こじ開けられた蓋
年度が替わって、俺の自宅待機指示が解けた。
「飲み行きませんか? 行きますよね? グループ招待するんで承認してください」
もう誰か分かるよね。
若い癖して飲み会大好きな内藤先生である。
誘われた飲み会4と言う名前のグループのメンバーは内藤先生、加藤先生、佐藤先生、処辺先生、俺。
つまり若手会プラス俺。
これあれだな。処辺先生のためだな。
まだ諦めてないのかぁ……。意外と執念深い。
愛されてんなぁ、俺。有難いことだとは思うけど。
愛されてんのは処辺先生もか。
でもさ。
俺の惨状を知った時、君はいったいどんな顔をするのかな。
ちょっとニヒルな笑みを浮かべて俺はスマホを操作する。
「お久しぶりです」と打つと、すぐに返信が返ってきた。
「お久しぶりです」×四。その後にすぐ内藤先生がぶち込んでくる。
「次の土曜でいいですか? 場所はいつもの所で」
急だなぁ……。まぁ、別に文句はないけど。
みんなそれでいいらしい。文面からは分からないけど、多分一人とっても食い気味。
了承してスマホを閉じる。
「ユキ兄、なんかいいことあった?」
「ん? ああ、学校の先生に飲み会に誘われてね。ほら、もう自宅待機は明けたから」
「女?」
「まぁ、いるね。二人」
「あのおっぱい大きい先生?」
「いるね」
だって多分あの子のための飲み会だから。
「むー」
あ、朋絵ちゃんがお冠だ。
まぁ、納得はする。
香苗とは一種の協力関係みたいなものだから一緒に愛してねって感じだけど、彼女は明確に恋敵だからね。
俺の事好きっぽいって情報も入ってる訳だし。
「ホテルと家には行っちゃだめだからね。襲われちゃだめだからね」
襲っちゃダメじゃなくて襲われちゃだめってところが俺への解像度を理解できる。
「朋絵ちゃん最近生々しくない?」
「そう?」
「多分……」
「おっぱいに気をつけてね。あそこまでじゃないけどお姉ちゃんのおっぱいも十っ分に大きいから。足りなかったら私のもあるから。揉んだり吸ったり舐めたりしていいから。あでも挟むのはお姉ちゃんじゃないと無理……」
「小さいならそれはそれでやり方はいくらでもあるよ。セックスの歴史は長いから……じゃなくてやっぱり生々しいって」
そんな会話をしつつ迎えた飲み会当日。
俺がいつもの店、つまり居酒屋華吉に行くと、予定の時間よりは早いはずなのに既に四人とも揃って店の前で俺を待っていた。
「お久しぶりです」
俺が声をかけると、四人の顔がこちらを向く。
「お久しぶりっす」
「お久しぶりです」
「おひさしぶりでーす」
「お、久しぶり、で……っ」
処辺先生が耐えきれずに俺の前に出る。
一歩近づけば抱きつける距離。そんな距離で、彼女は右手を彷徨わせる。
俺はその手を両手で包み込んだ。
「っ⁉」
「お待たせしました」
「ぅぁー……」
あらら。泣いちゃった。
「処辺ぢゃんよがっだねぇ……」
「加藤さんちょっと年配の方っぽいですよ」
「時野さん。今なら抱き着いても怒られないっすよ」
知ってるよ。
でも内藤君。ちょっと甘い。
抱き着いても怒られないが、やるならやるで君たちのいないときにやるもんだ。
だから今は。
右手を握っていた両手のうち、片方を彼女の頬に触れるか触れないかくらいの所に。
「また、いつでも会えるから」
彼女が一歩近づき、その分頬に差し出していた手を滑らせて頭の方に。
「どぎの、ぜんぜぇ……」
肩に額がぶつかる。肩が涙で濡れる。
「とりあえず中に入りましょうか」
俺がそう言うと、これ連れて入るの? という視線が三つ。
大丈夫だよ。俺が面倒見るから。
というか見させる気満々だっただろうが。
予約してるかだけ確認して無視して中へ。予約はしてないそうなので、できるだけ落ち着ける席でと俺に抱き着いたまま肩を震わせている処辺先生を見せて通してもらう。
まぁ、この店だと五人以上で固まって座れる席は動かさない限りは少ないので席は決まっているようなものだ。
通されたのは以前にも座った奥の座敷席。今度は自分から処辺先生を奥に押し込み、隣に座る。
処辺先生はずーっと俺の肩に顔を埋めたまま。
んー。席に着いたし次の段階に入るかぁ。
遊ばせていた手を持ち上げ、処辺先生の後頭部に置く。
梳くように撫でた。
ゆっくり。ゆっくり。馴染ませるように。
「とりあえず俺たちの分も頼んどいてください。ちょっと集中するんで」
そう言って俺は視界を狭くする。処辺先生を、琴葉だけを見る。
「琴葉」
「……っ」
「ただいま」
彼女だけに聞こえるように、耳元で囁く。
まぁこれ、相手が俺の事好きだってわかってるから使える手みたいなもんだけどね。
とりあえずどうしようもないからたっぷり甘やかす。
ここにいるよと囁きながら、彼女のこめかみに頬をすり合わせる。
「時野先生」
「はい」
「本物、ですよね?」
「そうですよ」
「妄想じゃ、ないです、よね?」
「妄想に出るほど想ってくれたの?」
「はい……」
「どんな妄想?」
「えと、いろんなところに、触ってもらって……」
はーん。スケベなこと考えたんだな。俺で。
「叶えてあげようか?」
「ぇっ?」
俺は頭を撫でていた手を頬に滑らせる。
耳たぶを擦るようにさわさわと頬を撫で、その手をゆっくり首に。
琴葉が頤を反らして俺の手をもっとと受け入れる。
デコルテを最後にそっと撫でて、俺は手を離した。
「なんで、やめるの?」
「今は、ここまで。お店だし。みんな見てるしね」
そう言って俺は向かいの三人を指さす。
琴葉、処辺先生は恐る恐る振り返って、飛び上がったと思ったら体を離して俺の隣に正座した。
「あーびっくりした。ここで始めるのかと思った」
「参考に……いや、参考になるか……?」
「時野さんパネェ。マジパネェっす」
「君らねぇ、ちょっとは助けてよ」
「いや俺らが助ける余地なかったっすよ⁉」
「時野さん。処辺ちゃんと付き合ってますよね? 絶対付き合ってますよね?」
「付き合ってないですよ」と言いながら俺は随分濡れたビールジョッキを持ち上げた。
はぁ。やっと飲めるし食える。
とりあえずジョッキを半分喉に流し込んで、並んでいる肴からしらすとトマトのマリネを選んで口に運ぶ。
「はー。外で飲むのも久しぶりだ」
「あそっか。時野さん外で飲むの禁止だったのか」
「まぁね。家でも飲んでたけど、やっぱり店で飲むのは楽しいんですよ」
「退屈だったんっすね……」
退屈……だったか?
毎日朋絵ちゃんに迫られて、途中から香苗も混ざって。
クリスマス。正月。バレンタインデー。ホワイトデー。
楽しかった、な。
「あこれなんかあったな? 絶対なんかあった。オンナの勘が言ってる!」
「まあ二海がいるから退屈しないか……。どうなんすか、二海は。家で」
「超ブラコン義妹」
俺がそう言うと正面の三人は揃って「あ~」と納得したような声を上げた。
「キスとかしたんですか?」
「……」
「あこれしてる。絶対してる。オンナの勘にビンビン来た」
「唇は許してない!」
「じゃあどこ陥落したんすか?」
「首から上の唇と髪の生えてるとこ以外ほぼ全部」
「どんだけされてるんすか……」
「結局どうするんですか? 二海さんのこと」
「うーん……。どうしたもんかなぁ。というかどうしたらいいと思う?」
「振る……とマズいんでしたっけ」
「いや、多分もう大丈夫……だと思うけど……わからん。まだ病院は通ってるし」
「大丈夫になったら大人らしく振って終わりじゃないのん?」
「それができれば、苦労はしないんだよ」
「え、まさか時野さん……、受け入れ」
「ダメぇ!」
話を聞いていた処辺先生が俺の腕を抱いて会話を遮る。
「まだ受け入れてませんよ」
「まだ⁉」と声が四つ。
「ちょっといろいろあってねー。きっぱりと振ってしまうのが忍びないと言うかなんというか。理性はダメだって言ってるんだけどね……」
「陥落したんすか?」
「ああも素直に愛情を注がれるとね。正直跳ね除けられない。それに攻勢は倍加しちゃったし」
まあ、俺がその愛情を受け入れられないっていう特大の障害がある訳だけど。
「倍化って、誰か援護についたんです?」
「それならまだよかったよ。悩む必要も無いから。こないだみんなで来た時さ、丁度この席で。隣に座ってた女子大生のグループ、覚えてる?」
「あーあの派手目の」
「酔って俺に絡んでる子いたでしょ?」
「ああ、二海姉」
「あの子がねー」
「なんか問題あるの?」
「俺の事好きだってさ」
「は?」
「あー」
「一緒に住んでるんでしょ? 姉妹で修羅場じゃないっすか」
「修羅場ならまだよかった。二人で迫ってくるの。一緒に愛してって」
「まさかの姉妹丼っすか⁉ いや前に冗談で言ったけど! マジでぇ?」
「朋絵ちゃんの未来想像図聞く? 自分が正妻で香苗……お姉さんがお妾さんだって。しかも香苗も納得してるし」
不満をあらわに俺はジョッキを飲み干してもっと度数の高い酒を注文する。
「受け入れるんっすか? 二海の事 姉妹ともども」
「残念ながら」
俺は店員さんから米焼酎のロックを受け取りながら答える。
「そりゃそうっすよね」
「年齢と世間体しか拒む理由が見当たらなくてね」
沈黙が四つ。重なった。
「意外か? まぁ、普通に考えて懲戒免職ものだろうな」
「や、あの、えっと……」
「懲戒免職覚悟してるんですか……」
「聞いてもいいですか?」
すでに出来上がっているはずの加藤先生が真剣な面持ちで俺に問う。
「どうぞ」
「年齢は……少し気になるかもしれないけど、世間体を気にしない相手一人だけは選べないんですか?」
いい友人を持ったな。処辺先生。大事にしろよ?
「誰のことを言いたいかは聞かないでおきます。答えは、イエスでもありノーでもある。受け入れてもいいけど、二人は俺の義妹だよ? どんな関係になろうが必ずついてくる。まぁ、二人相手に戦って勝てたら、独り勝ちってことになるね。二人は手ごわいよ? それに」
「まだなんか障害があるんすか……?」
「一番大きな障害がね。俺自身に。流石にプライベートすぎる話だからちょっと言えないけど。最近分かったんだけどさ。それを解決しなきゃ、俺は誰とも幸せになれない」
「……どこか悪いんっすか?」
「体は健康そのものだよ。治さなきゃすぐ死ぬって話じゃあない。もうこの話は聞いてくれるな。ここまで言ったら全部言ったも同然だろ。君らは若いとはいえ、先生をやってるんだから」
さっきより重い沈黙が、俺たちの席を支配した。
時が止まったようなテーブルの上で、俺だけがマイペースに肴をつまむ。
「結局さ、俺も世間体だの年齢だのといろいろ理由をつけて線引きしてたつもりだったけどさ。最後はどんな人と一緒になりたいかだって思い知らされたよ」
「二海は、時野さんの一緒になりたい人の基準に乗っかったんっすか?」
「じゃあ逆に聞くけどさ、内藤君よ。朋絵ちゃん、あのまま成長したらどんな女が完成すると思う?」
「そりゃ、男がほっとかないいい女になりますね。絶対。既に片鱗あるし」
「でしょ? それが文字通り一生懸命に俺を見てんの。成人までに誰かが掻っ攫ってくれでもしない限り、もう俺はお手上げなんだよ。俺にはもったいない子たちだって思っちゃった」
そう言って俺は、焼酎の入ったグラスを呷っておかわりを頼む。
運ばれてきた酒に口をつけ、肴をつまむ。また飲む。それの繰り返し。
「でも、無理なんっすよね? 誰も」
「ああ。だからあの子たちは、必死で俺を治そうとしてる。そうしたら俺が自分たちを見てくれるって信じて。そしてそれは、多分当たってる」
「治りそう……なんっすか?」
「自己分析と偶然で光明は見えた。でもわからん。一生かかっても無理かもしれん」
「あの」
俺を解放してからほぼ沈黙していた処辺先生が俺の服の肘をつまんで引っ張る。
「なにか、お手伝い、できませんか?」
「処辺さんが助けてくれるの?」
こくんと、頷く。
その上目遣いに見てくる頭に、ぽんと手を乗っけた。
「君は君らしく行動してくれればいい。なんとなく、それが一番いい気がする」
思いつくことは朋絵ちゃんと香苗がやってくれるしね。
正月以降、実はいろいろ試した。
とりあえず裸を見られるのは何ともなかった。逆はまだ試していない。ただ、以前に朋絵ちゃんのベビードール姿を見て何も起きなかったことから何も起きないのではないかと推測される。
唇にキス。これはダメだった。何もなかったことにするという約束で朋絵ちゃんが試したが、俺が受け入れようと考えていても体が勝手に防いでしまった。
胸を揉む。香苗が協力してくれたが、これもダメ。だが、香苗から押し付ける分には問題ないと言うデータが取れた。なお、接触に成功した香苗を羨ましがった朋絵ちゃんとも同様の実験をした結果、香苗と同じ結果が得られた。ちなみに手のひらが当たった場合、俺は自分の意思で手を動かすことは叶わなかった。
一緒に寝て朝までベッドをともにする。可能。むしろ安眠効果が得られた。
露出した肌に触れる。二の腕、腿、腹と試したが、拒絶反応は見られず。
俺の性癖暴露。香苗に協力してもらい、俺のスマホに眠る秘蔵フォルダを開放。精神に多大なダメージを負ったが特筆すべき点は見られず。なお、情報は朋絵ちゃんに共有された模様。
これらの実験結果により、俺の中での兄妹でしていいことと恋人じゃないとしてはいけないことがラインであると言う結果が得られた。また、失敗した実験の共通項として俺が恐怖を感じていたことが挙げられる。
怖い。
恋人とするような行為をすることが、というより、その行為を受け入れることで恋人関係になってしまうことに恐怖していると推論している。
これは、クリスマスに起きた俺の精神異常の状態と一致する。
抱いたと思って、恐怖した。
あれは責任をとればいいという簡単な問題ではなかった。
やはり俺は、恋愛感情を以て愛されるのをなにかしらの行為で感じることに拒否反応を起こすようだ。それが受動的であれ、能動的であれ。
ただこの問題のミソは、親愛のしるしとして一般に理解される範疇であろう行為は除外されているということだ。
頬やおでこになら口づけていい。腕を組んで胸に腕が埋もれてもいい。一緒に寝てもいい。肌に触れてもいい。共通しているのは、俺の中では兄妹がしていても仲がいいんだなぁで済むということ。
一方で。
兄妹は唇を合わせない。兄は妹の胸を揉まない。
そういう考えが、俺の中にはある。
好きだと言ってくれるのは構わない。だが、それを受け入れようとすると、怖い。
得ることが怖い心理状態とはどういうものか。
端的に言えば、失うことを恐れているのである。
そして俺は、おそらく、自殺で身近な人物を二人亡くしている。
この推論と事実から至った答えは。
俺は好いていた、あるいは好かれていた人物と恋仲になるか、そうなることを感じている中でその人物を失っている。
この答えにたどり着いた時、俺はまた気を失っていた。
今は回想だから問題はないが、その時は俺の倒れる音を聞いて朋絵ちゃんと香苗と母さんの三人がすっ飛んできた。
心配された話は置いておくとして、その答えから察するに、俺は恋人を失うことを酷く恐れているのではないだろうか。それは、以前の俺が言っていた、相手は同年代に限るという意見。つまり、愛する人を失ってからの時間は短ければ短い方がいいという意見に行きつくのではないか。
そう、考察した次第である。
ただひとつ疑問なのは、この心理の行きつく先は俗にいう「あなたを殺して私も死ぬ」になってしまうのである。
そんな極端なことは無いとは思うが、少なくとも同年代ならば受け入れられるのでは? という考えがついて回る。
だが、それは違うとはっきりわかる。
だって俺は、朋絵ちゃんと香苗がもう好きだから。特別だから。
こんなに愛していると自分でも分かるのに、たかだか年齢で拒むのは少し無理がある。
だから、俺は自分の出した答えに疑問を持ち続けていた。
何か決定的に、思い違いをしている気がしてならないと。
まあそれよりなによりやった実験の数々は委員会にバレるとマズいのだけれども。
一発アウトですよ? ええ。普通に。クビですよクビ。懲戒免職待ったなし。
まぁもっと正直に言うなら本来朋絵ちゃんに“触れる”時点でアウトなのだが。
でも、もしかしたら。俺は思った以上に追い詰められているのかもしれない。
焦ってるのかもな。年甲斐もなく。
隣の処辺先生を見る。
俺の手のひらの下で、まだ俺を見上げている。
処辺先生。君まで抱え込ませないでくれ。
確かに君は魅力的な女性だ。
でもさ。
もう既に二人に迫られてるんだぜ?
それも、内心想いが隠しきれない相手だ。
あの二人に勝てるかい?
戦って勝って、あの二人を諦めさせることが出来るなら考えるけどさ。
「じゃあ、私らしく、がんばっていいですか?」
似たような言葉を前にも聞いたな。
あれは、そう。ジャズバーに飲みに行った日だ。
あの時は君の想いを知らなかったから、単に仕事を頑張ると言う意味でとったけど。
まぁ、いまさら間違えやしないさ。
「期待はしないでね」
もし真っ当に戻してくれるって言うんなら。
少しは期待してみようじゃないか。
飲み会を終えて、全体的には暗い感じで解散する。
家に帰って朋絵ちゃんと香苗のおかえりのキスと大好きを受けてから部屋に戻って風呂に入るかどうか悩んでゴロゴロしていると、スマホにメッセージが届いた。
「通話してもいいですか?」
早速来たか。処辺先生。
多分、内容的に朋絵ちゃんが乱入して来たら良くない。
まぁ、最近は部屋には入って来ず節度よく……。
おかえりのキスしてる時点で節度は良くないな。うん。対外的にはやっぱりアウト。
まぁ究極バレなきゃいいんだけど、そういうのはだいたいバレるし。
「メッセージじゃダメですか?」
「できれば言いたいです。本当は顔を合わせて言いたいけど、勇気が出なかったので」
ああ。やっぱり聞かれるとマズい方面だな。
俺はちょっと酔い覚ましに散歩してくると言って、玄関から出た。
春の陽気になってきたとはいえ夜はまだ冷え込む。そんな寒いと涼しいの中間の空気の中を、夜闇に紛れて移動する。
スマホを操作して処辺先生を友達登録。
「いつでもどうぞ」とだけメッセージを贈ったら、すぐに着信があった。
「もしもし?」
「も、もし、もし」
「何かありましたか?」
「あの、その……」
処辺先生の言葉をじっと待つ。
「や、くそく!」
「約束?」
「デート、です! 指切り!」
……。ああ。
そうだった。そんな約束してたっけ。昔のノリで。
まあ、指切りまでした手前守らんといかんか……。
「何か、決めましたか?」
「いつ、お暇、ですか?」
「こっちは普通の学生と変わらないので土日のほうがまだ動けます。夜に飲むなら金曜か土曜が有難いですね」
俺の研究テーマは張り付かなきゃいけない実験が必要なわけじゃないからね。
外部に協力を頼まなければならないが、それはもっと後の話だ。
処辺先生は、来週の土曜日を指定してきた。
予定を確認して、当日翌日ともに空いていることを確認する。
だいたいいろんな店が開き始める時間に中心街の駅で待ち合わせをして、通話を切る。
春の夜風が服の隙間に刺さって冷たかった。
処辺先生とのデート当日。
電車の都合もあり、俺は二十分前に待ち合わせ場所についていた。
今日のコーデは灰色の綿パンに白のシャツ、その上に黒のジャケットを羽織っている。装飾品は普段つけない腕時計が一つだけ。若い子に人気の奴じゃなくて、おじさんがよくしている安い銀のやつ。
その特徴を、処辺先生にメッセージで伝えてある。
そんな情報は無くとも彼女は見つけてきそうであるが。
「時野、せんせ」
呼ばれて振り返る。そこには白いセーターにパステルグリーンのスカートを合わせた女子大生……もとい、処辺先生が立っていた。
「おはよう。春らしいコーデで今日はふんわり可愛い寄りにしたんだ。いいと思う」
とは言いつつ私服の第一印象はやっぱエロいになるんだよなぁ、この子。
艶っぽいとか色っぽいじゃないのがまた何とも……。
「ふ⁉」
「あれ、デートって言ってたから合わせたつもりなんですけど……だめでしたか?」
俺の確認の言葉に処辺先生は首を横にブンブン振る。
「じゃあ、このままのほうがいい?」
コクコクコク!
「了解。じゃあ、今日はどこに連れてってくれるの?」
「あ、どこというのは、ないです」
またノー……
「ノープランじゃ、なくて」
あ、目的がある目的地なしか。
「いっぱい、おはなしいたい、です。時野、せんせいの、趣味、とか」
「わかった。でもそのまえにひとつ直そっか」
「?」
「名前の呼び方。先生呼びだと、職業もろバレだから」
「あ」
「だから俺、飲み会の時はさんとか君呼びでしょ?」
「なるほ、ど。え、じゃあ、なんて呼んだら?」
「好きにしていいよ。今日は君の願いを叶えるデートだ」
「じゃ、あ、のりゆきさん、で」
お、段階すっ飛ばす? いいね。
「じゃあ俺も、苗字じゃなくて名前の方がいいね」
「ふぇっ⁉」
「琴葉か、琴葉ちゃんか、琴葉さん。どれがいい?」
「あ、う、えと、よ、びすてが、いい、です」
「わかった。琴葉」
「紀行、さん」
幸せそうな顔してまぁ。
学生時代によく見た表情ではあるけど。
「じゃあ、歩こうか」
俺は琴葉を連れて、記憶の中のいつものペースから話していても息が上がらないペースを作って歩き出す。琴葉の様子を感じて、適宜調整を入れながら。
片方の手はポケットに。琴葉の側の手は、出したまま。
さて、どうする?
話をしながら歩く。
話と言うより、琴葉の質問に俺が答えていく感じだ。
話の内容は、当たり前だが俺の事。正確には、俺の女の趣味。
「まぁ、こういっちゃなんだけど、琴葉の趣味からは外してるね」
ガーンという効果音が聞こえてきそうな琴葉に苦笑しつつ「素質はあると思うんだけどなぁ」とぼやく。
あの筋肉は出した方が絶対にいい。かっこいいから!
ちょうどそういう系のお店があったので誘ってみる。
「一回俺好みに染まってみる?」
手を差し出してみると、琴葉は躊躇しながらその手を取った。
適当に物色して、多分肩も出すとブラ紐が見えちゃうだろうから琴葉の美しい腹筋を見せつけるようなベリーショート丈Tシャツに黒のロングキュロット、ちょっと小さめの革ジャンをチョイス。
それを押しつけて試着室へ放り込む。
「あの、紀行さん」
「着替えたー?」
「これ、結構恥ずかし、いん、ですけど⁉」
「お腹見えてるからでしょ? 胸張ってみ? 多分めっちゃかっこいいから」
「で、でも!」
「こっから調整してくから見してみー。俺の好み知りたいんでしょー?」
俺がそう言うと、おずおずとカーテンが開かれた。
中には、縮こまった琴葉の姿。
「背伸ばして腰に手ぇ当てて」
一応、自信は無さそうだけど言われた通りにしてくれる琴葉。
あ、直す必要ないわ。やっぱこの子、腹筋出した方がスポーティでかっけぇ。
「何か言ってぇ~……」
「あ、ごめん。見惚れてた」
事実だ。そしてこのセリフは、過去何度も本気で言ったことがある。
そのたびに笑って冗談と捉えられていた。それを言った子はみんな当時の本命だったから。
琴葉のタイプで、腹が美しい子はいなかったから。
大抵パンツに肉が乗っていたか、病的に痩せていたから。
そういう子にはそういう子に合うコーデがある。
ぽっちゃり気味の子には肩回りが大きめでお腹周りを引き締めるようなコーデ。やせている子は、病み系やV系。人にもよるが、だいたいこの系統が合うと思っている。
肌が荒れてる子も多かったから、どちらも露出は少ない方が良かった。
でも琴葉は違う。
玉のようにきれいな肌。それを強調し、相互に高め合う鍛え抜かれた体。そのカッコよさをマイルドに包み込むような女性らしさを感じるバスト。
筋肉の付き方も、腕や腿は若干筋肉質な女の子というシルエットなのに腹筋を含むインナーマッスルは異様に発達しているという個人的にものすごく癖なつき方をしている。
体幹がいいから、本来姿勢もいいのだ。巨乳の子特有の歪みはあるが。
それをちゃんと伝える。
赤くなるな赤くなるな。琴葉が求めたんでしょうが。
残念ながら買ってあげようかとは言えない。言いたいけど、言えない。
今までこうやって接してきた子たちと差が出来るから。
それは、昔の俺が許してくれない。
「どうする? それ買う? 自分のルールで今日みたいな場合は買ってあげるって言えないから無理強いは出来ないけど」
「紀行さん、は、この格好、好き?」
「好きだからさせたんだよ」
「買う」
「多分結構高いよ?」
服のタグを見て、合計の値段を伝える。
「……買う」
意志は固そうだ。
靴は白のスニーカーだから十分着ていける。
「そのままタグ切ってもらって着てく?」
「これでおそとでるの……?」
あ、青くなってプルプルし始めた。
「琴葉、さっきも来るまでちらちら見られてたよね?」
「……はい」
「その服も見られると思うけど、多分いやらしくは見られないと思う」
「ほんと……?」
「幸いここなら家まですぐ帰れるでしょ? 物は試しに、どう?」
こうやって背中を押してやるのもこういう時の仕事だった。
まぁ、今回はふんだんに私欲が入っているけど。
俺を信じてくれた琴葉が店員さんに着て帰りたいことを伝え、タグを切ってもらいレジでお金を払って着ていた服を袋に入れてもらって返してもらう。
その袋は、俺が奪った。
空いている手を差し出して、琴葉が腕を絡める。
「琴葉」
「はひ」
「怖いかもしれないけど、授業するみたいに背筋をのばしてみな」
「こう?」
「視線は前に」
「はい」
「自身は持てないかもしれないけど、俺を信じて」
「……うん」
「失敗したら後で俺を引っ叩けばいいから」
「ぷっ。なにそれ」
琴葉が笑う。もう大丈夫かな?
店を出る。人通りが多くなってきた街を、二人で並んで歩く。
琴葉の背が丸まろうとしたら、すぐに言って直させる。
しばらく歩いて。
「どう? いやらしい目で見られた?」
「……あれ? そういえば……あまり?」
「マシになったでしょ?」
「なんで……?」
「まぁ、その辺はお茶でもしながら話そうか。珈琲飲める?」
「あま……ければ?」
「じゃあブラックはダメか」
エスポワールは無しだな。
仕方なく、お安い値段でメニューが豊富なチェーン店に入る。
まーたぷるぷるしてるよこの子。
「この店初めて?」
「あ、はい」
「まあ俺も呪文を知ってる訳じゃないけどさ」
「こわい」
やっぱ陰キャかこの子? いや、今日日陰キャでも珈琲ショップくらい来るか。
「こーら。背中を丸めない。不安なら、任せてもらっていい?」
「はい」
列の順番が来る。
「キャラメルマキアートをふたつ。トールで。片方、とびきり甘くトッピングしてもらえますか? もう片方はそのままで」
料金を払い、商品が出来るのを待つ。
まだ空いているが、話をしやすそうな席をピックアップ。
商品を受け取り、席へ。
奥の二人席。小さなテーブルに対面している席だ。
「はい。甘いやつ」
「あ、お金」
「いいよ。残らないのは奢っていいから」
「ありがとう、ございます」
二人でキャラメルマキアートに口をつける。
琴葉はふにゃっと表情を崩した。
そんないかちぃ腹しといてその顔は反則でないの?
「じゃあなんでいやらしく見られなかったか解説していこうか」
「はい」
単純な話だ。
無理に胸を隠そうとしてゆったりな服を選んだせいでそのふくらみが胸の大きさを強調してしまったという話である。それに加えて琴葉のおどおどした感じが男の嗜虐心をそそり、総合的な雰囲気で“エロい”という結論に至らせるのである。
「後琴葉は人に見せられる綺麗な腹筋してるから、露出してるとそっちに目が行くからね。……まぁ、服は完全に俺の趣味だけど」
「これ着てれば見られない?」
「うーん。どうだろう。服はオマケみたいなもんで、どちかっていうと堂々としてろって話だと思うよ」
「むずかしい……」
「生徒も授業中こそこそしてる子は目立つでしょ?」
「あー」
しばらく話して店を出る。
お昼時だ。さっきの店でとっても良かったが、琴葉が行きたい店があると言う。
連れていかれたのは、チェーン店ではあるが、お洒落なパスタ専門店。
「前に俺がパスタ好きだって言ったから?」
「はい」
「覚えててくれたんだ。ありがとう」
また談笑しながらパスタを食べる。ちょくちょく視線の事を聞いてみるが、やはり気にならなくなりつつあるらしい。
まぁ、影でこそこそ見るタイプの奴らが思わず目を合わせちゃいけないと思う系のファッションだからな。そういうやつは観察対象からの視線に敏感だから、見られていたとしても琴葉が気づく前に自分で視線を外す。
あとはメイクとアクセサリーだな。メイクは学校でしてる系統に変えればちょっとキツくなるからいいのだが。アクセサリーや小物はテイストの調整につかう。ゴテゴテにすればそれだけいかつくなるし、たとえばシルバーの細いネックレスだけ合わせるとより引き締まってカッコよさが増す。
あとサングラス。目線が気になるときは意外とおススメ。前方不注意に陥りやすいけど。
ファッションセンスと言動でヒエラルキーがどの辺の子かがおおよそ見当がついているので、琴葉が食べている姿を撮って見せてやり、先ほど言ったようなトッピングをした今の自分を凝視できるか聞いてみたら無理だと即答した。
そりゃそうだよね。
だって今の格好、俺の好みになっているから上の方に居る子の雰囲気だもん。
ただこの子、食べ方とか、料理がダメな所とか、なんとなーく箱入りのお嬢様感がある。金銭感覚は普通か、下手したら貧乏寄りだけど。なんかこう、変に品がある。
一般家庭の子に上流階級の所作だけ叩き込んだような、そんな違和感。
その割には失礼なこと言ってくることがあったけど。
多分気のせいだな。うん。
食事を終えて、また話をしながらぶらぶらと街を散策する。
話題は、やはり俺の好きな女性像の話。
何から何まで聞きだすつもりらしい。
「琴葉」
「……はい?」
「服とか、普段の仕草とかは、胸のことで困ってたからアドバイスしたけどさ」
「はい」
「俺の理想とする女性に、完璧になるつもり?」
「出来るだけ、寄せます」
ああ。やっぱりか。
「琴葉」
「はい」
「君が完璧に俺の理想の女性になったら、多分俺は君を見向きもしなくなる」
「え……?」
うん。何を言われたかわからないよね。
理想になったのに、見てもらえないなんて。
「もう一年先生をやったから少しは理解できると思うけど、クラス全員をいい子にするのはいいこと?」
「いい子になるのは、いいことなんじゃ?」
「俺はそうは考えない。個性ってのがあるから。悪い子であることが個性の子は、悪い子のままいい子と仲良くなって成長していくべきだと思う。日本じゃ難しいけど、その悪さが社会の何かに役立つと信じさせて、良くない方向に向かわず、自分の居場所を見つけられるようにするのが俺たち大人の仕事だ」
「……」
「琴葉が俺の理想になったら、俺は琴葉の個性を潰したことになる」
「じゃ、じゃあ、紀行さん、は、どんな、わ、わ……たしが、好きですか?」
「うん。俺にはその聞き方が正しい。そして、実はほぼ完成してる」
「ふぇ?」
「人の内面なんてね、人が無理矢理変えちゃいけないんだよ。だから、琴葉はいつも通りおどおどしてていい。それじゃ自分が困るだろうからさっきは注文つけたけどね。だから外見だけは思いっきり変えたろ? そんな恰好で、胸の前で指をつんつんしてるくらいが丁度いいと思うよ。でも、自分で決めた変化なら歓迎する。知ってた? 俺、何も言ってないけど今背筋伸びてるでしょ?」
「ぁ……」
「俺に言われて、琴葉が試してみて、そっちの方がいいかなって判断して、自分で変えたんだよ? 状況が何もかわらなかったら、まだ背中が丸まってたんじゃないかな?」
「ぁりがとう、紀行さん」
二人で並んで街を歩く。
買いはしないけど、いろんな店を冷やかす。
琴葉は、もう俺の理想の女を聞いては来なかった。
どんなのが私に似合うと思う?
どんな小物が好き?
私はこれがいい。
紀行さんはどれ?
そんな話題で、会話が埋まる。
夜になって琴葉が食べたいと言ってファストフードのバーガーで済ませて、俺たちは琴葉の従兄が経営するジャズバーに足を向けた。
琴葉の従兄、刑部さんは最初琴葉に気づかなかった。
「化けるもんだ。びっくりした」
比較的早い時間で、他に客がいないから普通に話す俺たち。
酒が入って、しっとりとした時間が流れる。
「あ、そう言えば」
「はい?」
「朋絵ちゃんの担任になったそうで」
そうなのである。現三年の理科担当は琴葉なのだ。それも朋絵ちゃんの担任。
二年目の子にいきなりの学年の三年をまかせるのかと呆れたが、副担に確か来年定年の進路指導の先生がついており、学年の布陣を見る限りサポート体制が万全なのでややこしい進路の先生が変わる前に経験させておこうと言う魂胆が見えた。
あと、単純に俺の抜けた穴埋めという点もある。本当にスマン。
「クラス担任。がんばります」
「応援してます」
また沈黙。
だが、嫌な感じではなく心地いい沈黙だ。
俺たちは、それを楽しんでいるのだから。
「紀行さん」
「ん?」
「私、変わらなくていいんですか?」
「何を指して言ってるかにもよるけど、朝からの流れを汲んで言ってるなら答えはイエスかな」
「もしかして、本当は服も換えなくていいと思ってたり、とか?」
「服が変えてくれるのは外見だけだからね。それじゃ、琴葉の魅力は変わらない」
俺は特に君のお腹に魅力を見出しているから。
「紀行さん……」
そろそろ頃合いかもしれないな。
「処辺さん」
俺が呼び方を変えたことで、処辺先生も今日の終わりを悟ったようだ。
でも、彼女らしくなく、いや、最も彼女らしく食い下がる。
「言わせてくれないんですか? 私は、こんなにも!」
「先週の飲み会の話、覚えてる?」
「……」
「俺は今、問題を抱えている」
だから、君が想いを伝えるのは無意味だ。
そうだよ。白状しよう。君もだ。
君はもう、俺のただの知り合いの枠の中に居ない。
想いを知って、世話を焼いて。
少し離れたけど、追いかけてきてくれて。
今想いを伝えようとしてくれて。
でも俺は、君の想いに応えてあげられないんだ。
受け入れられないけど。
手を振りほどくのは躊躇するくらいには君はもう俺の中にいる。
ああ。今日が致命的だったよ。
俺の好きな見た目で、自分らしさを取り戻した君はとても輝いていた。
なんで俺なんか、っていうのは前に聞いたな。
そういう目で見なかったから。
正確には、見れなかっただけだ。
俺の問題は多分根が深い。
俺に時間を割いてたら、きっと君のために差し出された手を見逃して見失う。
だから俺のことは忘れてくれ。
こんなに想わせておいて酷いとは思うけど。
自分で俺から離れてくれ。
どうしようもない壊れたおっさんの願いだ。
俺は、新しく貰ったブランデーを飲み干す。
処辺先生は俺の話を黙って聞いて、俺の手から自分の服が入った紙袋をもぎ取った。
席を立ち、五歩進む。
俺と背中合わせに話しかける。
「私は、私らしくする。私の好きなようにする」
「……」
じっと、裁きを待った。
「私は紀行さんが好き。これからもずっと好きでい続ける。今日はごめんなさい。さよなら」
真剣な告白に、いつもの砂嵐は聞こえなかった。
無音。何も聞こえない。
ただバクバクと、鼓動が早まるのだけを感じる。
息が、できない。
「私も好き。ずっと好き。……ばいばい」
「あなたが好き。死ぬまで好きでい続ける。いままでありがとう。さよなら」
ふいに聞こえた二つの声。
女性の声。聞き覚えのある、否、俺が忘れることを許されない声。
あれは、彼女たちの、最後の。
俺は、意識を失った。




