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雪色エトランゼ  作者:
第2部
100/115

Act:100

 照明が淡く照らし出す部屋の中は、少し重苦しい空気が支配していた。

「禍の祠を警備していた部隊によると、突如飛来した禍ツ魔獣が、地下から巨大な塔のような構造物を呼び出したそうだ」

 シリスは壁を睨むように、腕組みした。

「塔、ですか」

 オルヴァロン島から飛び去る時のヴァンの不穏な台詞。

 ヴァンが、禍ツ魔獣がそこで何を企んでいるのだとしても、それが人々に仇なすものであることに間違いはないだろう。

「部隊はその場に止まり、塔の監視を行おうとしたが、そこに魔獣群が現れた」

「オルヴァロン島から転進した個体群でしょうか」

「うむ。オルヴァロン島の魔獣は、元々女王型に生み出されたものじゃからな」

 マームステン博士が頷く。

「いや……」

 しかしシリスは、視線を下げ、言葉を濁した。

「現れた魔獣は、地平線を埋め尽くす程の数だったそうだ」

 俺は思わず息を呑んだ。

「そんなっ。オルヴァロン島の魔獣は、私たちが撃ち減らした筈です。そんな数が残っているわけが……」

 そこで俺は、嫌なことを思いつく。

「そんな数、まるで大陸中の魔獣が集まって来たみたい……ですね」

 シリスが嫌そうな顔を通り越し、無表情になる。

「あり得ん話ではないわい。禍ツ魔獣が神話で語られる天より来る禍の生まれ変わった姿であるならば、やつは魔獣の祖。魔獣を統べる存在じゃ」

 そうなると、禍ツ魔獣とヴァンの下にたどり着くには、文字通り全ての魔獣を突破しなければならないことになってしまう。

 ベリル戦役やオルヴァロン島での戦いなど足元にも及ばない規模の戦いだ。

 果たしてどれほどの犠牲が出てしまうのか……。

 目の前が真っ黒になりそうだった。

「問題は魔獣だけではない」

 シリスが苦々しく呟く。

「魔獣群により一度撤退した部隊は、日を改めて偵察隊を放った。その報告によると、塔を中心に黒い大地が広がっていたということだ」

「黒……?」

「かあっ!やはりか!記録の通りじゃわい!」

 突然マームステン博士は大きな声を上げると、額に手をあて、天井を仰ぎ見た。

「博士。これはどういう状況なんです?」

 博士は俺の問いにも微動だにせずにしばらく天井を見つめる。そして、ゆっくりと俺たちの方を向いた。

「それこそが黒海嘯じゃ。千年前に一度世界を滅ぼしかけた災厄じゃ」

 俺は少しだけ目を瞑り、考えをまとめる。

「博士。しかし、黒海嘯とは、女王型による魔獣大量発生の事ではないんですか?」

「うむ。わしも前はそう考えとった。しかしオルヴァロン島で改めて古代の記録を確認し、それが誤りであるとわかったんじゃ」

 低い声で話す博士は、ギロリとシリスを見た。

「殿下。その黒い大地は、日に日に広がっておるんではないかの?」

 シリスが頷く。

「やはりな。世界が、魔獣に食われとるんだ。早く手を打たんと、滅ぶぞ」

 ……滅ぶ。

 何が?

 もちろん俺たちだ。

 俺たち、みんな……。

 顔が青ざめる。

 しかしそれ以上の感慨は抱けない。

 事が大規模過ぎて、俺には具体的な実感か抱けなかった。

「至急王都に戻り、対策を講じる必要があるな」

 シリスが俺を見る。厳しい表情だ。

 俺もシリスを見つめ返す。

「偵察を出しましょう。現地の状況を、よく把握した方が良いと思います」

「では、ユウト少年たちに現地偵察を依頼しよう。黒騎士などとの遭遇戦があるかもしれない」

 妥当な案だ。

 しかし俺は、頷くまで若干の間を開けてしまった。

 公私混同していて良い状況ではないのに……。

「では、優人たちにはシロクマ号を使ってもらうのはどうでしょう」

 俺は少しだけ言葉を切る。

「それと……陸も一緒に行かせたいと思いますが……」

 俺の提案に、シリスは真っ直ぐに俺を見た。

 陸を同行させようと思ったのには、いくつか理由がある。

 優人や夏奈がいないと、現実的に陸を捕縛しておくのは難しくなるから。

 陸が犯した罪の償いとして、この世界のみんなのために戦って欲しいと思ったから。

 そして……。

 再会できた優人、唯、夏奈、陸には、出来れば一緒にいて欲しいと思ったから。

 ……ダメだ。

 俺はまた公私混同で……。

 やっぱり俺は、シリスやお父さまのように、格好良くはなれない。

「わかった。偵察隊の編成はカナデに任せる」

 それでも頷いてくれるシリスに、申し訳なさと有り難さで胸が一杯になった。

 あと、後ろめたさも……。

「いずれにしても、休暇はここまでだな」

「はい」

 俺は大きく頷いて、気持ちを引き締めた。

 多分、また忙しくなる。

 頑張らなければ!

「カナデお嬢さん。殿下」

 立ち上がろうとした俺に、マームステン博士が手を上げた。

「あと1つ報告があっての。よいかな?」

「何でしょうか?」

「うむ。前にお嬢さんから聞いた、ヴァン・ブレイブとアネフェアという名についてじゃ」



 急遽決まった休暇終了のために、ララナウを出発する準備が慌ただしく進められていた。

 昨日の夜シリスに呼び出されて、今日の昼にはもう王都に向けて出発する事になっていた。

 来た時も慌ただしかったが、帰る時も慌ただしい。

 今度は冬に来てみるのも良いかもしれない。次は、のんびりする事に後ろめたさを抱かなくてもいい状況で来れたらいいのになと思う。

 一足先に荷造りを終えた俺は、ウィル屋敷の図書室に向かっていた。

 この屋敷の図書室は、高々別荘の蔵書だとは思えない量の蔵書を抱える、ちょっとした図書館と言える規模だった。

 中に入ると、時を経た紙の独特な匂いが漂って来る。きいっと軋む扉を閉めると、耳に痛いほど静寂に包まれた。まるで窓から射し込む朝日の音まで聞こえてしまいそうだ。

 コツッと足音を響かせて、俺は書棚の中に進み出る。

 色とりどりに並ぶ背表紙。

 俺はそれを目でなぞりながら、書架の間を進んでいく。

 昨日マームステン博士に聞いた話。

 ヴァンとアネフェアの物語。 

 それを聞いて、俺は無性にあの絵本を読みたくなった。

 ヘルミーナが好きだったお姫様の騎士と黒い獣の物語。

「そもそも、オルヴァロン遺跡は、2つの年代の遺跡が重なっておるのじゃ。上層部の遺構は、今から千年ほど前の大規模な都市の跡。そして地下は、遥か古代の超文明の跡じゃ。わしを監禁しておった奴らは、その地下の部分の技術にしか、興味はなかったようじゃがな」

 昨夜、そう言うと皮肉げに笑ったマームステン博士の顔を思い出した。

 博士は、騎士団のオルヴァロン遺跡調査に協力しながら、未だに手付かずの遺跡上部についても独自に調査を進めていた。

「その深部でわしは、ヴァンとアネフェアという名前を見つけたんじゃ」



 千年前。

 世界は、今と同じように魔獣の災厄に晒されていた。

 それは人類を滅ぼしかねない勢いで広がり、人々は街を失い、国を失い、そして身1つで北辺の島、オルヴァロン島に逃げ延びていた。

 大陸と海を持って隔絶されたこの島が、人々の数少ない安息の地になった。オルヴァロン遺跡は、その頃の都市の跡だった。

 しかしその平穏が、一時凌ぎのものでしかないことは誰の目にも明らかだった。

 こんな狭い島に、大勢の難民を養う力はない。

 身も心も衰弱して、魔獣と戦う力も失い、人間は、このまま緩やかに終わりを迎えるだけ。

 そんな諦めを抱いた人々の前に立ったのが、魔獣との戦いで崩御した国王の娘、アネフェア王女だった。


「アネフェア……」

 インベルストの晩餐会で、ヴァンが、かつて仕えていたと語った女性と同じ名前。そして、狂ってしまったかのように俺に向かって呼びかける名前だ。


 アネフェア姫は、魔獣の大規模侵攻から人類を守ったとされる英雄。

 オルヴァロン遺跡には、その記録が残されていた。

 明るく前向きで、高貴な身分にも関わらず積極的に自らが行動し、時には自分も甲冑を身に着け魔獣と戦った戦姫。

 当初その雄姿は、若さと世間知らず故の蛮勇だと半ば失笑の的になっていた。しかし、その諦めない姿勢、周りに嗤われても魔獣の障気に倒れても、常に前を向いて立ち上がる姿勢に、周囲の人々の心も変わり始める。


「魔獣の障気に倒れるってあたりが、カナデに似ているな」

 悪戯っぽい笑顔を浮かべて、隣に座るシリスが俺を見た。

 俺はシリスをむうっと睨み返した。

「ああ、そうだ。猪突猛進そうな感じも似てるかもな」

「誰が猪ですか」

 確か前にも言われたよな。

 あれは優人だったか。

 しかし、似ている、か。

 はははっと楽しそうに笑うシリスは無視する。

 確かヴァンにもそう言われたのだ。

 俺がそのアネフェアに似ているのだと。


 しかし人類の劣勢は、如何ともし難い状況だった。

 そこに、強大な銀気の力を持った青年が突然現れた。

 光り輝く剣を持った青年は、アネフェア王女と共に戦場を駆け、ことごとく魔獣を討ち滅ぼした。

 その活躍により、人類は徐々に魔獣を押し返す事に成功する。


「その剣士の名前が、ヴァン・ブレイブだと記されておった」

 博士の言葉に、俺は目を伏せて考える。

 ヴァンとアネフェア。

 確かに黒騎士が語った名前。

 2人はきっと、その代のエシュリンの楔の担い手と、その導き手たる女性であったのだろう。


 とうとう大陸深部まで奪還した人々は、そこで、大地が黒に侵されている状況を目の当たりにした。

 黒の大地は、草木はおろか岩砂すら存在しない死の大地だった。

 その中心、魔獣の本拠に挑んだヴァン・ブレイブは、そこで初めて敗北した。そして、突如魔獣討滅軍から離れ、各地の遺跡を巡る光の剣を探す旅に出てしまった。既に1振りを携えていたのにも関わらず、だ。

 ヴァンという最大戦力を失った人類は、再び後退を余儀なくされた。

 魔獣が押し寄せ、大地は黒く死に絶える。

 ヴァンが戻った時には、アネフェア姫すら深手と障気に倒れていたという。


「それで、どうなったんですか」

 俺は身を乗り出して、博士に続きを促した。

「結局、ヴァンは魔獣の親玉が潜むとされた大地の裂け目に挑み、それを滅ぼしたとされている。我が身と引き替えにな」

 まるで今の状況を暗示しているかのような記録。

 俺はふっと息を吐く。

 優人たちの、シリスたちの行く末がもしも同じなら……。

 そう想像しただけで、全身が凍りついてしまいそうだった。

 そんな事……あるはずがない……。

 ぎゅっと唇を噛み締めていると、俺の太ももの上にシリスが手を置いた。

 温かくて大きな手だった。

 黒騎士は、自らをヴァンと名乗った。そして、アネフェアに仕える者だとも。

 その記録に残るヴァンが、俺の前に現れた青年であり、黒騎士なのだとしたら……。

「……倒れたヴァンが、黒騎士になってしまったということなのでしょうか」

 俺は眉をひそめて博士を見返す。同時に太ももをぽんぽん叩くシリスの手をそっとどかした。

 人々を助けるために戦った筈なのに。

 きっとお姫さまのために戦った筈なのに。

 ラブレ男爵と同じだというのだろうか。

 力尽きた挙げ句に魔獣に取り込まれ、人に仇す存在になってしまった。

 理不尽だ。

 頑張った結果がこれならば、理不尽すぎると思う。

 どくどく激しくなる鼓動を落ち着けるように、俺は深く呼吸する。

「うむ。その可能性は高いな。なんにしても、当時と今の状況は良く似ておる。もう少し、遺跡の記録を精査する必要がありそうじゃ」

 博士が低い声で唸った。

「では博士。博士には引き続き、その記録の解析をお願いしよう。現状の対策に役立つ情報を得られるかもしれないからな」

「心得た」

 シリスの言葉に博士が何度も頷いた。


 俺は書架の間をゆっくり歩く。

 ヴァンとアネフェア。

 遥か昔に、今の俺たちと同じように強大な敵に挑んだ人たち。

 少なくとも、千年前の騎士の武勇と騎士を愛するお姫様の物語では、世界は救われたのだ。そして、現実のこの世界も、今に至るまで続いている。

 しかし魔獣は滅ばず、ヴァンは黒騎士となってしまった。

 その結末は、悲劇だったのだろうか?

 では、今戦っている俺たちの未来ももしかしたら……?

 俺はそっと首を振る。

 過去を振り返っても、そこから学ぶことは出来ても、未来を見つけることは出来ないと思う。

 未来は、俺たちが進む先にある。

 後は、どれだけ努力して頑張るか。頑張って頑張って、真っ直ぐ進めるかなんだと思う。

 うん……。

 どんな苦難だって、きっと大丈夫だ。

 俺は目を伏せて、自分に言い聞かすようにきっと大丈夫と小さく呟いた。



 唐突にガチャリと図書室の扉が開かれた。

「カナデ。いるのか?」

「お父さま!」

 俺は書架の間からひょっこりと顔を出すと、とととっとお父さまに駆け寄った。

「もう直ぐ出発だそうだ。準備しなさい」

「あ、すみません、わざわざ呼びに来ていただいて」

 俺は一度だけ書架を振り返ってから、お父さまについて図書室を出た。

 結局あの絵本は見つけられなかったな。

「カナデ。わしもこのまま、しばらくは王都に滞在しようと思う」

 俺は隣を歩きながら、少し驚いてお父さまを見上げた。

「いや、国王陛下にご挨拶もせねばと思っておったし、何より予断を許さぬ情勢でもある。王都に滞在し、リムウェアとして取るべき道を見定めたい」

 おお。

 さすがお父さまだ。

 確かに侯爵領にいては、どうしても行動がワンテンポ遅れてしまうからな。

 常に自領と領民の事を考えている。

 俺の尊敬すべきお父さまだ。

「ついてはカナデ。王都で屋敷を借り上げるから、わしがいる間はこちらに住みなさい」

「わぁ、またご一緒ですね!」

 俺は思わず微笑んで、お父さまを見上げた。

 お父さまも優しい笑みを返してくれる。

「世迷い言はお止めいただけるかしら、レグルス候」

 そこに、凛とした声が響いた。

 廊下の先の角から、マリアお母さまがすっと現れた。

「レグルス候。カナデさんはもはや当家の娘も同然。カナデさんのお家は、私たちの屋敷です」

 マリア、お母さま?

 何だか声音が怖いです、が……。

「殿下。前王妃ともあろう方が、笑止千万ですな。カナデは我が娘。娘が父と居を共にするのに、何を憚ることがあろうか」

 仁王立ちしたお父さまが。斬りつけるような鋭い目でマリアお母さまを睨んだ。

 火花が散りそうな睨み合いの間で、俺はおろおろと両者の顔を見る。

「カナデさんはもうリングドワイスの姫です」

「カナデともう少し一緒に過ごすために、わしは王都などに留まるのだ」

 あれ……。

 お父さま、侯爵領のための情報収集では……?

「カナデ、出発だっておっさんが言ってるぞ、うわ、なんだ、喧嘩か?」

 そこに、タイミング良く優人が現れた。

「ゆ、優人、そ、れでは行きますか」

 俺はとっさに優人の腕をぎゅっと握る。

「お父さま、マリアお母さま、行きますよ」

 2人にそっと声を掛けて、俺はそっと背を向けた。

 王都でもまた、色々と大変そうだなとそっと心の中で呟いた。

 とうとう100話到達となりました。

 長かったような、短かったような。


 お話は、もう少し続きます。

 よろしければ、また読んでいただけると幸いです。


 ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
明かされた真実や、過去と現在、カナデの姫としての対比が本当に素敵だと思います。そして、このおとぎ話が最終的に悲劇で終わる展開と、それをカナデが望まないという気持ちがすごく伝わってきて、次の展開がさらに…
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