砂の選択1
つるつる、ぷにぷに。
触れると指が沈んでいくような、表面が溶けて同化していくような、そんな感覚に陥る。マーロの素肌。
「楽しい?」
自分の上を撫でたり押したりしている葵を見て、マー口はくすぐったそうに、愉快そうに笑った。
赤ちゃんのほっぺってこんな感じだろうか?
いや、それにしても、骨を感じない。水風船のような触り心地だ。
「蛇との混血って言われているらしい」
「へ? 何が」
「僕が」
「えっ、どういう意味」
「蛇と人間の間に産まれたって意味かな?」
「えっ、どういう意味なの」
「蛇と人間の間に」
「いえ、分かったわ。ちょっと待ってね」
ぐーにした手を眉間に当てて目を伏せる葵を、マーロはいつも通りの微笑みで見つめていた。
分からないままに聞いてみると、マーロは熱い地域に広がるジャングルの深い深い場所にひっそりと住んでいた極少数しかいない民族の一人らしく、その習性や体の作りが、一般的な文化の発達した地域で暮らす人々とは大分違うらしい。一族と暮らしていた時は服も着ていなかったし、道具を使うということもはとんどしていなかったし、日がな一日音楽を奏でて過ごしていたらしい。
「音楽」
「キィという楽器があって、それは僕たちだけの間に伝わる楽器らしいのだけど、それを弾いて歌を歌って、そればかりして暮らしていたんだ」
「へえ~」
熱い日差しの差す広い草原で楽器を弾きならす様子を思い浮かべて、葵は映画のようだと高揚した。演者が目の前にいるのだ。
「でも爆撃を受けてしまって」
「え?」
「僕が住んでいたところは一通り燃えてしまった。乾燥していて熱い地域だからよく燃えたみたい」
「な、なんだって」
「リーダは散り散りになったって言ってたけど、みんな死んじゃったんだと思うなあ」
晴れ渡る世界を走り回っていた葵は唐突に暗闇に呑まれた気分だった。微笑みを絶やさずに語るマーロが無感情にも見えて、哀れに思うべきなのか恐怖を覚えるべきなのかさっぱり分からなくなってしまった。
「僕はラッキーだったよ~。あんまり足下が熱いから木に登って震えていたら、『上に上がるな、降りてこい』って格好良い声が聞こえて、助けてもらったんだ。ねえ、それ、誰だと思う?」
「リーダでしょう」
「当たり! 何で分かったの? 葵、すごいすごい!」
当てずっぽうだったが、マーロはいたく感心して、葵の頭を引き寄せると自分の胸に押しつけて万遍なく撫で回した。
頬に当たる胸はぶにぶにとしていて骨を感じない。興味本位で手軽な場所にあった腰を掴んでみるとあまりに細く薄っぺらで、反発はしてくるが勢いよく指を押し込んだらそこから空気が抜けて萎んでしまいそうな感触だった。
「ふふ、くすぐったい」
「こんなに細いのに骨張ってないということは、本当に蛇…的な感じなの?」
「骨の数はすごく少ないらしいね。だからそう言われるのかも」
葵は訳もなく、はあ、と息を漏らした。
「人間とはちょっと違う生き物なんだ」
あっけらかんとそう言うマーロに、どういう態度を示すべきなのか、見当も付かない。
***
三日月に箒が刺さったような見た目をしていて、長い背丈の上から下まで細い弦が3本掛かっている。でも、本当は4本のはずらしい。三日月部分に描かれているのであろう装飾も煤けて黒ずんでいる。
「これ、これがね、キィっていうの」
マーロはリーダと暮らす二人部屋の隅から取り出したそれを、葵の膝に置いて見せた。持ってみると意外に軽いが、その高さは葵の座高を優に超えていて、その大きさに圧倒される。
持ち主の身長に合わせて作ると言っていたから、恐らく背の高いマーロが持てばちょうど良いサイズなのだろう。
「壊れちゃってるから聞かせてあげられなくて残念」
「俺たちが取りに戻った時はそんな状況でな」
二人が座るソファから少し離れた場所でコーヒーをすするリーダが悲しげにそう言った。
「あれはキィを奪う為に行われたものと思われる。無事だったキィは襲撃者に盗まれてしまったんだろう」
「楽器を盗むために爆撃を? なんてひどい」
「希少価値があったからな。結果的に死者は出たが、恐らく住んでいる者たちの誘拐も目的だっただろう。キィを作れるのも弾けるのもマーロの一族の者しかできない」
「みんな、そのー、村にいた人達は・・・」
「いや、逃げたか、攫われたか、だと思う、キィとそれを弾く者はワンセットだ。殺しては意味がない」
「でも、どこかで生きていたら目立つから見つけられると思うんだけどなあ。リーダは裏社会のネットワークも探してくれているようだけど見つからない。もうあの火災で死んでしまったんだよ」
「マーロ、お前はどうしてすぐ全員死んだと決めつけたがるんだ、キィもー族たちも、取引するにしても少し目立ちすぎる。市場に出てこないだけで、攫った張本人たち、もしくはそれを指示した人間が保持しているんだ」
リーダの怒りを隠せない口調に、マーロは細長い体を折り由げて葵の影に隠れた。
「葵は死んじゃったと思うよね? 」
「き、聞かれても」
「こら、マーロ」
「キィを取りに戻った時、たくさん死体があったんだよ。僕の一族はそんなに数が多くなかったし…」
「全員確認したわけじゃないだろ」
堪らない、と言った調子でリーダがかつかつと近付いてきてマーロの頭を丸めた書類でぱこんと叩いた。
いつもマーロに甘い彼にしては珍しい。苛ついている調子も初めて見た。
「この話は終わりだ」
リーダは葵の膝からキィを奪い取ると、元あった棚の中に丁寧に戻した。
そのまま足音を立てながら部屋を出て行ったが、マーロは葵の肩に手を添えて身を縮めたままだった。
「この話になると大抵リーダは機嫌が悪くなる。それで、傷付いたような願をするんだあ」
(あなたのせいでは…)
はあ、と溜息を吐いたマーロを見て、葵は言葉を飲み込んだ。
「あー…、あの楽器、直せないの?」
「うん。4本目の弦が作れないんだ」
「道具が足りないの?」
「うーん、素材が足りない、かな」
マーロは首を傾げながら、一人でうんうんと頷いた。
「もし直せたら、聞かせてあげるね。僕、一族の中でもうまいうまいって言われていたんだ」
「うん、楽しみにしてる。私、音楽って好きなの」
「ほんと! 僕もだよ。聞かせてあげたいなあ、直せると良いなあ」
身を乗り出して近付いてきたマーロはもうすっかりいつも通りだった。
この人は望んでこの船に滞在していて、いつもニコニコと今を満足げに暮らしている。でも、とても悲しい過去があって、それを受け入れられずにいるのかもしれない―――。
そう思った時、葵は気が付いたら目の前の頭を撫でていた。他のつるつるお肌と同様に、彼の頭はつるんとしている。毛穴も感じない。しかし他の場所に比べて、ちょっとは固くて骨を感じる。ボールのように綺麗な形の頭だ。
長い腰を折り曲げて頭を差し出してくるマーロが、少しばやけて見えた。
***
「任務中、マーロと過ごしたと聞きましたが嘘ですよね?」
「過ごしたわ」
「どうッして! あんなやつと仲良くするんです! 姉さまをごこから追い出そうとしたやつなのに!」
脱走を手伝っただけなのに、まるでマーロが主導したような口ぶりた。何度が訂正してみたが馬耳東風。愛し合う姉が自ら逃げだそうとした現実を受け止められず事実をねじ曲げて記憶しているらしい。
クッションを振り上げてソファに叩き付ける自称弟を見ても、葵はあまり恐怖を覚えなくなった。以前までは気を違った人だと震えていたものだが、とても日常的な光景に思える。
「リーダが親切に婚約者を探してあげているのに、鬱陶しいとでも言うような態度で」
「えっ、婚約者」
考えもしなかった単語に葵はつい身を乗り出した。
それを見たリネはクッションを床に叩き付けて足早に彼女に近付いてその手を取った。
「そうですよ! あいつは婚約者を見捨てる酷いやつなんです。分かって頂けましたか」
「婚約者がいたの」
取った手を拒絶することなく頼を赤らめる姉がたいそう珍しく、そしてたいそう可愛らしく見えた。
あの悪鬼を姉から引き離す大チャンスだ、という思いと、この顔をいつまでも見ていたい、という思いが交錯して手の力を強める。
「そうですよ。焼けた場所を見に行った時、婚約者の楽器はなくなっていたし、死体らしきものもなかったから攫われたに違いないん。です。生きていてこそ価値のある人たちですから、生きているに違いないのに、捜索に否定的なんですよ。ひどいでしょう」
「へ~、へ―――! マーロって婚約者がいたんだ」
葵は友人の恋バナを噂で聞いているくらいのテンションだった。あのふわふわした人の婚約者ってどんな人なんだろう、婚約者の前だとどんな態度なんだろうと、想像を膨らませていた。
「どんな方だったのかマーロに聞きに行こう」
「待って待って待って、姉さま、あいつは酷いやつなんです。もう近付いちゃいけません」
「いやいやいや、何か理由があるんだよ。聞きに行こうよ」
二人の関係に亀裂を望むリネの思感には全く気付かずに、葵はリネを引きずって部屋を出た。
そもそも、マーロと二人でぼんやり過ごしていたところに彼が帰ってきて引きはがされたようなもので、今日はしばらくマーロと満ごすつもりだったのだ。予定通りに戻るだけだ。
葵はリーダとマーロの部度へ歩を進めた。後ろからきゃんきゃんと吠えるリネが付いてくるが、全く意に介さなかった。
「おや、葵とリネ」
「あれ、エルロイ」
道中、大量に本を抱えたエルロイと出会って同道した。
次に向かう予定の国の資料が欲しいとリーダに言われて持ち寄る途中だったらしい。国の歴史や地形の本を始め、その国で流行している小説や絵本まで取りそろえてある。
「ポルトハーバート・モートという国」
「聞いたことないわ」
「南の方にある暑い国です。ほとんど砂漠で、栄えているのは宮殿周りだけです」
エルロイの本を半分預かったリネが、積み重なる本のバランスを整えながら話した。
「国の9割を占める広い砂漠にここでしか取れない希少な塩が眠っている。そのおかげですごく豊かな国。人口が少ないから皆がお金持ち。観光でも来訪でも外からの侵入を好まない。移民なんて以ての外」
「そんな国に何の用なの?」
このドーラ号で過ごす者たちは義賊を語った窃盗集団であり、場合によっては誘拐やその他悪事も働く。
だが、大義名分なくして犯罪は犯さない。豊かで排他的な国に用はありそうもない。
いや、豊かだからこそどろぼうしても良いと思っているのかもしれない。葵はそう疑ってかかった。
「この国に嫁いだ娘と連絡が取れない、と、泣いている両親がいて、リーダが同情している」
しかしエルロイに真っ向から否定された。
ごく個人的で、局地的な理由だ。
少人数でさっさと済ます任務もあるようだから、今回もその類だろうか。
葵も資料を運ぶのを手伝ってリーダの部屋に入り、皆がそれらを広げたところで、知らない国への興味が湧いて彼らの後ろから覗き込んでみた。マーロも真似をするように葵の隣に並ぶ。その様子を、リーダは苦笑しながら見ていた。
「俺も依頼が来るまで名前も知らなかった国だ。調査すべさターゲットは一人だが事前調査はしっかりしておきたい」
「この面の砂漠は岩石がほとんどで、一部礫が取らばっている。足元は悪い。珍しく砂に覆われた範囲が多いタイプ。ただし砂の部分はこの国の宝である塩が取れるので盗難防止の監視が厚い」
エルロイがすらすらと地図を示しながら説明する。
「ドーラ号の着地は難しそうだな。砂も舞うし目立つだろう」
「それどころか上空を通過するのも危うい」
「え、そうなのか」
「なに。当然でしょう。この国は大金持ちだよ。人々は古くさい文化を守った生活をしているけど、侵入者を排除する技術は惜しんでいない。領空を侵犯するものに容赦はしない」
「国境付近に軍隊を配置、空軍の訓練に戦争体験者を招致…」
葵は手に取った雑誌の見出しを読み上げた。この国に忍び込んで取材した記者の鬼気迫る記事だ。10年間その国で国民になりすまして過ごしたらしい。
「まずいな」
リーダが首の後ろを書きながら地図を見た。何かを察したのか、エルロイがいつも以上に目を釣り上げてリーダを見ている。心なしか、ローブの隙間に浮かぶ盾間に皺が寄っているように見える。
「もう上空に来ている」
「は? 何で」
「ヤットラーが良い風に乗ったと喜んでいたので、好きなように飛ばせと」
「エルロイはリーダのそういうところ、長所であり短所であると届った」
「返す言葉もない」
トン、と遠くで音がして、その後すぐに、目の前を閃光が走った。
中央にあった机が真っニつに割れ、無数の紙が空を舞った。光は棒のように天井と床を斜めに繋いでいて、目もくらむ眩しさだ。
声を上げる暇もなくリネが覆い被さってきて、葵は床に倒れた。リーダがマーロとエルロイを呼ぶ声が聞こえる。地面が斜めに傾いて、体を下へ押す重力が強くなる。同時に横に引っ張られるように床を滑っていった。
「ドーラ号を貫通するとは」
視界の端でリーダの下敷きになったエルロイが手を叩いている。マーロのものと思われる長い足がリーダの背中から生えていて、奇妙な動物のようだ。
リーダが何事か叫ぶと、どこからか現れたタールマギが部屋を飛び出していき、すれ違うようにダンが入ってきた。
床は徐々に平行へと戻っていき、リーダは何とか立ち上がって船内連絡線に手を伸ばしたが、爆音と共に割れて弾けた窓の破片がそれを許さなかった。凄まじい風と共に綱のようなものがいくつも飛び込んできて、部屋にいた人間をたちまち掴み取ると、大きな空へ引きずり出した。葵もリネと一緒に網に掛かり、ふんわりと空へ浮き上がった。
一面の砂景色。
深い生成り色が何処までも続いて、やがて空に続く。
太陽はとても近く端々まで照らしていて、この光と砂は世界の果てまで広がっているかのようだ。
そんな景色も、暑さを癒すように吹きすさぶ乾いた風も、ちっとも堪能する間もなく、網は奇妙な真っ赤な球体に吸い込まれ、やがて真っ暗闇に閉ざされた。
「点呼!」
暗闇の中、リーダと思われるはっきりとした声が反響した。
「ダン
「リネです!」
「エルローイ」
テンポ良く三人がそれに応える。少し間を置いて、「あ、僕もいるよ」とマーロが答えた。
「姉さま! 姉さま、どうしたんですか?! 無事ですか! えっ、これ、姉きまですよね?!」
犯罪集団の点呼なんて知りようもない。
あんまりの出来事に口をはくはく開閉するだけだった葵は、リネに体中をばしばし叩かれてようやく、彼に肘鉄を食らわすことで存在を主張できた。
「捕まったらしい」
「逃げなくちゃいけません。姉さまだけでも」
「足手まといが三人いる」
「ダン、狭い。体が大きいんだから遠慮するべき」
横の方で身をよじる誰かのせいでごんごんと壁を蹴る音がする。
突如鼻をばしんと平手打ちされて、葵は思わずその腕を捕まえた。
つるつる。ぷにぷに。
「あ、ごめんね。誰だろ」
「私です。葵」
「ごめん、ごめん。大丈夫だった?」
「船は」
「タールマギにこの国から離れるよう指示したから大丈夫だろう。最高度まで登れと言ってある」
「ドーラ号はダイヤモンドより硬い装甲で防弾ガラスも最新式のポリカーボネート式。あっさり傷付けられたね。逃げられると良いけど」
「今は船よりも、こっちの方が危険だ」
狭い闇に目が慣れる気配はなく、水に浮かぶように筐体は揺らめいていた。
抜けるような青空の中を葵たちは砂漠の果てに向かって運ばれていった。
ちょっと長らく続きます。




