Epilogue
爽やかに吹き込む風が、そっとカーテンを揺らし、私の髪を撫でて行く。
ぽかぽかと暖かい空気には、春独特の花の甘い香りが漂っていた。
お日様の下でゴロンと寝転がりたくなるような気持ちの良い陽気。
見上げる空が青く、どこまでも広がっている。
大きな窓から差し込む光が、インベルストのお屋敷の私の書斎をもキラキラ輝かせていた。
白く輝くブラウスにタイを締め、ふわりと広がったスカート姿で決裁書類を捌いていた私は、そっとペンを置く。
北の塔での戦いから、早いものでもう2度目の春が来た。
今年は、中庭の木が、満開の花を咲かせている。
優人がどっかの山の中から見つけて来てくれたものを、お屋敷の前に植えなおしたのだ。
その木の純白の花びらが、ひらひらと私の執務机の上にも舞い落ちる。
今年はみんなでお花見しましょうと声をかけておいたから、賑やかな春になりそうだ。
みんな、来てくれるかな……。
あの激しい戦いの後。
今ではみんな、それぞれの道を歩んでいる。
国王陛下は、対魔獣戦で荒廃した王都外縁部、北部の諸都市の再建に辣腕を振るってらっしゃる。私にも王都に残り、政務を補佐せよとお誘いを受けたが、それはお断りした。
私にはリムウェア領を治める仕事が出来たし、何より、比較的被害の少なかった南部地域を早急に立て直し北部を支えるのが必要なことだと思えたからだ。
王直騎士団のみんなは、相変わらず残存魔獣の討伐に飛び回っているようだった。
この間、インベルストの近くを通りかかったグラスとメヴィンが挨拶に寄ってくれた。
グラスには色紙に大量のサインを求められたが、あんなものどうするんだろう。
レティシアは、新しく王都防衛大隊副隊長に就任した陛下のご子息、皇太子殿下の補佐をしているようだ。
初めて会った時には、実戦経験がないと苦笑していたのに、今や騎士団でも歴戦の騎士だ。
アリサは、軍務省で今も働いている。
新しくついた参謀が使えない、どうしてくれようかと、この間の手紙で恐ろしい事を言っていた。今度王都に行った時には、差し入れを持って行ってあげよう。
ナユタウ研究所に戻ったハインド主任は、2号機以降の航空船を開発中のようだ。
……未だに吉報は聞かないが。
インベルストでは、ガレスが引退したのがビックニュースだ。
白燐騎士団団長職の後任にはカリスト。副団長にはシュバルツが就任した。
あっ。
そういえば、シュバルツが結婚した。
お相手は、王直騎士団の新米騎士ヘルミーナ。
あれは犯罪だと、専ら周囲の噂の的だ。
リコットは、航空船で今日も大空を飛び回っているだろう。
ラウル君もマームステン博士も一緒だ。
荷物や人員の運搬なんかをしながら、馬や徒歩では踏み込めない地域の遺跡調査をしているみたいだ。
この間久しぶりにリコットに会ってびっくりした。
背が伸び、すっかり大人な女性になりつつあったのだ。
ラウル君と一緒に、楽しそうに笑っていたっけ。
そのリコットの仲間の禿頭さん。
彼は、インベルストの街中で、新人冒険者の旅のサポートをする酒場を立ち上げた。
冒険者ギルドのマレーアさんとも協力して、今後も事業を拡大して行くみたいだ。
この間私もお忍びで行って来たけれど、料理はさすがにおいしかったな。
そして、私の大切な親友たち。
陸と夏奈は、北部遺跡を調査して回りながら、魔獣に襲われた村々の復興に奔走している。
冒険がしたいとぐずる陸の背中を押し、時に引きずり倒しながら、陸が迷惑をかけた人たちに謝るんだと、夏奈が息巻いていた。
陸には、夏奈がいれば安心だ。
でも、無理はせずに、疲れたらいつでもインベルストに来てと言ってある。
もしかしたら、そのうち陸だけ逃げて来るかもしれない。
唯は、教会に戻った。
先の聖地放棄の際、教会上層部が一般信者を見捨て逃げたということで、今や教会の威信は地に落ちている。しかしそんな世の中の声などものともせず、傷付いた人々を癒やして回る唯は、今や聖母さまと崇められているようだ。
もしかしたら、唯を中心に教会が再編されるかもしれないという話を、インベルストの司教さまから聞いたことがある。
しかし本人は、政治向きの仕事が増えて辟易すると、この間遊びに来たときに言っていた。
そして優人。
私の、一番の大親友。
あいつは、今も一介の冒険者をしている。
世界を救った勇者として爵位の授与も検討された優人だったが、それを断り、旅を続けているのだ。
優人の隣には、いつもそっとシズナさんが寄り添っていて、今も2人で世界のどこかを探検しているに違いない。
残存魔獣から人々を助け、遺跡を調査し、そしてふらりとインベルストに帰ってくる。
その度に、私にわくわくするような冒険の話を聞かせてくれるのだ。
実は、優人に会ってそんな冒険の話を聞くのが、私の密かな楽しみでもある。
あいつには決して言わないが……。
調子に乗るから。
ふふっ。
お花見の時になれば、またみんなと会える。
それが楽しみだ。
私はもう一度ペンを取ると、ふんふんっと鼻歌混じりに書類に署名をしていく。
昨年。
お父さまが引退された。
家督を、正式に私に譲られたのだ。
だから今は、私がリムウェア侯爵だ。
……そんな実感は全然ないけど。
お父さまは、インベルストのお屋敷のすぐ隣に別邸を建てられ、そこで生活されている。
別邸と言ってもすぐ隣なので、ちょくちょくこちらに遊びに来られるが。
そして、政務も手伝って下さるのだ。
新米侯爵の私としては、申し訳ないやら、頼もしいやら、複雑ではある。
お父さまは、私を見て嬉しそうにしているから、まあいいかと今は思っている。
私にとって嬉しいのは、私のもう一方の両親であるマリアお母さま、ブライトお父さまも、インベルスト近郊に離宮を構え、生活されているということだ。
魔獣に破壊された王都が落ち着くまでということでこちらに来られたが、もう2年。
王都に戻られる気配はない。
大好きな人たちに囲まれて私は嬉しいが、たまにお屋敷の廊下でお父さまと口論しているのを目撃してしまうのが、不安要素だった。
私が間に入れば、大概2人ともニコニコしてくれるが……。
そして、最後にシリス。
怪我を理由に王都防衛大隊副隊長職を退いたシリスは……。
たぶん、その辺にいる。
うららかな春の日差しを感じながら、懐かしいみんなを思い出しながら仕事を進める。
この穏やかな時間が心地よい。
たまらなく……。
私は、うんっと椅子の上で伸びをした。
首をくるくる回す。
はらりと落ちてきた前髪を掻き上げ、耳にかけた。
左手の指輪が、イヤリングに当たってしまう。
やっぱり、なんだか装飾品を普段から身に付けるって、慣れないな。
ノックが響いた。
たぶん…。
「どうぞ」
「失礼致します」
やっぱり、リリアンナさんだ。
私が侯爵位を継いでも、やっぱり今もリリアンナさんに頼りっぱなしだった。全く頭が上がらない。
「カナデ奥さま。午後のお茶の準備が出来ました」
私はくるっと椅子を回して立ち上がった。
腰まで伸びた髪が円弧を描いてふわりと広がる。
少し休憩をしようかな。
「シリスはどこですか?」
私は後ろ手を組んで、たたたっとリリアンナさんに駆け寄った。
「旦那さまでしたら、既にテラスでお待ちです」
ほら、やっぱりその辺にいた。
「そういえば、今度の国王陛下への謁見、私にもついて来いって言うんですよ、シリス」
私は、むっと唇を尖らせる。
リリアンナさんがくいっと眼鏡を押し上げた。
「あれは、旦那さまだけのご予定でしたが」
「そうなんですよ。まったく、こっちだって忙しいのに」
いつもとんでもない事言うやつなんだ、やっぱり。
「リリアンナさん。私の日程調整をお願いします。シロクマ号回してもらえれば、1週間くらいで帰って来れると思うんです」
リリアンナさんが私を見る。
そして目を細めて、ふふっと笑った。
「承知いたしました」
窓から、また暖かい風が吹いてくる。
そっと振り返ると、私の執務机の上に、2つの花びらが舞い落ちていた。
私は、そっと微笑む。
そしてシリスが待っているテラスに駆けていく。
季節は春。
こうして私たちの時間は、ゆっくりと流れて行く。
最終話と同時投稿です。
ここまで読んで頂いた方々に、感謝を。
ありがとうございました!