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きらきら

 小さな手はぷっくりとしていて赤ん坊のまま大きくなったかのようだ。柔らかい弾力を持つ暖かな手が葵の両手首を掴んで引っ張ってきた先は、派手な龍の装飾が左右に飾られた豪勢な建物だった。暗い赤を基調とした建物は柱や壁の至る所に金色の文様が刻まれていて、床は真っ赤なカーぺット。夜になれば辺りを華やかに照らすであろう大きな照明。外壁に備え付けられた看板を見るに、ホテルのようだ。

 踏み入れた途端に固い地面からぐにゃりと沈む柔らかいカーぺットに足を取られ、葵は一、二歩よろけてしまった。

 それを前を行く女―――自称うさぎさんが、咄嗟に支えてくれた。


「だいじょうぶ? アリス」

「あ、ありがとう。あの、私の名前だけど」

「さ、こっちよ」


 うさぎさんは迷いのない足取りでエレベーターまで進むと、有無を言わさず葵を押し入れ、四階へと上がっていった。


「あの、どこへ向かっているの」

「ひみつ。だいじょうぶ、日本へ帰りたいのよね?」

「うん、そうだけど」

「うふふ。きっとびっくりさせちゃうわ」


 ベルの音と共に扉が開き、うさぎさんはまた手を引いて長い廊下を進み始めた。おいよりも頭一つ分小さい彼女の後ろ姿は、葵の毛がステップに合わせて上下に踊り、洋服もふわふわと空気に乗って、本当にうさぎが跳びはねているようだ。

 ホテルの宿泊部屋が並ぶ階のようだ。その内の一つ、「554号室」の部屋を、彼女は五回、リズムを刻むようにノックした。

 中からオレンジ色のサングラスをかけた背の高い男が出てきて、葵は恐ろしいことに巻き込まれた予感を察知した。うさぎさんと並ぶと凄まじく大きな存在に見えるその男は、腰を屈めて彼女のロ元に耳を寄せ、何事か囁かれた後、大きな口を大きく開いてにかっと笑った。


「日本人か! やあ、ようこそ。どうぞ奥へ」


 男は鼻筋の通った彫りの深い顔で、輪郭は丸く幼く見えるが、髪の毛は日本人にあるまじき色をしていて、とても同胞とは思えない。

 しかし彼は自分も日本人で、間もなくこの国を出て故郷に帰ろうと思っているのだが許されず、他にも同じような人を助けて共に帰ろうとしているのだと言った。

 葵は彼が何を言っているのか理解する努力よりも、この部屋に入らない努力をしていたのだが、男とうさぎさんに背中を押されてずるずると入室してしまった。中にはスーツ姿の男が、サングラスの男の他に二人と、小さな少女が一人、ソファの横の地べたで膝を抱えて泣いていた。

 もうこれはますますマズいことに巻き込まれたと、葵は心の中で田中を呼んだ。

 しかし砂の国でどこからとむなく助けをくれたリストバンドの妖精は気配すら感じさせなかった。あの国限定だったのだろうか。


「パスポートがなかったりして日本に帰れない人たちを帰してあげようとしているのよ」


 うさぎさんが葵の肩を押してべッドの端に座らせながら、優しい声で解説をした。


「あの、私は旅券がないとかではなくてですね。大使館などに連れて行ってもらえれば、あの」

「まあ、それはダメよ。この国で起きていることを知らないの」

「え?」

「日本人が寺院でテロまがいのことを犯して、この国は今、日本人に対して厳重体制よ。大使館もデモで囲まれていて、とても近づけないわ」

「な、なんだって」


 おおよそ自分の国の人間がそのようなことをするとは思えず、葵は何度も聞き返したが、うさぎさんの答えは変わらなかった。


「空港にも怒り狂った人がたくさん押し寄せて、帰ろうとする日本人を暴行するのよ。可哀相に…日本人全員が悪いわけではないのに」

「あ、あの女の子は」


 ふとソファの横に座り込む少女と目が合って、葵は彼女を指で示した。

 彼女は自分が周囲の視線を集めたと気付くやいなや、怯えたように震えだし、その姿をソファの影に隠した。


「あの子は………、ああ、とても言えないわ」

「あ、ではご無理なさらず」

「ご両親が空港で襲われて、それはとても酷い有様で、わたしたちの仲間がなんとか彼女を助け出したのだけれど、ご両親は………」


 なぜ無理をしてまで言ったのだろう。

 葵はとても苦しい気持ちになり胃がぎりぎりと痛んだ。うさぎさんのさめざめとした泣き声を聞いていると、何故か義務感に駆られ、彼女の背をそっと擦った。こちらが慰めてもらいたい側なのだが、どうにも周囲から圧力を感じた気がしたのだ。彼女は葵の胸にその身を預けて泣き始め、葵はその肩を抱いて青ざめていた。


 今まで外にいてよく無事だったものだ―――。


 そうしみじみ感じながらも、少し疑問に思うところもあった。


「かにゃんたち、どうして教えてくれなかったんだろう…」

「ん? どうかしたの?」


 うさぎさんは葵の胸から顔を上げて、葵の呟きに応えた。

 あまりに小さな呟きだったため、彼女は一つも聞き取れなかったようで、葵の頭を心配そうに撫でた。髪を流れに沿って整えるような優しい愛撫だ。


「あ、いえ、一緒に来た人たちが…、日本人ではないのだけど、私にどうして、そのことを教えてくれなかったのだろうと思って」

「まあ! 知らなかったのかしら、不用心ね。最近来たの?」

「今日来たの。まあ、でも、確かに来たばかりだから」

「おともだち?」

「おともだち……、そうね、友達もいますけど、どうかしら」

「そうじゃない人もいるのね…。可哀想に」


 うさぎさんの心底同情している、と言いたげな表情に、葵は何故そんな顔をするのか理解できず眉をひそめた。


「あなたにいじわるをしているんだわ」

「ええ、まさか」

「あなたが困れば良いと思ったのよ。現にあなたを一人きりにして」

「でも、そう、なんていうか、むしろ私を日本に帰さずに、一緒に居てっていっていたような人たちって言うか」


 ドーラ号のことを話すべきか少しばかり悩んだが、やめておいた。じうbんに執着している人とその仲間に囲われているなんて、精神を病んでいる人の妄想と思われやしないか心配になったのだ。

 それはさておき、リネはともかくとして、他のメンバーは親切にしてくれたはずだ。彼女たちは確かに友人だったのだ。


「まあ、じゃあ、あなたが逃げられないからここに来たのね」

「は」

「日本人が一人きりになっても今はこの国を出られない。そう分かっていて、ここへ連れてきたのよ」


 しかしその友人は自分よりも長いこと悪い人と過ごしていて、悪い人の仲間で、悪い集団なのだ。

 親切だったとしても、少なくとも自分を日本に帰すことに積極的だったわけではない。結局はリネの味方なのだ。ともすれば………


(リーダたち、分かっていて黙っていたのかも…)


 うさぎさんの胸からはほのかに甘いチョコレートの匂いが漂ってきていた。

 ソファの横で少女が泣きそうな顔でこちらを見ている。自分も同じ顔をしているかもしれない。うさぎさんの胸に抱かれて頭を指で撫でられながら、葵は涙を堪えて混乱する頭を鎮めようとしていた。


 ***


「ああ、どうしよう。どこに入ったのかな」

「分からない。でもこのホテルに入ったのは間違いないのだから、監視しているしかない」


 真っ赤な絨毯が広がるホテルのロビーで、マーロはうろうろとそこら中を歩き回っていた。その後をエルロイが着いていって、一階を既に何周かぐるぐるとしていた。


「マーロ、これ以上は目立つから外で見ていよう」

「でも、正面から出るとは限らないじゃない? エレベーターを見ていた方が良くないかな?」

「もし車で出るとなったらエレベーターも意味はない。ヤットラーに連絡を取ったから、監視カメラを見てもらうから大丈夫」


 エルロイは小さな悪い手でマーロのシャツをきゅっと掴むと、出口に向かってさくさくと歩き始めた。大きなひょろ長い男と小さな真っ黒くろすけ。異様な二人組にホテルのロビーに集った人々は注目していたが、彼らが立ち去ると皆元通りに戻っていった。


「葵、日本に帰っちゃうのかなあ。僕、寂しいな。お別れくらいは言いたかったな」

「どうだろうね」

「でも、出会えたのがリネのお姉さんで良かったね」

「どうしてそう思うの」

「だって、リネのお姉さんでしょう? 良い人だよね」

「マーロ、コーラのこと知らないの」


 ホテルから一つ横断歩道を越えた先にあったベンチにエルロイは腰掛けると、ローブのどこからかストローのついたカップを取り出して、じゅーっと吸い上げた。マーロも隣に座り、鞄からペットボトルを取り出すと、同じようにストローを出して水分補給を開始した。


「僕が来た時にはいた気がするけれど、会ったことないかな。お名前も顔も、今日初めて知ったよ」

「ふうん」


 エルロイはまたどこからか二リットルペットボトルを取り出して、カップに追加した。

 とぷとぷと水が注がれるカップの中にはいくつか葉っぱが浮いていて、透明な水にほんのりと緑を加えていく。


「エルロイは嫌い」

「コーラのこと?」

「エルロイは嫌い。良い人か悪い人かは知らない」

「そうなんだ。どうして嫌いなの?」

「エルロイには良い人じゃないから」

「ええ、酷いことをされたの?」

「酷いことかどうかは知らない」


 マーロは首を傾げて水を飲んだ。しはらく二人してストローをすする昔を立てていた。マーロの握るペットボトルが指に押されてたまにかこかこと音を立てる。


「リーダも嫌いかな」

「知らない」

「エルロイに酷いことをした人なら、良い人でも僕は嫌いになるよ」

「マーロって人を嫌うことあるの」


 鼻からちょっぴりずり落ちた布を指で直して、エルロイは上を向いた。身長差のある二人は座っても随分頭の位置が違う。マーロもエルロイに併せてちょっと腰を曲げて頭を近づけた。


「あるよ、もちろん。悪い人は嫌いだよ」

「コーラは葵に親切かもしれない」

「ううん、そっかあ。葵には良い人なのかあ。リーダが嫌っていて、エルロイも嫌っていて、葵が好いていたらどうしよう。僕は三人とも好きだよ」

「マーロに親切だったら好きになるんだね」

「でも、エルロイに酷いことをするなら、やっぱり嫌いだよ。そんな人を葵も好きになるわけないもの。そうだね、葵も嫌いに違いないよ。だってそれは悪い人だよ」


 マーロは自分の中で問題をすっかり解決したようだ。

 力を込めた握り拳がペットボトルをぐしゃっと潰した。足に飛び散った水を慌てて払うことに一生懸命になる内に、エルロイの連絡機にメッセージが飛んできた。


『葵が複数の男と裏の関係者出入り口から出て白いバンに乗った。車は車番登録がされていない盗難車』


 メッセージには車のナンバープレートが拡大された写真の他、裏口の監視カメラの映像と思われる動画も付いていた。宛先にはリネやかにゃんの他、全団員が含まれていて、リーダの危機感の強さが窺える。

 一番近場に居るから追いかける、とエルロイが返送したが、戦闘要員ではないこととマーロを連れていることを理由に待機を命じられた。リーダとのやり取りの間にもリネが何度も細かく「僕が行く」「絶対に許さない」「誘拐は許されない犯罪です」という連絡なのか心の吐露なのか分からない叫びのメッセージが送られてきて、とても邪魔だ。


「コーラの存在には誰も気付いていないみたい」

「言った方が良いんじゃない? リネも喜ぶよ」

「どうしてそう思うの」

「本当のお姉さんでしょう? ずっと待っていたんだよね」

「コーラが戻ったら葵はいらないかもね」

「ええ、そんな。ひどい」

「そしたらエルロイとマーロがもらっちゃおうか」


 正確には団員ではないマーロは、連絡機を与えられていない。エルロイの腕に付いた連絡機を一緒に覗き込みながら彼らのやり取りを見ていた。

 一心に見つめていたのだが、エルロイのその言葉に顔を上げて、ちょっと驚いた顔をしてから、ぱあっと笑顔を咲かせた。


「うん!」

「決まりね」


 エルロイは人気のないところにマーク号を呼ぶと、マーロを乗せて飛びだした。


 指示を無視して車を追いかけるエルロイを、遠く離れた空の上のリーダは漏息と共に見送った。


 ***


 白い大きな車の窓には黒い目隠しが貼られていた。そればかりか内部にはカーテンまで付けられていて、内からも外からもどちらの様子も覗えない仕様だ。もう犯罪に使われる車としか思えない。

 うさぎさんはニコニコと変わらず綺麗な笑みを続けていて、心配いらないと言うが、葵の心は不安にまみれていた。男の人に抱えられて投げ込まれた少女の横で葵も彼女と同じように膝を抱えた。

 一番後ろの座席に押し込まれた葵と少女は、暗い車の後ろで肩を寄せ合っていた。座席は三列あったが、一番後ろの座席とその前列の座席の間にはカーテンが敷かれていて、うさぎさんはたまにその隙間から顔を出して声をかけていたが、それ以外はほとんど少女と葵の二人きりだった。


「君、大丈夫?」

「………」


 隣の少女があまりに肩を震わせて涙を堪えているので、葵は心配になった。

 彼女は我々の悲痛な未来を知っているとしか思えない。


「私は葵。よろしくね」


 葵はできる限り姿勢を低くして、少女の視線に合わせるように努めた。年の頃は10歳前後だろうか。うさぎさんが言っていた通り、日本人だろう。肩まで届く黒い髪を低い場所でニつに結んでいる。赤いさくらんぼうの飾りが付いたゴム。


「………さくら」

「桜ちゃん。可愛い名前だね。大変な目に遭ったね」

「う、うう………、お父さん、おかあさん…」


 小さな肩ががたがたと震えて、今にも椅子から転げ落ちてしまいそうに見えて、葵はその体を抱いて温めようとした。

 桜は素直に寄り添って、声を殺して泣いていた。

 彼女の両親は、うさぎさんが言っていたように、暴行を受けてしまったのだろか。彼女を見ていると真実のように思える。でも、彼女だけ助けて、そして私もピックアップして、そしてどうしようというのだろう。この国から逃げ出す算段が立っているなら、共有してほしいものだ。


 それよりも気になるのは、うさぎさんの周囲を囲う三人の男だ。

 オレンジ色のサングラスをかけた男を始め、スーツの男が三人。彼女と共に行動している。彼らはうさぎさんを「ラプリ」と呼び、うさぎさんは彼らを「チェバ」と呼んでいる。三人ともチェバと呼んでいる。葵に分かるのはそれだけだ。それから男たちは彼女に傅き、靴を履かせ、コートを着せて、行く道の安全を確認し、ドアの開閉も行う。うさざさんはそれを当然のように受け入れて、たまに彼らに礼を言ったり褒め言葉を与えたりする。それに対し彼らは恍惚として地面に伏す。これらの光景を前に葵はもっと思考を巡らす

余地があったはずだが、やめた。本能が危険を訴えている。

 男たちは葵や桜にも親切で、言葉遣いはうさぎさんに対するそれとは大分異なっているが、乱暴をされることはなく、階段を降りる時に桜の背を撫でて慰めている姿も見られた。桜は怯えていたが。


「お姉ちゃん、あの人に、私が泣いていたって言わないで」


 桜は葵の胸の中で、小さく囁いた。


「あの人は顔がおかしい」


 独り言のようにも聞こえたが、自分が呼ばれた確信があった葵は小さな桜に頭を重ねて、聞き返した。

 彼女はしゃくり上げながらも一生懸命息を整えて、自分を落ち着かせる努力をしていた。


「あの人は、頭がおかしい。逆らったら、泣いてるって知られたら、お父さんとお母さんみたいにされちゃう」


 心の中で田中を呼んだ。もはや高橋でも川口でもいい。かくなる上はリネでも―――、いや、頭のおかしさは彼の方が上だろう。リーダがいい。かにゃんでもマーロでも、エルロイでもダンでも、こうなりゃ梁でもいいかもしれない。砂の国の時もそうだったが、あの船の方がまだマシと思えることがこれほどあるなんて、この世はおかしい。

 葵は狭い車の天井を見て桜に気付かれないように細く長く息を吐いた。


「今年は厄年だったかな…」


 カーテンの隙間から覗き込んできたうさぎさんは「まあ、二人ともなかよしね」とご機嫌だった。

 桜が押し殺した悲鳴を上げて抱きついてきても、もう葵は驚かなかった。彼女に対する恐怖を少女が感じていることはもう明白だ。

 でも、彼女がもしも言葉通り自分を日本に帰してくれたら……、葵にとってうさぎさんはヒーローだ。


「うさぎさん、帰り道はもう見えているの?」

「アリス、心配しないで。もう着くわ」


 車から降りたら、きっと、飛行機の目の前で、搭乗手続きやら何やらはいつの間にかすっかり済ませてくれていて、もうこれに乗って飛び立って、何時間かしたらそこは日本という魔法を用意しているに違いない。葵はそう信じた。そして祈った。


 もちろん無駄だった。


 車の扉が開いた先は相変わらずの炎天下で、とても大きな門の中だった。

 背後の門は固い音を立ててゆっくりと閉じ、葵たちを乗せていた車はどこかへ消え去った。

 公園にしては木々が綺麗すぎるほどにカットされていて、花壇もお花ごとにきっちり区分されていて、人が通る道には酒落た石畳が引いてある―――庭だ。

 ひときわ太い道を真っ直ぐ進んだ先に大きな館が見える。お話に出てくるお城みたいなお屋敷だ。背は低く二階建てくらいに見えるが、とにかく横に長く、窓はただの四角ではなく上が丸くなったデザインで、中央の扉は横並びに五人くらい同時に入れそうなほどでかい観音開きだ。

 その大きさと迫力に桜は怯えた。葵も怯えた。

 とりあえず日本ではない。

 怯えた者同士で手を握りあい、寄り添って進んだ。うさぎさんは度々こちらを振り向いては、ぴったりくっつく二人を満足げに見つめていた。葵も徐々に恐怖が湧いてきた。くるくるとステップを踏んで回る彼女はとっても可愛くてきらきらと光を反射している。恐ろしい。


 屋敷の中にはスーツを着た男たちが左右に五人ずつくらい並んでいて、葵たちを出迎えた。

 おかえりなさいませ、ラプリと合唱する声が広い口ビーに響いて、うさぎさんは満足げに頷いていた。


「ただいま、チェバたち、今日は新しい人が入ったわ。なかよくしてね」


 チェバたちは折り目正しく葵と桜に挨拶し、二人をどこかに案内しだした。


「あとでね、アリス、チェリー」


 うさぎさんは中央にそびえる螺旋階段を男に手を引かれながら上っていき、姿を消した。

 ここがどれだけ危険か、葵の物差しでは測れない。

 あの船より酷いかどうか―――、葵の関心はそちらへ移動していった。

 置かれた場所が好転すればそれでいい。恐ろしい場所でさえなければ、変に後ろをうろちょろしたり腕をぎりぎりと掴んだりする人がいない分、穏やかに過ごせるかもしれない。隣で震える桜を見ながら、自分に大丈夫、大丈夫、と、繰り返し暗示をかけた。


 ***


 リーダはエルロイからの通信が途絶えたのを苛ついたり案じたりしながらうろうろとしていた。

 何せエルロイと来たら小さくて頼りなくて力もない、完全に裏方の人間で、現場に出た事なんてほとんどないのだ。そればかりか親友のマーロも一緒に居る。危険に巻き込まれたら、あの二人では対処できない。


「リーダ、落ち着くんだ」

「分かってる、タールマギ、エルロイの場所は分かるか?」

「電源を切ったようだ」

「切られたんじゃないと良いんだが」


 自ら切った方がマズい、とタールマギは思ったが、その理由をどう伝えようか考えている内に右から左から団員が声を挟んできて、結局だんまりに戻った。

 リネを引っ張って帰ってきたかにゃんは葵と同じ服装に着替えて、街の中を聞いて回ってみると言った。この格好をした人を見かけていないか、聞いて回ろうというのだ。その提案にリネも乗って、何故かリネも同じ服装をし出した。胸の下で切り替える白と黒のシンプルなワンピースだ、黒いフレアスカートには赤いベルト付き。ぽわん袖の先はレースが付いている。どの角度から見ても女性ものだ。


「落ち着け、リネ」


 先ほどまで意味もなく室内をぐるぐる回っていたリーダもさすがに冷静さを取り戻してリネを説得した。

しかしリネは誰の言うことも聞かなかった。

 梁が持って来たいつもの服をビリビリに引き裂き、姉を探しに行くと喚き、その覚悟の良さをダンに賞賛されていた。梁は乙女のように泣いた。ついでと言わんばかりに自身の服も引き裂かれていたのだ。

 船の基本は複数行動だ。

 だがかにゃんはリネとペアルックで歩くなんてごめんだった。大事な葵と大事なエルロイと大事なマーロの行方知れずを前にして尚、コレとは行動できないと首を振った。皆、それを責めなかった。唯一リネの潔さを認めたダンがリネと行動することとし、かにゃんは透当な団員を引引っ掴んで出掛けようとした。それを、リーダが止めた。


「俺が行く」

「リーダ、船長には司令塔に残ってもらった方が」

「それはタールマギの方が相応しい。頼んだぞ」


 リーダの手に肩を叩かれて、タールマギは人知れず興奮した。

 彼はいつもこうだ。

 リーダの素晴らしい姿を見るとすぐに体が反応し、頭の中で絶えず褒め称えその存在に感謝を繰り返し、隆起した下半身を恥じてその夜は水行をする。今夜もするだろう。ぶっちゃけ団員の間では周知の事実だ。興奮状態のタールマギはいつもの数倍優秀になる為、そして知っていると言ったら自殺しそうな為、決して言及しない、水行中は風呂場に立ち入らない、が暗黙の了解になっている。

 窮地に頼れる右腕に全てを預け、リーダは久しぶりに船を飛び出した。

 船に残るタールマギの心は、炎天の空より高く広く澄んで、きらきらと晴れ渡っている。

 団員たちは彼の下半身に目を向けないようにして、粛々と彼の指示に従った。

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