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第3話 没落エルフとの出会い

 スラム街のひどい悪臭の中に、わずかに清涼な香りが混じっていた。


 振り返った先に立っていたのは、長く尖った耳を持つ少女だった。


 色素の薄い白銀の髪。擦り切れた神官服のようなローブを羽織っているが、その立ち姿には隠しきれない気品がある。


 エルフ。ファンタジーRPGに登場する、あのエルフだ。


「……信じられない。あなた、本当に治してしまったの?」


 少女は信じられないものを見る目で、泥の上に眠る少年と、俺を交互に見比べた。


「あの『腹底の腐敗病ふってい・ふはいびょう』を。ナイフで人体を傷つけるなんて、神殿が最も重罪とする禁忌の術理だわ。悪魔の所業としか思えない……でも」


 彼女は一歩踏み出し、少年の額にそっと触れた。


 微かな淡い光が、彼女の手のひらから漏れ出す。おそらく、あれが治癒魔法というやつなのだろう。


「熱が……引いている。脈も落ち着いている。切開したはずの傷口まで、完全に塞がっているなんて。あなたは一体、どんな特別な魔法を使ったの?」


「いや、俺はただの医大生だ。大した魔法なんて使ってない」


 俺は手にこびりついた血と泥を布切れで拭いながら、ゆっくりと立ち上がった。


 魔法手術具によって縫合用の糸を使わずに傷が塞がったのは、俺自身が一番驚いている部分だ。あのメスや糸には、治癒を促進させる特殊な魔力が組み込まれていたのかもしれない。


「医大生……? そんな職業、聞いたことがないわ」


「病気や怪我を治す人間だよ。そっちの言葉で言えば、治癒術師や神官みたいなものだ」


 少女はハッと息を呑み、警戒するように一歩後ずさった。


「嘘よ。治癒魔法は、神から与えられた聖なる光。身体の表面の傷を塞いだり、体力を回復させたりすることはできる。でも、あそこまで進行した体の内側の腐敗は、高位の神官でも絶対に治せない。だから『神の罰』と呼ばれているのよ」


「単なる急性化膿性虫垂炎だ。内臓の一部が炎症を起こし、腐って破裂寸前だっただけだ。だからその腐った部分を取り除いただけの話だ」


 淡々と告げると、少女は目を見開いた。


「悪い部分を取り除く……? そんな理屈、聞いたことがないわ。病とは、目に見えない瘴気や穢れが体に溜まって起きるもののはず。そもそも、人の体の中を覗くこと自体が……」


 治癒魔法の世界における病理観。


 どうやら彼女たちの世界には、細菌やウイルスの概念、さらには解剖学的な臓器の構造といった知識が全く欠如しているらしかった。


 怪我をすれば魔力で治す。


 だからこそ、体の内側で起きている物理的な疾患(腫瘍や炎症、臓器破裂など)に対しては、全く無力なのだ。外科的アプローチという発想そのものが存在しない魔法の世界。


「……君は、神官なのか?」


 俺が尋ねると、少女はうつむき、ローブの裾をきつく握りしめた。


「私はクロエ。……かつては神殿に仕えていたけれど、今は追放された身よ。没落した貴族の娘には、居場所なんてなかったの」


 自嘲気味に笑うクロエの横顔には、深い諦観と、それでも捨てきれない何かへの強い未練が滲んでいた。


「私は……無力だった。治癒魔法の手ほどきを受けても、本当に苦しんでいる人を、深い病に苦しむ人々を救うことはできなかった。スラムに降りても、ただ祈ることしかできなかったのに」


 クロエは顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。


 その瞳には、恐怖ではなく、狂おしいほどの知的好奇心と希望が微かに燃えていた。


「教えて。あなたのその『イガク』という術理は、神に選ばれていなくても、魔力が弱くても、人を救うことができるの?」


「医学は魔法じゃない。人間の体という機械の構造を正確に理解し、壊れたパーツを論理的に修理するだけの学問だ。知識と技術があれば、必ず救える命がある」


 俺の答えを聞いた瞬間、クロエの瞳からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


 彼女はもう、俺を悪魔だとは微塵も思っていなかった。


「どうか、私に教えてちょうだい。その構造の理屈を」


 それは、医療を知らない絶対魔法の世界に、初めて科学がメスを入れた瞬間だった。


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