おかえりなさい
議員本人が誘拐を行った事実はすぐに公開され、メディアは箍が外れたようにどこもかしこもこの話題を取り上げた。
被害者である葵の身元を伏せ、誘拐及び監禁の現場に踏み込んだら議員夫婦がいた。という内容で彼らを検挙した。さすがに本人が現行犯で逮捕されては権威も地に落ちる。カを失った権力者ほどの見世物は他にないのだろう。ワイドショーやバラエティじみたニュース番組では裏付けのない話まで真実のように話されるようになり、実はスナッフフィルムの被害者は四人いただとか、使用人も全員共犯だとか、尾ひれはみるみる肥大していった。
「いやあ~、爽快だな! 被害者でっち上げてマジで四人居たって風にしようよ!」
「しません」
「馬鹿を言うな」
ドーラ号の団員はそんなことを言う人も居たが、アーヴィンとリーダに一刀両断されていた。
アーヴィンは強くリーダに彼らにインターネット環境を与えるなと言って、真実以上の騒ぎも起こさず、だからといってデマの払拭もするなと指示した。リーダももちろんそのつもりだと応じた。余計な足跡を残すだけだ。無関係な使用人が煽りを受けてしまっていることに同情する団員もいたが、その火消しは我々の仕事ではないと宥めた。
葵はハムの治療も受けてすっかり元気になっていた。腕の風穴など痕を見なければあったことを忘れてしまいかねないほどだ。この痕もいずれ綺麗に肌色に戻るらしい。
つきっきりでリネが看病してくれたおかげで怠情な人間ができあがりそうだ。
葵は久しぶりにベッドからぴょんと飛び降りて、特待の船に向かおうと医務室の扉を開けて、
「…………何してるんですか…」
死に神のような青色の顔をした男にすぐにベッドに戻された。
開けて目の前に現れた男に監視されていたのかと疑いたくなる。手に果物を持っているから本当にたまたまなんだろうけど、奴なら有り得る。
「まだ安静が必要です」
「本当に大分よくなったんだけど」
「まだ駄目です!」
「分かった、分かった」
もうしっかり切られているリンゴをリネは更に細かく裁断しながら葵を叱った。一口サイズにしてくれるとのことだったが、葵のロをどれだけ小さいと思い込んでいるのか不安になるほど小さかった。葵はリネが切ってくれたものを端からさくさく食べていった。
「ニュースが見たいだけなのよ。せめて新聞とか持ってきてくれない?」
「目に毒です。姉さまは二度とあんな醜悪なものは見なくていいです。あんなゴミ畜生」
「…………何で知ってるの」
「あ……」
勢いに任せて出た悪態をそっくりリネが言うものだから、葵は心が凍る思いだった。
いくらなんでも口が悪すぎる。
「………トントが、アーヴィンの指示で盗聴器を仕込んでいて」
リネは姉と目を合わせないようにして、小さな声で言った。
アーヴィンが仕込んだ盗聴器と言うことは、つまり、全員あの会話を聞いたわけだ。
あの時は頭が沸騰していただけだといういいわけをどれだけの人間が信じてくれるだろう。多分口ではそうかそうかと言うだろうが、誰も信じはしまい。葵は消したい記憶を不特定多数の脳に刻んでしまったことを後悔して目を覆った。
「姉さまは…口が悪いです」
「あん?」
床の方へ視線を向けながら遠慮がちに言われた言葉に、思わず顔を上げた。
なんてことを言うんだ。
「それに…、それに、実はちょっと乱暴です」
「腕を切ったり皮を剥いだりする人間に言われたくないわ」
鞭で打つよりパーでぶつ方がよっぼど健全だったと自負していたがいちゃもんを付ける気なんだろうか。あれは正当防衛、正当防衛だ。間違いない。
「でも、でも好きです」
リネは持っていた果物ナイフと皿をかしゃんとその辺に置いて、姿勢を正して葵に向き直った。
その口調があまりに真に迫っていたので、葵は口に運びかけていたリンゴを咥えきれずに落としてしまった。ベッドの下に転がっていったのを慌てて追いかけて上体を戻してきたら、相変わらず背筋の伸びたリネが下唇を噛みながら待っていた。
「姉さまが、聖人君子じゃなくても、考え無しでも、乱暴者でも、俺はあなたが好きです」
下方から現れた手に両手を取られて、また小さなリンゴは床に落ちていってしまった。
でも、葵は追いかけられなかった。
「すみません、ご迷惑なの、本当は分かっています。でも、でも好きなんです。俺には、これ以外、どうしたらいいか分からないから、俺なんかのところに、手を離したら、俺なんかのところに戻ってくるわけないって分かっているから、どうしたらいいか分からないんです。手放したくありません。ここに戻ってくるって約束を信じることも出来ません。どうしたらいいか教えてください。姉さまは神様じゃないから何でも知っているわけじゃないって、分かりました。でも好きです。神様じゃなくても、あなたが好きです」
こういった類のことを言われるのは初めてではなかったのだが、葵は口を開けたまま固まってしまった。
驚きでいっぱいで目を逸らすごともできない。
でも、いつもとは少し違うことだけどこかで分かっていた。
「ごめんなさい僕は、あなたからの答えがほしい」
葵は―――答えられなかった。
不安げに揺れる空色の瞳に、額くことも、突き放すことも、どちらも頭に浮かんでこなかった。
リネの手は震えていてカがこもっていなかった。でも、葵はその手を剥がそうとはしなかった。
姉の眉が困ったように寄せられて、黒い瞳がゆっくり下に伏せられていくのを、リネは泣き喚きたくなるのを導えながら黙って見ていた。
***
不安定な空の上にいる以上、割れない皿を使っているのに、フォークを突き刺した途端ばっくり二つに割れた。
ユノーの靴紐が切れた。
ジャックのスーツのボタンが三つ取れた。
アーヴィンの使っていたキーボードのエンターキーが消えた。
マリアンヌの髪の毛は雨でもないのにまとまりが悪い。
「不吉な…」
「大袈裟な」
特待の四人が顔を寄せて重たげに何を話しているかと思えば、今日はどこか調子が悪いという話だった。
ここ数日間気を張り続けて昼も夜もなく対応していたせいで、一応の落着を見せたから気が抜けているのだろうとリーダは慰めた。
「まだ考えなければならないこととやらなければならないことはあります。ドーラ号の処遇について、など」
アーヴィンは首を横に傾けて目を閉じた。議員を正当に処罰することより、難しいらしい。
「今回のことは、世話になった。皆のよい経験にもなったと思う。あなたたちにとって、害のない選択をしてくれ」
「もちろんそのつもりです」
「お前たちの存在は我々にとっても行動の選択範囲が広がる益があった。統率も取れている。個々の意見は主張するにしても計画に支障はきたさない。こちらこそ世話になったな」
「私としては諸手続が面倒なので以前通り追いつ追われつの関係に戻るのが楽かと思ったのですが、ユノーがこの有様です。デスクワークができる者があれば私ももう少し前向きになるのですが」
今度は天井に向けて頭を倒して、アーヴィンは重い溜息を吐いた。一大事に向けて重い腰が動かないといった風だ。
「何事も教え始めなければ出来ませんわ。素質のある方はいらっしゃると思います。何より女性が増えるところがよろしいですわ」
マリアンヌはこの数日でかにゃんとずいぶん仲が深まったようだった。
化粧品にもお互い詳しいし、気の強いところがぶつかることもあるがその分気が合うことも多い。さっぱりしているから引きずらないところも相性がいいのだろう。
彼女以外にも、マリアンヌの仕事に興味を持つ団員がいて、ハッキングの基礎について軽く教えてやると目を輝かせて更なる教示をせがんでくる者もいた。機器作業を一手に担っていた身としては、後続が生まれるのは嬉しいことのようだ。
「リーダ、大変よ!」
「どうした、かにゃん」
大部屋にかにゃんが駆け込んできた。
手に媒けた布きれを持っている。
「エンジンに巻き込まれて…!」
「! それは服か? ! 誰が巻き込まれたんだ!」
「いえ、洗濯に持って行こうとした服だけが巻き込まれたんだけど」
「……なんだ…。そうか、よかった…。それでそれがどうした」
「葵とリネとお揃いで買った服よ」
いつか三人で買い物に行って、女物の服をリネが無理矢理購入したことを、かにゃんは母のような温かい瞳を宙に向けて思い出した。
「燃えたわ」
「そうか」
「不吉だわ…」
そして橙の瞳に陰りを灯して、手元の焼け焦げたカスを見つめた。
今日はなんだか験が悪い。
アーヴィンはドーラ号の今後についてはあまりに重い議題過ぎてこんな悪しき日にやるべきではないと考えた。それよりも、さっくり終わらせられることから始めていこう。
葵を、日本に帰すことについての方だ。
***
「ごめんね」
一つだけ深呼吸した後、葵は目を上げて、震える空色をしっかり見ながら答えた。
リネは噛んでいた唇をもう一度強く噛んでから、何度か口をぱくぱく開閉させて、目を泳がせて、ぐいっと身を寄せてきた。
「あのですね! あの、好きというのは、答えがほしいというのはですね、あの、いやらしいことをしたいとかそういう、ええと、そういう相手になってほしいというわけではなくてですね」
「ああ、うん、分かってる。えっ、恋人になってほしいって意味だったの?」
「違います!! こいっ、こいびとですって?! 不埒です!」
何故か責められた。
以前のキスマークといい、こいつが卑猥言語と見なす範囲が分からない。恋人って不埒なのか。
真っ赤な顔をしたリネがその熱を振り払うように頭を振った。葵は幾分冷めた頭でその様子をただ見ていた。割といつも通りだ。
「そんな烏滸がましいこと言いません。俺は…、あなたときょうだいになれたらって…。俺の姉さまに、なって、ほしい……………、というか………」
リネの語尾は徐々に沈んで小さくなっていった。
これはおそらく本心ではあろうが半分くらいは嘘で、そもそものあの告白には若十不埒な意味も含んでいたのだと葵は直感した。長いこと一緒にいすぎたかもしれない。彼のことがだんだん分かるようになってきた。しかし葵は以前ほどそれを不愉快に感じなかった。
「すいません、半分嘘です」
姉に嘘を吐いているのがいたたまれなくなった被疑者が白状した。
今度はリネが頭を垂れる番だった。手こそ離さないが顔はがっつり下を向いてしまってもう合わす顔がないといった様子だ。
「俺は…、僕は、どう変わったらいいでしょう」
「分からない」
「姉きまの理想の人物像を教えてください」
「あなたがそれになっても私が君を好きになるとは限らない」
リネは捕まえていた葵の手の上に額を置いて、静かになった。なんとなくその後頭部を撫でてやりたいような気持ちになったが、それは今の会話の内容から言っても適切な対応ではないように理性が訴えている気がするし、そもそも両手が拘束されているので葵は早々に諦めた。
「君は、私に何をしたか自覚があるの?」
「…すみません」
「あるのね?」
「誘拐して、監禁して、怪我を負わせて、精神的に迫害して、」
「いやそこまでは…。そこまでしたのかもしれないけど…、あれ…?」
確かに怪我はしたがそれがリネによるものだったか葵は自信をなくした。精神的に迫害はされたのは間違いないが、今の葵の精神は健康そのものだ。痕の残らない負傷だったらしい。
「君にはたくさん助けられたけど、そもそも君がここに連れてこなければ悪い目にはあわずに済んだ」
「はい、すみません」
「君は加害者で私は被害者だ」
「償います」
リネは勢いよく顔を上げて叫ぶように言った。
危うく顎をリネの頭に強打するところだった。
「どうやって?」
「それは、えーと、ええと…、アーヴィンとかに、協力してもらって」
「ええ、もちろん協力しましょう! あなたがやる気で私も嬉しいです」
突如医務室の扉が横に吹っ飛んで開かれた。
スライド式のドアは反対側にガツンと当たって戻り、一瞬姿を現したアーヴィンを隠してしまった。
呆然とする葵とリネのいる室内に、ユノーに抱きかかえられたアーヴィンと、リーダにかにゃんが入ってきた。その後に小箱を抱えたエルロイが続いてきて、部屋には入らなかったが、とてもにこやかなマーロが廊下から手を振っていた。
「聞いていたのね」
「私はさっさと入ろうといいましたが、先に耳を立てていた彼らが今はやめろと言ってきました」
アーヴィンは指で出入り口の方を指した。マーロを筆頭に数名の団員が頬の緩んだ顔を揃えてわらわらと覗き込んでいる。
「葵は真面目が過ぎますね。恋愛というのはもっと柔軟に」
「恋愛?! 姉さまの前で不埒な物言いはやめてください!」
リネの乗った椅子を奥に無理矢理ずらして、隣にパイプ椅子を置いてアーヴィンは納まった。
するりと離れていった姉の手をリネは慌てて追いかけて、なんとか片手だけは死守した。
「色々条件は付けますが、葵、日本に帰っていいですよ」
「えっ!」
「えっ?! 駄目です!」
「リネ」
鈴のような音を鳴らしてかにゃんがリネの頭をはたいた。彼女の腕の装飾が軽快に鳴るのを聞くのも久しぶりだ。
「あなたは私にとって油断のならない人間です。ですので、定期的に特待の船に戻って頂き、それまでの行動について報告して頂きます」
「何でよ」
「うっかり口を滑らすような平和ぼけした人間になっていないかの確認です。あと仕事を手伝ってもらいます。大丈夫、恩赦以外の報酬を約束します。日本行政とは話が付いています。ちなみにあなたの元々の就職先については既に離職手続きをしています。あなたは特待の仕事をしない限り現在無職です」
仕事が早い、というより、元々そのつもりで動いていたようだ。隣に立つユノーが苦笑している。
「ドーラ号とは信頼関係を築くまで、人員交流を積んでいこうと思います」
「人員交流?」
「ドーラ号の団員から数名を特待の業務に採用し、その功績を記録します。実績がなければ上の説得は難しい」
独立って大変ですね、とアーヴィンは漏らした。
皆が揃う方とは反対側のベッド際に、エルロイは腰を下ろして葵の脈を測り、彼女の気がそれている内に毒々しい色の何かを血管に注入した。
「リネには基本、特待の方で活動してもらいます」
「姉さまには、姉さまとは連絡を」
「私と常に取れるようにしてもらいます。あなたが私と話したいならそちらからの連絡も許しますよ」
「かにゃんとか…、マーロとか、エルロイとか、ドーラ号の皆とも話せる?」
「私を一度通してもらいますし、会話の内容は特待メンバーの誰かが聞くことになりますが構いませんね」
じゃらじゃらの装飾が付いた褐色の両手を、かにゃんが嬉しそうに葵に向けて伸ばしてきたので、葵はその手をタッチして応えた。
あいにくリネによって片手は塞がっているので片手でのハイタッチになってしまった。
「リネはこんな精神状態なので、あなたも頻繁に我々の船に戻るように」
「空にいるのに、どうやって」
「マーク号を迎えに寄越す。会いたくなったら連絡をくれ」
一歩退いたところで成り行きを見ていたリーダが優しい声でそう言った。
アーヴィンとは既に詳細まで諸々話し合いがついたのだろう。納得のいった面持ちだ。
「葵、リネを許してくれる?」
かにゃんはリネの頭の上に手を乗せて、悪戯そうに笑っていた。
もうこちらの返事なんて分かりきっているような顔だ。
「まあ…、今後のリネ次第ね」
「姉さまじゃなくて、お名前で読んでもいいですか?」
かにゃんを吹っ飛ばしそうな勢いでリネは俯いていた顔を上げた。
「それは別に、いいけど」
「あなたは理想の姉さまではなかったけど、俺の、理想のひとです。あなたの一つ一つが全て理想です」
「…が、がんばりなさいよ」
「はい!」
とうとうリネは椅子を吹っ飛ばして立ち上がり、葵にぐいっと近寄った。
飛んできた椅子を辛うじて避けたかにゃんは怒ったように拳を上げたが、すぐに下ろした。
リネは涙が零れる前に葵に抱きついて、もう一度小さく「はい」と言った。
彼の背中を軽く抱き返す手には、まだ握られていた時の痛みと温もりが、ほんのり残っているようだった。
そうして葵は地上に、リネは空に帰って行った。
天地の交わりはほんの僅かの間だったけれど、その境に橋の架かる別れとなった。
おかえりなさい、葵。彼女が再び空に帰る日は、そう遠くない。
おわりです。ありがとうございました。
第一回からお付き合い頂いた方、感想·レビュー·評価·BKMしてくださった方、本当に励みになりました。
あと誤字脱字指摘してくださった方な…、ほんと、ありがとな…すみません…ありがとう…ごめんなさいでした…ありがとう…。
合間合間に入れたかったけれど形にならなかった小ネタがあるので、それらはまたシリーズのくくりか何かにして番外編で上げられたら不定期に上げていきたいです。
また、次は殺し屋さんに異世界に呼ばれた一般女性が相変わらず理不尽な目にあうお話を書いていこうと思います。世界観はえげつないですがほのぼのやっていく予定です。ご縁がありましたらまた宜しくお付き合いください。
好き勝手書きたいものをという気持ちで始めたのですが、皆さんから頂いた一つ一つが書く力になりました。少しでもお暇のお慰めになったならば幸い。改めまして、本当にありがとうございました。




