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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『静かに浸透するもの』
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『人を選ぶということ』

「みなさん、本日はよろしくお願いします」


教壇に立つルミエの呼びかけに、子供たちは『はーい』と元気よく返事をする。


「では、ルミエ様……いえ、ルミエ先生。お願いしますね」


隅の椅子に座りその光景を眺めていた教師は先を促し、ルミエは微笑んで頷く。


「はい。みなさんとあまり歳は変わりませんが、本日は精いっぱい努めさせていただきます」


その笑顔を見て、男子の何人かが顔を赤くする。

9歳にとって、12歳のルミエは文字通り年上のお姉さん。しかも綺麗であり可愛くもある。

一方女子も、憧れの人を見る目でルミエを見つめていた。

表面の柔和な微笑みとは裏腹に、内心では全く経験のないその事態に深呼吸を繰り返したい気持ちだった。


(……大丈夫。大人たちよりまし)


厳つい商人、威圧感のある貴族、真面目が過ぎる聖職者。色々な人たちと出会ってきたのだ。

それよりは随分楽なはずだと考えて気持ちを落ち着ける。もっとも、内心が落ち着こうが落ち着くまいが、ルミエの行動は一切変わらないのだが。

ルミエが卒業校で、12歳にして『先生役』を務めることになったのは、数日前のことだった。


※※※


「本日は、お時間をいただきありがとうございます」


ヴァロワ家の応接室。

深々と頭を下げたのは、地元学校の校長だった。

年嵩の男で、教育者らしい穏やかな物腰をしている。だが、その声にはわずかな緊張が混じっていた。


「いえ、こちらこそ。どういったご用件でしょうか」


応じたのはフランソワだ。是非と依頼されたため、隣にはルミエも同席している。

校長は一度姿勢を正し、言葉を選ぶように口を開いた。


「実は……道徳の授業について、ご相談がありまして」

「道徳、ですか」

「はい。子供たちに“人と関わること”“考えること”を教える時間なのですが……

 どうにも近年、難しくなっておりまして」


問題行動が増えたわけではない。むしろその逆だ、と校長は言った。


「皆、よく言うことを聞くのです。静かで、指示にも従う。

 しかし……自分で考えなくなっている」


ルミエは、その言葉を黙って聞いていた。


「そこで……」


校長は一拍置き、視線をルミエに向けた。


「当校の卒業生であり、今や“調整役”として多くの大人と向き合っておられるルミエ様に――」

「いえ、ルミエで構いませんよ、校長先生」


ルミエが柔らかく微笑んで言う。校長は一瞬言葉に詰まり、慌てて頷いた。


「では……ルミエさんに、臨時でお話をしていただけないかと考えました」


それは『お願い』という形をしていた。

だが、断れる話ではないことも、全員が理解していた。

この場に来る道中にフランソワはルミエに伝えていたから。



『今日の話は、どうやらクラリス家の影響があるようだ』

『クラリス家の、ですか?』

『先日にクラリス家の訪問があり、今日は我が家にとってほとんどない学校関係者の訪問。しかも、ルミエへの同席依頼。誰も表立っては言わないだろうが、大なり小なり思惑は働いている』


それがどんなものかは分からない。しかし、王都から地方都市まで、あらゆる”学校”に強大な影響力を有するクラリス家だ。ヴァロワ家の地元も例外ではない。




「道徳、という言葉ほど難しいことは求めません」


校長は続ける。


「ただ、子供たちに“どう考えるか”“どう振る舞うか”を、ルミエさんがいつも何を考えて、正しさを実践しているのかを。問いかけ、そして示していただければ、それで……」


フランソワは一瞬だけルミエを見る。


「……どうだい、ルミエ」


問いかけではあるが、選択肢は限られていた。


「私が先生でよろしいのですか? 私はまだまだ子供です」

「いえ、だからこそです。大人が語る正しさよりも歳の近い人物から諭される方が胸に響くことは往々にしてある」


ルミエは考え込むように胸に手を当てて、そして、少しソワソワしながらフランソワを見上げる。


「お父さま、よろしい、でしょうか?」

「ああ、君が決めることだ」


今だって”調整役”として重大な仕事が定期的に入って来るのに、それでもこの話を好意的に受け止めている様子の娘に内心苦笑するフランソワ。

―――ルミエは子供好き、なのだろう。

そうでなければ、今までの対応は説明がつかないように思えた。

弟であるレオンへの対応、各孤児院を訪問した時の反応。子供たちの無邪気さと純粋さを愛おしく思っているのは見ればわかるのだから。

フランソワはそう信じていた。


「では、私でよろしければ」


ルミエが微笑み、校長の顔に安堵が広がる。

その場にいた誰もが、それが“最善の選択”だと疑っていなかった。


※※※


(……道徳、か)


教壇に立ちながら、ルミエは思う。


(難しいことは言わなくていい、って言ってたし……)


視線を巡らせると、子供たちが一斉にこちらを見ていた。


期待と、信頼と、憧れ。

それらを向けられることに、違和感はあっても、危機感はない。

そして、必要な間を取った後、ルミエの口はいつもどおりに動き出す。


「では、最初に一つだけ、聞かせてください」


教室に穏やかな声が響く。


「みなさんは、“正しいこと”って、何だと思いますか?」


教室が、静まり返る。誰かが答えを探すように、ルミエの顔を見る。

その視線の集まり方に、教師はどこか安心したように頷いた。

――うまくいっている。

そう、誰もが思った。

しばらくの沈黙の後、

一人の子供が、おずおずと手を挙げた。


「はい」

「どうぞ」


ルミエに促されて、その子は立ち上がった。


「正しいことって……誰も困らないようにすること、だと思います」


教師が、思わず頷いた。


「なるほど。いい考えね。他にはあるかしら?」


別の子が続く。


「ええと……ちゃんと話を聞くこと」

「相手の気持ちを考えること」


次々に挙がる手と様々な答え。どれも間違ってはいない。むしろ、教科書的に“正しい”。

ルミエは、静かにそれを聞いていた。


(やっぱり子供って色々と考えてるんだなぁ)


感心すら覚える。もっとも、ルミエ自身は正しさとは何かよくわからないし考えたこともないが。


「では、もし――」


ルミエは、少しだけ間を取った。


「自分は正しいと思っているけれど、相手が納得していない時は、どうしますか?」


また、沈黙。しかし、今度は短かった。


「……ルミエ先生に、聞きます」


即答だった。教師の表情が一瞬固まったが、一方ルミエは微笑んだ。


「それも、一つの考え方です。自分でわからないときは誰かに聞くのはとっても大事」


でも、と言葉を区切る。


「私はいつも傍にはいられません。自分でなんとかしないといけないときはきっと来る。そんな時は、どうしますか?」


子供たちは黙ってはいたが、答えに詰まり、落ち着きなく視線を彷徨わせた。

ルミエは、その様子を見て、少しだけ困ったように微笑む。


「……難しいですよね」


誰も責める声ではない。むしろ、同じ立場に立っているような声だった。


「正しいと思っているのに、相手が納得していない。そういう時って、大人でも困るんですよ?」


教師は、思わずルミエに視線を向けた。

歳が近いからこそ、届く言葉もあるのだろう、と。


「だから……私は、こうしています」


教室の視線が、自然と集まる。


「まず、“自分が何を守りたいのか”を考えます」


指を一本立てる。


「次に、“相手は何を守りたいのか”を考えます」


二本目。


「それから、どちらも壊さない方法があるかを探します」


三本目。


「……それでも見つからなかったら」


少しだけ、言葉を選ぶ間。


「無理に決めません」


子供たちが、きょとんとする。


「決めない?」

「なにそれ?」

「どういうこと?」


口々に出てくる疑問を遮らず、優し気に受け止めてルミエは答える。


「正しさを急がない、ということです。今すぐ結論を出さなくてもいい。考え続ける、という選択もあるんです」


教室が、静かになる。誰もがルミエのその言葉に、穏やかな声に、耳を傾ける。


「正しいことは、人によって違います。だから……誰かの“答え”を、そのまま借りると、苦しくなることがあります」


そう言ってから、少しだけ照れたように笑った。


「でも」


声の調子が、ほんのわずかに柔らかくなる。


「“やり方”を真似するのは、悪いことではありません」


子供たちの顔が上がる。


「私は、いつもそうしています。分からないときは……尊敬できる人の、考え方や振る舞いを思い出すんです」

(尊敬できる人って誰だろう? お父さま、とか? うーん……)


ルミエの考えを誰も知ることなく、誰かが、小さく息を呑んだ。


「それが、正解じゃなくても。“こういうやり方もある”って知っているだけで、怖くなくなりますから。この道の先に何かあるかを知っていれば、暗い道も歩けるでしょう?」


しばらくの沈黙。

やがて、最初に答えた子が、ぽつりと言った。


「……じゃあ」

「はい」

「ルミエ先生のやり方を、まねしてもいい?」


ルミエは、一瞬だけ目を瞬かせてから、ゆっくりと頷く。


「ええ」


それは許可でも、指示でもなかった。


「それで、あなたが怖くなくなるのなら」


その一言で、十分だった。

その日。

教室にいた子供たちはまだ気づいていなかった。

自分たちが、

“正しさ”ではなく、

“人”を選んだということに。


(……やはり、ルミエ様に頼んだ校長の判断は、間違ってはいなかったのだろう)


傍て見ていたはずの教師も、大切な何かを見落とした。


※※※


その晩、ルミエが食卓でお茶を飲み、従者が熱性石の湯沸し装置の調整をしていると、嬉しそうな、はしゃいだ声が聞こえてきた。


「ルミエ先生!」


走ってやってきたレオンがルミエに抱き着く。ルミエは器用にお茶をこぼさないようにしてからくっついている弟を撫でた。


「……こら、レオン。姉さま、でしょう?」

「だって、姉さまは先生になったんでしょ?」


無邪気にそう語るレオンに、”もう”と言いたそうな顔をして、隣の椅子を引いて座るよう促した。

従者は、そんな姉弟のやりとりを見てにこやかにレオン用のお茶を用意する。


「先生じゃないわ。ただ、少しの時間、大事なことを伝える役目をいただいただけなの」

「でも、みんな言ってたよ。ルミエ先生の授業好きだって」


今日は9歳、8歳、そしてレオンのいる7歳のクラス。それぞれに話して回ったため、教師たちも、何よりも学校に通う生徒たち全員の話題はルミエ一色だった。


(正直疲れた……子供ってやっぱりパワフルだし)


賑やかで人がたくさんいる場所と相性が良くないのは前世からずっと変わっていない。

学校は最たるものの一つだ。


「僕もね、ルミエ先生が姉さまだって、みんな知ってるから自慢できたんだよ!」

「レオンに自慢だって思ってもらえるのは嬉しいわ」

「それでね……それで、僕、学校だと家みたいに姉さまに話すの、我慢したんだよ?」


どうやら、それが本題だったらしく、お茶を注ぎながら従者は理解した。


――なるほど。レオン様は学校で会えたのに甘えられなかったのが寂しかったのか、と。


レオンがルミエを大好きなのは家の者だったら全員知っている。

ルミエは何と答えるだろうかと、横目でうかがっているとレオンの意図を察したかのように、ゆっくりと椅子から降りて手を広げた微笑む。


「おいで、レオン」

「っ、うん!」


抱き着くレオンと、慣れた様子でそれを受け止めるルミエ。従者としては何度となく見てきて、未だに胸が温かくなる”尊い”光景だ。


「大丈夫。あなたはずっと私の可愛い弟よ。そして、なにがあっても私はあなたの姉さま。それは変わらないわ」

「……うん」


レオンはそう答えて、しばらく動かなかった。

ルミエは何も言わず、ただ弟の背を撫で続ける。

従者は、その様子を見てそっと視線を逸らした。今日もまた、ヴァロワ家は穏やかだ。

学校でも、家でも。

誰も困っていない。

誰も泣いていない。


(……良い一日だったな)


湯沸し装置の火を弱めながら、従者はそう思った。


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