第120話 最初の偽証
冬の終わりが近づき始めた頃。
帝都中央広場では、多くの商人や職人が集う定例の商業会議が開かれていた。
新たな商売の報告。
各地の景気。
春へ向けた取引の相談。
いつもと変わらぬ、穏やかな集まりである。
その会場の一角で、一人の保守貴族が静かに演壇へ立った。
帝国でも古くから名の知られた名門貴族。
その姿に、会場中の視線が自然と集まる。
男はゆっくりと会場を見渡し、穏やかな口調で語り始めた。
「まず最初に申し上げます」
「魔導暖房器具は、実に素晴らしい発明です」
会場のあちこちから賛同するように頷きが返る。
「私の領地でも、多くの子どもたちが寒さに震えることなく冬を越すことができました」
「病に倒れる者も減りました」
「皇帝陛下と未来の皇妃殿下には、心より感謝しております」
誰も異論はなかった。
それは紛れもない事実だったからである。
男は一拍置き、静かに言葉を続けた。
「ですが――」
広場が静まり返る。
「その一方で、多くの商人や職人が職を失ったことも、また事実ではないでしょうか」
会場の空気が、わずかに揺れた。
「薪を売り続けてきた商人」
「暖炉を造り続けてきた職人」
「旧式の暖房用魔導具を製造してきた工房」
「長年、帝国を支えてきた方々が、時代の流れに取り残されています」
その言葉に、何人もの商人が静かに俯いた。
実際に店を畳んだ者もいる。
仕事を失った職人もいる。
それもまた、誰にも否定できない現実だった。
男は悲しげな表情を浮かべる。
「私は改革へ反対したいのではありません」
「皇帝陛下を責めたいわけでもありません」
「ただ、一つ願うだけです」
「救われた人々だけではなく、救われなかった人々にも光が届いてほしい」
その言葉に拍手が起こる。
大きな拍手ではない。
だが、静かに共感を示すような拍手だった。
誰も、その発言を陰謀だとは思わない。
あまりにも自然で。
あまりにも正論に聞こえたからだ。
会議が終わると、その言葉は商人から商人へ。
職人から職人へ。
酒場から市場へ。
静かな波紋のように、少しずつ帝都中へ広がっていく。
「確かに暖房器具は素晴らしい」
「でも、困っている人もいるらしい」
「皇帝陛下も、そのあたりは考えておられるのだろうか」
まだ誰も皇帝を疑ってはいない。
誰も悪意を抱いてはいない。
ただ、人々の心に小さな疑問が芽生え始めただけだった。
一方その頃。
皇城では、エルンストたちが新たな魔導具の研究に励んでいた。
ミアは設計図へ向かい、リリとアルは研究室を元気いっぱいに飛び回っている。
誰一人として、帝都で交わされた言葉を知る者はいなかった。
その頃、皇城の一室。
窓から帝都を見下ろすグレゴールとレオンハルトは、人知れず静かな笑みを交わしていた。
「上々です」
レオンハルトが低く呟く。
「誰も皇帝陛下を悪人とは思っておりません」
「だからこそ良い」
グレゴールは静かに頷いた。
「最初から悪人へ仕立て上げる必要はない」
「必要なのは、ほんの小さな疑念だ」
「『皇帝にも落ち度がある』」
「そう思わせるだけで十分なのだ」
二人は静かに窓の外を見つめる。
帝都には、今日も平和な時間が流れていた。
だが、その穏やかな日常の下では、小さな疑念という種が静かに蒔かれ始めている。
嘘だけでは、人は信じない。
だからこそ彼らは、真実へ巧みに嘘を織り交ぜる。
その小さな歪みは、やがて大きな濁流となり、帝国全土を飲み込んでいくことになる。
まだ誰も、その始まりに気付いてはいなかった。
こうして、誰にも知られることなく策謀は静かに動き始める。
皇帝エルンストと未来の皇妃ミアを待ち受ける運命は、少しずつ、しかし確実に歪み始めていた。




