第一節
修二は左足の太ももと、右の足首まで獣化した。一分ごとに皮膚が少しずつ
変化していく様を手の感触で認識しながら、やがては上部へと侵食しつつある
獣化の事実に恐怖心が抑えられない。
ちょっと膝を擦りむいた時に出すような「痛っ」という程度を遥かに超える痛みで
冷や汗もかいている。歯をくいしばっているためか、顔も上げられずに目をキツく
つぶって何も感じないよう堪えていた。
本当なら今頃、全国の高校生が競う詩のコンクールに自作を提出していたはずだ。
『去年は入選しただけだったから、今年はさらに気合いを入れてたのに…』
「入選するなんて、凄いじゃない修二」
「何言ってんだよ、入選どまりの作品だ、という事実を突きつけられただけだ」
「すっごい自信。2万人が応募した内の入選なんだよ。もっと喜びなよ〜」
『マリアは横を歩きながら、俺のクソ生意気な言葉を軽く笑って受け流して
くれた。俺はあの時は、何も詩の世界を知らない奴め、とか思ってたっけ…』
修二は自分がいかに独りよがりで自惚れ屋で、他人を傲慢な態度で見下していたか
を今になって顧みる。
冥府の地下牢の床は、コンクリートで出来ているようだった。ザラザラする感触を
頬に感じながら床にうずくまり、ジンジンと定期的にやって来る鈍痛を忘れようと
もがく。意識が朦朧とする中で、またマリアとの記憶が蘇る。
「これは修二の分ね」
去年の秋、マリアはそう言って、白い綿のTシャツを修二にプレゼントした。
どうってことない丸首のTシャツだが、左の胸元には文字がプリントされていた。
山も樹も月も露も
「今お姉ちゃん高2じゃん。ちょっと教科書借りてたら、
何て言う小説だったかな…その言葉を見つけたの。
自然界の表現が上手いんだなぁ…とか勝手に思っちゃってさ。詩じゃないけど、
感動を胸に刻む…みたいな感じかな。気が向いたら着てみてね。
私もお揃いのを作っちゃった。ふふっ」
マリアの厚意をあの時の修二はさほど有り難く思ってはいなかった。
だが貰ったTシャツは、自室の壁にハンガーで吊り下げた。
ベッドに寝転んでいる時、勉強机に向かっている時、胸に刻まれた文字をたまに
眺めているうちに、修二の考えは変わっていった。
もし誰かが、自分の書いた言葉を大切に思い、
こんな風に形にしてくれるとしたら、どんなに心を躍らせることだろう…。
自我とは、他人がいてこそ成立するものだ。
修二がそう思うようになったのは、それからだった。
『他人を想うからこそ、自分も活かせるんだ。マリアって…すごいんだな…』
陽も当たらず、誰かが扉を開けなければ真っ暗なこの部屋で、修二はただただ
マリアのことを想い続けていた。
そのまま意識を失ってしまったのだろうか。
地下牢の重い扉がギィィっと音を立てて開いたことに気づく。
光の眩しさに視覚が追いつかず、瞼をしばらく閉じてから少しずつ目を開けた。
今度は鉄格子の向こうに立っている次官の顔が、はっきりと確認できた。
「食事だ。食べられそうか…? 」
次官は鉄格子の下、床との僅かな隙間から、
修二のほうへトレイを丁寧に置いた。
「獣だから、食べさせてもらおうかな」
「……。お前は人間だ。投げやりになるな!」
修二は目頭が熱くなった。目の前にいるこの人は、
どこまでも自分を人間扱いしてくれている。修二は痛みに堪えながら
上半身を起こすと、壁に背中を預けて太ももの上にトレイを乗せた。
スプーンを握ろうとすると腹筋が刺激され、再び足に激痛が走る。
だが何とか震える手でスプーンを握ると、音を立てることなく、
ゆっくりとスープを飲み始めた。
次官は大学ノートを持って、修二が何か言うのを待っているようだ。
修二がそれに気づくと、あまり待たせては悪いと思い、
スプーンをトレイに置いた。
「マリアに、『またあのTシャツ、一緒に着て歩きたかった』
そう伝えてください」
「わかった」
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