第25話 夜の明かり
あれからもしばらく走って、景色は森へと移った。
インデアにいた場所は主にスラム街や鉄くず溜まりではあるが、あれが大国であるのは知っていた。むしろ道路がちゃんと敷いてある都市部が思ったよりも長く続いた印象だった。
ちなみに、都市部ではベランダにお邪魔したりして跳びながら走ってた。けっこうきつめのアクロバットだった。疲れとかを特に気にしてたのはそういうことだ。
そんなことを続けているのも頭がわるいので、山が見つかった瞬間に森に入った。
さて…このまま行けばもう少しでパクストとの国境らしい。イラナルじゃないのか…
地図くらい見ていけばよかったかな…。
ただ、現人神としての精神の安定とそれによる回復力の強化によって、身体強化で出せる速度がだいぶ上がっているのは救いだな。回復力について詳しく言うと、指が吹っ飛んでも3時間あれば元通り…腕が吹っ飛んでも、一日あれば元通り、といった具合だ。
なんで知ってるのかって言うと…接触事故を起こしてるからなのだが…
予想してたとおり疲れは溜まりにくいが、疲れが見えない、感じないだけだとすれば…眠気が来たときとか、気絶したときが怖いな…
第25話 夜の明かり
「…あれ、あなたもしかして、瑞樹?」
そう話しかけられたのは、小学校に上がってすぐ。当時から担任の、佐野明先生。その人からだった。
「ミズキ…?あの、僕は三月って名前です、ミズキじゃないです。」
「えぇ…?あれ、おかしいな、見間違いかな…」
その時、俺は確かに佐野先生に対して不信感を抱いていた。
「でも…あれだよね、孤児院の子だよね?」
「え、はい。」
「じゃあ、瑞樹って子がいたはずで…確か君みたいな外見だったと思うんだけど…」
当たり前だが、当時は佐野先生と話したことはおろか、会ったことすらなかった。そんな中で、いきなり知ってる顔扱いされても…と、そう思った。
「ミズキは、確かに昔の僕の名前です。でもなぜ、初対面のあなたが知ってるんです?」
俺がそう言うと、先生は一瞬だけ驚いた表情をした。
「…いや、そうだよね。私が見間違えるはずがない。」
「…?結局何なんです?」
「私、これでも結構前から教師してるから、あなたのところに家庭訪問行ったこともあるの。だから、その時に会ったことあると思ったのに、名前が違うから、驚いて…」
…?それなら、太陽だってそうじゃないか。なぜ、俺だけなんだろう?
俺が、そう思っている間に、すぐに授業は始まった。
思い出してみれば、あの授業は結構地獄だったな…進みがまあ早かった。魔法のためには重要だからって数学理科に関してはめちゃめちゃ早く進んでたし…
今となっては、その知識はだいぶ役に立っている。結界の原理とかもわかるしな…
ただ、魔力に関してはあまり学習が進まなかった。魔力暴走や魔法でできること、できないことなどの基本的なことはやったが、魔力の元は何なのか、とかの学習はやらなかった。今思えば、魂が根源なのだろうが。
こうして見てみると、大空市が持っている知識自体も、井の中の蛙と言えるだろうか…?
もしかしたら中等部での学習があった可能性や、そもそも使わない知識だったからってのはありそうだが、影についての話もされていなかったと思い返してみると、少し衝撃ではあった。
そうして、その日の授業が終わってから、佐野先生は孤児院によく遊びに来るようになった。佐野先生は子供好きだと、自分で言っていたし、自分たちも遊んでくれたりする佐野先生のことは好きだった。
特に、ひかりと日暮が懐いていた。だからこそ学校でも佐野先生には気軽に話しかけてたし、なんか、こう…女子特有の空間が発生していたときもある。
さて、佐野先生について一番印象的だったのは、あの時だろうか。
クラスの生徒の家に、虐待が発生したことがあった、という話を佐野先生から聞いたことがある。
実際そんな場面に出くわしたわけじゃないが、その虐待をした親については厳しく取り締まったし、ちゃんとうちの孤児院に対してのパイプも繋いだ、とかなんとか…
随分と正義感のある教師だな、とその時は感心したものだ。今では「あの時ほんとに感心してたのか?」ってぐらい人を殺してる俺が言えた話じゃないんだけど…
「で、私がパイプを繋いだ子は、結局叔父の家に引き取られたらしいんだけどね。私も昔にほか家族に引き取られて平和になったから、私と同じく大丈夫になるかな、なんて気持ちもあるんだけど…これで私が大丈夫だっただけってなると少し嫌だよね」
とは、佐野先生が言っていたことだ。
「大丈夫だと思う。この話をしているときの佐野先生の顔、すごい怖かったし。」
その時、俺はこう返していた。なんと表現すればよいのかわからないのだが、まあとにかくすごい形相であった。長年の敵を相手にするかのような、そんな鋭い目だった。
「そりゃあそうだよ。私はこの仕事17年近くやってんだから。」
「あれ、明ちゃんってそんな昔からだったっけ。17年前って言うと…私がこの街に来たときは15歳くらいじゃなかった?」
孤児院のお姉さんが、お茶をお盆の上にのせてやってきた。
「あれ、言ってなかったっけ?戦争が終わってからすぐに教師業についてるって。」
「案外愛しの彼とずっとキャッキャしてるわけじゃなかったんだ。」
「怒るよ???????」
俺はその話を聞いた時、少し違和感があった。
「あれ?ってことは佐野先生ってもう32歳ってこと?大学にいかないでここで働いてる20歳くらいの人と見た目大差ないけど…」
俺がそう言った瞬間、二人が言いにくそうに顔をそらした。
そうして、孤児院のお姉さんの方が静かに顔をこっちに向けて、
「三月、そういうことを聞いちゃいけない。明ちゃんは、「童顔」ってやつなの。」
「童顔ってそんなに年取らないもん?」
「ほら、私も童顔だから年取ってないし。」
「童顔すげぇ…」
そんな会話をしていると、いつのまに蚊帳の外に置かれた先生が爆笑していた。
「どうしたんです?」
「いや、えーと、太陽が今ゲームですごい美しく穴に吸い込まれてったから…ふっ、くふっふ…」
振り向くと、ゲームに大苦戦の太陽がいた。隣にはひかりだ。日暮はいま友達と遊びに行ってる。
「あれ、ジャンプってXじゃないの?」
「違うよ太陽、ジャンプはAかBだよ。」
「あれ」
今更操作でつまずくプレイヤーもいないと思うのだが…なんで太陽はこんなんで苦戦しているんだか。
…って八面?ここまでジャンプ無しで来れたのか?…すげー
「つーか先生さ」
ソファに座ってる太陽が、体を回さず背を反らすようにしてこちらを見る。
「?何?」
「自分が童顔だって言われてることに関しては何も思わないの?」
「うん。別に悪口じゃないし。」
太陽は一瞬考える素振りを見せ、今度は
「でもそれってお姉さんからガキだって思われてるってことじゃないの?」
「…あー…違いますよね?」
佐野先生は、お姉さんに笑いかけて聞いた。
「あー…いやー…そのー…」
「んー?」
お姉さんは目をそらして苦笑いをする。…あーあ。
「あーあ、太陽のせいで今あの地獄ができてるんだよ。罪の意識、ある?」
「罪て…」
あっちはあっちで太陽がひかりに叱られている。実に笑える。
「じゃあ、私は洗い物があるので、失礼させていただきます。」
そうして、そそくさとお姉さんが出ていこうとした時。
「ツグモトさんさ…それ認めたと同義なんだけど。」
「ああ、明ちゃんからのさん付け、久しぶりに聞いた。やっぱ初々しくていいね。」
「キッ……………モ」
佐野先生が心の底から軽蔑する顔を見せた瞬間、お姉さんは一目散に逃げ出した。
「あぁ…逃げちゃった。」
「追わないの?」
「追っても意味ないからね…」
心底呆れた顔で、先生は言った。
「ただいまー」
そんなタイミングで、男の声が、玄関から聞こえた。
「あれ、佐野先生じゃん。今日も仕事は早上がり?」
「あ、シャルルくん。そうだよ。仕事は殆ど免除されてる。なぜなら私は優秀だから…!」
佐野先生は渾身のドヤ顔を俺達に見せた。ニッコニコである。
「佐野先生がそれを言うたびに思ってたけどさ、それって無能にする待遇じゃないの?」
そんなことを、太陽がぼそっと言った。佐野先生は変わらず笑っている。怒りながら。
「こら、また太陽はそんなことを…」
「やっべ」
佐野先生の鼻はべっきべきである。
「あの…気を落とさないで?ひかりは慰めのプロだから…慰めてもらえば…あ、そうだ。今日泊まってく?ほら、部屋ならいっぱい…いっそ寂しくなってくるくらいにあるから…」
シャルルはそんなことを言って、なんとかこの地獄の空気Vol.2を取り払おうとしている。なんかVol.3生み出そうとしてるようにも見えるけど…
「いや、ちょっといらっときただけで、事実、私は有能だから問題ない。ほら、ほとんどの授業は私が担当しているの、知っているでしょう?だから業務のうちの殆どは授業準備だけでいいってことになってるけど、私は授業は即興でもわかりやすくできちゃうから問題ないわけで…」
「まあ確かに佐野先生の授業はわかりやすいな。」
太陽が、まるで機嫌を取るかのような調子でそんなことを言った。佐野先生の顔が青ざめる。
「ねえ、三月。」
「ん?」
急に話を振られてこちらとしては困ったものだ。さあ、何が飛んでくる。
「私って授業うまいよね…?」
佐野先生の授業か…
思い返す。佐野先生の授業は、まじで全教科だ。国数理社、そのすべてをほぼ一人で担っている。1日中教壇に立っていると考えると、確かに有能でないと務まらない。クラスもそもそも少ないけど、教師が少ないこの市では、まあ佐野先生のような存在の価値はとても高い。そして、知識の幅も膨大だ。
まず国語。国語なら、なんかオーソドックスな授業ながらに、持ち前の喋りのスキルを活かした学びの多いものを展開する。理数系と比べて圧倒的に少ない授業の中でも、この授業で得られるものはとても多い。
次に社会。知識量が膨大すぎる。墾田永年私財法から始まって茶会事件の茶箱の数まで知ってる。どゆこと?
次に数学。魔法には数学の応用はあまりいらないが基礎が重要であるため、結構定義とかはしっかり教えられる。前に、大学の数学科に行った孤児院の人が帰ってきて、「大学で学ぶことないんだけど」なんて言ったこともある。実際、中学で先生やってたときはやったらしい。恐ろしいことである。今となっては小学教諭なので中学ではお世話にならないらしいが…
最後に理科。特に物理。これもまあ、難解でわかりにくいのだが、しっかりと寄り添った良い授業だ。というのも、本来なら無視するらしい空気抵抗なども、魔法では無視できないので、一応教えておくみたいなノリで存在するのが物理の授業なのだが、そのノリの域を超えて、すさまじい実験や凄まじい計算などをちゃんとやるっていう…まあ、むずい。けど、わからなかった人がいたら止まるし、教師としてはかなり有能だと思う。…魔法打つときはだいたいあんま計算しないんだけどね。
だから、まあ…
「うん、うまいと思って聞いてるよ。」
「よかったぁ…」
佐野先生は、安心している。
「んじゃ、私はそろそろ帰ろうかな。結構日も落ちてきたしね。」
「えー、明ちゃん帰っちゃうの?」
ひかりは、寂しそうな目をして佐野先生の方を見た。
「うん。ツグモトさんと、ここでお泊りは禁止って言われてるからね。」
「え、そうなの?お姉さんケチだね。」
「いや、仕方ないの。そういう約束をしたのは私だからね。」
佐野先生は、そんなことを言って悲しげに笑った。…まあ、普通に考えて教師が生徒に過干渉してるのはアウトか…
「一人くらい引き取ったら?」
シャルルが、そんなことを言った。
「別に、家族って関係じゃなくなっても、大空市はそんな広くないからいつでも会える、なんてことはきっと全員わかってるし…それに、なんか、孤児院以外で会った時、いっつも寂しそうだし…」
「だめだよ」
佐野先生は、しっかりとした声音で言った。
「私にもね、子どもはいたよ。でも、私が殺してしまったの。…ほら、そんな人の家族になりたくないでしょう?」
そこにいる全員が、複雑な表情になった。
「…ま、冗談だけどね。」
佐野先生がそう言った瞬間、全員の表情から複雑さが消えて苦笑いに変わった。
その瞬間、玄関からがちゃり、と音がした。
「ただいまー、あ、明ちゃんだ!」
日暮がニッコニコで佐野先生に抱きつく。佐野先生は、「仕方ないなぁ」と言わんばかりの顔で、日暮の頭を撫でた。
「…で、佐野先生。今の「冗談」はどこまでが冗談なの?」
シャルルが、もう一歩踏み込む。
「そんなの決まってるでしょ、全部よ、全部。」
「だとしたらなんで引き取らないんだ?」
「私が独り身だから。」
「お姉さんだって独り身だ。」
「あーもう。日暮、シャルルが意地悪するからゲームでもしよ。今日は友達と何したの?」
佐野先生は、そう言ってテレビの方に行った。
「…佐野先生、あんな冗談言う人だったか?」
シャルルは、そう俺に聞いてきた。
「いや…特に家族関係に関しての冗談は言わない人だったはず…」
「だよな、じゃあ…あれは本当ってことになるのかな…?」
そんなことを二人で話していると、
「聞こえてるからね?」
と、佐野先生は振り向いて、言った。
渋々俺達も話すのをやめて、ゲームを観戦して、一日を終えた。
第25話 終