第三章⑥
「俺は無駄な金は使わない主義だからな。今この場ではお前に酒を買うべきではないと判断したまでだ」
「貴方みたいなのを、守銭奴って言うのよね」
「何とでも言うがいいさ」
クラインは店主がネウの為にと持って来た酒瓶を棚に戻すと、ナウの頭を撫でながら答えた。
「ケチ」
するとネウはふくれっ面で、酒をねだるのを諦めた。一瞬、ネウがこちらを脅してでも酒を要求するのではないかと恐れたが、ネウの満足いかなげな様子の中にもそんな状況を楽しんでいるような表情が垣間見えたのを考えると、その心配は無用だったらしい。自分が買ってもらえなかったのに、何が嬉しいのだろうか。
「それで、何かお買い求めでしょうか」
店主はコホン、と咳払いし、用件を聞いた。それに応じて、ライサが口を開く。
「ええと、レモンバームが一袋、アブサンの大瓶が三つ、あとセロリのリキュールはありますでしょうか」
「ええ、有りますとも。ただ、セロリのリキュールはありませんね。しかし、その代わりに、レモンとライムなんかどうでしょう」
店主は、ライサが頼んだ内容のものを聞いて、これから南へ航海しに行くと分かったのだろう。
代わりに、手前に置かれていた大きな麻袋の中から色艶のいいライムを取り出した。セロリもライムも、壊血病を予防するのに役立つ食べ物として知られている。
壊血病とは、長く航海をしていると発生する病気で、主な症状としては脱力感や鈍痛に見舞われたり、歯茎からの出血が生じたりする病である。長く、新鮮な野菜を食べていないと掛かる病気であるので、クラインたちのような航海者は航海をする上で特に気を付けなければならない病気の一つである。
だから、壊血病を予防できるセロリやライム、レモンはこれから南方へ航海するクライン達にとっては必須の準備となる。
「どうでしょう? 今なら一袋銀貨二百枚ほどでお売りしております」
「少し高いな」
ライサに向かって店主はライムを売りつけていたのだが、クラインはそこに割って入って、値引き交渉を試みた。ライサの表情から、これはすぐに買ってしまうな、と判断したためだ。
「これでも、良心的価格ですよ?」
「いや、高い」
「そんな」
クラインはなんとか値を下げられまいと値下げには応じない店主をよそに、袋に入ったライムのうち一つを取出し、まじまじと見つめた。
「小粒ですね」
「うっ」
クラインが手に取ったライムは通常に売られている物に比べると小さく、少し指で押してみると堅かった。つまり、まだ適期でない頃に収穫したライム、という事だ。
「これは少し値を下げないと良心的値段と言えないのでは?」
「……解りました。完敗です。銀貨百二十枚。これ以上は赤字になってしまいます」
「わかりました。良いでしょう」
「良心的価格、っていったいなんなのかしらね」
ネウの皮肉を余所に、店主は渋々、クラインの値下げ交渉に屈した。商人はだまし合いが日常であるから、いかにそれを見破るかが利益を得る秘訣だ。
これだけ言えば、クラインが一方的に悪い様に見えるが、実際は少し違う。わずかに品質の劣るライムを、普通の良質なライムとなんら変わらない値段で売っていた店主にも商売上の非がある。
と、ライサに言っておけば、容姿端麗な心優しい少女は笑って許してくれる。
「それで、他に何をお求めで?」
「レモンバームが一袋、アブサンの大瓶が三つです」
「はい、わかりました」
ライサが笑顔で答えると、店主は棚に置かれていた瓶のうち、緑色の液体が入った大きめの瓶を取出し、さらに足元にあった、一抱え位はあるレモンバームが詰まった袋を指さして金額を述べた。
「全部で銀貨五十五枚になります。合計で……百七十五枚です」
ライサは短く考えると、店主の方へ向き直った。
「借用書でお願いします」
「いいですとも」
ライサは懐から借用書を取出し、棚の上に置いてあった羽ペンでそこにさらさらと自分の名前と金額を書いた。この作業も、手慣れたものだ。昔はインクを付け過ぎて文字が滲んだり、力を入れ過ぎて破ってしまったりしたことがあった。今となってはクラインの一つの微笑ましい記憶だが、それと同時に、ライサにとってはその時の商売相手のいらだった視線が鮮明に残る、恐ろしい記憶だ。
借用書を渡すと、ライサは持ち前の爽やかな笑顔で、店主に礼を言った。




