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交流

 顔色の悪い人間に顔色が悪いと指摘された。

 しかも二人続けて。

 ジャックもアーヴィンも青ざめているか色のない肌色をしているくせに、葵の頭を見た途端「うわっ…」と少し距離を取るような仕草を見せた。不愉快だったが、自分の顔の酷さを自覚して、葵はますます暗い気持ちになった。

 着陸するまで意識の戻らなかった男は改めて拘束されて一先ず牢屋に放り込まれた。葵やリネも入っていた透明な壁の狭い牢屋だ。


「うーん、アレは可愛くないね」


 ユノーに担がれた男を遠目で見たトントの感想は以上だった。それより他に何も言うことはないようで、青いとリネを出迎えた後に興味深そうにユノーが降りてくるのを覗き見ていたはずが、その姿を見るやいなやあくびをしながら引っ込んでいってしまった。トントが男に好意を抱かなかったことに対して、何故か安心する自分に葵は嫌悪感を持った。

 パチパチと自分の頬を両手で叩く葵を、リネは不思議そうに覗き込んできた。まだ瞳孔が開いている。

 心変わりして男を殺したくなったらいつでも言ってくださいと言ったきり大人しくなったものの、納得していないことをす隠す様子もない。葵が身じろぎするたびにナイフを取り出して期待した目で見てくるので葵はぴくりとも動けなかった。


「葵の傷の手当てを。リネも。発熱はありませんか?」

「うん。ちょっと痛むけど、気分は大丈夫。指先に力が入らないかも」

「優秀な薬を調合されたようですね。麻酔というわけでもない。興味深いです」

「あなたと同郷の子が作った薬だよ」

「…………………………………私の産まれた場所については喋らない約束です」


 葵は慌てて謝罪した。彼の故郷を公にされるかもしれないという不安を煽ってしまったに違いない。刑期は間違いなく延びただろう。

 しかし頬を膨らませてコップを机に打ち付けているあたり、本気で怒っているわけではなさそうだ。あからさまな不機嫌アピールをするときは都合よく自分の要求を相手に呑ませる機会を得たと喜んでいるときだと、ユノーが教えてくれた。

 申し訳なさもあってアーヴィンのコップを受け取ってミルクを入れようとしたが、ユノーに取り上げられて治療を優先するように指示を受けた。専門医はいないようなので、知識の深いアーヴィンが化膿止めや仮縫合を行って、その後地上に降りてきちんとした医療機関から医師を要請するらしい。


「大怪我ですし本来なら最も近くの病院に搬送するところですが、危険人物を収容しているのでこの人物の受け入れ国に直行したいです。すぐに着きますので、もうしばらく我慢してもらえますか。薬が切れたら言ってください。その時は怪我人を優先します」

「うん、大丈夫。保護した子もすぐに病院に入れてあげなければいけないし、そちらを優先してもらえれば」

「そうですね。その子供も病院に受け入れられるといいのですが」


 麻酔されて痺れも痛みも感じなくなった腕を太い糸で縫っていくアーヴィンから不穏な言葉が出てきたが、深く聞く余地は与えられなかった。彼は医学は付け焼き刃しか学んでいない上資格は持っていないから本当はこんな措置はできない、というより、してはいけないらしい。そういったことを休みなくしつこく何度も繰り返し言い聞かせられ続けた。他言無用の項目が一つ増えた。


「医療チームを配属しないことに問題があると思いませんか」

「応急処置だけして病院に行けと言うことなのでは?」

「そうですけど、そうしている暇もない状況も有り得るでしょう。私の脳みそが医術に秀でていることに対してボーナスが与えられるべきです」


 葵の手当を終えるとすぐに、必要ないと何度も言って聞かないリネをユノーに引きずらせて連れてこさせて、押さえつけながら治療して、さっさとまた大部屋の自室に戻っていった。


「子供は?」

「一時的に私の部屋に入れています。部屋の前を通るときは、物音を立てないようにしてください。耳がよく人の足音に過敏に反応しています」


 めったに部屋に戻らないアーヴィンの自室に、保護した子供は入ったらしい。

 船は徐々に降下していって、やがて実に久しぶりの土を、近くに感じられることとなった。


「あなた方は降りられません」

「そんなこと言わずに」

「降りる必要がありません。待機です。これ以上食い下がるなら手錠付けますよ」


 脱走できるとは思っていないが、この船内以外の新鮮な空気を目一杯吸い込めると期待していたのに、ひどい裏切りだった。

 代わりにジャックが開閉可能な部分の窓を開けてくれて、換気をしてくれた。彼もすがすがしい爽やかな空気を楽しんでいるようだ。


「久しぶりにタバコ吸おうかなあ!」

「その火を姉さまに押しつけようというわけですね」

「何でえ? ナイフしまって?」


 何故かいきなり殺気立ったリネを見て、ジャックは慌てて葵の背に隠れた。

 葵も何故そんな考えに飛躍したのか訳が分からず、野生動物を宥めるような態度で沈静化を図った。


「姉さま、騙されてはいけません。ここの人間は供述を得るためにタバコの火で拷問を行うような卑劣な人間なんです」

「まさか」

「事実です」証拠があります。トントが実際に」

「トントの言うことは信じない」

「ええ~、ネエサマちゃん、どうしてえ? ボクってば信用に足る人間だよお?」


 一応、念のため、万が一に備えてアーヴィンに確認を取ったが、そんな証拠の残るような阿呆な方法は取らないと一刀両断された。

 でも確かにトントの胸に火傷のような傷痕があったのを、葵は思い出した。


「あるよ。タバコのアト。まあ、特待の人たちにやられたとは言っていないけど」


 リネはナイフを下ろした。

 自分の勘違いだったと反省している様子だ。

 絶対に、間違いなく、そう勘違いするように誘導したに違いないと葵は確信したが、これでもまだトントを信用しようというリネをわざわざかき乱すようなことも面倒だったのでやめておいた。


「昔、好きだったコに付けてもらったんだ。ネエサマちゃんも付けてもいいよ」

「………」

「あ、でも、リィネくんの方がいい反応しそう。やっぱやめ。ネエサマちゃんはダメ」


 反応することが間違いだと分かってはいたが、葵はどうにも耐えられなくなって、トントの肘のあたりをぺんっと軽くはたいた。トントは嬉しそうだった。リネは羨ましそうに歯噛みしていた。


 ユノーとマリアンヌは縛られたままの男を連れて船を降りていった。

 子供もすぐに連れて行かれると思ったが、その日は夜になっても二人は帰ってこず、アーヴィンも子供をどうにかしようとはしなかった。窓の外には星ではなく街の光がぽつぽつと散らばっている。朝まで、珍しく静かな夜を過ごした。


 ***


 眩しい日差しがいつもより少し遠い朝だ。

 空と共に街は起床し、すぐ近くで、朝一番の便だろうか、飛行機が飛び立つ音が聞こえる。

 特待の飛行船が停泊している場所はこの国で一際大きな空港の一角なので、昼も夜もなく飛行機の飛び交う音が遠くから聞こえていた。マリアンヌのいない一人きりの部屋で、葵は窓からそれを見て、どれに乗れば日本に帰れるだろうかと無意味なことを考えながら身支度を調えた。

 そうして大部屋に着くと、いつも通り机の上で山座りしているアーヴィンに、開口ー番「遅い」と罵られた。

 時計を見てみたが朝六時半。

 曹段とさほど変わらない起床時間だ。比較的早いほうだとすら思っていた。リネもトントもジャックも姿が見えない。


「そうだった? ごめん」

「大事なことを忘れていました」

「はあ」

「夜中にあなたが来ていればそのことはすぐに解決でさました。でもあなたは来ませんでした」

「昨夜はとても静かだったから、すごくよく眠れました」

「普通ならあんな恐ろしいことを体験して腕に鉄砲玉を喰らっている人間は眠れない夜を過ごすものです。あなたの神経の図太さには憤慨すら覚えます」

「なに…、なに怒ってんの」


 理不尽すら感じる物言いに、不機嫌を顕わにした態度に、葵はむしろ心配になってアーヴィンの方へ近付き、目線を合わせるように屈んだ。


「少年の食事を失念していました」

「えっ」

「保護した子供に食事を与えていません」

「なんてことを」

「動けない私に代わってあなたが気付くべきでした!」

「保護したあなたが気付くべきだったと思うけど?!」

「気付いたけどあなたは寝ていたんです! こういうのはユノーの仕事なんです!」


 熱気が高まってきたがすぐに二人は落ち着いた。

 こんなことを言い合っている場合ではない。

 その子供…アーヴィンの言葉を聞くにその子は男の子のようだが、彼は昨日一晩何も食べていないことになる。かにゃんや梁が攫ってきてから食事を与えていなければ、丸一日食べていないかもしれない。


「な、何か作らないと」

「ええ、その通りです。葵、何か作ってください」

「冷蔵室行ってみる。行ってみていい?」

「もちろんです。パスワードを…、ええと…」


 いつもならジャックが出入りしている冷蔵室に葵は走って行った。

 おそらく"拘留中"という扱いの葵やリネには触らせられない場所なのだろうが、どこにあるかくらいは知っていた。

 中には大量のパッケージ類が並んでいて、新鮮らしいものは何もなかったが、冷凍された米や肉類は保管されていた。


「とりあえず私たちがいつも食べているような一食まるっとお弁当になっているものは持ってきたけど…」

「馬鹿じゃないですか? 彼を見たでしょう。ろくなものを与えられていないのです。いきなりがっつり固形物食べたら死にます」

「死ぬの?!」

「胃に優しいものを与えるべきです。おかゆとか、野菜がドロドロに溶けきったシチューとか」

「…………アーヴィン、私、黙っていたけど料理できないのよ」


 アーヴィンの机からペンやらマウスやらホチキスやら定規やらとにかく色んなものが投げつけられてきた。

 葵は甘んじて受け入れた。ほとんど届かず床に落ちていたし。

 知識だけはあるらしいアーヴィンをなるべく台所の近くの机に設置して、指示を受けながら葵はおかゆを作った。


「卵を入れるといいそうです」

「生卵はさすがにないのでは」

「じゃあ…梅…、など」

「梅干しだったらあった気がする」


 七転八倒しながらおかゆは完成した。

 ただ水の量を多めに米と一緒に火にかけるだけの作業なのに何故こんなに手こずるのかアーヴィンは不思議だった。


「それで、これ、持って行けばいいの?」

「いいですか、足音を立てないように、しかしいきなり現れて驚かさないように。怖がらせないように。刺激しないように、大声を出さないように、近付きすぎないように。食事を摂るのを必ず確認するように。あとこれも失念していましたが、部屋に怪我をさせるようなものがあれば回収してくるように。ただしあまり部屋を動き回って不審に思われないように」


 あまりに大量の指示を出されて葵は怒りと不安を同時にかき立てられた。

 自分が行って果たして問題ないのか、身に余る大役を任されたのではないか。


「そのおかゆ、熱すぎるのではありませんか? 彼の食べよい温度まで下げてから勧めるように」

「注文が…多い…」


 アーヴィンなりに不憫な子供を気遣っているのだろうが、私のことも気遣ってほしい。

 しかし少年の境遇を思えばそれほどの配慮をしても足りないくらいなんだろう。

 葵はおかゆの蓋を開けて少し冷めるのを待ってから(その間中アーヴィンの指示を聞き続けながら)、小さめのレンゲと手拭きと水をお盆に乗せて意を決して大部屋を出た。立ち去っていく葵を大部屋からアーヴィンが見送っていた。分厚い前髪で目が見えないが、心なし不安げだ。

 教えられたとおり六桁のパスワードを入れて、扉を開ける。

 中は廊下よりは暗かったが、窓から指す光が部屋を暗闇から救っていた。しかしリネの言っていた目に痛いかもしれないと言う発言を思い出して、葵は食事をおいたらカーテンを閉めなければならないと考えた。

 中をぐるりと見てみたが、人影らしいものはなかった。


 ―――と、思ったが、居た。


 タンスと壁の僅かな隙間に身を入れて縮こまっていた。しかし歯を噛み締めて強くこちらを睨んでいて、隠れてはいるがいつでも攻撃できそうな姿勢だった。

 怖がらせないように、と言う指示をまず思い出して、葵は床に膝をついた。

 そしておかゆの入った盆を下に置くと、蓋を開けて、腕を伸ばして少年の方に押し出した。

 昨日のグライダーの中よりも彼の姿はよりはっきりと見えた。ぼろぼろに破れて黄ばんだタンクトップに短パン姿。確かに少女と言うよりは少年のようだ。

 警戒しているのが、皿にも近付こうとしなかったので、葵は部屋の端っこの方まで自分の身を滑らせて距離を取ってみた。ベッドの輪に身を隠してみたりして、なるべく彼の視界から外れようと努力してみた。姿が見えなければ食事にありつくかもしれないと考えたのだったが、彼は近付いてこなかった。

 仕方なく部屋から出て、扉を閉め、壁に耳を当てて中の状況を盗み聞きしてみた。

 しばらく無音だった。しかし食べ終わるのを見届けろと言われている手前、大部屋には戻れない。

 そのまま壁に身を預けて息を殺していると、カタカタと何かがぶつかるような小さな音が聞こえて、やがてまた静かになった。

 葵は小さな声で「入るね~」と声をかけてから、ゆっくりと扉を開いた。

 素早い動きで再び隙間に入っていく影が見えた後、床に置いたおかゆのがすっかり空になっているのが確認できた。葵も犬のように四つ足で近付いていってよく確認してみると、レングを使った形跡はなく、床やお盆がちょっとべたついていた。一緒に持ってきた布巾で辺りを拭きつつ、「美味しかった?」とか「よく眠れた?」とか声をかけてみたが、少年は何も返さなかった。

 一度廊下の方へお盆を戻すと、もう一度部屋に入って、机の上に放置されていた文房具や分厚い本なんかを鍵のかかる引き出しに戻していった。膝立ち以上には体を起こさないようにしていたので大分やりにくかったが、ちょっと手を挙げただけでも少年が体を壁やタンスにぶつけながら威嚇してくるので、辛抱するしかなかった。彼のことを怖いとは思わなかった。怯えられているのが少し寂しいくらいだった。葵はなるべく静かで柔らかい声になるように注意しながら、絶えず声をかけ続けた。


「これは落ちてきたら危ないから、ここにしまうね、その為にちょっと手を上げます」

「椅子が動くようになっているので、足にロックをかけるね」

「こ、これはなんだろうね。積み木かな…? とりあえずしまっとくね」


 理解されているかどうかは分からなかったが、とにかく自分が何故このようなことをしているのか少しでも分かってもらえれば、敵意がないと安心できるかもしれないと考えた結果だった。

 少年は鍵のかかる音や葵の背が伸びるたびにビクついていたが、ちょっとずつその反応も落ち着いていった。


「眩しいからカーテンを閉めるね」


 ちょっとずつ部屋の端に近付いていって、ようやく奥の窓にたどり着いたとき、少年が初めて声を上げた。


「あっ」

「えっ、何か言った?」

「………」


 唸るような声しか聞いていなかったので、跳ね上がったような高い声に葵は思わず声を抑えるのを忘れて反応してしまった。

 慌てて口を抑えて持ち上げていた体を折り曲げて、彼の目線より低い位置まで頭を下げて、顔色を窺った。震えた目をしていたがこちらをじっと見返して動かなかった。ざっくばらんに切られた髪が黒くべたついている。


「窓、閉めない方がいい?」

「…」

「明るい方がいい?」


 返事はなかった。見つめ合ったままの目も特に動く様子はない。

 そういえばリネも「人工灯は」と言っていたから、自然光はむしろいい塩梅なのかもしれない。

 そう考えて、カーテンを閉めずに葵は部屋を去ることにした。少年が隙間から出てくることはなかったが、唸られることももうなかった。

 なんだか大部屋の方が騒がしいようだったが、葵はほうっと安堵の溜息を吐いて、改めて少年の無事を喜んだのだった。

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