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マグロジム  作者: 大神みや


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4/7

一か月の記録

昌子がマグロジムへ通い始めて、一か月が過ぎた。


火曜日と土曜日。


最初は、その二日が来るたびに少し面倒だった。仕事を終え、家へ帰る前に自転車をマグロジムへ向ける。着替えて、脚で押して、胸の前を押して、背中で引く。


帰り道には脚が重い。


翌朝は、階段を下りるたびに太腿が文句を言う。


それでも四回目の帰り道には、昌子の足が勝手に商店街を抜けていた。


「昌子さん、来るのが普通になってきましたね」


真帆にそう言われた日、昌子はロッカーの鍵を指で回した。


「そう?」


「一か月、週に二回。ちゃんと来てます」


「ただ来てるだけだけど」


「それが一番難しいんです」


真帆は受付の下から、小さなノートを取り出した。


表紙には、青いマグロが泳いでいる。


「昌子さんの、からだ観察帳です」


「養殖日誌じゃないの?」


「人間の記録です」


一ページ目には、入会した日の体重と体脂肪率が書かれていた。空いている欄には、眠れたか、疲れが残っていないか、気分はどうだったか。


「毎回、こんなに書くの?」


「全部は書かなくていいです。書ける日に、書けるだけ」


「ゆるい」


「続けるためです」


真帆は、昌子が来た日にだけ青いスタンプを押した。


ビンナガの絵だった。


昌子はそれを見た。


「ちょっと、うれしい」


「でしょう」


一か月前には、どのマシンも似たような鉄の箱に見えた。今は違う。


脚で板を押せば太腿の前。胸の前を押せば、胸と腕の間。上から下りるバーを引けば、背中の奥。


昌子の身体には、名前も知らなかった場所がいくつもある。


「今日は背中が痛い」


ウォームアップを終えた昌子は、背中をさすった。


「昨日、何か重いもの持ちました?」


真帆が聞く。


「湊くんの納品書の箱」


「何箱?」


「三箱」


「それですね」


「三箱で?」


「三箱を、どんな姿勢で持ちました?」


昌子は少し考えた。


「急いでたから、こう」


腰を丸めて箱を抱える真似をすると、真帆が目を細めた。


「その持ち方は、ビンナガ以下です」


「魚以下の扱い、ここでもあるの」


「あります」


真帆は笑いながら、今日の重りを少し軽くした。


「身体は正直です。使った場所は、ちゃんと疲れます」


*


会社でも、昌子は少し変わった。


以前なら、湊が「昌子先輩、これ今日中に見てもらえますか」と言えば、何をしていても引き受けていた。


ある火曜日、湊が見積書を抱えて昌子の席へ来た。


「昌子先輩、これ、今日中に確認を」


言いかけてから、湊は壁の時計を見た。


六時を十分ほど過ぎている。


「明日でも大丈夫です。僕がもう一度、数字を見ます」


昌子は顔を上げた。


「急ぎじゃないの?」


「急ぎです。でも、僕が先にチェックします。明日、一緒に見てください」


昌子は見積書を受け取らなかった。


「じゃあ、そうして。最初から私の机に置かないでね」


湊は一瞬だけ目を丸くしたあと、うなずいた。


「はい。自分で見てから持ってきます」


昌子は鞄を肩へかける。


「今日はジムに行く日なの」


「火曜日ですから」


「覚えてたの?」


「火曜と土曜です」


「人の予定を覚えないで」


「先輩が火曜に来るようになって、僕も火曜に行くことにしたので」


「それ、私のせい?」


「いい意味です。背中の日なので」


湊は、あの日の川向酒場と同じ顔で笑った。


昌子は少しだけ、笑い返した。


「じゃあ明日、見せて。数字を見てからね」


*


その晩、マグロジムへ着くと、真帆が観察帳を開いた。


「一か月ですし、測ってみます?」


昌子は足を止めた。


「今日はやめようかな」


「嫌なら、今日はやめましょう」


「数字を見ると、いろいろ思うから」


「思ってもいいです。でも、数字だけで昌子さんを決めないでください」


真帆は体重計を指した。


「増えても減っても、理由が分かれば慌てずに済みます。次にどうするかも考えられます」


体重計に乗ると、数字が落ち着くまで少し時間がかかった。


昌子は目を細めた。


入会した日に測った数字より、1.6kg減っている。体脂肪率も、少し下がっていた。


「あれ」


「どうでした?」


「減ってる」


「よかったですね」


「本当に減ってる」


昌子はもう一度画面を見た。


「一か月で、こんなに」


真帆は驚く昌子に、観察帳を差し出した。


「食事も少し変えました?」


「夜の唐揚げとビールは、前より少ないかも」


「ちゃんと寝てます?」


昌子は少し考えた。


「トレーニングの日は、よく眠れます」


「それも大きいです」


昌子は日付と数字を書いた。その下に、少し迷ってから書く。


脚が少し軽い。


仕事で一つ断れた。


真帆は書き終わるまで、横からのぞかなかった。


「いいですね」


「何が」


「昌子さんの記録です」


*


帰宅してから、昌子は風呂上がりに鏡の前へ立った。


一か月で、身体が別人になるわけではない。お腹もある。腕も丸い。腰のあたりも、昨日までと同じだった。


けれど、いつもよりまっすぐ立っているように見えた。


昌子は横を向き、腹へ力を入れた。


何も起きない。


「まあ、一か月だし」


鏡の中の自分に言って、笑った。


寝る前、昌子は観察帳を机へ置いた。


青いビンナガのスタンプが四つ並んでいる。


身体は、まだ昨日とあまり変わらない。


けれど火曜日に行くことを、もう面倒だと思わなかった。


昌子は観察帳を閉じ、目覚ましを七時に合わせた。

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