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砂の選択3

 夜に執務を終えたらしいハーメドの許可を得て弦をはじいてみたが、音はほとんどしなかった。弾き方はこの楽器の使い手たるごく一部の少数民族――マーロたちだけ、というのは本当らしい。

 この楽器の音色を聞いたことがないと残念がるハーメドに、マーロの存在を伝えようかと悩んだが、葵は口を閉ざした。それでもし牢から出してもらえることになったとして、マーロは喜ばないかもしれないという予感があったからだ。


「しかし装飾は美しいだろう? 飾っているだけでも絵になる。友人に譲ってもらったんだ」

「え? 友人、ですか」

「ああ。この楽器を作り、奏でることができる少数民族の友人だ。俗に緑蛇の一族と呼ばれている。ここから南にあるジャングルの奥地に住んでいるのでなかなか会えないがな」

「その、あ…、えっと、友人さんに、弾いてもらったことはないんですか?」


 ハーメドは眉をしかめてキィを隣に立つ召使い(ネチェル)に渡した。赤いベールで顔を隠すネチェルは丁寧にキィを元あった台座へ戻している。


「伝統的なもので、軽々しく人前で弾くものではないと」


 ぶすっと頬を膨らませてそっぽを向く姿はまるで小さな子供のようだ。


「これを手に入れた時、父王は大層喜んだ。大金をはたいて弾ける者を探したが、結局見つけられないまま死んでしまった」


 切れ長の瞳を細めて飾られたキィを眺める。

 白い宮殿を夕暮れがオレンジ色に染めていて、彼の立つこの部屋が絵のようだ。哀愁が香りのように漂ってくる。

 しかし葵は足元からふつふつと湧いてくる違和感に、その景色を堪能する余裕がなかった。


「そうだ、葵! いいニュースだ!」


 一転してばっと顔を綻ばせたハーメドがぐるんっとこちらを向いた。

 少し驚きながらも、混乱を悟られないように葵は口をきゅっと引き結んだ。


「ニホンに帰らせるよう手配している。三日後には帰してやれるぞ。もし戻ったら、二ホンの偉い人に

ハーメドのおかげだと言い回っておいてくれ!」


 大口を開けて笑う彼からは先ほどの繊細な雰囲気は消え去っていた。


(三日後に、日本に帰れる…)


 目の前でさらさらと流れる黒い髪が、郷愁を煽る。

 しかし一度生まれた違和感は足の底から腹を満たして喉につかえてくるようだ。この苦しみを放っておけるほど、葵は大らかな性格ではない。


 ***


 滑るから、という理由で貸してもらったサンダルは幅広でサイズが合っているとは言いがたかったが、足首に巻さ付ける紐のおかげで脱げやすいことも歩きにくいこともない。

 石を研磨して作られたというつるつるの床をなるべく音を立てないように進む。

 人工的な明かりがほとんどないこの王宮の夜は、月と星の光を頼りにするしかない。といっても、月はとても大きく星は夜空を覆うほどの量で、外への壁が取り払われた開放的な廊下はとても明るい。

 この二日間の滞在で城の構造もちよっとずつ分かってきた。牢屋への道もなんのそのだ。

 侵入などの外からの害に厳しいこの国は、外堀は固めていても内堀は薄い。城内の警備などほとんどいなかった。牢屋の前にすら、見張りが立っていない。この侵入者たちが自ら逃げていってくれるなら、それで良いと思っているのかもしれない。


「マーロ、いる?……」


 それでも葵は声を潜めて牢屋への道を進んだ。半地下になっているそこは真っ暗で明かりらしい明かりも置いていない。これこそが逃亡を阻むのかもしれない。


「姉さま…? 姉さま!」


 しかし困った男は考えなしに大声を上げて声の方へ突撃していった。

 鉄格子が衝撃を受ける音が石の壁に反響する。声もわんわんとして夜に聞くとどうにも大きすぎるように思える。


「葵! 大丈夫? 無事? 何かされていない?」


 リーダとダンがニ人がかりでリネに飛び乗っている様子を背景に、マーロが近付いてきた。

 牢屋の中は遠くの空から月が照らしていて真っ暗とはいえない。薄明かりが白い肌をじんわりと闇の中に浮かび上がらせた。


「ええ、大丈夫。ちょっと、マーロと話したくなって」

「僕も! 僕も姉さまと話したかった! ああ、良かった、無事で。ご無事で、お守りできなくてすみません。姉さま、姉さま、姉さま」


 喉を押し潰すように懸命に声を殺すリネがずりよってきて鉄格子の穴から手を出して床を叩いた。

 正直、こいつはお呼びじゃない。葵は手の届かない辺りに体をずらすとしゃがみ込んでマーロと目を含わせた。


「実は三日後には………、いえ、あの、マーロが言っていた楽器のことなのだけど」

「キィのこと? 気に入ってくれたんだね、葵。嬉しいな~」


 捕らえられているとは思えないほどマーロは落ち着いていて朗らかだった。いつも通りのマーロだ。葵は日本への期間を控えていることを話そうと思ったが、マーロだけならまだしも、自分を縛り付けていた人たちが周囲にいることを思い出して飲み込んだ。


「あのね、キィって、どうなっちゃったんだっけ」

「ここまで忍んできてなんだぁ? その世間話は」


 後ろからダンの遠慮のない野次が飛んできた。

 声のボリュームも遠慮がない。エルロイがその小さな手を大きな頭に叩き付けた。


「焼け野原に戻った時は壊れたキィばかりが残っていて、無事だったやつは持って行かれちゃったみたい」


 やっぱりマーロは何でもない風に笑んでいた。

 頼りない月明かりでは黄土色のシャツが闇に溶けてしまって、ぼんやりとした白い顔が宙に浮いているかのようだ。


「無事だったキィはどろぼうされちゃったのよね」

「文字通り、火事場泥棒だね」

「笑って話すな、マーロ」


 這いつくばるリネの背の上であぐらをかいていたリーダが溜息を吐いて横やりを入れてきた。

 この話になるとリーダは人が変わったように顔を歪める。


「キィを人にあげることってあるの?」

「キィを? まさか、ありえないよ。あれはそれぞれに生涯一本ずつ、壊れたら直す。持ち主が死んだら一緒に埋葬する」

「マーロ、私に聞かせてあげたいって言ってたよね?」

「もちろん。僕のが直せたら聞いてほしいなあ」

「伝統的なものだから、一部の人にしか聞かせてあげられない?」

「ええ、とんでもない。僕たちは歌って聞いてもらうのがとても好き。友達ならむしろ毎日だって聞いてほしいよ」


 葵は小さく、ともだち、と落くと、足先を見つめてしばし黙り込んだ。

 鉄格子の隙間の暗闇から細くて良い手がにょろりと生えてきて、沈んだ頭をぽんぽんと叩いた。上目遺いで確認できたその腕は、白く艶めいていて、蛇のようだった。


「…いなくなっちゃったお嫁さんは、何処に行ったんだろう」


 蛇が髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜている感触を無視して、葵は心にぽんっと浮かんだ疑問をそのまま口にした。


「それなら、今(やな)が探っている」

「えっ」

「国の外に船を停留させて忍び込ませた。あいつは女に関してはいやに鼻が利くから、何か情報を掴んでくるだろう」

「船とやり取りが出来ているの?」

「ヘっへ~ん、うちにはな、ニンジャがいるんだぜ! あ、お前の国の生まれじゃねえか。同郷、同郷!」


 ダンの声が沈んだ空気を震わせる。エルロイの小気味よい打音も同じく。


「姉さま、我々は脱出の算段が立っています。姉さまも一緒に出ましょう」


 足元から声がした。

 手は相変わらず届かない姉の足を目指して肘を伸ばしていて、リーダの手と地面に挟まれて頬が歯の間に食い込んでいる。


「二日後の夜に、またここに来てください」


 マーロは―――――

 この船に来てから、何度か親切にしてくれて、逃げるのを手伝ってくれた人だ。

 底が見えない奇妙な性格と、独持なテンポで会話をする特徴があるが、裏のない真っ直ぐな言葉は思いやりがある。

 でもこの人のことを、ほとんど何も知らない。犯罪集団の中にあって協力こそしてないとは言え、彼らと溶け込んでいる。


 国のヒーローである王子と、この謎の生命体。信ずるべきはどちらだろう。


「もう戻れ、葵」


 リーダがそう言って何かを差し出してきた。リストバンドのようだ。

 側面の赤い部分をスライドすると、思いの外強い明かりが辺りを照らした。


「持って行け。足元に気をつけて」


 牢屋に続く階段を下りている時の暗い恐怖を思い出して、葵はそれをありがたく受け取った。

 すこしぶかぶかで肘まで落ちていったそれをみて、「俺ので悪いな」とリーダは小さく笑った。


「姉さま、姉さま」


 その下で男が蠢いている。

 じたばたと手足を振り回して、挙げ句鉄格子を掴み上げて前後にがしがしと揺らしていた。


「お願いします、手だけ。手を握らせてください。お願いします。死にそうなんです。ご無事で良かった。あなたがいなければ二日後まで生きていられません。手だけ貸してください。お願いします。この通りです」


 リネは頭を鉄格子に打ち付けて懇願した。

 見かねたリーダが彼の頭と鉄格子の間に手を差し込んでダメージを減らそうとしたが、リネは親切なリーダの手を巻き込んで行為を続けるのみで、被害が拡大しただけだった。

 暗間の中で金髪に白い肌、白い服のリーダは他に比べてとても目立つ。

 その彼に手を合わせてお願いするようなポーズをされて、葵は仕方なくその手をリネの方へ近づけた。

 リネはすかさずその手を取ると引き寄せて鉄格子の奥へ引っ張り込んだ。不安定な体制の葵は前に倒れ込んで危うく額を鉄格子に叩き付けるところだったが、頭を混ぜっかえしていたマーロの手が目前に滑り込んできて、その衝撃を受け止めてくれた。


「ああ~、姉さま! 姉さま、お会いしたかったあ~。ご無事で良かった。ああ、姉さま。あんな無理に連れ去られて、怖かったでしょう。すみません、至らない弟を許してください。すみません、すみません」


 肩がひっかかってこれ以上先には進めないというのに、リネはしつこく手を奥へ奥へと引っ張っていく。

 先ほどまで味方に見えたリーダは、喰わんばかりに全身を葵の手に擦り付けるリネを兄のような表情で見ているだけだった。マーロだけが「やめてあげて」と言って葵の体と鉄格子の間に手を差し込んでくれているが、ぶにぶにとした細腕が今にも鉄格子に裂かれてしまいそうで、逆に恐怖を煽る。

 葵の手を握りしめて額を擦りつけていた行為はやがてキスに変わり、震動する舌が指の先から這ってきて、手をべたべたに汚そうとしてきた。半袖の先から男の指先が侵入してきて脇を操った頃に、葵は堪らず声を上げた。


「ひいい。この変態! 変態!」

「リネ、やめてあげて」

「嫌です! 姉さま、もう戻らないで。ここに居てください。本来はここに居るべきなのに! あの男が! あの男が俺たちを引き裂いて!」

「リーダ、止めてあげて」

「リネ、さすがにそれは気持ち悪いぞ」


 リーダから指示を受けたダンがリネの両足首を大きな手で掴んで一気に後ろへ引っ張った。

 肩を脱日するかと思うほど手が引っ張られて、マーロの腕と鉄格子に体全体がびったり押しつけられる形になったが、強く腕を揺んでいた両の手は摩擦を伴いながら離れていった。


「離してよ! このゴリラ!」

「おお、やるかあ!」

「や、め、ろ」


 リネとダンがファイティングポーズを取ったところで、リーダがげんこつを落として鎮めた。

 いや、リネは変わらず葵を呼んで手を泳がせて土を掘っていたが、ダンとリーダと、ついでにエルロイに乗られては身動きが取れないようだった。今のうちにこの場を立ち去った方が良いだろう。


「葵、バイバイ」


 自分がこれから去るという先入観からだろうか、小さく手を振るマーロが今生の別れを知っているかのように、葵の目に映った。

 リーダに渡されたリストバンドの光を頼りに、葵は自室への道を急いだ。


 ***


「姉さまが、姉さまが行ってしまいました! マーロのせいで!」

「マーロのせいじゃない」

「うーん、ごめんね、リネ」

「謝らなくて良い、マーロ」

「エルロイはリネのせいだと思う」

「やめなさい、エルロイ」

「は?! 何で俺のせいなの!? 俺は、俺は姉さまに、あああ、姉さまに会いたい! 会いたい、会いたい!」

「穴を掘るな、リネ」

「俺は甘いものが食べたい」

「ここのご飯、ちよっと辛いよね」

「エルロイは活字がほしい」


 自分以外はみんな自由だ。

 リーダはそんな彼らをちょっと羨ましい、と思ったが、ダンが大笑いしながらかつての失敗談を語り始めた頃には、朗らかな仲間を持った幸せに浸っていた。

 彼らの足元で、リネは一人しくしくと泣き続けていた。

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