砂の選択2
目の前が開けた、と思ったが、暗い箱から弾き出された先も暗がりだった。
異様に高い天井に細い穴が開いていて、そこから線のように光が差し込んでいる。温かい土の感触に似つかわしくない冷たい石の壁がまあるく広がっていて、半円を描くその部屋の一部分だけが鉄格子で出来ていた。ここから入ってきたらしい。
「これが侵入者というやつか」
格子のむこうに白いターバンを巻いた人が立っていた。ターバンの端から長い長い髪がするりと下りていて、中性的な顔立ちはその住別を秘すかのようだが、声を聞く限り男性のようだ。まだ若い。両手を後ろで組み、床に転がる姿たちを興味深そうに見ていた。
「奇っ怪な格好だ。本当に国の外は我々の衣装とは違ったものを身につけているのだな」
リーダはすぐに他の者を彼から隠すように鉄格子の目の前に立ちふさがった。
顔を上げたり、腰を曲げたりする度に、さらさらと肩を流れる黒髪を、葵は呆然と眺めていた。
「空域に侵入してしまったことを謝罪する。悪意ではなく、風に任せていたら入ってしまった。話し合えないか」
「風に…? うん、私には意味が分からない。後でセヘジュを寄越すから彼に話をしてくれ」
「分かった」
腰を曲げて横に傾いた黒髪の男と、ばっちり目が合った。
リネに抱きかかえられながら奥へ奥へとずりずり押されていた葵は、その切れ長の目を黒く染めるような大きな瞳に息を呑んだ。
「そのアムラーホは見たことがあるぞ、行方不明の日本人だな」
ビッと指さされて、葵は思わずうんうんと頷いた。リネは即座に葵を横抱きにすると、牢屋の端まで走って行って、「違います!」と叫んで再び葵を胸に隠した。
「あの白い飛行船は世界中で盗みを働く犯罪集団の船です」
黒髪の男の後ろから、半裸の男が出てきた。上半身には重そうな金属のたすきを掛けているだけで、後は見るからに固そうな短いスカートと編み上げのサンダルを身につけているのみだ。
「おお、そうか。お前たちが彼女をどろぼうしたんだな」
「…俺たちがその集団であることは間違いないが、悪事を働く為にこの国の上を通ったわけではない」
「そうか。しかしお前たちを探している国もあるようだからな。友好国が必要としていれば引き渡してやらねばなるまい」
「解放してほしい。条件は呑む」
「とりあえず――、彼女は仲間ではないだろう? ニホンとはやり取りがないが、私はニホンが好きだ。帰してやれば仲良くなれるかもしれない」
名案を思いついた子供のように、男は手を合わせて小さく飛びかねた。
葵を抱きしめていた肩も小さく跳ねた。
「彼女だけ出してやれ」
鉄格子を開けて、半裸の男が入ってきた。手に持った背よりも高い槍が組い光を受けてきらんと光る。
「違います! この人は俺の姉さまです! 昔から船で暮らしています!」
男が片方の腕を引いて葵を立たせようとしたが、その腰にリネがぶら下がってずるりと落ちた。リネは薄いサンダルにがつがつと腹やら肩やらを蹴られていたが、腰を握るカは強まるばかりで、服越しに腹の肉を掴み取られてしまいそうだった。上から舌打ちが聞こえ、リネの頭は蹴り飛ばされた。服に刺さっていた指が離れていくのを感じて、葵は半裸の男の方へ手を伸ばして立ち上がると、小走りでその広い背に隠れた。
「姉さま、姉さま、待って、待って待って」
咳き込み腫れた瞼を庇いながらリネが近付いてきたが、男に手を引かれたこともあって葵はすぐにその場を離れた。横を通る時にマーロが小さく名前を呼んだが、葵はとてもそちらに目を向けられず、晴れて石の牢から出ることが出来た。
男が扉を閉めようとしたのを見て、リーダはその隙間に足を差し込んだ。睨み付けられても少しも怯まず、リーダは黒髪の男の方へ顔を向けた。
「待て、こいつも団員じゃない」
リーダが親指をマーロの方へ向ける。
「一族の元から引きはがして攫ってきた。その女と友人だ。出してやってくれ」
「うーん、そいつも…なんか、見たことがあるな。奇妙な見た目だ」
目を真ん丸にしてリーダを見るマーロを、黒い瞳がじろじろと見分した。
「僕はここで良い」
「マーロ」
制する声も聞かずに、マーロはぺたぺたと奥で腹を抱えるリネの元へ走って行った。
「ここが良いんだ」
塞いでいた足はゆっくりと引き戻されて、鉄格子は大きな音を立てて閉められた。
***
「あれがお前の弟というのは本当か?」
「いえ、違います」
「はは、そうか。そうだよな。まるで似ていない」
黒髪の男はハーメドと名乗り、葵を横に並ばせて歩き始めた。後ろに数名の男を従わせているので、偉い人のように思える。そしく行く道は天井の高い白と金を基調とした広すぎる廊下で、壁は片側にしかなく、もう片方には広大な空が浮かんでいる。随分高い位置にあるようで、下の方にオアシスのような緑と水場がちらりと見えた。
「ここはビハリ空殿だ。この国も私も海とは無縁なのでそう名付けた」
「はあ…」
「そして私はこの宮殿の王!…になる予定のアミロンだ」
「あみ…?」
「王子である」
犯罪集団の住処に連れ込まれて、その非日常にようやく心が慣れ始めたところに、このファンタジー。
葵は混乱や驚愕を通り越して悟りを得たように静かな気持ちになった。
「3ヶ月前に父は召されたが、私にはまだその素質が足りぬとしてセヘジュが王位を許してくれぬ」
先ほどまで生き生きとしていた男がしゅんと肩を落とした。
若いとは思っていたが、背が高くて圧倒されていただけで、想像より幼いかもしれない。
葵はそう思うと、知らぬうちに笑みがこぼれていた。
「セヘジュさんが」
「セヘジュは神官だ。役組名であり敬称は不要である」
「えっと、では、セヘジュがこの国を取りまとめているのですか?」
「今はそうなるな。しかし決定権は私にあるのだ。必ず私と相談してくれる。やはり神に選ばれた王族の許しなくこの図は統べられぬ」
ハーメドは大きく胸を張ってみせた。
青空を背にするその姿は、光を浴びて神々しく映った。
入るのも難しいが出るのも難しい。
そう説明を受けて、葵は客室に通された。
履いているミュールではつるつると滑るぴかぴかの床に、てらてらと光る壁。そのまま飛び出せそうな大きな窓に三人くらいが大の字で寝られそうな大きなベッド。柱から花瓶から窓枠から、ありとあらゆるものが宝石で装飾されていて、広い窓から差し込む光を受けてどこもかしこも光っている。
窓から見える一面の砂漠は、砂が風に舞ってどこまでも自由に飛び立っているようだった。
目をちかちかさせながら、葵はその部屋ヘ一歩踏み入れた。
「この国が気に入ると良いのだが」
ハーメドはそう言って、部屋を隅々まで見渡した。客室に入るのは初めてらしい。
時代を飛び越えてしまったようなこの国の様相に興味が湧いて、道中それは興味深く彼の話を聞き、質問を返すなどしていたら、彼は徐々に意気揚々としてきて、「この国を沢山教えてやる!」と言い始めた。二ホンについても教えるのだぞ、と何度も葵に言い聞かせると、満足げに部屋を出て行った。
降って湧いたような思わめ逃げ口に、胸の動悸を抑えるのにいっぱいいっぱいで、用意された夕食も喉を通らなかった。とても辛くてとても量が多かったというのもあるのだが。
次の日、朝日が上がると共に朝食が運ばれてきて、ついでにハーメドも沢山の従者を引き連れてなだれ込んできた。
この部屋は狭いなとか、この装飾は安っぽいだとか、客室に色々文句を付けながらも、自至の机の10分の1もないという机で食事を共にした。そしてすぐに、国を案内してやると観音開きになっている部屋の扉を両方とも勢いよく開け放った。
休みなく歩けば、一日で人が住むところは一周できてしまうらしい。それ以外の場所は全て砂漠だ。ぽつん、ぽつんとあるオアシスに砂漠を警備する兵を住まわせているそうだが、国のほとんどがこの狭い城下町で暮らしている。
国の人々を住める場所に住まわせるだけでいっぱいで、外から人は増やせない。でも数少ない国民が減っても困るから、不自由のないよう大事に大事に扱っている。ハーメドはそう言って街の主要な場所を案内した。彼は何処に行っても大人気で、国民たちのヒーローに見えた。
人々が墓らす城下町は砂漠から山なりに高くなっている場所に作られたらしく、その頂上にでかでかと宮殿が建っている。街のどこにいても宮殿を見つけられる。白くて大きく、丸い屋根を被る塔がいくつか並ぶその姿は、太陽のように大きく輝いていた。
基盤の目のように整然と立ち並ぶ街に比べて、宮殿の中はとても複難で難解だった。
王が替わる度に新王の好きなように作り替えると言うから、現在はハーメドの指示の通りに組み直しているのだろう。
行き止まりの廊下や壁に続く扉がそこかしこに点在していた。
「日本の宮殿はどんな感じなんだ?」
「入ったことないので分かりませんが、広い庭に囲まれていて、庭の一部は国民も入ることが出来ます」
「日本の町並みはどうなんだ?」
「場所に寄りますが、京都という場所はこの国のように建物が並んでいます」
「たっ、建物が並んでいない場所もあるのか? 重なっていると言うことか?」
「そうではなくて、道路がカーブしていたり、奥っ直ぐな道ばかりではないというか…」
「道が! 折れているのか!!」
こうか?と水平に滑らせた手を90度上に掲げるハーメドに、もうどう説明したら良いのやら葵は分からなくなった。
絵を描いてみたりジェスチャーを交えたりしながら一生懸命に説明すると、彼は実に楽しそうに頷いて聞いていた。大袈裟な動きに合わせて黒い長髪がひらひらと体の周りを泳いで、彼のころころと変わる表情を飾っていた。
「日本に帰してやるのに数日かかる。それまで城で自由に過ごしてくれ。どの部屋に入ったって良いぞ!」
彼の言葉通り、城内を一人でうろうろしていても咎められることはなかった。
ただしいつも食事の用意や室内の清掃してくれる女性たちの内の一人が、常にその後ろをついて回っていた。
「召使いのシャフィーカです」
色々話しかけてみたが、彼女はそれだけ言うと目を伏せて、後を付いてくるだけだった。
顔の下半分を隠す半透明な紫色のベールが鋭い目元を強調している。
一日広い窓に腰掛けて砂漠を眺めるのも飽き飽きなので城内の散歩に出たが、どの部屋に入っても良いは誇張だろう。本当に覗いても問題ない部屋をシャフィーカに尋ねてみると、ある部屋に案内された。
「この国の王は代々音楽がお好きでして」
自分が寝食を許されている部屋よりもずっと広い空間に、ぎっしりと楽器のようなものが結まっていた。ピアノやチェロなどの見慣れたものから、楽器かどうかも怪しい謎めいた物体まである。どこからどう見てもボールにしか見えない球体もある。
「シャフィーカさんは何か弾けるんですか?」
「はい。ラバーブとハーブなら。ここのネチェルはみんな弾けます」
「すごいですね!」
「基礎教養です」
特に感情の揺らめきも見せず、シャフィーカは何でもないように答えた。
彼女との会話が弾むことはなかったが、この部屋は葵の気持ちを高揚させた。芸術品のように飾り立てられて丁寧に陳列されている楽器を隅から観察していると、見覚えのあるものを見つけた。
三日月の胴体に大きな音口、独特な意匠の響板、長い握部の先は箒のようなヘッドに糸巻き軸がついていて、そこから緒止めまでピンと張られた4本の弦。
「キィ―――」
欠損のない、美しいマーロの楽器だ。
***
「あああ~~~、姉さま、姉さま、姉さまああああ~~~」
「じっとしてくれない? 手持ちの薬を無駄に出来ないんだから」
「エルロイ、優しくしてやれ」
「姉さまが攫われたああああ~~~~」
「自分で付いて行ったように見えたけどな」
「自分で付いて行ってたよ」
「ダン、エルロイ、優しくしてやれ」
「リネ、落ち着いて。僕も止めようとしたけど止まらなかったんだから、リネじゃ止められなかったよ」
「マーロ、優しくしてやれ」
大きなダンに羽交い締めにされながらエルロイに瞼を治療されて泣き呻いているリネの手をよしよしと撫でるマーロが、腑に落ちない様子で首を傾げた。
ダンもリネも腕に覚えがあるし、エルロイは様々な知識が芳醇だし、マーロは皆の精神安定に一役買うだろう。捕らわれたにしても、良いメンバーだと、リーダはついさっきまでそう思っていた。
しかしその期待は、そう続きそうもない。




