31 その先には②
「ノエル様、お元気で。またフランシスカに遊びに来て下さい」
「ありがとうございます、アイーシャ様。本当にお世話になりました」
アイーシャ様と陛下に丁寧に礼を述べ礼をとる。
ハープを弾き終わると、すぐにアゲートへと帰ることになった。お兄様に理由を聞くと、急遽、隣国の夜会に出席しなければならなくなったと説明された。
アイーシャ様との挨拶の途中も、アンリを意識して目で追ってしまう。
アンリはお兄様と話していて、ハープを弾き終えたあとも、私とは一度も話す機会がなかった。
二人が何を話しているのか気になったけど、聞きに行ける勇気もなくて、ただ形式的に挨拶に来る貴族達の相手をしている。
「……本当に行くのね。案外根性がないんじゃない?」
「シーラ、見送りに来てくれたの?」
驚いたことにシーラまで来ていた。相変わらず派手できわどいドレスは、この爽やかな空の下では不釣合いのように思えた。
「……まさか本当に約束を守るとは思わなかったわ」
約束、あの時のだろう。アンリの前からいなくなる約束。
「……最初から、こうなることはわかっていたから。約束は守るわ」
何でもないように答えると、シーラが綺麗な眉を寄せた。
「ばかじゃないの? 良い子ぶるお姫様が、私は一番嫌いよ!」
「えっ?」
嫌いだと怒鳴られたのに、なぜかシーラは私に抱き付いてくる。
「もうアゲートに帰るんでしょ? なら、最後に言い逃げくらいしたらどうなの? あなたの性格上、断られるのが怖くて、傷つくのが嫌で言わないだけでしょ?」
口は悪いけど、言っていることは的を得ていてシーラに何も言い返せない。
「待っているだけじゃ幸せなんて来ないのよ? 幸せは、自分で動くからキラキラと寄って来るの。暗い人に、流されてばかりいる人間には来ないんだから!」
確かにその通りだと思った。
私はいつも、前を見て自分の考えを伝え、自信に満ち溢れ、輝いている人を羨ましいと思っていた。自分に持っていない美しさを持つ人を。
「自分で掴み取ってみたらどうなの。少しは人生変わるんじゃない? いつまでも人に頼って待っているだけじゃなくて動きなさいよ!」
これは……励まされているの? シーラに?
私達の異様な姿に、アイーシャ様をはじめ、皆が固唾を呑んで見守っている姿が目に入った。
「でも……」
自信がない……。
「でも、じゃないわよ。もう少し周りを見なさいよ。皆……心配していたのよ。勇気を出して伝えなさいよ。だめだったら泣きながら帰りなさい」
周りを見ると、私達の会話を聞いていたようで目が合った人達から頷かれる。特に女性達からだ。
「教えてあげる……。落ち込んでいたわよ、あの方。目に見えてね……強く頼りがいがあるけど繊細な方だから」
アンリのことだとすぐにわかっだ。
「伝えても良いの……? シーラも好きなのでしょう?」
「煩いわね。あのままじゃ、あの方使い物にならないのよ。フランシスカの未来に関わるでしょ? 盛大に振られてきなさいよ」
すると、がばりと体を離されて思いっきり背を押される。
「シーラっておせっかいね」
そう言うと、シーラから睨まれた。
「ありがとう……」
決意を胸に、お兄様と話しているアンリの元へと向か歩き出す。
一歩歩き、アンリに近付く度に緊張が高まった。
歩き方を忘れてしまいそうで、ドレスの裾を踏んづけてしまわないようにと、そればっかり考えてしまう。
近付くにつれて顔に熱が集まるのを感じた。絶対に顔が赤い。それに、手が震えて緊張する。
お兄様とアンリの近くまで来ると深呼吸をした。
「あ、あの……アンリ、お、お話出来るでしょうか?」
思ったよりも声が大きくなって、とても恥ずかしい。
顔を上げていられなくて、両手を胸の前で強く握りしめ、逃げないようにと自分を戒める。
「ノエル。アンリとお別れが済んだらおいで。向こうで待っているから」
お兄様が爽やかに私に声をかけて去って行った。なぜか、お兄様の声が弾んでいたのは気のせいだろうか。
「ノエル様。それでお話と言うのは?」
アンリから声をかけられても、二人きりになるとどうしたら良いのかわからず、頭が真っ白になる。
でも、シーラから言われた言葉を思い出し、自分を震い立たせた。
「あ、あの、とても綺麗だと思います!」
自分でも何を口走ってしまったのかと慌ててしまうが、意を決し言葉を紡ぐ。
顔を上げると、アンリはいつもの仮面越しだが、やっぱり意味がわからないようで反応がない。
「アンリは綺麗です。とても綺麗です。昼間の姿も素敵ですが、私は、夜の姿が大好きです。気持ち悪くなんてないから……だから、ごめんなさい」
涙が出てきた。上手く伝えることが出来ない自分の不甲斐なさに泣けてくる。人に流されてばかりで、自分の気持ちを日頃から伝えないから。
でも、これだけは私の口から言いたかった。
「私は、アンリが大好きです」
その告白に、励ますように風が靡く。
「だ、だから……あの」
「ありがとう。夜の姿を褒めてくれて。わかっていたよ。あの言葉が真実ではないと」
アンリが自らの仮面へと手を伸ばすと素顔を晒す。久しぶりに見せてくれた素顔に泣いてしまうほど嬉しかった。
嫌われてはいないのだと、まだ私と向かい合ってくれるのだと。
自然に涙が零れた。
「泣かれると困るんだけど。泣かせてるみたいで、後でフィリップに怒られそうだ」
アンリが近づいてくると、強い力で引き寄せられ抱きしめられた。
「えっ……アンリ、あの!」
もう何が何だからわからないくらいに混乱した。
顔に熱が集まるのを感じ、顔を上げようともがくが、アンリの力に身動きが取れない。
「……どうして伝えてくれる気持ちになったの? 何も言わずに行くつもりだったでしょ……あんな歌を歌っておいて、なのになんで?」
これは責められてる……? でも嬉しかった。歌の意味を受け取ってくれて。
嬉しくなって、アンリの背中にぎこちなく両手を回した。
「もしかして笑ってる……? あの時、どんな気持ちで聞いていたか気付いてた?」
聞きたかった。アンリがどんな気持ちで演奏と歌を聞いてくれていたのかを。
もぞもぞと何とか顔を上げると、アンリの見たことのない、ふてくされた顔が見えた。
「聞かせて……アンリの気持ち。言葉にしてくれないと……わかんないよ」
「あの歌は、あの男のために弾いていたんだろ? だから、あきらめたんだ……。どんなにノエルを繋ぎ止めても、常に心の中にあの男がいるんだと。どんなに想っていても……死んだ人間には勝てない」
難しい顔をしてアンリが話し出したのはユーリのこと。
「ち、違うわ。確かに昔はユーリが私のすべてだった。でも今は違う。今はアンリだから。あの歌もアンリのために歌ったの」
誤解されていたとは思わなかった。
私がユーリを愛しているからアゲートへと帰るのだと、そう思わせてしまったんだ。アンリを不安にさせていたなんて気が付かなかった。
「あの歌は、あの演奏はアンリのためだけのものよ! 私の気持ちを聞いて欲しかったから。言葉に出来なくて、どうしたら良いかわからなかったの。だから……歌ったの」
何度も何度も繰り返した。アンリが、わかってくれるまで叫び続けるつもりだった。
「ごめん……泣かないで」
涙で濡れる頬を、アンリの長い指が払ってくれる。
「じゃあ、どうしてアゲートに帰ると?」
言って良いものか迷ってしまう。アンリと話せと背中を押してくれたのは、紛れもないシーラだったから。
シーラを伺うが、遠すぎてまったく表情が伺えない。分かることは、この場にいる皆が私達の動向を見守っている。ただ、それだけ。
「ノエル……」
催促するようなアンリに、心の中でシーラに謝った。
「シーラと約束したの。ゴンドラに乗せてくれる代りに……アンリの元を去るって」
「え……それだけ?」
意外だったようで、拍子抜けしたようにアンリが私の肩に頭をのせた。
「それだけって、私には重要だわ。人との約束は守らないと……。それに、アンリを好きだと知られたら、シャルワ様からアンリに咎めがいくかも知れないわ」
それが何よりも怖かった。またアンリだけが罪を背負わされるかも知れないと。
「不安になったの。また前の時みたいにシャルワ様にばれたらと思うと不安だったの」
今だって、婚約はなくなったと言っても、皆の前で抱き合っていること自体罪かも知れない。
すると、アンリが顔を上げ私の頬に優しく触れた。
「……ノエル。そのことなら心配しなくても良いから。何も問題ないよ」
問題ない?
余裕を見せるアンリに釈然としない。
「ノエル。結婚しよう」
驚きすぎて反応出来なかった。
時間が経つにつれて何も言わない私に、アンリの瞳が不安げに揺れた。
嬉しくて、嬉しくて、ひたすら涙を流す姿は確実にアンリを困らせている。
「嫌だった? なら、いつまでも待つから。ノエルの気持ちが変わるまでずっと……」
何を勘違いしたのか、悲しそうに私を見る。
「そ、そんなに待たなくても良いわ。アンリはいつも優しすぎるよ。私を甘やかしてばかり……一緒にいても良いの?」
「……もちろん。ノエルじゃないとだめなんだ」
初めて会った時と同じ、あの天使の笑みは私の心をまた奪った。そして、また私はアンリに恋をした。
「皆に報告しようか。待っているみたいだし」
泣きすぎて目が真っ赤な私の手を取り、アンリと歩き出す。
「あ、アンリ……でも」
この場には陛下やアイーシャ様がいる。それにシャルワ様も。しかも、フランシスカの貴族や、見送りに来てくれた侍女や護衛達もいた。
そんな彼らの元へ、何の迷いもなく歩くアンリに付いて行く。
陛下やアイーシャ様に近付くにつれ、緊張と不安が押し寄せ手が震えた。そんな私に気づいたアンリが、大丈夫だと手を握り返してくれた。
辺りは静まり返り誰も話さない。
もし反対されてもアンリと二人で暮らそう。たとえ、どんなに苦しい生活でもアンリと二人でなら頑張れる。
「父上、母上。ノエル様と結婚します」
アンリがそう伝えると、静かに見守っていた人々が一斉に喜びの声を上げた。そして口々に「おめでとうございます」と祝いの言葉をかけられた。
次々に声をかけられ揉みくちゃにされるが、私の意識は別な所にあった。
待って。今、アンリは誰に向かって父上、母上と言ったの……。
何度も何度も、アンリと二人の顔を見比べて呆然とする。
「上手くいって良かったわ。この不甲斐ない息子が、さっきまで哀れで可哀想でどうしようかと困っていたの」
物凄い失礼なことを、面と向かってアンリに言っているのはアイーシャ様。
「良かったな、アイーシャ。これで我々も安泰だ。ノエル様との結婚の日取りが決まったらシャトーでワインでも作ろう」
アイーシャ様と頷き合い満足げな笑みを浮かべるのは、フランシスカを治める陛下で意味がわからない。
「結構、時間がかかったな……。それよりシャルワ、お前ノエルに触りすぎ。まだ結婚前だから、それ以上触れるな」
いつの間にか傍に来て、アンリに説教を始めたのはお兄様で、なぜかアンリを シャルワと呼んでいた。
「本当に良かったですわ。一時は、あきらめましたもの」
「本当に……。これでノエル様と結婚出来なかったら私は一生罵られますよ。そんな主に仕えるのはごめんです」
私以上に涙を流して、目を真っ赤にさせているのはシシィで、その横にいるのは、今まで、この国の王太子だと紹介され信じていたシャルワ様。
「どう言うことですか? 一体、何がどうなって……」
状況がわからなかった。私以外の皆は当たり前のように頷き合っている。
「良かったよ、ノエル。どうなることかと心配したのよ。アンリがシャルワ王子だとノエルに伝えるなって言うから……言えなかったの。でも、これで私も安心したわ」
これまた泣きじゃくり、アルフレッド様に支えられながら姿を現したエレーヌの言葉に、またしも思考が追いつかない。
アルフレッド様に「おめでとう」と声をかけられても上手く反応出来ない。
「……アンリがシャルワ王子……なの?」
私の呆然とした呟きに、喜びに満ちていた皆の動きが止まった。
「ノエル様、アンリを責めないで下さい。この国のしきたりなのです」
私が激しく動揺していると、アイーシャ様が前に出て私の手をとった。
「この国では、特殊な力と容姿を持って生まれた者は、必ず従わなければならない掟があるのです」
「掟ですか……」
周りを見ると、私、以外の皆は知っている様子で見守っている。
「我々の先祖には、特殊な能力を持った姫君がいた話は聞きましたね?」
覚えている。アンリが話してくれた。特殊な国から嫁いできた女性。天の子孫と呼ばれた国から来た姫君の話を。
「その姫君には変わった容姿の妹姫がいたのです。アンリと同じ左右で違う瞳を持つ女性です」
思わずアンリを見てしまった。
「その妹姫は、容姿のせいで幾度となく誤解され傷つかれたと聞かされています。それで代々、アンリのような特殊な者が誕生すると、結婚の際は……側近の一人と入れ替わる掟になっております」
ちょっと困ったように目を伏せるアイーシャ様もまた、私のアンリへの想いを知っていたから罪悪感を感じているのかも知れない。
「どうして……入れ替わる必要があるのですか?」
そんなややこしい真似をする必要があるのか、わからなかった。
「伴侶となる人物の本音を探るためです」
本音を探る?
その意味を考えた時、哀しみが募った。
「私は試されていたのですね……」
「はい。人は、身分や容姿、服装によって態度が変わります。私達は容姿で苦労しているアンリを心から愛し支えてくれる女性を探していました」
心から。アンリの持つ地位や財産だけを狙う女性達も多かったのだろう。
それに……夜になると容姿が変化する不思議な体質もまた、初めて見た人は驚愕し、アンリを避ける可能性は捨てきれない。
「私達はそこにいるフィルをシャルワだと偽り、ノエル様に会わせました。王宮中にアンリが王子であると言う事実がノエル様の耳に入らないように、厳重に言い渡しました」
それで見ていたんだ。皆が私の行動と反応を。
「申し訳ありません。ノエル様を試す真似をして」
アイーシャ様が頭を下げると、周りにいたフランシスカの人々が一斉に頭を垂れる。
「ノエル様だけでしたわ。初めてアンリの夜の姿を綺麗だと褒めて下さったのは。一人の母親として私も救われました」
あの気丈なアイーシャ様が目に涙を浮かべる。
ここでは言えないような気苦労があったのだろう。アイーシャ様もアンリも苦しんでいた時期があったのかも知れない。
「でも、これで私達も安心出来ます。アンリをお願いします、ノエル様」
「そ、そんな。勿体ないお言葉です。私の方こそ、色々問題があるのに受け入れていただけるだけで感謝をっ――」
言い終わらない内に、アイーシャ様に抱きしめられた。
「自分を、そんな風に言ってはいけません。あなたは素敵な女性なのだから……。もっと自信を持ちなさい」
そうだ、アイーシャ様の言う通りだ。過去ばかり振り返らず、これからはアンリとの未来を見続ければ良い。
辛いこともあると思う。だけど、アンリが傍にいてくれるだけで乗り越えられる気がする。
「はい。アンリが傍にいてくれるだけで十分頑張れます」
ふわりと心の底から微笑めば、その場の雰囲気が一気に晴れやかになった。
「ノエル……ありがとう」
アイーシャ様が離れると、アンリから手を差し出され、少し照れながらも手を繋ぐと驚く間もなく引き寄せられ――唇を奪われる。
その瞬間、また歓声が沸き起こった。
その日、フランシスカでは祝福の鐘が鳴り響き、音が鳴り止むことはなかった。
街では、二度目の仮面舞踏会かと思われるほどのお祭り騒ぎとなり、人々は陽気に語らい若い二人に心から祝福を送った。
――のちにフランシスカは仮面と水の都。そして、芸術の都としても大陸中に名を馳せる事となる。
その象徴とも言えるフランシスカ王家には、不思議な容姿の王と、傍らには常に寄り添う美しい妃の姿があったと語り継がれている。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
七年前の作品を細部だけ直しそのまま転載しました。
今と文章が多少違うので、読みにくいと思いますが、この雰囲気を壊したくなかったので、全部書き直すことはしませんでした。
評価、ブックマーク等ありがとうございました。




