九十七話 戸惑いました!
…今日は、本当におかしな一日だ。
主にセシカさんに不運が降りかかり、それによって僕もちょっと気まずい感じになる、と言うことをひたすらに繰り返していた。
昼食後服を買った後もその流れは続き、ついに日が暮れようとしていた。
「………もうすぐ、夜ね…」
疲弊しきっているような声だった。
表情もいつもの満足気な疲労を思わせるものでなく、ただただ憔悴しきっているような純粋に元気がなさそうなもの。あれだけの不幸に見舞われれば致し方ない事なのかもしれない。
「はい、そうですね…」
同情するかのような声が出たのはほぼ無意識だった。あるいは、僕も疲れているのか。
セシカさんだけでなく、もしかしたら僕にとっても厄日だったのかもしれない。僕にも色々降りかかってきたし…もう何者かの意図があったと言われた方が納得するくらいだ。
「もし、良ければなんだけれど…マノアの家に泊まらせてくれないかしら?」
「ええ、良いで…ちょっと待ってください。泊まらせてって言いました?」
「言ったわ。どう?」
「それはちょっと…って、入れ替わりの時は泊ってたんですよね。断るのも今更みたいな気がしてきました。」
「…じゃあ、良いの?」
まるで断られると思っていたかのような反応、いや、事実セシカさんは断られると思っていたのだろう。もしくはすごく渋られると。
疲労のせいで投げやりになっているというのもあるかもしれないけど、やや特殊とはいえ前例があるなら頭ごなしに否定するのもなんだか違う気がしてきた。尤も――
「ただし、ご両親の許可を得られればの話ですけどね。」
――彼女の両親はその前例を知らない訳だけど。
泊ったことがあると説明するのであれば入れ替わりの件も話さなければならなくなってくるし、前例が無いという前提で許可を貰おうにもその辺りの事をお2人がどう考えているのか次第だ。
「それなら問題無いわ。両親にはとっくに話を通しているから。」
「え…」
あまりの手際の良さに少し呆然としてしまった。
なんなら彼女の両親にかけ合うも交渉は失敗、お泊りは実現できずに終わるなんて筋書きを頭に浮かべていたので、意外も意外だった。
「…もしかして、元から泊る気でした?」
「さあ? けど、マノアも良いって言うならもう家に帰る理由も無いわね。早く一緒に帰りましょう?」
おどけたようにとぼけるセシカさんは、不意に笑顔で僕の手を握る。
「え、あの、セシカさん?」
心臓が跳ねたような錯覚を起こし、戸惑いながら手を引かれて帰路に就く。
「なに?」
微笑みながら訊き返したセシカさんに、少しの間見惚れて。
「…いえ、なんでもないです。
お泊り、楽しみですね。」
「ええ!」
今日は何一つうまくいかない、幸福とは言い難い一日だったけれど。
そんな今日一番の弾けるような彼女の笑みを見て、僕はまた見惚れてしまった。
「………」
「……ねえ、寝ちゃった?」
「いえ…」
寝れません。
その夜。僕は何故かセシカさんと同じ布団に入っていた。
この家に居るのも僕とセシカさんの2人だけだ。状況が状況なだけに緊張もしてしまう。
事の発端はフォリスからの置き手紙。どうやら彼女もオータク姉弟の宿に宿泊し、お泊り会をするらしい。
なんというタイミングかと思ったけど、既に許可を出しておいてセシカさんを帰すのは申し訳ないし、こちらもお泊り会を行うと言うのにフォリスのお泊り会を却下して帰って来てもらうというのも気が引けた。
こうしてセシカさんと2人で過ごすことになったのだが…セシカさんはさもそれが当然であるかのようにフォリスの布団を無視して僕の布団に潜り込んできた。
確かにお屋敷に居た時はたまに一緒に寝てたけど、セシカさんのベッドとは違い僕の布団は一人用。必然的にお互いに触れ合ってしまうくらい近くに寄らなければならない訳で…
「…あの、やっぱりフォリスの布団を持ってきませんか?」
「駄目よ。」
短く無慈悲な却下。内心がっくり項垂れて再度眠ることに集中する。
「…ねえ、マノア。こっち向いて。」
「え、それはちょっと…ひゃっ!? 分かりました! 分かりましたからくすぐるのは止めてください!」
渋る僕の首をくすぐるセシカさんを止め、彼女に向き直る。
すると彼女は腕を広げ、僕に強く抱き着いた。
「……セシカさん?」
確かに驚いたけど、それ以上に戸惑いが先行した。
少し痛いくらい締め付けてくる腕は、まるで彼女に何か不安があるみたいで――突き放すことが出来なかった。
「マノア。私って、そんなに魅力が無い?」
「え…?」
落ち込んだような声で問いかけられた内容は、一瞬理解できなかった。
もしかして今日泊まると言ったのも、同じ布団に入ったのも、そういう…?
「…そんな訳、無いじゃないですか。」
「え?」
今度は、彼女が戸惑う番だった。
すっかり自信を無くしきっていたであろうセシカさんに、言葉を続ける。
「こんなに…き、綺麗な同い年の女の子と、同じ布団に入ってるんですよ? 緊張して寝付ける気がしませんし、お屋敷で一緒に寝た時だってそうでした。おかげで休みの日はいつも寝不足で、お休みを楽しむどころじゃありませんでしたよ。」
「そ、そう…それはごめんなさい…」
顔が赤くなってきて心なしか体温も上がってきた気がするけど、セシカさんを励ますためだと思い、羞恥心をねじ伏せて更に続ける。
「それは過ぎたことなのでもう良いです。
今日だって色々ありました。何度も何度もドキッとしましたし、これまでだって何回ドキドキさせられたことか…特に一緒に誘拐された時、最後に僕を押し倒しましたよね? あの時、もしかしたらセシカさんと一線を越えてしまうんじゃないかって…不安でもありましたけど、正直ちょっと期待もしちゃってました。まあ、あの時は同性だったので大事にはならないという安心感もあったかもしれませんけど。」
「………マ、マノア。それくらいで良いから…その…」
「あ、ごめんなさい。嫌な事を思い出させてしまいましたか?」
パッと思い浮かんだのが誘拐された時の事だったので口走ってしまったが、彼女からすればいい思い出ではないだろう。最悪の選択だった。
「…じゃあ、私の事も結構意識してくれてるのね?」
「してますよ! けどもし万が一何か間違いがあってしまったらセシカさんも僕も大変なことになっちゃうじゃないですか! だからずっと頑張って色々な事を我慢してきたんですよ!」
…半分は嘘だ。我慢半分、逃げ半分。いや、逃げの割合がとても高い。
その事実が僕をとんでもないヘタレだと肯定してしまっているようでちょっと凹む。むしろヘタレで良かったと考えることも出来るけど。貴族の娘に手を出してお先真っ暗になるよりヘタレの方がずっと良い。
だけど…そう言った方が、彼女にとっての自信となるならば。
僕はいくらでも嘘をつこう。半分だろうが大半だろうが全部だろうが、セシカさんの為ならば。
「そう…良かった…」
……あれ? もしかしてセシカさん泣いてる?
なんでだろう? もしかして、僕そんなにセシカさんを女の子として見てないと思われてたのかな…?
「…だけど、貴方はレーサの方が好きなのよね…?」
「…………」
黙り込んで、自分の心を問い直す。
確かに僕がレーサさんの事が好きなのはわかってるけど…もう一度、自分の気持ちを確かめて。その上で答えなければ彼女に失礼な気がしたからだ。
「………あれ?」
…おかしい。
今まで狂おしい程溢れていたはずの感情が、今はさっぱり出てこない。
大切なものを無くしてしまったかのような焦燥感に襲われる。一日他の女の子と出かけたくらいで恋慕が消えてしまうほど薄情な人間なのかと自分に対して絶望する。
「マノア?」
「嘘だ……」
先程まで頬に溜まっていた血は、どこかへ行ってしまっていて。
僕は呆然として、その事実を受け止めかねていた。




