見えない涙、擦れ違う剣
一陣の風として、血を散らし、それは駆けた。
身はボロボロ。致命傷には届かずとも、何故動けると問いたくなる。
それ程の想い、理由、原動力が何処にあるのかと。
「いいや、違う」
それは獣の咆哮。美麗さも流麗さもない。
雅など知らぬ。美など感じぬ。ただ、この一対の飢刃で天魔切り裂くのだと、異界の穴たる庭園に踏み込む男、六木。
あるのは飢え。あるのは渇き。そして否定の激情。発露は獣の唸り声に等しく、美しく飾られた幻想を食い破って裂いていく。
それは喪失を知った男の嘆きだった。
繰り返させないと、身を焼く自己嫌悪からの飛翔。己を許さないが為に、己が壊れる事も厭わない。
失わない。失わせない。欠落は今だこの胸を焼いている。これがある限り、立ち止まれない。
故に赤い花びらを裂いて飛翔する姿に防の概念はない。
飢えし獣が叫ぶ。
亡くしたモノを取り返せずとも――同じモノに成るなと。
「失ったら何も言えねぇし、何も交わねぇ。けれど、あれは違うだろうが!」
その激発の熱に、当麻と椿が硬直する。完全に二人きりの精神だった為、虚を突かれたのだ。
六木の手にした双刀。その切っ先は、あろうことか、当麻と椿、その二人を向いている。
全ては知らない。シェンナから齧って聞いただけだ。
ただ第三者として見たら解る。この二人、何処まで擦れ違って、何処まで逝く気だ。
「アホか、テメェら! 互いの願いの先も見えないで、何が好きだ愛していますだ。鈴が鳴ったら助けにいくんじゃねぇのかよ! 鈴を鳴らしているんだろうが、助けてと言葉にしやがれ!」
空の骨壺を叩いた、あの虚ろな感触は指先に残っている。
だが、そこで互いの首を切り落とす事こそ愛と盲信している二人はどうだ。お互いを斬り裂いて、泣き叫ぶ音色。中身は見えただろう。聞こえただろう。指先どころか、全身で触れて叩いて響かせている筈だ。
からっぽじゃない。その瞳も声も。魂がある、想いがある。心がある。そう感じるに、足りない筈がない。
「間違っていたら、俺の命ぐらいくれてやらァ!!」
故の強襲。この二人は余りにも頑固過ぎて、視野が狭くて、刃で解らせるしかないと黒焔を纏う。
交わした言葉の中身は虚ろか。
それほど身を斬り刻み、触れあわせ、掻き鳴らして散らした想いは虚無か。
本物と偽物の区別がつかない程、お前達は互いの事を知らないのか?
「目を開きやがれ!」
どうして、二人ともそんな泣きそうな顔で殺しあっている?
第三者だから解る。部外者だから解る。やり切れない心情を、無理に突き動かす悲しさ。
刀身に滾らせる黒焔よ。助けられなかった三人の形見よ。己の身を焼き尽くしても、この二人に今の互いを知らせてくれと、胸の中で叫び、言葉にする。
「どうして、お前達はその刃を振り翳している!」
六木はあるぞ。感じている。自分の愛する家族は死んでもう向かう場はなくとも――二人は違う。
この手に握る双刀で、それを知らしめるのだと吼え猛る。それが救いの翼となれと。
「――っ――!?」
それに反応したのはソドム。
何故だ。美も解らない、心の機微も読めそうにない獣のような奴が、何故、それほどの傷を負ってまで。
他人への配慮?
後輩への心配?
そんなもので人はそこまで強く動けない。
ソドムのそんな推測は正しい。故に正否のみで感情を計っていた悪魔は困惑し、対応が遅れる。
最初に現れた時のように影の障壁を出す余裕もない。瞠目して、見つめてしまう。
人間、一人、一人に過去と魂がある。誓いがある。端役だと断じて、薄ら笑いと共に獣だけに任せたのが、ソドムの失敗。
人間に端役などない。みなそれぞれが主役で過去があり、願いと思いがある。
他人へと自分の想いを託し、投影し、だからこそ同じ道に重なる事は許さないという義憤。
幕は下ろさない。六木が、その叫びを上げる故に。
「邪魔を」
「しないで」
虚を突かれた筈の当麻と椿の反応は滑らかだった。
最早それは反射。思考を置き去りに、心の切っ先が向かう。
邪魔者は要らない。この手で愛している人を殺す。その誓いがルールとなって彼と彼女を突き動かした。
肩を狙い、上空より降りる切っ先を避け、六木が着地する前に返しの刃を横薙ぎに。当麻も椿も迷いなくその一閃を叩き込んだ。
後悔などない。誰かを斬ったのか、当麻は知覚していない。
ただ邪魔者が入ったから斬ったという超反射。続く動きもそう。
身を反転させ、斬撃の衝撃で固まった六木へと放つ掌底。椿もまた、同様に胸部を狙って放ち、二重の衝撃に貫かれ、後方へと吹き飛ぶ六木。
肋骨が何本か折れた。刃が内臓を撫で斬った。
再起不能。少なくとも治癒を受けない限りそうだと断じ、更に反転する当麻。
見れば椿も同様、掌底を放った右を引き戻す余裕が惜しいのか、左腕一本で当麻へと放とうとする刺突。
椿の方が早い。が、それは僅かにだ。相打ち覚悟ならば問題はない。
だが、それより早く、何より早く――掌底を叩き込んだ時に放たれた六木の言葉を、此処に来てようやく当麻は理解した。
全ては奇跡。この機、この瞬間に重なったもの。
「舐めんな、勝手に決めつけんな、この自己中――鳴いている鈴は聞きえるのに、目の前で泣いている少女に気付かないのか!?」
「……っ…」
時間差で理解し、脳裏を貫いた六木の言葉。
此処に初めて当麻に逡巡が走る。それは戸惑いという色を、透明だった当麻の心に落とした。
――泣いている?
今までは透き通る、色のないものだった。だから自分の心の動きに気付けない。
どんなに自分が矛盾して、捻じ曲がっていたのか。軋んで悲鳴を上げていた感情の流れ。
染みこんだ疑惑の色は複雑怪奇。喜怒哀楽。悲哀に嘆き。怒りに憎悪。何より、吹き抜けるのは愛や殺意ではなくて、言葉にならない濁流。
何を感じていたのか。今までの激痛の正体。
声に、色に、どうやっても表現も出来ない心。行き場のない奔流。
愛している。
ちりんと、鈴が鳴る度にそう思った。
好きです。
椿の血刀が自分の身体を斬り裂く度に。
壊れて行く。バラバラに千切れて、壊れて行く。いや、既に壊れていた。何と言えば良いか解らず、ただ形をなぞるだけだった。誇りも約束も、本当はなかった。
やりきれない想いだけが、ずっと哭いていた。
これを何と呼ぶのだろう。物悲しくて、辛くて、叫びたいのに息が詰まる。
透明だった。でも、今は。
いや、これを知っている。昔、憶えたものだ。
梅の咲いた場所で。
しずしずと涙の流れる気配のした病院で。
そして――金木犀の匂いの中で。
「当麻、お前の約束は何だ!?」
続く六木の声に、切っ先が止まる。相打つ、殺すとの気が消える。力が抜けて、ゆらりと当麻の姿勢が流れた。
言葉に出来ない。限りなく透明で、掴む事さえ出来ない。その癖複雑怪奇で、胸を掻き鳴らす痛み。
これにずっと向き合っていなかったのだと、知ったのだ。
やっと、判った気がした。
「椿、さん」
声は届かないだろう。既に放たれた刺突は眼前に迫っている。
避けきれない。いや、そんなつもりも、多分なかった。
その赤い刀を握る少女を、凝視した。
この人は次はどんな景色を見せてくれるのだろう。
この人と、次は何を見て、何を感じ、共に笑うのだろう。
永遠などなく、止まって欲しいのに過ぎ去っていく瞬間。でも、それが愛おしかった。変わりゆく温もりが、そして少しずつ変わっていく二人の関係が、心地よかった。
変わらない永遠なんていらない。ただ、一緒に過ごしたいだけ。
その為に、見よう。まずは、どんなに痛くても、苦しくても、傍にいたい人を。
当麻の発現させたアウルは銀の稲妻。迅雷と化して、好きな人を守る剣と奔る事がその祈り。力の元なのだから。
そして、削られる当麻の眼球。
それで、良かった。それでも、良いのだ。
守りたいと、鈴に誓った事を、嘘にしなかったのだから。




