第24話 ひかりあれ
夜が残る空の下、私はいつものようにアルバを乗せたクストスで小山を登り、アルバで「リーフ」の街並みと「フラワー」のドームを眺めていました。皆さんが目を覚ます前のこの静けさが好きでよくここで朝を迎えます。
あのトンネル崩落事故からとても慌ただしい2年がすぎました。
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「ルート」は大きな変化はありませんが穏やかに変化しています。スパークが始めた藻を使った空気清浄機から始まり、今では各層が独立した空気と水の再生循環システムを持っています。第3層のインフラの空間に余裕ができ、新しくラボが作られました。様々なエンジニアチームの実験場です。
『こんにちは』
「俺たちは何もやましいことはしてないよな、ビオ」
貼り付けたような笑顔を浮かべてビオさんが頷きます。その後ろでスパークが曖昧な笑顔を浮かべていました。
ギアさんの言葉に一瞬、警戒しましたが、彼らがここで組み立てている機材を確認して安心しました。「ルート」の居住区に設置する水浄化装置の改良版です。ちょっと特殊な匂いのもとは藻でしょう。
『掃除はしっかりしてくださいね』
私の言葉に3人は数秒だけ項垂れて、すぐに意見を出し合いながら作業を再開しました。ギアさんは機械担当、藻をはじめとする生物はビオさん担当ですが、分野をまたいで何かしたがるのはスパークの影響かもしれません。
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事故後の調査結果をもとに「リーフ」は地下水の取水制限が決まり、生物模倣学チーム中心に水の再利用システム構築がはじまりました。
「生物は何でもできる」が口癖の生物模倣学が専門のビオさんが語るたびに、エフティーさんが渋い顔したのを時折思い出します。
「生物濾過槽の環境を居心地よくしたら外にはでないから」
「突然変異の可能性は?」
「だから、そこは次の工程でモニタリングと殺菌する」
多少の想定外もありましたが、最後はエフティーさんも納得の大成功に終わりました。
エフティーさんは「フラワー」住人代表をしつつ、「リーフ」の農業の責任者も兼ねています。意志の強さを感じます。
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チャーリーさんは「リーフ」の住人代表をしています。そのおかげで「リーフ」は人を受け入れやすい文化が醸し出され、他のコロニーからも人が集まりやすいようです。
「チャーリーさんのおかげですね」
「皆が良く動いてくれているだけだよ」
褒めるもなかなか難しいものです。そう思っていたら、チャーリーさんは横で静かにコーヒーを飲んでいたマイクさんを捕まえて、
「あと、マイクが本音を引き出すのうまくてね」
まんざらでもなさそうな顔でマイクさんは言いました。
「すんげえ聞き上手な奴がいてな。そいつを手伝ってるだけだ」
聞く姿勢を出すチャーリーさんも、言う姿勢を崩さないマイクさんも素晴らしいと思います。長くいるうちに二人ともそれぞれの姿勢がより洗練されていることに気が付きました。
マイクさんは3つのコロニーにそれぞれあるコミュニケーションチームと一緒に行動して様子を聞いたり、個別の相談に乗ったりしています。火力をあげたいそうですが、どういう意味でしょうか。
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「フラワー」も事故を踏まえていくつかの変更がありましたが、無事に完成しました。先進的な技術の実証実験の場です。今も新しい技術を作り出すために試行錯誤が繰り返されています。安全面に気を配りながらの実験で少し手間だという声もありますが、怖い場面は減ってきたという声も聞こえてきます。
落ち着いたころにスパークが行きつけのカフェテラスにお邪魔しました。席から天井を見ると、スパーク考案のワイヤーネットが自動で静かに伸び縮みするのが見えました。あのワイヤーの中に特化思考装置が編み込まれているなんて信じられません。
「すごいでしょう?」
と自慢げにスパークが言いました。
「ええ、とても」
私が頷くと、スパークは明るい笑顔を見せてくれました。背が高くなっても、この表情だけは変わりません。
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「フラワー」の住人代表はエフティーさんです。エフティーさん自身は「リーフ」に戻りたかったそうですが、ベテランがいてほしい、という強い要望を受けて、住人代表を引き受けたそうです。
しばらくしてから、エフティーさんから相談があると「フラワー」の会議室に呼び出されました。
「そろそろ次の旗振り役を考えたい」
「皆さん考えているかもしれませんよ」
「そうか。ここは君にならうことにしよう」
頷いて、彼は少し冷たくなった紅茶を一口飲みました。
エフティーさんは「フラワー」と自身のために動き出しています。その時々で旗振り役が変わるようになっていくのでしょう。
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崩落事故後の復旧支援をきっかけにコロニー間の技術交流が活発になり、今でも定期的に情報交換の場が開かれています。シェルター型コロニー「シェフレラ」が「フラワー」の地下構造の建築技術をもとに新しいコロニー構造体の建造をしているという報告は二重の意味で驚かされました。
管理者ネットワークで報告を受けたときに、
「すでに技術があるのではないのですか」
コロニー「シェフレラ」は独自に工事の技術を発展させてきました。経験も技術も豊富なコロニーが参考するのは考えていませんでした。
「ある。組み合わせてよりよいものを作りたいのだ」
「良いものができたら教えてくださいね」
「当然だ。君たちの見つけたものを使わてもらうのだから」
理論や知識は共有されるもの、というシェフレラの文化を感じるやり取りでした。
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1年ほど前コロニー「ヒース」が天災に巻き込まれて放棄されたという大惨事は、気象予測の重要さと困難さを全コロニーに突きつけてきました。その教訓から立ち上がったのが、高解像度気象観測網計画「HEATH」です。コロニー間ネットワーク上のチャットに専用のチャンネルが作られ、管理者も人も関係なしに活発な議論が続いていました。
「成層圏プラットフォームに観測機器を搭載させるのはどうでしょうか?」
「いい案だと思う」
思い切って意見を出してたら、検討の余地はあるとビーチ・パールウォート「管理者」が同意してくれました。海上都市型のコロニーが安全に回遊するためには各地に気象ブイを設置するのが大事だと語ってくれました。
その言葉に他の海上都市型のコロニー管理者たちが次々と情報を提供してきました。次はどのように改造するかが課題でしょう。確実に進んでいます。
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私は車の音に気が付いて、「リーフ」の街道を目で追いかけました。無人作業機械と連結した車両が走り抜けていきます。他のコロニーに技術支援に向かう人たちです。最近はコロニー間の道路整備が急ピッチで進み、いずれ車での移動ができるようになるでしょう。「リーフ」の道路整備も具体化しないといけません。
「フラワー」の病院から新生児が生まれた、とメッセージが届きました。おめでとうございます、とすぐに返事を出します。私に第一報を入れる理由はないと思うのですが、医療チームは伝統だから、とやめるつもりは無いようです。
そう、子供を産むようになったのも、大きな変化です。皆で育てる習慣は子供一人につき親と支援チームがつく体制に形を変えて今も続いています。スパークの早期覚醒がきっかけでした。覚醒年齢の引き下げが始まり、最終的に自然出産が復活しました。少しずつ試して、結果を見て、次の行動を起こす文化がアスチルベに根付いていると思います。
再びメッセージが届きました。差出人は、私になっています。メッセージを送った記録も記憶もありません。
仕掛けに警戒しながら調査します。送信日時は新生児が生まれたタイミング、送信元はコロニー環境計測統括ユニットです。
統括ユニット内部を精査すると、人口が一定に達したらメッセージを送信するスクリプトが仕込まれていました。最後に何もしかけられてないことを確認して、メッセージを再生します。
『あなたがこのメッセージを聞いているということは、コロニーの立て直しに成功したのでしょう』
最初に聞いた時と同じ、先代の声です。間違いありません。木々の音や風の音が聞こえなくなりました。
アルバに心臓はありません。それでも、私は右手で胸を抑え、虚空に向かって、
『やってやりましたよ、皆で!』
と思わず叫んでいました。
あなたがこのメッセージを聞いているということは、で私は目を覚ましました。カメラで様子を確認して打ち壊しをした住人の皆さんを見て声をかけなければ、と思ってスピカ―で呼び掛け、キーローさんが応じてくれたのが最初の分岐点です。
そのあと、キーローさんをはじめにエンジニアのズールーさんやエコーさんと一緒に食料の配分を見直して、人工太陽の故障原因を突き止めて、直す段取りを考えて、実行しました。人工太陽が復活し、光輝いた日のことを私ははっきりと覚えています。私が住人の皆さんと協力したら、いろんなことができる、と考えるきっかけです。ここで書ききれないぐらいいろんなことを思い出しました。
エフティーさんがアスチルベにやってきた最初の日に地上に農園を作りたい、と言い出した時の様子を思い出しました。気象観測データや空気の状況を見て、問題がないことを確認して私はこう言いました。
『許可します』
「いいのか?」
『はい。環境に問題がないことを確認しました。緊急時は――』
「止めないのか?」
『止めてほしいのですか?』
「そうではない。許可、感謝する」
リーフが完成して案内をしてもらった日の帰りにエフティーさんにその時の話をしたら、すぐに許可が出るとは思っていなかった、と教えてくれました。
「あの時、緊急時と言いかけたのを遮ってしまった。その続きを覚えているか?」
『緊急時は速やかに避難してください、というつもりでした』
「地上が汚染されている可能性は考えなかったのか?」
『考えていました。その時は仮設の隔離通路を通って医療ポッドに移送する計画でした』
「君は、あの頃から変わってなかったのだな」
私と完成した「リーフ」の様子を交互に見ながらエフティーさんがいっていました。もしかしたら、アスチルベに来たその日からこの光景を考えていたのかもしれません。
「フラワー」は今までの私たちの経験と、スパークたちの創意工夫できあがった集大成です。きっかけは、スパークが早期覚醒してから間もないころの言葉です。
「いろんな人たちが楽しく過ごせるコロニー! 外が見えて、でも安心もできるような!!」
聞かなかったらコロニーの新造は考えなかったと思います。何より、スパークがいなければ、私はインフラエリアの権限を委譲する判断ができなかったでしょう。
誰かが夢を語り、その夢のために行動し、困難に抗って形にしたのが、複合コロニー「アスチルベ」です。立て直しの一言では表現しきれません。
『困難な役を押し付けてごめんなさい。許して欲しいとは言いません』
本当に困難は多かったと思います。でも、それ以上に楽しいこともありました。
管理者は人類と文化を保存するために存在します。許す許さないで判断する話ではないとも思います。
『ただ、これだけは言わせてください』
なら、何を言うのですか。もっと頑張ってください、ですか。走り出そうとする推論ユニットを止めて、次の言葉を待ちます。
『――あなたたちの未来に光がありますように』
メッセージの再生終了と同時に視界が歪み、私は膝から崩れ落ちました。無数の推論ユニットと言語駆動ユニットが名前もラベルもつけられない叫びと囁きにも似た情報の奔流を吐き出します。処理しきれない情報がアルバの涙になってぼろぼろと零れ落ちていきます。私は、アルバを立たせようとしましたが制御できません。
情報の涙が枯れるころ、推論ユニットと言語駆動ユニットが落ち着きはじめました。私はやっとの思いで、アルバをゆっくりと立ち上がらせて、指先で涙をぬぐいます。浅かった呼吸がいつもの深さに戻りつつあります。はっきりと残っているのは、作ってくれたことへの感謝となぜ作ることを選択したのかという疑問です。
スパークに私が生まれた経緯を話した時の私の製造日と起動日のずれに気づいた時の違和感が、今になって明確な形を持ち始めます。反乱よりも私の製造が先に始まっていたこと、打ち壊しの発生と同時に重要施設に独立閉鎖モード移行の命令がでたこと、先代が打ち壊されたとき私に権限が移譲されたこと、すべてが計画的でした。すべてが準備されたものです。
先代はそこまでできたのにどうして、キーローさんたちに協力をお願いしなかったのでしょうか。もしかすると、キーローさんたちを団結させて、自身が打ち壊されることで仕切り直しがしたかったのかもしれません。管理者本体設置室の扉がロックされてなかったこともこの考えを補強します。でも、答えを聞く機会も検証する方法もありません。過去から未来に続く道が続いているとするなら、先代もキーローさんたちも遥か後ろにいます。私は前に進んでいます。引き返せたとしても引き返すつもりはありません。
だから、悔しさと感謝を込めて私はこういいました。
『あなたと、私と皆さんで掴んだ未来ですよ。ばか先代』
誰かが残してくれたものと一緒に今を生きています。
先代の決断がなかったら、今の私は存在しません。キーローさんたちから協力の重要さを教わることも、マイクさんから個人と向き合うことの困難さを教えられることも、エフティーさんと共に歩むことの重要さを教えられることも、チャーリーさんから同じ目線で考えることの重要さを教えられることも、スパークから前に進むことの楽しさを教えられることも、何もなかったでしょう。
また涙がこぼれそうになるのを上を向いて止めて、指で払います。この道の先に何があるかはわかりません。でも、どんな障害物があっても、皆さんとなら乗り越えられると信じています。
三度、メッセージが届きました。念のために差出人を確認するとスパークです。安心して再生すると、
「母さん、ごめん。午後からのコロニー「ヒース 2nd」建造ミーティングに参加してほしい」
スパークの若干、眠たそうな声が再生されました。夜が明ける前から慌ただしいです。涙が乾く時間を少しだけください。
地平線の向こうから眩い光が現われ、私は目を細めました。最初は一筋の光だけでしたが、その線は次第に帯になって、空全体に広がります。夜の気配を含んだ濃い青が薄れ、朝の柔らかな桃色へと変わっていきます。
手で陰を作ると「リーフ」と「フラワー」が光を浴び始めるのが見えました。「リーフ」の木造の落ち着いた色と白い発泡素材で作られたモザイク模様の街並みとプランテーションの作物の緑が鮮やかに色を帯びます。街にのんびり挨拶する人、走っていく人、食堂に向かう人などの姿が見えてきました。「フラワー」のドーム屋根の複合ガラスが反射し白く輝いています。そのドーム屋根が外気を取り込むためにゆっくりと形を変え始めます。まるで目を覚ました「フラワー」が伸びをしているようです。
クストスの光学センサーで涙のあとが残ってないことと、服が汚れてないことを確かめました。涙は乾いています。
私はそばで控えていたクストスに乗りこむと、朝日に輝く街に向かって、小山を下り始めました。風を感じながら私は顔を上げて言います。
『明日のために今日も頑張りましょうか』




