Act:99
カーテンから朝日が射し込む。
目が覚めても予定がないという1日が、なんだかとても久しぶりな気がした。
今日は何をしようかなと考える時間が、それだけで何だか楽しい。
ララナウは気持ちのいい晴天が続いている。
季節は雨季を越えて、もうすぐ夏だ。
朝は涼しくても、日が高くなるにつれて、段々と日差しが強くなる。しかし高原のララナウには決して不快な暑さはなくて、吹き抜ける風がとても爽やかで気持ち良かった。
優人とシリスは、何やら男の勝負をするとか言い残して、毎日行方をくらましていたが、俺はマリアお母さまや唯に料理を習ってみたり、ブライトお父さまに森の散策に連れて行ってもらったり、そしてお父さまとずっと話し込んだり、自由な休日の時間を満喫していた。
夏奈は、度々シロクマ号に出向き、陸と話をしているみたいだった。
唯は、俺に治癒術を施してくれながら、町に逗留するグラスやメヴィンの部隊の中の負傷者も看てあげているようだった。
リリアンナさんと町に買い物に出かけた時、どうしてもと騎士のみんなに請われて昼食を共にする事になった。その際、部隊の中で唯人気が急上昇しているという話を聞いた。
「あ、でも、自分はカナデさま派ですから!」
「野郎、自分だけ抜け駆けかよ!」
騎士たちが騒ぐ声が、カフェのオープンテラスに響き渡った。
みんな楽しそうで何よりだ。
唯と夏奈とは、温泉巡りにも出かけた。
お屋敷の温泉だけではなく、町の宿や公営の浴場なんかを回るのだ。
初めての温泉の夜以来、俺は唯や夏奈と一緒にお風呂に入っていた。
2人が構わないと言うなら、あまり深く悩まないことにした。
それに、とても男湯なんかには入れないし、唯や夏奈と一緒の方が、なんか安心出来るし……。
それでも町の温泉は、少し恥ずかしかった。
そう言うと、唯が水着を着て入ろうと提案した。
夏奈が激しく賛成して、結局レティシアも誘って、みんなで水着を買いに行くことになった。
俺は、一応優人も誘おうとしたが、難しい顔をした夏奈に止められた。
「カナデちゃん。それはあまりに残酷だよ」
何故……?
もっとも、優人はシリスとの男の勝負があるとかで、相変わらずいなくなってしまったが。
ララナウの町は、有名な温泉郷であると同時に、その目の前に広がる透き通った湖も有力なレジャースポットだった。
そのため、水着や浮き輪などのアイテムが豊富に売られている。
俺には、そういうの、まったく分からないので、全面的に夏奈たちにお任せする事にした。
出来れば、地味なやつを……。
「カナデちゃんには……これ!」
場違い感を覚えながら店内をうろうろしていると、夏奈がおすすめを持って来る。
……却下だ。
「カナデちゃん、これはどう?」
うーん、どうなんだろう。あれで大人しめなのかな?
「カナデさま。これは如何です?」
おお!
レティシアが持って来てくれたのは、上下が分かれていない。
これなら……。
「ダメだよ、レティシアさん。カナデちゃんはもっとババッとなって、ギュイッてやつじゃないと!」
手振り身振りで何かを力説する夏奈。
「いえ、私はレティシアので……」
「なるほど!わかったわ、ナツ!私が間違っていた!」
「レ、レティシア……?」
差し出した俺の手が空を切る。
「カナデちゃん。夏奈に決めちゃわれる前に、これにしておいたら?」
呆然とする俺に、唯が優しく囁いてくれた。
「唯……」
俺は不安の表情で唯を見上げる。
唯と夏奈ならば、断然唯を取るしかない。
選択の余地は、ない。
俺はそっと頷いた。
「じゃあ、決まりね」
唯がふわりと微笑んだ。
温泉巡りの翌日。
せっかく水着を買ったのだからと、俺たちは湖岸の砂浜に繰り出していた。
程よく照りつける太陽と白い砂。
所々に立ったカラフルなパラソルが、まるで本物の海に来たかのようだった。
「うわはっ!まだ水冷たいっ!」
黄色のスポーティーな水着姿の夏奈が、きゃっきゃっと言いながら、波打ち際を駆けて行く。
「ナツ、転ぶよ!」
髪の色と同じ赤のワンピース水着が似合うレティシアが、その夏奈の後を追って行く。
あの2人、すっかり意気投合したみたいだ。まるで旧知の友達のように、賑やかにはしゃいでいた。
唯は、オレンジのビキニの上にパーカーを羽織り、レジャーシートの上に座ってそんな夏奈たちに声を掛けていた。
「2人とも、他の方の迷惑にならないようにね」
「はーい!」
既に胸まで湖に浸かっていた夏奈たちが、大きく手を振り返した。
「ところでカナデちゃん」
「なんですか」
唯が振り返る。
「いつまでそこにいるの?」
だって……。
俺は板塀の裏から、顔だけ覗かせて夏奈たちを見ている。
唯たちや湯治のおばさんしかいない温泉なら、水着でも一応許容できた。
しかし今は、他に観光客がいる。それも何故か、顔見知りの騎士たちが沢山、だ。
唯が選んでくれたのは、白と黒のモノトーンな水着だった。上と下が分かれてるタイプの……。
恥ずかしい、これ……。
凄く、恥ずかしい……!
まだ本格的なシーズン前で、人出はあまりないだろうから大丈夫です、と背中を押してくれたアリサに騙された!
不意に視線を感じる。
振り返る。
今木立の向こうにさっと隠れた人影は……。
「ぐふ、ぐふふ……」
聞いた事のある笑い声が……。
「さあ、カナデちゃん。行こ」
いつの間にか近付いていた唯が、俺の手を引く。
ぐいぐいと湖に引っ張って行かれる。
うう……。
ぎゅむ、ぎゅむと砂を踏む感触。
まるで海のように押し寄せて来る波。
日差しがキラキラと湖面を輝かせていた。
唯に促され、そっと爪先を水の中へ。
わわっ。
きゅうっと冷たい。
思わず足を引っ込める。
「カナデちゃんもひと泳ぎしたら?」
「えっと……はい」
唯の言葉に背中を押されて、俺は改めて湖の中に踏み込んだ。
透き通るような湖水に包み込まれる。体を包み込む水は柔らかで、ふわふわする浮力が何だか新鮮な感覚だった。
綺麗……。
見下ろすと、揺れる水中に、俺の体が透けて見える程の透明度だ。
何だか気分が高揚して来る。
さっきまで恥ずかしくて動けなかったのに、我ながら単純なものだ。
この綺麗な水の中で。
俺は湖底を蹴ってふわりと体を浮かす。
思いっきり、泳いでみたい……。
「わははははっ!」
「うわっ、ナツ!」
沖の方。
銀気をまとった夏奈が、波を吹き上げて高速航行していた。
よし、俺も……。
水を切って、すうっと泳ぎ始める。
そう。
あれは、どこだったっけ。
夏に、優人たちと泳いだよな。
確かおおきなプールで、同年代のみんなが集まって……。
優人や唯と毎日通っていたっけ。
学校……?
あれ、良く思いだせないな……。
仰向けになり、水面から顔を出して、流れに身を任せる。
青い空。
白い雲。
異世界なんて、戦なんて関係ない。
優人や唯たち。シリスやレティシア。お父さま。
みんなで過ごすこの静かで楽しい日々が、いつまでも続けばいいのに……。
いや、違うな。
優人たちがもとの世界に帰る方法は見つかったのだ。
次に相対する時は、恐らく黒騎士、禍ツ魔獣との決着になるはずだ。
禍ツ魔獣を倒した瞬間、恐らく屍を倒した時のように、道が開くはずだ。
そう、優人たちが帰れるかもしれない道が。
陸がいる。唯も揃った。
例え私には通れない道でも、せめて……。
せめて、私の大切な友達を……。
私は……。
ぎゅうっと握った拳を胸に当てる。
「カ、カナデ!」
その時不意に声が降って来た。
ぼんやりと湖面を流れていた俺は、慌てて辺りを見回した。
少し離れた桟橋の上に、驚いた顔の優人とシリスが、並んでこちらを見ていた。
2人が手にしているのは、長い釣り竿。
なるほど。
男の勝負の正体が、それか。
「まさかカナデの方から釣り上げられに来るとはな」
「シリス、何かその上手いこと言ってやったみたいな顔、止めてください」
俺はゆっくり泳いで近づきながら、シリスを睨み上げた。
足が付いたので、立つ。
濡れた髪が、肌に張り付く。
「カナデ、み、水着か」
優人がまじまじとこちらを見ていた。
そうだ。
湖水は透明度が高くて……。
「わわわ……違うんです、これはアリサとか夏奈とかに乗せられて、し、仕方なく……」
顔が赤くなる。
優人には、水着を見られたからではなくて、水着姿でいる所を見られて。
シリスには、水着を見られてしまって。
「良く似合ってるぞ、カナデ」
シリスが微笑みながら頷いた。
それで俺は、もう耐えられなくなった。
そのままずぼんっと水中に沈むと、潜水にて全速でその場を離脱した。
昼間泳ぎ回ったせいか、くたくたに疲れてしまった俺は、ウィル屋敷に戻るとそのままコロッと寝てしまった。
その眠りが、唐突に妨げられる。
「カナデさま。起きて下さい。殿下がお呼びです」
遠く微かに、リリアンナさんの声がした。
体が揺すられる。
うーん……。
心地よい眠りから浮かび上がるのが億劫だ。
「カナデさま」
しょうがなく、俺はゆっくりと身を起こした。
「……なんでふか」
しょぼしょぼする目をぐりぐり擦る。
「シリスさまがお呼びです。至急ということで」
至急……。
何かあったのか。
俺はリリアンナさんにコクリと頷くと、素足にスリッパを引っ掛け、パジャマの上にカーディガンを羽織った。
「カナデさま、お着替えを」
「しりすだからいいです」
まだしゃきっとしない頭で、俺は廊下に出ると、シリスの部屋に向かった。
途中、また温泉に入っていたのか、洗面器を抱えた唯と出くわす。
「あら、カナデちゃん。そんな格好でどうしたの?」
「しりすの部屋にいきます」
「あら……。あらあら。夏奈が言ってた通りかしら……」
夏奈?
とにかく眠いので、用件を早く終わらせるべく、俺は先を急いだ。
ノックしてからシリスの部屋に入る。
俺たちにあてがわれた客間とは違い、シリスの私室、という雰囲気の部屋だった。
家具の上に置かれた小物。ちょっと子供っぽい寝具の色使い。そして、使い込まれた感のあるソファーの上のクッション。
そのソファーセットに、シャツにズボンのラフな格好をしたシリスと、もう一人の人影が腰掛けていた。
「カナデ、おっ、可愛いな、パジャマ。さぁ、こっちだ。ここに座れ」
分厚い紙束に目を落としていたシリスが、俺を見てニヤリとすると隣をぽんぽん叩いた。
俺は欠伸をかみ殺し、ぽすっとそこに腰掛ける。そして手近にあった緑のクッションを手繰り寄せると、胸に抱いた。
「ほほっ、めんこいの。わしにも女孫がおったらの」
俺たちの対面に腰掛けた人物が、笑いながら豊かな髭を撫で付ける。
「マームステン博士!」
俺は思わず声を上げた。
「お嬢さま。久しぶりじゃな」
マームステン博士が笑う。
博士は確か、オルヴァロン島に残り、遺跡の調査を継続していたはずだが。
「先ほど、オルヴァロン島と王直騎士団本部から知らせが来た。博士と一緒にな」
シリスが紙束をテーブルの上に置く。
その表情は引き締まり、剣を握った時のような鋭い目に強い光が宿っていた。
それを見て、俺は眠気がさっと引いていく気がした。
「まず、遺跡調査の結果だが、魔獣と遺跡についての考証は後で博士に頼むとして、リクを使っていた組織の遺留品をかなり押さえることが出来た」
俺は目を細める。
やはり、完全に眠気は吹き飛んだ。
「上手くいきましたね。戦力の分散投入のリスクを負っても、ウェラシアを遠ざけた甲斐がありました」
あのタイミングで陸がエシュリンの楔を抜き、女王型を解き放ってしまった事は、奴らの本意でもなかった筈。
溢れる魔獣から逃げ出す時。マームステン博士を拉致してまで進めた研究内容全てを破棄できたとは、思えない。ましてや魔獣群が全ての痕跡を隠滅してしまうなんて、ありえない事だ。
後は、ウェラシアの手が回る前に遺跡を押さえられれば良かった。
「まぁ、カナデの目論見通りだな」
「人を悪党みたいに言わないで下さい。それで、何が出ましたか?」
シリスは不敵に口元を歪めると、机の上に置かれたファイルを俺に差し出した。
俺はクッションを手放して、分厚いファイルをパラパラ捲る。
「物品の配備状況から、人的資源の手配。遺跡解析から人員の生活支援までしっかり記録が残っている。それに」
シリスは俺の手元を覗き込み、勝手にファイルを捲る。
「やつら、魔獣研究と同時に、副業も営んでいたみたいだな」
「ゴーレム兵器……!発掘物の裏取引の証拠ですね」
俺は息を呑んで近くにあるシリスの顔を見た。
タイニープロック商会王都支店長の話を思い出す。
正規に記録されている量以上の古代文明品の流通。
つまり、出所はやはりここだったということだ。
「遺跡を占拠していた組織の支援。その遺跡から出た発掘物の売買。その全てにおいて、ロクシアン商会が関与しているのは、これで明らかだ」
シリスが俺を見て不敵な笑みを浮かべる。
俺も頷く。
北公の管理下の半民半官企業であるロクシアン商会を正面から疑うことは、今まで憚られて来た。
しかし、これだけの証拠があれば、踏み込んで行ける。
よし……!
「最初は、マームステン博士の拉致疑惑という線で、ロクシアンを押さえるべきでしょうね」
「それが妥当だろうな」
俺たちは互いに頷き合う。
「……あのう、わしはお邪魔、かの?」
そこに、目を細めて髭を撫でるマームステン博士がおずおずと口を開いた。
「何故です?あの、博士のお話の方もお願いします」
俺は小首を傾げながら、対面席の博士に向き直った。
「……苦労されとりますな、殿下」
苦笑を浮かべる博士に、何故かシリスが肩を竦めて見せた。
何だ?
俺の知らない話か?
「ふっ、それがまたいいのだがな。カナデ。もう一つ重大な知らせがある」
俺は眉を寄せて姿勢を正した。
「これは博士にも意見を伺いたいのだが……」
シリスが眉間にきつくしわを寄せる。
「黒騎士と禍ツ魔獣の行方が判明した」
鼓動が一際速くなる。
頭の中が、脈に合わせてがんがんと響いているようだ。
俺は、膝の上に乗せた拳を、白くなる程握り締めた。
「ノエリア大聖堂の北。禍の祠と呼ばれる遺跡があった場所だ。カナデ。お前が念のためにと配置しておいた部隊から、そこに、正体不明の巨大な構造物が出現したとの報告があった」
俺は息を呑んだ。
マームステン博士が厳しい表情になる。
厳しい表情のシリスが、しかしその不安を払い除けるように強く言い放った。
「黒騎士たちは、恐らくはその中だ」
温泉に水泳。
もうなんでもありですね。
ご一読、ありがとうございました!




