を伸ばすと、そっと目の高さに上げまっすぐ
正面から見つめてみた。
すると、その情けないやわらかい顔をしたくまは1点の曇りもない瞳でシオリを
見つめる。
それはショウタと同じ瞳だった。
ただひたすらにシオリの事だけを想ってくれる朗らかな笑顔にしか見えなくて、
思わずシオリは目を逸らしくまの顔を下向きにうつ伏せにしてベッドに置いた。
そのあたたかい視線が、やさしい視線が、その想いに思うように応えられない
シオリをまるで責めているかのように胸を射抜く。
『苦しいよ・・・。』
どうしようもない胸の内を表すかのように、ぽつりひとりごちたシオリの決して
ショウタに言えない想いは、壁掛け時計の秒針がカチカチと進む音と混ざり、
哀しげに一瞬だけ響いて消えた。
その頃、ショウタは自室でひとり、ぼんやりと窓辺のミムラスを見つめていた。
シオリにクリスマスに半分鉢分けしたその残りの橙色は、ショウタの過保護にも
思える溢れる程の愛情を受けて元気に咲き誇っている。
”あの花は、ミムラス。
ちなみに、花言葉は・・・ 笑顔を見せて ”
はじめてシオリに橙色の名前を告げた日のことを思い返していた。
そして全ての運命を変えたあのクリスマスに、シオリが目の高さにその小さな
鉢を掲げ溢れるほどに咲き誇る橙色の香りをかぎ、嬉しくてどうしようもないと
いった顔を向けた夜のことも。
『 ”笑顔を見せて ” ・・・。』 ぼんやりとなにか考えながら、ぽつり呟く。
シオリの笑顔がどんどん目減りしてゆく事への心配と不安が、常にショウタの
胸を締め付けていた。 シオリの笑顔を見たい、シオリを笑顔にしたい。
他の誰でもなく自分がシオリをいつもいつも笑わせて、そして一緒に笑いたいのだ。
『傍にいられなきゃ、見れないよな・・・。』
すると、ショウタの心にひとつ、小さな火が灯ったように光った。
それはどんどん勢いを増して眩しいくらいの炎になる。
ショウタは弾かれたように自室を飛び出し、1階の居間でこたつに入りながら
サスペンスドラマに見入っている両親の元まで駆けた。
『あのさ・・・ 俺・・・。』




