第七章⑫
思えば、空虚な人生だった。されど、少なくとも自分はその空虚な人生を歩んでいる間は満足していた。
しかし。
今振り返ってみれば、本当に取るに足らない、それこそ「つまらない」人生だった。そんな考えが思考の過半を埋めるようになってきた。
銀もそれなりに儲けたし、銀行に預けている預金を全て下ろせば下級貴族くらいにはなれるだろう。尤も、この状況ではもう貴族にも乞食にもなれはしないが。
自分の人生が全て灰色だったとするなら、唯一ほんのりと色が塗られた部分は、ライサと出会った時から、今日までだ。そして、わずかに濃くなった部分は、ネウと出会ってからだ。
俺がこのまま生きていられたなら、自分の人生という、一生をかけて描き続ける絵画はこれから色とりどりで飾られるはずだったのだろう。緑や赤、青や金、銀で彩られる絵画はさぞ見物だったろう。
しかし、その絵画も未完のままここで終わる。
だが、それでも。それでも、どうせ終わるのなら、最後は自分で、やれるだけのことはやって終ろうじゃないか。もう、死の淵に立たされるのは慣れっこだ。ネウに初めて会った時も、ウルバーノに毒入りの紅茶を飲まされて倒れたときも、今こうして首を捕まれているときも。
死と言うのは、本当に身近な存在なのだと確信した。
「はは……つくづく、お前は幸せな奴だと俺は思うよ」
「何がだ?」
こいつは、ウルバーノはもう取引相手でも何でもない。クラインもいつもの口調で喋り出す。
「唯一自分を殺すことのできる可能性を持っていたネウも、それ以外に自分の脅威になった銀のナイフを所持していたライサも倒し、最後は船と莫大な財産を持った俺を殺して、お前は全てを持ち逃げして生き延びられるんだからな」
「ああ、そうだとも。お前と言う人間には初めからとるに足らない、こっちが仕掛けた罠にまんまとかかった獲物の一つだった。見逃してやってもいいが、お前は、コンラルト様が宿敵としていた「吸血鬼ネウ」を連れていた。だから、逃がすわけにはいかねえんだ」
「どうしてだ?」
クラインは何故、ただの商人である自分を解放してはくれないのか、ウルバーノに尋ねた。普通、海賊にとって商人は自分たちのところに金を持ってきてくれるのだから、あえて生かしておき、また金を持ってきてくれることを期待して解放するのだ。
なんと聞いて答えを聞いたところで毒にも薬にもならない疑問だが、今のクラインにとっては、これはどうしても聞いておきたい答えだ。
何故ならば、まだ、喋り続けさせておく必要が生じたからだ。
「なんで、もう死ぬお前に理由を言う必要がある?」
「どうせ俺を殺すんだろ? だったら、地獄で待っている親のために、冥途の土産につまらない話の一つぐらいもらってもいいだろう?」
ウルバーノは、ふん、と小さくクラインを鼻で笑った後、理由を述べた。
「当たり前だろう。どうやって吸血鬼と一緒にここまで来れたのかは知らねえが、この俺の秘密を知った以上、コンラルト様が「唯一恐れる相手」とおっしゃっていたあの吸血鬼、どうやってやったのかは知らねえが……あいつを連れてくることができる程の人間だった以上、生かしておくわけにはいかない」
「なんだ、そんな事か」
クラインは血が溜まりすぎて、頭痛に似た症状が出始めた頭の痛みに耐えながら、ウルバーノの話を聞いた。
俺が、そんなすごい人間に見られていたとはねえ。いや、或いはウルバーノが俺を過大評価していただけとも受け取れる。
クラインは、まさに死の淵に立たされているにもかかわらず、あと一歩でも前に進めば奈落の底に落ちてしまう状況にもかかわらず、少し愉快な気分になっていた。
「最後の話を聞けて良かったじゃないか。いい話かどうかは俺には解らないが、地獄で先に逝かれた家族にでも話すと良い」
「そうする、さっ……!」
クラインが言い切ると、ウルバーノは首を本気で締めにかかった。まさか、絞首台以外で首を絞められる羽目になるとは。思っていた以上に、苦しい。床に足がついていないがために、余計に苦しさが増す。
これは推測だが、恐らく首が締まると同時に下に落ちる絞首台の方がまだすぐに死ねて楽なのではないかと思う。
だが、絞首台よりもこちらの方が幾分か抵抗できる。
クラインも此処ばかりは必死になって空気の通り道を確保しようとウルバーノの手をつかみ、少しでも自分の首と手の間に隙間ができるように奮闘した。
「カア……ハッ……!」
「さあ、遺言と行こうか。伝える相手は特定できねえが、俺も一応大人だ。手紙にでも書いて置いといてやる。さあ、言え」
「遺言、ねぇ」
クラインはやっと首と手の間に隙間ができたことを自覚すると、ぽつりとつぶやいた。
「遺言はそれでいいのか?」
「おい待てよ。冗談だ」
クラインは、はは、と血液がたまって暗くなる視界でウルバーノを見つめて、不敵に笑った。
少し暖かい今日この日。




