コンビ配信、始動
会議室のドアが開いた。
寝癖が先に入ってきた。
雨宮ミオは持っていたスマホを机に落としかけた。
(え、来た)
(ほんとに来た)
着古したパーカーに、右側だけ跳ねた寝癖。
十文字レンは会議室の中を見回した。
「……ここ、寒くね?」
「第一声それ?」
「空調、上げましょうか」
茶色のジャケットの女性がリモコンに手を伸ばした。
スカウト担当の人だ。
ミオは一度会っている。
「いや、いいっす」
レンはドアから一番遠い椅子を引いた。
出口を確かめる目だった。
(逃げる気だ)
「改めまして。雨宮さんにお預けした名刺、届いてますよね」
担当がタブレットを持ち上げて切り出した。
「あー、はい」
レンは尻ポケットから財布を出した。
札の後ろから、名刺が1枚出てきた。
(札、少なっ)
レンは名刺の名前を見た。
それから、そのまま財布に戻した。
(今、読んだよね)
担当がタブレットを机に置いた。
「では、本題です」
画面の一番上に、太い文字。
2人組の探索配信、レギュラー企画のご提案。
「お2人で、探索配信を定期的にやりませんか」
「やります」
ミオは即答した。
「はぁ?」
「お前、まだ何も聞いてねぇだろ」
「聞いた。レギュラーでしょ。やる」
「中身を聞けよ」
担当が画面をめくった。
数字の並んだページ。
「雨宮さんのチャンネル、現在の登録者は12万1,000人です」
「お2人の切り抜き動画は、360万再生を超えました」
(この人、数字で口説くタイプだ)
「毎回とか無理だろ」
レンが椅子の背にもたれた。
「俺、映るの背中だけだぞ」
「背中で360万です」
担当は間を置かずに返した。
レンが口を閉じた。
(強っ)
「ほら!」
ミオは企画書を指さした。
「ほらじゃねぇよ」
「なんで」
「近所のスーパーで、背中見られたんだぞ」
(それは、ごめん)
「顔出しは不要です。背中とヘルメット中心で構成します」
「構成ってなんだよ」
「映り方を、こちらで決めるということです」
「決められんのも面倒くさい」
レンはそれきり窓の方を向いた。
空調の低い音だけが部屋に残った。
(だめだ)
(この人、面倒くさいが全部に勝つ)
担当は何も言わない。
ここから先はミオの番だ、という顔だった。
ミオはさっき財布が戻っていったレンの尻ポケットを見た。
(……あ)
ミオは息を吸った。
「日当、今までの倍にするから」
レンの頭が窓からこっちに戻った。
目が企画書に落ちる。
「……考えなくもない」
担当の指がタブレットの上で止まった。
にこやかな顔のまま、口だけが少し開いている。
(早っ)
(説得、いらなかった)
「……では、前向きに、ということで」
担当の返事が半拍遅れて出てきた。
レンは小さく呟いた。
「……家賃より上か」
(家賃?)
「で、いつ潜んの」
「明後日はいかがでしょう」
「いいすよ」
担当は企画書を閉じた。
「雨宮さんの所属の件は、また改めて」
(そっちは、まだ)
レンは立ち上がって、パーカーのフードを直した。
「明後日な。寝坊したら起こせ」
「なんであたしが」
◇
会議から2日後。
昼前の迷宮入口。
コンクリートの階段の下から、土と苔の匂いの風が上がってくる。
「ヘルメット、よし」
ミオは小型カメラ越しに、レンの頭を確認した。
黄色いヘルメット。
あごひもに、白い結束バンドが3本。
ミオはスマホの配信画面を開いた。
『レン&ミオ 1層ゆる探索』
送信ボタンの上で、親指が止まった。
「ねえ」
「なんだよ」
「名前、出していい?」
「は?」
「タイトル。レンって入れていい?」
この前、配信の中で呼んでしまった名前だ。
LINEで謝ったきり、ちゃんと聞いていなかった。
レンは階段の下を見たまま答えた。
「もう知られてんだろ」
「……そうだけど」
「じゃあいいだろ」
(怒ってない)
(気にしてたの、あたしだけか)
ミオは親指を下ろした。
「じゃ、いくよ」
配信が始まった。
画面の隅で、同接の数字が回り出す。
桁がひとつ増えて、また回る。
2万1,000。
ミオの指先がスマホの縁を強くつかんだ。
「見て! 今の見てえ!」
「見ねぇよ」
レンは振り向きもしなかった。
「撮る方が前見ないでどうすんだよ」
《きたああああ》
《背中の人だ》
《正式コンビ!?》
《結束バンド健在で草》
「はい! というわけで!」
ミオはカメラを自分に向けた。
「今日からレン&ミオ、正式にコンビ配信です!」
カメラを戻す。
画面には黄色いヘルメットと猫背気味の背中。
それだけが階段を下りていく。
◇
1層の通路は、レンのスニーカーがぺたぺた鳴るほど静かだった。
「みなさん、ここが1層です! 苔の匂いがすごくて」
「1層の説明いらねぇだろ」
前を歩くレンがぼそっと返した。
「見てる奴、だいたい来たことあんだろ」
《それはそう》
《ミオちゃん食レポみたいになってる》
通路の先で、茂みが揺れた。
かさっ、と乾いた音。
ミオはカメラを構え直した。
「え、待って待って」
白い毛の塊が茂みから出てきた。
額に1本、短い角。
角ウサギだ。
1匹のあとに、もう1匹。
さらにその後ろから、何匹も。
ウサギたちはまっすぐレンの方へ跳ねてきた。
レンの手前で、ぴたりと止まる。
耳が後ろに倒れた。
そのまま、腹を土につけて伏せた。
1匹残らず。
鼻先だけが小刻みに震えている。
「……ふーん」
レンはそれだけだった。
軍手の手は腰の警棒に伸びもしない。
「通るだけだから。どいて」
ウサギは動かない。
伏せたまま、もう少しだけ低くなった。
「いや、伏せなくていいから。どけって言ってんの」
結局、レンはウサギとウサギのあいだを、またいで通った。
踏まれる位置にいる1匹が耳をさらに寝かせた。
レンが通り過ぎると、ウサギは1列に並び直した。
「いや、整列すんな」
「ねえ見た!? 今の!」
「見たよ。俺の足元だからな」
《え、角ウサギって突っ込んでくるやつだよな?》
《初見か? この人の前だと毎回これ》
《やらせ乙》
《やらせでウサギ仕込めたら逆にすごい》
画面の数字が跳ねた。
跳ねて、まだ上がる。
5万2,000。
(あの日の4万7,000、超えた)
ミオはカメラを持つ手首に、ストラップを巻き直した。
巻かないと、落としそうだった。
《この温度差好き》
《ミオちゃんが振り回されてて草》
《どけって言われて余計伏せるの草》
「振り回されてて草って、なに」
ミオはコメントを読み上げた。
「あたしが?」
レンは一度も声を張っていない。
(あれ)
(あたし、さっきから叫んでるだけ?)
《気づいたw》
《ミオちゃんツッコミ待ちのボケ》
「ちょっと、ボケじゃないから!」
「ボケだろ」
前から即答が返ってきた。
「1層で一番うるさいの、お前だぞ」
「ウサギよりは静か!」
「ウサギ鳴いてねぇよ」
《草》
《ウサギ鳴いてねぇよは草》
コメントの流れが少しだけ変わった。
《日当いくらもらってんの》
《ミオちゃんに雇われてるってマジ?》
「えっ、ちょっ」
ミオは慌ててコメント欄を指で押さえた。
「それは、えっと、言えな――」
「4万な」
レンだった。
振り向かない。
天気でも言うような声だった。
「言わなくていいの!」
「言っとかねぇと、お前忘れるだろ」
「忘れないってば!」
《4万!?》
《生々しくて草》
《ミオちゃん払えるの》
《俺も伏せるから4万くれ》
コメントがさっきのウサギのときより速く流れた。
ミオが画面の上の登録者数を見ると、会議の日に見た数字から下の桁が回り続けていた。
12万9,000。
(うそでしょ)
(なんで日当で伸びるの)
通路の奥には2層へ下りる階段があって、門番の大部屋の先は2人ともまだ行っていない。
ミオは同接の数字を見た。
5万を切らない。
(伸びてる今のうちに)
ミオはカメラを自分に向けた。
「今日はここまで! 登録者、12万9,000人! ありがとう!」
《おつ》
《もう終わり!?》
「それで、次回なんだけど」
ミオはカメラを、通路の奥の階段に向けた。
階段の下はライトが届かない。
冷たい風がまた上がってきた。
黄色いヘルメットがその手前まで歩いていく。
「次回! もっと深い階層に、挑戦してみようか」
《門番の先!?》
《背中の人、行けるの》
《言質とった》
画面の中で、黄色いヘルメットが止まった。
「はぁ? 聞いてねぇぞ」




