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後編

 いいのですか、とクリストファーは問い掛けた。


「このままだと、本当に僕があの姫君と結婚してしまいますよ、叔父さん?」

「…………」


 エドワルドはワイングラスを傾け、返事をしない。その頑なな様子にクリストファーはやれやれと肩をすくめた。


「まったく、どうしてこんなにも不器用なんだか。二十年近くも、ずっとフレデリカ姫を見守ってきたというのに――」

「クリストファー」

「はいはい、言いません。姫には言いませんよ」


 凄みのある重低音で名を呼ばれ、クリストファーは溜め息をつく。しばしワインを味わい、エドワルドは呟くように言った。


「……姫は十五で眠りについて年をとっていない。だが、俺はもう三十九。姫とは年が離れすぎている。お前の方が、適任だろう」

「適任って……」

「お前はいい奴だ、クリストファー」


 呆れた声を出しかけたクリストファーは、続けてかけられた言葉に目を瞠る。エドワルドは優しい笑みを浮かべ、彼に言った。


「姫を、頼む」

「…………知りませんよ、後悔しても」


 クリストファーは重い溜め息を呑み込んで、そう答えた。




「……やっぱり諦められないわ」


 しかし、同時刻、フレデリカの方は真逆の想いを胸に、決意していた。

 フレデリカはようやく認めたのだ。

 呪いにかかった自分を助けようとしていたというクリストファーではなく、あの、無愛想で無口なエドワルドの方が自分は気になっている、と。


「エドワルド様はお幾つなのかしら。四十歳ごろ? もしそうならわたしと二十五も離れているのね。若い娘に興味はおありかしら。いえ、まず……奥様はいらっしゃるのかしら?」


 素直に自分の気持ちを認めると、次から次へとエドワルドを知りたい気持ちが沸いて出てくる。特に、奥方、恋人、愛人の情報は必須だ。なにがなんでも手にいれなくては!


「そうね、エドワルド様のことを詳しく知るには……」


 廊下を歩いていたフレデリカはふ、と視線をとある方向に向ける。なんとそこに、エドワルドの従者であるオードという中年の男がたまたま通りかかった。

 オードが何かに気付いたかのようにフレデリカを見る。

 フレデリカはオードを見つめ、唇の端を吊り上げた。

 まるで、魔女の微笑みのように。


「ひいっ!?」


 その笑みを見たオードはひっくり返った鶏そっくりの悲鳴を上げて逃げ出し、フレデリカはとっさに追い掛けた。


「待ちなさい! なぜ逃げるの!? ええい、皆、その男を捕まえなさい!」

「止めて下さい! だいたい、なんで追い掛けるんですかあー!?」

「聞きたいことがあるからよ!」

「そ、それはひょっとして、エドワルド様の……?」

「ええ! 全部話してもらいますわ!」

「ひいいーっ! 話しませんよ! 話したらエドワルド様に殺されるーっ!」

「あっ、こら待ちなさいっ!」


 オードが走る。それを追い掛けて王女も走る。

 ハイヒールを脱ぎ捨てて、両手でドレスの裾を持ち上げて、全力で走っている。

 十五にもなった娘とは思えない――まして、絶世の美姫とは思えない格好だ。

 それを目にした兵士は姫のじゃじゃ馬がぶり返した! と慌て、メイド達は止めようとして右往左往し、大臣や貴族達は取り敢えず隠ぺい工作に走り、貴婦人達は卒倒し――

 国王は額に青筋をたてた。


「あのじゃじゃ馬娘は! ようやく大人しくなって安心していたというのに!」

「……まあ、姫は姫ですもの。それよりあなた、クリストファー様を」

「おお、そうだな。おい、誰か、クリストファー殿下が部屋から出ないように注意していてくれ。あんな姿を見た日には例え百年の恋でも醒めるだろうからな」

「はっ!」




 そんな周囲のことにも気付かず、フレデリカは必死になってオードを追い。


「――つかまえた!」


 城中を駆けずり回って、中庭にたどり着いたところでようやく捕まえたのだった。


「はあ、はあ。まったく、なんてお姫様だ……」

「さあ、聞かせてもらうわよ。エドワルド様のことを!」

「ええ、ええ。もう参りましたよ、降参ですよ。喋ります。そうですよ、お姫様を助けようとしてたのはエドワルド様です。クリストファー様じゃない」

「……え」

「ずっとずっと、この二十年間、エドワルド様はお姫様に会いに来てたんですよ。季節の花を持って、ただ話しかけに。エドワルド様らしくないですよねえ」

「……エドワルド様が、わたしに会いに」

「ええ、そうで――ふぎゃ!」


 突然オードは豚のような声を上げた。どこからか飛んできた小石がオードの団子っ鼻に当たったのだ。


「まあ、大丈夫?」

「いてて、いったい誰が……ひいっ! エドワルド様!?」

「……オード、お前は口が軽いのが一番の欠点だな」


 眉間に深い皺を刻み、険しい表情で現れたのはエドワルドだった。

 城が騒がしいことに気付いたエドワルドは部屋から出られないクリストファーの代わりに様子を見に来たのだ。

 エドワルドを見た二人の変化は真逆であった。

 フレデリカは瞳を潤ませ立ち上がり、自分の格好を思い出して羞恥に真っ赤になった。

 オードはおどおどと立ち上がり、真っ青な顔ですみませんすみませんと謝罪する。

 そんな二人を前に、エドワルドは額に手を当て、頭痛をこらえるような顔をした。


「……とにかく、姫はまず部屋へ。送りましょう。そして、オード」

「はいっ!」

「……後でゆっくり話そうか」

「は、はいい……」


 地界の鬼もかくや、といわんばかりの目つきで睨まれて、オードは口から魂が出そうになった。オード・ミュッヘン、四十一歳、短い生涯であった……いやいや、まだ死んでない! とかぶりを振る。そんなオードを残し、エドワルドと彼にエスコートされるフレデリカは中庭から移動する。

 先程までのじゃじゃ馬ぶりは鳴りをひそめ、今のフレデリカはすっかり淑女の顔をしていた。ただし、裸足なのはどうしようもなかったが。


「あの、エドワルド様」

「…………」

「エドワルド様、先程のお話は、本当なのでしょうか。わたしをずっと見守っていて下さったというのは……」

「……姫」

「は、はいっ!」


 エドワルドは足を止めた。フレデリカも立ち止まり、自然二人は向き合う形となる。

 きらきらと翠の瞳を輝かせるフレデリカを見下ろし、エドワルドは苦悩するかのように眉根を寄せた。


「……私はもう三十九です。若くはない」

「いいえ! 充分お若いですわ!」

「いや、貴女の相手には相応しくない」

「そんなことありません! 私の父も母とは二十近く離れています。むしろ理想的です!!」

「…………だが」

「それに、歳のことを言うなら、わたしの方こそ百十五歳です! 年増女ですわ!」

「と、年増……」


 いかに自分がフレデリカに相応しくないかを説明していたエドワルドは、堂々としたフレデリカの〈年増〉発言に呆気に取られた。

 さらにフレデリカは胸をはり、腰に手を当てて続ける。


「おまけに、じゃじゃ馬で、裁縫も不得意で、気をつけていたのに糸紡ぎの針で指を刺してしまうようなおっちょこちょいな娘です。はっきり言って、見かけだけだと散々陰口を叩かれていました。……失望、されたでしょうか?」


 自分の欠点を堂々と言い連ねていたフレデリカは、ふと泣きそうな表情となり、そっとエドワルドを見上げて尋ねた。

 エドワルドは、しばらくの間口をつぐんだままフレデリカを見つめていたが、やがてふっと瞳を和らげて手を差し出した。


「私は、頑固で。四十手前の面白味の無い男だが……貴女に失望することは無いと誓える。それだけしか無いが、構わないだろうか?」

「……エドワルド様!」


 フレデリカは笑顔になるとエドワルドの胸に飛び込んだ。

 柔らかな少女を強く胸に抱きしめて、エドワルドは囁く。


「ずっと、ずっと。貴女を見てきた。どんな声で笑うのだろうかと考え、どんな色の瞳なんだろうかと想像し、何色が好きなのだろうか、どの花が好きなのだろうかと――ずっと、知りたかった」

「わたしも……目を覚ましてからずっと、なんだか淋しくて。傍にいた誰かがいないような、そんな気がしていました。でも、あなたに会った時だけは、淋しくなかった」


 フレデリカの言葉を聞きながら、エドワルドはそっと彼女の髪を撫でた。

 茨に阻まれ、一度も触れることは出来なかった。

 触れたかった。抱きしめたかった。

 諦めようと心に決めても、やはり駄目だった。

 笑う彼女に目を奪われ、声に聞き惚れる。意外なお転婆ぶりも、逆に心惹かれるばかりで。


 ――ずっとずっと、愛していた。



 茨の無くなった城に、柔らかな風が吹く。

 白薔薇の咲く中庭で、ようやく想いが通じあったお姫様とちょっと年のいった王子様は強く抱き締め合い、長いこと離れずにいたという。

 ――今は昔の物語。

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