第五章
「へぇ、あたしが寝ている間にそんなことが」
ウィギンスが去った直後、シャロンが起きた。そのまま朝ごはんの流れになり、そこでウィギンスとのやりとりを話したのだ。
「シャロン、このチャンスを逃す手はない。行動に移そう」
「そうね。でも、作戦はできる限り熟考すべきよ。なんせ、敵の勢力圏ド真ん中に潜入するんだから」
「同感だ。早速始めよう」
その後、昼頃になるまで作戦会議と準備に取り掛かった。それが終わると、作戦決行まで仮眠を取ることにした。
「それでは、お気をつけて」
「ありがとう」
午後十時、馬車を降りた僕は、件のアヘン窟『赤い蓮』の前に来ていた。
――いや、『僕』ではなく『僕達』か――。
(あんた、さっきから全然進んでないじゃない!)
突然、僕の胴体から小声が聞こえてきた。
(あのなあ、人一人抱えて歩くのがどんなに大変か、わかんないのか? ぶっちゃけ、重い)
(ちょっと、女の子に対して『重い』って、失礼ね!)
もうお察しの方もいるだろうが、今僕は、シャロンを抱えて歩いている。もちろん丈の長いコートで隠してだ。
なにせ、アヘン窟に子供を連れてくるのは、不自然極まりない。だからこうして隠しておく必要がある。
ちなみに、十四歳の女の子を抱えて歩くと、その重みで歩行速度が鈍くなり、千鳥足ぎみになる。この点は、アヘン常用者になり済ますのには最適だ。
(おい、おしゃべりはここまでだ。入口が見えてきた)
(OK。作戦開始ね)
赤い蓮に入ると、接客係が話しかけてきた。
「いらっしゃいませ。お客様は一名様ですか?」
「ああ」
「当店は初めてでいらっしゃいますか?」
「そうだ」
「それでは、当店のシステムを紹介いたします。といっても、基本的には他の店と大して変りはないのですが。まず私どもが案内したベッドに横になっていただき、今夜ご使用になるアヘンを注文していただきます。精算は注文時に。その後、当店でレンタルしているパイプで吸引しながら、おくつろぎください。では、ご案内します」
こうして、僕は赤い蓮の奥へ案内された。
僕が使用する予定のベッドまで、相当歩いたし、何度もカーブを曲がった。さすがはイースト・エンド最大のアヘン窟なだけはある。
そうこうしているうちに、目的地へたどり着いたようだ。
「こちらです。えー、ご注文はお決まりですか?」
この言葉を待っていた。間髪いれずに、次の作戦行動に移る。
「あ、その前にトイレはどこだ? 少し借りたいんだが」
「わかりました。こちらです」
かかった。ここまでくれば、不測の事態がない限り作戦の半分は成功したも同然だ。
このやり取りの後、さらに入り組んだ店内を歩き続けた。
そしてたどり着いたのが、店の最奥。トイレのドアのほかに、そこそこ大きな本棚があるだけで、それ以上先はない場所だった。
「こちらです」
「ありがとう。では君に、チップを払わねば」
「いえ、そこまでしていただか……ぶっ!」
僕は店員をステッキで殴り、気絶させた。ここからは何時間にも及ぶ長期戦になる可能性があるのだから、あのまま野放しにしておいて「あの客、いつまでたっても戻らないな」なんて思われたら、そこでジ・エンドだ。だから気絶させておくことにした。
「シャロン、出ていいぞ」
「ぷはっ、あ~暑かった」
僕の合図とともに、悪態をつきながらシャロンが出てきた。
「シャロン、ロープをいくつか持ってるだろ? 早くこいつを縛って、トイレに閉じ込めといて」
「OK」
そしてシャロンは、手際良く気絶した店員を縛り上げ、トイレに放り込んだ。
「ま、ここまでは上々ね。で、組長の居場所だけど……」
「大丈夫だ。非常に運のいいことに、もう目星は付いている」
「え!? どうしてわかったの?」
「ほら、あれだよ、あれ」
そう言い、行き止まりにある本棚を指差した。
「シャロン、ホームズマニアのお前なら、ピンと来るはずだよな?」
「ええ。行き止まりにある本棚といえば、『アレ』以外に考えられないわね」
「確かに、『アレ』しかあり得ないだろう。だが、内側からロックをかけられている可能性がある。シャロン、『ノーウッド』を出せ」
「了解」
シャロンは、小さい箱の様なものを懐から取り出し、それを壁に取り付けた。その後マッチに火を付け、その箱に着火した。
しばらくすると、その箱から白煙が大量に噴出した。
「うまく作動したようね。ここでうまくいかなかったらどうしようかと思ってたわ」
「何度もテストしたじゃないか。それに、これがうまくいかなかったとしても、予備がいくつかあっただろ? ま、手はず通り、次の作戦行動に移ろうか」
そして大きく息を吸い込み、腹から大声を出した。
「火事だ!! みんな逃げろ!!」
何度か同じようなことを叫ぶと、店内中でパニックが伝染した。
「おい、どうした?」
「火事だ! 火事だぞ!!」
「煙が来た! すぐに外へ!!」
ふふふ、店の方は効果が抜群だ。だが、僕達の狙いはこちら……本棚だ。
さあ、早くしろ。さもないと、お前らも火の海で海水浴を楽しむことになるぞ。
少しして、異変が起こった。
ギイイイィィ……と音がしたかと思うと、本棚が扉のように開いた。
そこから出てきたのは、若い二人の男だった。
「って、なんだこりゃ? 前が見えねぇ!」
「下へ行って、すぐに報告だ!」
どうやら騒ぎを聞きつけて、様子を見に来たらしい。そしてこの二人が本棚から出てきたということは、僕の予想が正しかったということ。
「シャロン、そいつらを黙らせろ!」
「了解!」
「なんだお前ら!? うわっ」
とりあえず、また引き返されて内側からカギを閉められてはかなわないので、僕はステッキで鈍打、シャロンはピアノ線ナイフで締め上げて気絶させた。
「とりあえず、フレディの見解が当たったようね」
「ああ。あんな不自然な所に本棚を置くなんて、どう考えても『隠し扉』以外に考えられないからな。まあどんな形であれ、ブレイカーズの組長が滞在する場所なんて、隠し扉を使わないと入れないと思っていたからな」
「確かに、隠し扉を使えば、マフィアらしい法律すれすれの取引をする場所としても使えるしね。それであたしに発煙装置『ノーウッド』を作らせたのね?」
「そうだ。シャーロック・ホームズの事件の一つ『ノーウッドの建築士』にヒントを得てな。じゃ、そろそろ突入するか」
そして僕達二人は、隠し扉の奥へと侵入していった。
中に入ってみると、下り階段があった。その階段を下りてみると、重そうな鉄の扉があった。そこから声が聞こえてくる。
「さっきの騒ぎ、何だったんでしょうね?」
「さあ? さっき手下に様子を見に行かせたけど……遅いね。ま、この部屋は火事ごときで消滅するような場所じゃないから、こちらはこちらで話を進めようじゃないか」
「そうですね。では、この件ですが……」
どうやら商談中らしい。このまま盗み聞きしていたいが、こんなところに突っ立っていたら見つかる危険性が高い。
「フレディ、あれ」
シャロンが上を指差した。その方向を見ると、なんと通風口があるではないか!
「よし、あそこに潜伏するか」
僕はステッキを使って通風口のカバーを開けると、そこによじ登った。
「よし、何とか登れたか。シャロン、捕まれ」
そう言い、僕はシャロンにステッキを差し出す。
「あ、ありがと……」
シャロンがステッキにつかまると同時に、僕は彼女を引き上げる。
「よし、通風孔には入れたな。先に進むぞ」
先に進むと、部屋全体を見渡せる場所にたどり着いた。
見てみると、若い男と中年の男がテーブルに座り、何か話しているようだった。
「フレディ、注意すればある程度聞こえるみたいよ」
「そうか。じゃ、諜報活動開始だ」
まず、若い男が話を切り出す。
「では、契約の確認と行きましょうか、社長」
それに対し、社長と呼ばれた中年の男が答える。
「わかりました。まずこちらの要望として、諜報や工作に長けた人材を二名、派遣していただきたいです」
「で、僕がチョイスした人材が、この二人。元イギリス軍諜報員でコンビを組んでいたが、金に目がくらみ自軍を裏切る。そして軍籍をはく奪され懲役十年の刑に。現在は刑期を終え、無職。以上が派遣する人材の経歴だ」
「結構です。お支払いする金額に関しては、この契約書の通りです」
「結構。では、サインを」
そうして、中年の男は契約書にサインをした。
「それじゃ、これで契約成立。一週間以内にこの二人を送る。……さて」
すると、若い男はイスの手すりを開けたかと思うと、そこにあるレバーの様なものを引く仕草をした。
「おわっ!?」
「きゃっ!」
すると、なんと僕達がいる場所の床が抜けたのだ!
「いたた……」
「くそっ……落とし穴か」
そう、僕らは最初から罠にかかっていたらしい。あの通気口も、スパイをおびき寄せるためのものらしかった。
そう考えていると、若い男が近づいてきた。
「どうかな? 我々の歓迎は? あ、申し遅れたが、僕はモーガン・ブレイク。ブレイカーズの組長だ」
やはり、侵入者が少なからずいることを予期されていたのか……。
「あんたがブレイカーズの組長か。意外と若いな」
「ま、これが僕の実力だよ」
つまり、それほど技量や手腕が優れているということか。厄介な相手だな……。
「さて、我々が君達の存在に気づいていながら、なぜ商談を最後まで進めたと思う?」
「そんなの決まってるだろう? 僕達を始末するためだ」
モーガンはパチパチと拍手をし、こう言った。
「さすが、ここの隠し扉の存在に気付いただけの事はあるね。正解だよ。じゃ、早速始めようか」
そう言うとモーガンは合図した。すると、僕達はまたたく間に囲まれてしまった。
「さすがにこの数はキツイか……」
「へぇ、銃弾を弾き飛ばした人間が弱音を吐くとは。じゃ、できるだけ苦しまないように殺すから、おとなしくしててよね」
もう打つ手がないと悟り覚悟を決めた、その時だった。
「はっ!」
シャロンが、ピアノ線付きナイフを投げたのだ。
そのナイフは、目の前にいた敵の手元へ一直線に飛ぶ。そして、敵の拳銃をからめ取った。
「えいっ!」
ナイフのピアノ線が拳銃に絡まると同時に、シャロンはそれを引き戻す。
「あっ」
そうなると当然、敵はシャロンに拳銃を奪われる格好となる。
そして、シャロンは奪った拳銃を握り締めると、突如乱射したのだ!
「ぐぁっ!」
「うっ!」
「おあっ!」
拳銃を奪われた上に突然乱射という意表を突かれた敵は成すすべもなく、銃弾の餌食になった。
このことについて、シャロンはこう述べた。
「こういう状況では、敵の武器を奪うのがかなり有効よ。ドゥーユーアンダスタン?」
「面白そうだな。僕もやってみよう」
そう言い、僕は手近な敵を見つけると、敵の手にステッキの持ち手を引っ掛けた。
「ていっ!」
「あっ!」
その直後、ステッキを一気に回転させ、敵の手をひねった。すると敵は激痛により、拳銃を落とした。
僕は拳銃が落ちるとすばやくそれを拾い、そのまま乱射した。
僕はあまり銃器が得意ではないが、この状況だと、どこを撃っても確実に命中した。
「結構混乱してきたな。それじゃ、僕らの得意領分といきますか」
「そうね。大暴れしてやるわよ!」
二人は弾切れになった拳銃を投げ捨てると、一気に敵陣へと突入していった。
僕は風の様に敵陣を駆け抜けた。僕が通った道には、殴られて気絶させられた敵が横たわっていた。
これは、敵とすれ違う瞬間にステッキで鈍打しているという、ごく単純なトリックだ。ただ、単純な仕掛けの割には、一瞬で敵の急所を狙い殴るという高度な技術が必要で、誰でもできるわけではない。こういった芸当ができるのも、銃弾よりも早く振ることができる僕であればこそだ。
一方シャロンは、ピアノ線を巧みに使ってナイフを振り回している。その振り回し方は見事の一言で、予想もつかない軌道で敵を攻める。さらに、ピアノ線を首に巻き付けて締め上げるという荒業まで披露した。
こうして、戦闘はほぼ僕達の優勢のまま終わろうとしていた。
「ねえフレディ、モーガンは?」
「どうやら、あそこから逃げたようだ。もちろん、今日の取引相手もな」
僕が示したのは、さらに奥へ進む扉だった。
「まだ奥があるの?」
「いや、この建物の広さから言えば、地上の外に出る扉だろう。とにかく、遠くへ逃げられないうちに追いかけよう」
しかし、そうは問屋がおろさなかった。
「待て、もう少し楽しんで行けよ」
「ま、あんな三下に付くより面白そうなのは確かですけど」
突然、目の前に男二人が立ちふさがったのだ!
しかも、さっきまで相手にしていたザコとはプレッシャーが違う。手ごわい相手だと一目でわかった。そして、丁寧な口調でしゃべる男が話していた『あんな三下に付くより』という一言。これらの事から推察すると、この男達の正体はなんとなくわかった。
「お前ら、もしかして、さっきモーガンが話していた元スパイだな?」
「ご名答! 私達が発した短い言葉だけでそこまで推理できるとは、なかなかの頭脳の持ち主ですね」
「ま、いくら頭がよくたって、戦闘力はどうかな? なんせ、ザコとは別モンだからな、俺達は」
そう言い、元スパイ二人組は僕達に銃を向けた。
「じゃ……」
「さらばです!」
そして、二人は発砲した。
「くっ!」
僕は何とか二人分の銃弾をステッキで受け止めた。
「フレディ! なんで叩き落とさないの?」
「あれは無理だ! ザコが使ってた安モンとは違う。弾速が段違いだ!」
今は一方向からの射撃だったからいいが、別方向からの同時射撃となると防ぎきれる保証はない。
そのような不利な状況下をあざ笑うかのように丁寧な口調の元スパイが口角を少し上げて笑うと、こう言った。
「私達の銃を見ただけで弾速を予測し、的確な判断を下せるとは……。やはり、ただ者ではありませんね」
「ああ。俺も楽しくなってきたぜ。さっきは射撃戦だったが、接近戦はどうかな?」
すると元スパイ達は拳銃をしまい、代わりにファイティングナイフを取り出した。そして、それを構えると襲いかかってきた!
「ちっ!」
「えいっ!」
が、僕はステッキで、シャロンはナイフを使って抑え込んだ。そしてそのまま、僕は顔面をステッキで殴り、シャロンは蹴りを入れた。
カウンターを食らった二人は少し間をおいた。
「さすがですね。そこそこ見所がある……」
「ああ。俺達が本気を出すにふさわしい相手の様だな」
本気だと? 今までは手を抜いていたのか! 今現在の状況でも厳しいのに、本気を出されたら一瞬でやられてしまう……。
その時、銃弾が撃ち込まれた。
狙われたのは、僕とシャロンの間。とりあえずお互い、左右に飛びのいて避けた。
「今です!」
「おう!」
すると、待ってましたと言わんばかりに元スパイ達は僕を取り囲み、挟み撃ちにしようとナイフを構えて突進してきたのだ!
つまり、さっきの銃弾は僕とシャロンを引き離すための手段。そして孤立した僕を二人がかりで一気にたたきつぶそうという魂胆なのだ。
「やらせはしない!」
「てめぇはそこで見てろ!」
「あっ」
シャロンは助けに入ろうとしたが、荒っぽい口調の元スパイに手元を撃たれ、ナイフを落としてしまった。
――絶体絶命――。
このままでは、確実に殺される――。僕にはまだ、シャロンの目的を達成してはいないのに……。
なら、奥の手を出すしかない。本当はここで出すつもりのなかった、秘策を――。
「これで終わりです!」
「あばよ!」
「まだ、死んでたまるかああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
『…………』
沈黙が流れた。時間にしてほんの一瞬のはずだが、とてもとても長い時間が、たった気がする。
その沈黙を破り、時間の流れが元に戻ったきっかけは、何かの金属がカランカランと落ちる音だった。
「な……」
「これは……」
元スパイ達は気が付いたらしい。自分達が持っていたナイフの刃が、スッパリ切れていることを。
そして二人は僕を見るなり、こう言った。
「そのステッキ、仕込み杖だったんですね」
「にしてもその刀身、少し変だな」
その問いに、僕は淡々と答えた。
「確かに、僕の持っているステッキは仕込み杖。鞘は特殊な合金で出来ていて、銃弾を受けても変形しない。君達が疑問に思っている刀身、これは日本刀だ」
「日本刀だと?」
「ああ。使用される鉄の純度は世界一。ほぼ純粋な鉄だ。さらに刃を片刃にし、刀身に少し反りを持たせることで骨をも断つ切れ味を実現している。修業を積めば、その辺の鉄程度なら簡単に切れる」
ちなみに、この仕込み杖は前に話した日本人のルームメイトの協力があって手に入れることができた。鉄を簡単に切れる実力が身に着いたのも、学生時代にその日本人が(半ば強引に)剣術を教えてくれた賜物だ。
そしてこの仕込杖を使う時の基本的なスタイルは、右手で刀を持ち、左手で鞘を逆手に持つ。つまり変則二刀流なのだ。
「なるほど、鉄を斬れる剣とは、多少厄介ですね」
「なら、接近しなければいいだけの話だ!」
すると二人は切られたナイフを投げ捨て、挟み撃ちの体制のまま、銃を構えた。
「これでほんとに……」
「終わりです!」
二人は引き金を引いた。
しかし一瞬だけ早く、僕は口調の荒い方へ突っ込み、そいつの銃を切り捨てた。
「何……」
そして背後に回り込み、そいつを盾にした。
「ぐはぁっ!!」
そうして、元スパイの口調が荒い方は銃弾を受け、倒れた。
「……まさか、一瞬で拳銃を切り捨てた上、背後に回って盾にするとは……」
「へぇ、意外と冷静なんだな」
「ま、スパイやってるときは仲間を捨て駒にしたり、フレンドファイアを覚悟しなければならない時がしょっちゅうありましたから。それに、冷静さを失うと正しい判断ができなくなり、自分の首を絞めることになりますから」
「同感だ」
「共感を得られてうれしいですよ。しかし仕事上、あなたを殺さなければならないのでね。先にあの世で待っていてください。私も逝ったら、その時はゆっくりと語らいましょう」
「そのセリフ……ちゃんと実力を見極めてから言うんだな」
次の瞬間、僕は残った元スパイの懐にいた。そして鞘で拳銃を弾き飛ばした後、その流れで斬り捨てた。
「あぁぁ……」
こうして、丁寧な口調の方の元スパイも、倒れることとなった。
「さあ、邪魔ものも片付いたし、さっさと追いかけよう……って、どうした、シャロン?」
シャロンは落としたナイフも拾わず、表情が固まったまま硬直していた。
そこで僕が頬をペチペチと叩くと我に返り、ナイフを拾ってようやく話しだした。
「い……いや……なんか色々すごくなってるなぁと思って……」
「ああ、どうも僕は刀を抜くといつもより機敏に動けるらしいんだ。僕の感覚では三倍くらいかな?」
「そうなんだ。ところで……場合によっては、あたしも斬られてたのかな?」
そういえばシャロンと初めて会った時、ちょっと戦闘になったんだっけ。
「確かに、その可能性はあった。でもな、まだ僕に刀を抜かせる域には達していないと判断した」
「それって、あたしが弱いってこと?」
「今はな。だが、さっきの戦闘を見て感じた。シャロンはいずれ、僕に剣を抜かせるに足る実力を付けるだろうと」
「え……?」
「要は、お前はこれから強くなる、そういうことだ。でも、僕は自分に危害を加える者にしか剣を抜かないから、お前に対して剣を抜くことはもうないかもな」
「そう……。ところで、あの連中は?」
あの連中とは、先程まで戦闘をしていた元スパイ二人組の事だろう。
「ああ、銃弾を受けた奴は急所を外れているらしいし、僕が斬った奴はそれなりに手加減したから命に別条はないだろう」
「え!? でも、さっき骨も断つって……」
「それは実力を最大限に発揮した時だ。剣の技術を磨けば、切れ味をコントロールするのも可能なのさ」
「そんなもんなの?」
「そんなもんだ。さあ、早くモーガンを追いかけよう」
裏口から表へ出てみたものの、モーガンも取引相手も行方をくらましていた。
「くそっ、見逃したか!」
「これは厄介ね……。モーガンはイースト・エンドを自分の庭の様に把握しているわ。ただでさえ建物が乱立して入り組んでいるのに、異常なほど土地勘がある者が逃げようとすれば……」
「まず、見つからないな」
ここまで来て一番欲しい収穫がゼロとは、悔しい。どうしても引きさがりたくない。
そう思っていた矢先、突然騒がしくなった。
「なんだ、この声……怒声!?」
「あそこは宿屋が密集しているところね。行ってみましょう」
騒ぎが起こっていたのは、どこにでもありそうな宿屋だった。そこに警察馬車が多数止まっており、ガサ入れを実施しているようだ。
外で待機している警官隊の中に、見慣れた人影が見えた。
「ゲイリーじゃないか!」
その正体は、僕達の友人で衛生局の役人、ゲイリー・レストンだった。
「ああ、フレディにシャロンじゃないですか。奇遇ですね」
「奇遇じゃないでしょ。モーガンの居場所なんて、わかってたくせに。ここ、ブレイカーズの本拠地なんでしょ?」
そういえば、前にシャロンが言っていたな。警察はブレイカーズをマークしていると。だから、僕とシャロンが赤い蓮で騒動を起こすとすぐに行動に移せたようだ。
「その通りです、シャロン。ところで、何か収穫があったのですか?」
「ああ。モーガンが違法なあっせんをやっていたのをこの目で確かめた。ただ、少々乱闘したけどな」
「なるほど、モーガン・ブレイクを逮捕するに足る証拠をつかんだのですね。では、もう少しハデにやりましょうか」
その時、一人の警官が建物から飛び出して報告した。
「隠し扉を発見しました!」
「わかりました。では、突入してください」
あれ? 今のセリフ、なんかおかしいな……。
ゲイリーは衛生局の人間だ。それなのに、なんで警官隊の指揮を執っているんだ?
「ゲイリー、なんでお前が警察の指揮をとれる?」
「ミルトン精肉に関する事件において、私は指揮権をヤードから委託されていますので。それより、あなた達も一緒に来ますか? 私の権限で現場に踏み込むことを許可しますよ」
この提案には、僕もシャロンも即OKした。
建物の中は、典型的なイースト・エンドの簡素な宿だった。その一角に、大きな本棚がある。その本棚は扉の様に開閉が可能で、すでに警官達によって開けられていた。つまり、本棚が隠し扉だったのだ。
扉の中は、地下へ続く階段だった。それを見たシャロンが一言。
「また地下? モーガンって、そんなに地下が好きなのかしら?」
「地下は身を隠すのに適しているからな。それに拡張も容易だ。そういったことを考えて、モーガンは地下室を好んで造ったんだろう」
先に進むと、少数の手下と思われる者達に襲われた。しかし、赤い蓮で経験した人数とはケタ違いに少なかったため、僕とシャロンに一蹴された。
最深部に到達すると、二人の人影が確認できた。
「ようやく見つけたぞ、モーガン・ブレイクとその取引先さん?」
「あんたたち、バカじゃないの? せっかく逃げれたのに、わざわざわかりやすい場所に帰ってくるなんて」
するとモーガンは震える声でこう言った。
「う、うるさい! こいつの命が惜しかったら、武器を捨ててさっさと帰れ!」
なんと、あろうことかモーガンは味方であるはずの取引先に銃を突きつけ、脅しにかかったのだ!
奴の震える手や声を見る限り、どうやら冷静さを失ったが故の奇行らしい。
だが、被疑者を死なせるわけにはいかない。何とかして現状を打破しなければ……。
そう思って思案を重ねていると、上にあるシャンデリアに目が止まった。これを使えば、一気に制圧できるかもしれない。
「シャロン、ちょっと……」
「何?」
少しの間ひそひそ話をした。
「わかったか?」
「了解。すぐにやるわよ」
そして、シャロンはピアノ線付きナイフをシャンデリアに絡めた。それと同時に僕はシャロンにしがみつく。
「行くわよ!」
「ああ。やってくれ」
すると、シャロンと僕はシャンデリアへ一気に上がった。シャンデリアにたどり着くと、僕はすぐさま飛び降りた。そして、
「はああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そのままモーガンら二人へ急降下し、ステッキで殴りつけた。
『ごぶっ!!』
二人は殴られると、ピクピク動きながら意識を失っていた。
次の日の午後、僕とシャロンは衛生局へきていた。ゲイリーからモーガンの取り調べの結果報告を受けるためである。
「お二人とも、ご足労いただき、ありがとうございます」
「いいんだ。じゃあ早速、取り調べの結果を話してくれ」
ゲイリーはコホンと咳ばらいをし、語りだした。
「まず、例の違法な就職あっせん業ですが、ブレイカーズ組長、モーガン・ブレイクが全面的に認めました。同時に進めていたブレイカーズ本拠地での家宅捜索でも、それを裏付ける証拠が出てきました。それが、これです」
するとゲイリーは、ある書類をテーブルの上に出した。
「これは……」
「ブレイカーズの就職あっせん事業に登録している人物のリストです。経歴や連絡先、就業先も載っているようですね。中には指名手配中の人物もいますから、近いうちにこのリストを元にした一斉検挙が実施されるでしょう」
それは非常に興味深いが、今やらなければならないことはリアル・モランことセドリック・バレットをリストから探し出すことだ。
「あった、ここだ」
しばらくすると、セドリック・バレットの名を見つけることができた。経歴を見る限り、同姓同名の別人と言うわけではなさそうだ。
そして気になる就業先の欄に書いてあったのは……『ミルトン精肉』。
「やっぱり、ミルトン精肉はブレイカーズと接触し、セドリック・バレットを雇っていたのね」
「そのようですね。過剰な化学薬品の購入に加え、マフィアと接触していたとなると……ガサ入れ要件は十分満たしていますね。すぐに手配しましょう」
「なら、僕達の任務も、一旦終了だな」
「ゲイリー、ガサ入れの日程、ちゃんと教えてよ」
するとゲイリーはにっこり笑って、こう返した。
「わかっています。その時はフレディもシャロンも参加できるよう、取り計らいますので」
こうして、僕達は衛生局を後にした。
衛生局を出た後、馬車に乗り、イースト・エンドに向かった。そこに着くと、徒歩でシャロンの家を目指した。
だが、僕はここでとんでもないミスを犯していた。
僕達の今日の役目は終わったと勝手に思い込み、油断していたのだ。その結果、とんでもない修羅場に巻き込まれることとなったのだ。
イースト・エンドを歩いていると、突然後ろから襲われた。
「ぐっ」
何とか意識をつなぐことができたが、今の一撃でかなり朦朧としてしまった。
「ちっ、気絶しなかったか……。女の方をやれ!」
その直後、シャロンに後ろから近づく人影が見えた。しかし、朦朧としている意識のせいで体が思うように動けない。言葉も上手く発せない。
「あっ」
そして僕の目の前で、シャロンは後頭部を殴られて倒れてしまった。
「お前もだ!」
今度は目の前から僕が襲われた。前方の攻撃はステッキでなんとか受け止められたが、後方からの攻撃まで手が回らなかった。
「うっ……」
そしてそのまま、意識を失ってしまった……。