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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『均されていくもの 』
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『等級』

朝。

ロランは朝食を済ませてから書類に目を通し茶で喉を潤す。いつもの日課だ。

もうしばらくしたら客館に向かいルミエの案内をする必要がある。

本来、ロランは相当に細かく予定を詰めて過ごす立場だ。分単位のスケジュールと言っていい。


「本日もご自身で案内を?」

「ああ。昨日伝えた通りだ。そちらに時間を割く」


長く勤めている秘書は主の言うことに間違いはないと信頼しつつも、疑問がぬぐえない。


「一つよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「確かに、あの”ヴァロワ”です。重要な相手であることは確かですが、ロラン様自ら案内を買って出る必要が本当にあるのでしょうか?」


ロランの時間は高価な魔石よりも遥かに貴重なものだ。案内など誰がやっても同じなのだから、自ら行う必要性が分からなかった。


「……確かにな。しかし、あの娘は頭が回る。俺が案内することの意味くらいは察しているだろう」


当然、察しているはずだ。

……もっとも、それは本人にしか分からないが。

ロランは書類から視線を外さずに続ける。


「こちらが時間を割くということは、それだけの相手だと示しているのと同じだ」


秘書は小さく頷いた。

ベルニエ家当主が直々に案内する。

それは礼遇ではなく、対等の意思表示だ。

だが秘書の疑問は完全には消えない。


「しかし、それでも……」


言葉を選びながら続ける。


「ヴァロワ家のご息女とはいえ、まだ15歳。例の”調整役”として優秀だという話は耳にしておりますが、それほどまでに心を砕くべき相手なのでしょうか」


ロランは茶を口に運び、しばらく黙っていたがやがてカップを置いた。


「心を砕く?」


わずかに眉を動かす。


「違うな」


そう言って書類を閉じた。


「確認だ」


秘書は目を瞬かせた。


「確認、ですか?」

「ああ。報告を百聞くよりも一度見たほうが把握は早い」


ロランは椅子の背に体を預ける。


「工房を一通り見せてみた」

「はい」

「結果は?」


秘書はすぐに答えられなかった。

いや、正確には、答えは分かっている。何となく言い出しづらかっただけだ。


「……職人たちの士気が上がっています」

「そうだ」


ロランは淡々と言う。


「配置は何も変わっていない。設備も同じだ」


それでも。


「空気が変わった」


秘書は思わず小さく息を呑んだ。

確かにそうだった。

昨日の工房はどこか活気づいていた。

若い職人が胸を張り、ベテランが少し得意げに説明していた。

報奨金、休みの前、賞賛、何かしらの吉報があれば彼らは張り切るため、今回の変化もそう珍しいことではない。

だが今回は理由が違った。

ただ一人の少女が見て、話しただけで変わったのだから。


「……偶然では?」


秘書は慎重に言ったもののロランは首を横に振る。


「偶然で起きる変化ではない。人心掌握か、あるいは天性か」


どちらでも構わないが一つだけ言えることがある。


「放置するには惜しい人材だ」


秘書はしばらく沈黙した。

ロランは合理主義者であり無駄な人間関係を作らず、必要ならば切り捨てる。

その主が15歳の少女に自分の時間を割いている。


「……なるほど」


秘書は小さく頭を下げた。


「確認の価値は、確かにありそうですね」


ロランはその納得を当然のものとして処理してすでに立ち上がっていた。


「そろそろ時間だ」


時計を見る。

予定通りだ。


「客館へ向かう。その後は工房へだ」

「馬車を待機させますか?」


客館まではすぐだが、隣接地の工房はやや距離がある。


「いや。歩く」


距離はそれほど遠くない。

それに。


「工房へ向かう道も見せておく必要がある。反応のパターンは多く見るに越したことはない」


秘書はそれ以上何も言わなかった。

主がここまで時間を割くのなら、それはすでに決めたことなのだろうから。




日を空けての改めての工房見学。

ベルニエの工房見学は、一日で終わるようなものではなかった。

炉の熱と金属音に満ちた加工区画。

原石の選別。

研磨。

用途別の成形。

一通り見ただけでも、魔石という資源が、どれほど多くの人の手を経てようやく文明の一部となるのかは、ルミエにも十分伝わっていた。

そして三日目の朝。


「本日は、少し違う場所をご案内しよう」


客館に迎えに来たロランは、いつも通り簡潔にそう言った。


「違う場所?」

「加工ではなく、その先だ」


ロランは歩きながら続ける。


「先日までで、原石がどのように削られ、仕上げられるかは見てもらった。だが、それだけでは市場には出せない」

「検査、でしょうか?」


ルミエがすぐに問い返すと、ロランはわずかに目を細めた。


「察しが良いな」


それ以上の賞賛はないが、以前よりも声がわずかに滑らかになっていることを、アニエスは聞き逃さなかった。


(……評価はされているのですね)


自分の主が周囲に高く評価されるのは自然なことだと思う。

そう思ってしまうこと自体がすでに毒されているのではないか、とアニエスは内心で考え、すぐにその思考を脇へ追いやった。

工房本棟から少し離れた場所に、その建物はあった。

華美さのない、横長の石造り。

入口には見張りが立ち、出入りする者の記録を取っている。


「こちらは?」

「検査棟だ。完成した魔石の等級判定、記録、保管を行っている」


中へ入ると、工房とは違う静けさがあった。

音が少ない。

人の声も低い。

大きな机の上には、様々な大きさと色の魔石が整然と並べられている。脇には帳簿、秤、薄い金属板、細い針のような道具。


「ここで、最終的に“製品”になるかどうかが決まる」


ロランの声は淡々としている。


「魔石は加工しただけでは価値にならない。重要なのは、どの程度の出力を安定して発揮し、どの程度の期間持続し、どれほどの安全性があるかだ」


机の一つに近づく。

そこには三つの魔石が並んでいた。

見た目はどれも似ている。灯り用として使われる光性石。色味や透明度に個体差が出やすい種類だ。


「見分けはつくか?」


ロランが言う。

問いかけではあるが、試すような響きもあった。

ルミエは三つの石を順に見た。


「父からは等級については学びましたが……正直に申し上げると、見た目だけでは分かりません」

「そうだろうな」


ロランは頷く。


「外見だけでは判別できない差も多い。だからこそ、規格と検査が必要になる」


脇に控えていた検査官らしき男が、一礼して補足する。


「こちらは一級相当、こちらは二級、そしてこちらは三級の想定です」

「想定、なのですか?」


ルミエが問うと、男は少し困ったようにロランを見た。

答えてよいかを測ったのだろう。


「構わん。話せ」


ロランの許可を受け、男は続ける。


「正確には、現在その判定で意見が割れております」

「割れている?」

「はい」


男は一つの石を指差した。


「出力だけを見れば二級です。しかし、使用環境によっては三級とするのが妥当ではないか、という意見も出ておりまして」


ルミエは石を見る。


「どなたの意見が正しいのですか?」

「それが簡単に決まるなら、ここまで議論にはならない」


ロランのその口調には、部下を責める色はなかった。

だが“当然、そういうものだろう”という前提が滲んでいる。

さらに別の机へ案内される。

そこには帳簿が広げられていた。

細かな数字、用途別の記録、卸先の一覧。


「現在の等級制度は、基本的に石そのものの質で決まっている」


ロランが説明する。


「純度、出力、安定性、耐久性。検査官はそれらを見て、一級、二級、三級、あるいは工業用に振り分ける」

「工業用?」

「ええ」


今度は検査官が答えた。


「日常使用には向かないが、出力だけはあるもの。あるいは逆に、低出力でも特殊用途に向くもの。そういった石です」

「なるほど……」


ルミエは帳簿の列を追った。


「同じ三級でも、用途はかなり違うのですね」

「そうだ」


ロランが短く頷く。


「そこが、今の制度の限界でもある」


検査官の一人が別の帳簿を開いた。


「たとえばこちらは通常使用としては三級相当ですが、短時間の補助動力としてなら十分実用に耐えます」

「だが現行規格では、三級として一括りにされる」

「結果として、用途に対して過剰に安い、あるいは割高な石が出てくるわけだ」


ルミエはしばらく黙って帳簿を見ていた。

自動反応は、いつも通り粛々と最大の効果を発揮していた。

口は慣れたものだ。

顔は思慮深く。

視線は意味深に。


(うん、なにもわからない)


しかし、その実よく分からない。

ヴァロワ家が見ているのは、流通であり、取引であり、その先の生活だ。

ベルニエのように、石そのものを見てきたわけではない。

他方。

石の価値。

用途。

価格。

安定性。

ベルニエ家が見ているのは技術であり、質だ。


(でも、同じものを見ているようで、少しずつ見ている先が違うのね)

「ルミエ殿?」


ロランに呼ばれ、ルミエは顔を上げた。


「何か気づいたことでも?」

「気づいた、と言うほどではありませんが……」


ルミエは帳簿に視線を戻した。


「石の質で決めるのは、確かに分かりやすいと思います」

「そうだな」

「でも、その石が“どこで、何に使われるのか”でも、価値は変わるのでしょう?」


検査官たちが、一瞬だけ静かになった。

ロランは黙って続きを促す。


「たとえば灯り用なら、毎日長く安定して使えることが大事ですよね。でも短時間だけ大きな力が欲しい場所なら、少し不安定でも別の評価になるかもしれない」

「……用途別評価、ということですか」


検査官の一人が呟く。


「はい。石そのものの等級だけではなく、“どこに向く石か”で見るのです。そうすれば、三級だから駄目、ではなく、三級でもこの用途なら価値がある、という見方ができるのではないでしょうか」


静かだった。

職人とも検査官とも違う、商家の視点。

質を固定して見るのではなく、流れの中で価値を決める発想。

その発想がなかったわけではないが基準が増えれば、価格も評価も揺れる。だからこそ、手を出しきれなかった。

ロランは腕を組んだまま動かない。


(……なるほど)


想像はしていた。

ヴァロワ家の娘として、流通と商取引の感覚は持っているだろうと。

だが、この場で、この程度の情報からそこへ辿り着くのは少々早い。

検査官が慎重に言葉を選ぶ。


「理屈としては……確かにそうです。ただ、用途をどう分類するかでまた新たな基準が必要になります」

「ええ、簡単ではないと思います」


ルミエはすぐに引いた。

押し通すでもなく自説を誇るでもない。


「でも、等級について可か不可かの二択ではなく、“どこに流すか”まで含めて考えるのなら……今の悩みのいくつかは、少し変わるのではないかと」


ロランはその横顔を見ていた。


(意図的か)


それとも無意識か。

相手の顔を潰さず、提案だけをしてそっと引く。

議論の主導権を奪わず、しかし場の視点を変える。

先日の工房でも感じたことだが、この少女は人の士気を上げるだけではない。

話の軸そのものを、争いなくわずかにずらす。


「……興味深い」


ロランがそう言うと、検査官たちは一斉に彼の方を見た。


「用途別の補助規格。あるいは評価項目の追加……完全な再編にはならんが、過渡期の策としてはあり得る」


言葉にした瞬間、何人かが帳簿へ視線を戻す。

考え始めている。

ルミエはその反応を見て、ただ静かに微笑んだ。


(良かった。話の邪魔ではなかったみたい)


本人の感想は、その程度だった。

工房見学を終えて外へ出ると、昼の光がやけに明るかった。

検査棟の静けさの後だからだろう。


「素敵な場所ですね」


ルミエが言う。


「前にもそう言っていたな」

「ええ」

「今日もそう思いました」


ロランは歩きながら答える。


「私にはただの工房と検査棟だが」

「だから素敵なのでは?」


ルミエは首を傾げる。


「こうして誰かが丁寧に整えているから、街が安心して回っているのでしょう?」


ロランは一瞬だけ黙った。

またそれだ。

利益でもなく、効率でもなく、評価でもなく。

だが、現場にいる人間が最も“報われた”と感じる種類の言葉。


「……そうか」


短く返す。

それ以上は何も言わない。

だが、彼の視線はほんのわずかに検査棟へ戻っていた。




―――その頃、客館では使用人たちが小さく囁き合っていた。


「今朝もルミエ様、お優しかったでしょう?」

「ええ……名前まで覚えてくださって」

「頑張らなくちゃって思ってしまうのよね」


笑い声が小さく広がる。

誰も命じていない。

誰も競わせていない。

それでも、人は勝手に彼女のために良くあろうとする。

その変化に、まだ誰も名前をつけられない。

もちろんロランも。

ベルニエの街も。

ただ一つだけ確かなのは、

ルミエ・ヴァロワの滞在が、静かに周囲を変え始めているということだった。

そして、その変化はまだ、始まったばかりだった。

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