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婚約破棄されて捨てられた令嬢ですが、隣国の冷徹皇帝陛下がなぜか私を離してくれません!?  作者: Atelier Lotus


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第122話 偽りの帳簿

 深夜。


 ヴァイスラント皇城、帝国会計局。


 昼間は多くの官吏で賑わうその建物も、今は静寂に包まれていた。


 廊下には人影もなく、規則正しく並ぶ燭台だけが淡い光を落としている。


 その最奥にある会計文書保管室。


 重い扉が静かに開き、一人の男が姿を現した。


 帝国宰相――グレゴール。


 その後ろには、信頼する数名の側近たちが続いている。


 保管棚には、魔導暖房器具事業に関する膨大な帳簿が並んでいた。


 工房ごとの納品記録。


 会計報告。


 研究費の支出。


 皇帝勅令による予算配分。


 すべてが厳重に保管されている。


 グレゴールは一冊の帳簿を手に取り、静かに頁をめくった。


「見事なものだ」


「隙のない会計処理だ」


 側近が小さく頷く。


「皇帝陛下は、研究費の管理も非常に厳格でございます」


「一銭の狂いもありません」


 その報告を聞き、グレゴールは薄く笑った。


「だからこそ、崩しがいがある」


 静かな声だった。


 しかし、その言葉には冷たい確信が宿っていた。


「一度に大きく改竄するな」


「必ず露見する」


「まずは、ごく小さな数字からだ」


 側近の一人が帳簿を開く。


「こちらの支出項目です」


「研究用魔法石購入費……」


 グレゴールは目を細めた。


「ここへ僅かな不明金を加える」


「数枚の金貨で十分だ」


「その程度なら監査も見逃します」


「承知しました」


 別の帳簿が開かれる。


「こちらは工房への補助金です」


「その一部を秘密予算として処理しろ」


「用途不明の支出を少しずつ増やしていく」


「はい」


 さらに別の側近が口を開く。


「研究費の名目で支出を追加いたします」


「存在しない実験設備への投資という形なら自然でしょう」


 グレゴールは満足そうに頷いた。


「よい」


「一つ一つは誰も気にも留めぬ程度でよい」


「だが、それを積み重ねる」


 燭台の炎が揺れる。


 静まり返った部屋に、ペン先が紙を走る音だけが響いた。


 一行。


 また一行。


 数字が書き換えられていく。


 不自然とは思えない程度の誤差。


 偶然とも言える程度の不明金。


 監査でも見落とすほど小さな改竄。


 しかし、それは計算され尽くしていた。


「一年後には、不明金は莫大な額となるでしょう」


 側近が静かに告げる。


 グレゴールは満足そうに微笑む。


「その時、人はこう思う」


「長年にわたり横領が続いていた、と」


 レオンハルトも頷いた。


「証拠とは、作るもの」


「一枚では疑われる」


「百枚あれば、誰も疑わない」


 部屋には低い笑い声が響く。


 決して高笑いではない。


 勝利を確信した者だけが浮かべる、冷たい笑みだった。


 一方その頃。


 皇城の魔導研究室では、エルンストとミア、クロエが新たな魔導具の設計について語り合っていた。


 机には新しい設計図が広げられ、リリとアルは魔法石の周りを楽しそうに飛び回っている。


『次はどんな魔導具になるのかな!』


『きっとまた、みんなが笑顔になるぞ!』


 研究室には希望だけが満ちていた。


 その足元で、自分たちの未来を壊すための証拠が、一枚、また一枚と作られていることなど、誰一人知る由もない。


 陰謀とは、一瞬で完成するものではない。


 小さな嘘を積み重ね。


 偽りの記録を残し。


 やがて誰も疑わぬ「真実」を作り上げる。


 その歯車は今夜もまた、音もなく静かに回り続けていた。

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