表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤色散華 ―金木犀、過去の匂い―  作者: 燕乃
第八章
31/33

触れ合い、貫き捉えた愛と魂

 血刀は当麻の眼を削り、けれど頭を串刺しにする事なく過ぎて行く。

 精密で緻密だった椿の太刀筋が、僅かにだが声に反応して狂ったのだ。加えて、相打つ覚悟だった当麻の身体がふいに力と気勢を失い、揺らいだ結果。

 揺らいだのは、当麻が気づいたから。

 柄を握る椿の指が狂ったのは、当麻の声が余りにも静かだったから。


 熱いナニカが瞼から溢れる。眼球が削られて、走る痛み。潰れた片方の視界。

 もう片方の瞳は、静かに笑う椿を見ていた――そう、笑うフリをしている、彼女を。

 だから潰れた眼球は、真っ暗な中で、彼女の心を映すのだ。もう見えないその瞬間だけを焼き付けている。

 くしゃりと、歪んだその顔。

 何時か、君を失ったらどうしようと、不安と恐怖に泣いていた、その貌を。

 しずしずと、微笑んで、泣き堪える。強さと弱さ。

 隠している、その心の在り方と表情を。


――馬鹿だ。


 擦れ違っていた何か。後ろへと下がり、白い刀を握り締める当麻。

 泣いている、助けて、助けてと。

 何が殺すだ。馬鹿だ。助けると言ったのだ。鈴が鳴れば、黄泉の果てまで走っても救う。

 イザナミとイザナギに例えるな。あんな安い愛じゃない。この気持ちは、そんなものではない。

 外見が腐っていたとか。見せかけの表情だけで嫌悪していたとか。それだけで恐怖して目を逸らし、逃げてなんかいない。ああ、今まではそうだっただろう。でも、すくなとも今はもう違う。

 目を一つ失っても、当麻は椿を見つめている。()らさない。


 なら、結末は違って良い筈だ。彼女を信じる。彼女の魂を。

 未だ此処にあると思わせて欲しいのだ。だから、導いて欲しい。どうすれば良いか、迷うから。

 いいや、追い付くといった。守ると約束した。

 それが当麻の全て。椿は血刀を振るう鬼姫ではない。

 舞い散り、踊る紅の花びらの渦の中、終りを見つけた。

 目の前にいるのは、泣いているだけの、ただの少女だと。

 



 故に、白銀の一閃は擦れ違いを断つ。




 銀光となった刃は跳ね上り、椿の左腕を斬り飛ばしていた。

 吹き上がる鮮血、揺らぐ椿の身体。ひゅんひゅんと、血刀が空を舞う。

 無理に跳ね上げた剣閃は、椿の左腕を斬り飛ばす代わりに、当麻を死に体とする。

 斬撃の型としても滅茶苦茶だった。指から刀の柄が抜けて、地へと刺さる。


 そして崩れる二人。前のめりに。いや、そうじゃなくて。

 当麻は祈りを叶える為、一筋の銀の流星と化した。

 神速の身を無様に突き動かし、血を引き、散らし、それでも駆けた。

 

 何時でも駆けつける。椿という少女を守りたい。その願望から得た、守護の為の速さなのだから。

 纏う銀光は、守りたいという意志の現れだ。間に合わないなんて事はない。その為の力。天でも魔でもなき、人の疾さとして。人の稲妻として、闇を払おう。禍を断つ雷刃となりたい。

 それが当麻の願いだった。約束を結ぶ前の、祈り。

 当麻は腕を伸ばした。血で染まりながら、倒れてくる椿へと。

 放さない。強く、強くその背へと両手で抱きしめる。

 背中で、刀が地面に刺さる音がした。椿の背後に、やはり血刀が刺さる。


「そんなに、単純じゃ、ないですよ……」


 剥がれ落ちれば、一瞬だった。

 滲む視界。壊れて行く涙腺。無様だ。でも、これで良い。

 全て、目に移るもの全てを流して消してくれと、涙が次々へと溢れて来る。


 頬を合わせ、瞼を閉じる。椿が当麻を殺そうと思えば、瞬きの間に殺せるだろう。右手は、まだ生きているのだから、その爪で心臓を抉られれば終る。

 けれど、これだけは言いたい。この肉体に、まだ椿の魂があると信じたいから。あの時見えた歪んだ貌を忘れられないから。

 血で汚れている。死で穢れ、腐っている。だからと拒み、抱きしめない――そんな訳がない。

 身が朽ちても椿は椿だ。どんなに形や匂いが変わっても、それは変わらない。


 黄泉津比良坂?

 そんなものに喩えるな。イザナギは腐ったイザナミを見て捨て去ったが、自分はそうじゃない。

 そんな事、しない。椿という少女が椿であるなら、ただ、抱きしめて放さない。それが、死を抱き締めて、殺される結果になったとしても、もう構わない。



――椿だと、このヒトは自分の名を言った。信じてとも。

――それを信じないで、何を信じるのだろう?



 そう、信じている。


「好きだから救うとか、好きだから殺すって、そんなに、単純じゃない……っ…!!」


 ずっと擦れ違っていた。

 最初に好きだと告白した時から、擦れ違いはあった。

 どちらがどちらを守るだろう。どちらが先を進むのだろう。

 お互いがお互いを大事で、譲らなかった。共に居たくて、喧嘩なんかしたくなくて、自分は大人、自分の方がより大人だと、貴女より君よりと、解っているフリをしていた。


「訳、解らないじゃないですか」


 そうだ。


「好きだとか、愛しているとか」


 そういうのは、限りなく透明で、自分でさえ確かには掴めないもの。


「言葉になら出来ないのに、なんで、これが確かだと言えるんですか……! そんなに僕達は簡単で単純ですか。解り合っていると断言できる程、簡単なんですが!」


 擦れ違ってばかりだった二人なら、なおさらに。似ているが故に。


「愛は単色じゃない。複雑過ぎて、僕達にも解らない程でしょう……っ…!」


 それは記憶。それは過去。それは感情。自分を構成する全てから組み上げられた、緻密で精密で、だから一つの軋みで狂ってしまう情。

 共にあった言葉は億を越え、触れた肌の温もりは鮮明に。だからこそ、複雑極まる、何色でもない、自分だけの色を愛は帯びる。


「ねぇ、椿さん。どうして……」

「そだね、解らないよ。ただこのままだと、私は君を」


「………」

「…………殺す、よ?」


「殺して下さい。死ぬなら、貴女を信じて死にたい」

「私は、ヴァニタスだよ? 椿じゃないかもしれないよ?」


 耳元で囁かれる声。断たれた左腕から血が止まる。

 人ではない証明だ。これは人間じゃない。一度死んでいる。

 残った右腕も手刀として放てば、当麻の背を突き刺して心臓を抉るだろう。

 宙で震える、椿のそれを感じる。

 それでも。


「……信じています。貴女に、捧げたといったでしょう?」

「殺すって、言っているのに。なんで? 殺さないといけない。殺さないと叶わないの。だから、だから……君は死にたく、ないなら……」


「だったら、なんで……そんな涙声なんですか? 殺す殺すって言いながら、どうして苦しそうなんですか」

「苦しくても、一緒になりたいから……骸の、死人の残骸の儘でも、叶えたい恋はあるから」


 何より、絶対に泣かないのは単純な理由。好きな人との、約束。守って、守らせてあげたい。

 掠れ、剥がれるように零れる声。ああ、どうして気付いて、あげられなかったのだろう。


「……君に、涙は、あげ……た……から……」




――二度と泣かせないと、約束してくたから。




 ただ、それだけ。それだけが、椿には大事だった。 


「あの、約束はなしに、しましょう」


 なんて一途で馬鹿な二人。擦れ違って当然だ。口説き文句を、其の儘に捉えて約束を守るなんて。

 泣きたい時に泣いて良い。なんで、我慢している姿を見なければいけないのだろう。静かに(こら)える姿の方が、辛く胸に響く。


 不器用過ぎて、擦れ違って、殺し合う寸前。いや、その真っ只中で。


「ねぇ、なんで。こんなになって私を、そんなになってまで抱きしめる君を殺さないといけないないのかな……好きなんだよ。好きなのに、どうして殺さないと叶わないって思うのだろうね」

「信じて下さい。椿さんが思うように」

「恋しているって……難しいね。解らない、どうしたらいいかなんて。殺したら、叶うのに。でも、叶えたい程好きだから、殺したくない」


 密着した身体越しに伝わるのは、張り裂けそうな鼓動の高鳴りのみ。

 それだけで十分だった。矛盾を孕んだ言葉だからこそ、互いの気持ちが伝わる。もう擦れ違わない。


「自分でも、解らなくて、どうしもなくて、制御なんて出来ないんですよ」


 逢いたい、触れたい。もっと言葉を。

 貪欲に、醜く、美しくなく。許されない行為でも。


「人を殺したんだよ、私」

「それが、どうしました?」


 血で赤黒く醜く汚れた身体。それでも、愛したのは心だけだ。

 それが変わっていないなら構わない。


「…………」

「もう放さない。殺されるなら共に。椿さんのいない世界なんて、嫌だ……っ…!」

「子供の駄々みたいに……ううん、恋心は、子供の駄々だね。どうしようもないよね」


 当麻の背に、そっと回される椿の右腕。

 色々と亡くしてしまった気がする。奪った気がする。

 でも、そんなの関係ない。万の死より、一人の命が大事だから。


「もう二度と、護るって最初の約束を忘れたりしない。嫌ですからね、殺した後に死のうとか」

「……私は、私を信じたいよ。君を好きな、私を」


 なら後は最後までそれを貫こう。

 美しい最後なんて要らないから。自分の命果てたとしても、この人と共に。

 ようやく触れあえた温もりは、愛おしかった。

 傷口から流れる血が混ざりあう。二人して、溶けあうように。

 そこに確かにいると、強く頬を擦りあわせ、ぎゅっと抱きしめる。


 濡れた頬の、涙の冷たさえ愛おしかった。

 こうなるまで共に在れなかった自分達が嫌だ。

 それでも強く抱きしめた腕は放さない。好きだという気持ちは譲らない。

 それが当麻と椿を支える想いだから。それが唯一の、願い。


 頬の肌が擦れ、共に求めるように唇が触れる。接吻というには、余りにも切ないものだった。

 そして口の中に広がるのは、やはり血の味。どうしてだろう。それしかしない。

 金木犀の匂いはなかった。幻想は過ぎ去り、修羅だった現実が残った。

 だったら、こうして触れあえているのも、この口付けもやはり現実。


「……んっ……」

「……っ……」


 長い、長い口付け。言葉に出来ないものを、触れて伝える。

 熱い肌と唇。何も見えず、けれど感じる。形に出来ないものを、共有して一つにする。

 そうして離れて。糸を引く。もう離れない。


「ようやく、叶った、気がする」


 そう、椿が呟いた。血と傷で塞がった方の眼は泣いている椿を。未だ開く事の出来る視界は、微笑む彼女を捉えていた。


「もう、放さないし、逃がさないし、何処にも行かない」


 そう約束する。此処が黄泉津比良坂だというなら、全てを壊そう。

 黄泉と現世。異界と此処。其方と今。全て壊して、馴らして、二人のいられる場所に作り替える。

 自分を壊そうとした程の想いが胸にはある。二人のそれを合わせれば、それくらい、簡単な筈。そう瞳だけで訴えて、何より愛しい人を抱きしめる。

 互いが、二人が、共に抱きしめる力で砕け散っても構わない。壊れて良い。もう壊れている。

 それほどに、強く触れあう身体と、心。

 風景は、霞んで見えた。ただ、そこに愛した人がいれば、それでよかったから。

 後は、何も要らない。





挿絵(By みてみん)






ごうっ、







 と風が鳴る。

 幾千の赤の花びらが踊り狂い、二人を包む。

 ただ、世界が唖然としていた。どう対応して良いか解らず、戸惑い、揺れる風。

 この幻想の世界、滅びるまで共に。

 けれど、飾る赤と真紅は既に死と破滅ではない。共に願う、血盟の光のように、命の煌めきを宿している。

 最後の一瞬、せめて最後の刹那まで、抱き合って、一つでいたいと願い、繋がる鮮血の風。

 離れたく、ない。

 鈴が、ちりんと、約束を果たしたように一度だけ響いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
※この作品は出版デビューをかけたコンテスト
『エリュシオンライトノベルコンテスト』の最終選考作品です。
コンテスト詳細、そのほかの候補作品は 公式特設ページをご閲覧ください
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ